教育と社会

本日は、午前中にJASのコンサルタントで3つのイエナプラン校の校長を兼任するリーン氏のRidderkerkにある学校の2つを視察させてもらった。また午後から、近くのBarendrechtにある保育園で話を伺い、その後、ダルトンスクールの中学校へ訪問した充実した一日になった。

まず、イエナプランの学校は藤森平司先生がやっている園と同じように子ども一人ひとりの発達にあわせて、自主的な選択が保障され、またそれぞれの子どもが自然に学べるようにゾーンやコーナーなどの環境が整備されていた。

やはり世界標準の教育はこれなのだと確認できたのは、子ども一人ひとりがとても落ち着いていて自らの課題に対して自ら進んで取り組んでいること。またそこの教師が、ちょうど良い距離感で子どもを見守っていること。そして教室がとても穏やかに落ち着いた雰囲気が出ていることだった。

子どもの存在のすべてを認めるというのは理念が必要なのだと改めて感じた。

話をしていると、地域ではとても良い学校として大変人気があるので他校区からもたくさん先生方が見学に来るそうだが、その時にはいつもコーナーや環境、教材等々のコピーばかりをとっていくのだそうだ。「それではないのにね」と笑っていたのが印象にも残った。

ある程度経験が豊富で自分に自信がついてきた教員というのは、なぜいつも子どもを見ないのかと本当に不思議に思うが世界でもそうなのである意味で私たちの存在意義に改めて安心することができた。

日本では、GTで活動を共にする先生方はほとんど同じ方向でやっているけれど小学校でそれを普通にやっているのを見て改めて愕然とした。

日本は、ちゃんと子どもの人権を保障しないで上から押さえつける官僚体質をいつまでも続けていたら日本では通用しても世界では通用しない子どもを無意識に刷り込んでいるかもしれないから気をつけないといけない。

21世紀の社会は、多国籍の人たちが手に手を携えて力をあわせて地球の問題について向き合っていく時代になる。

そういう時代に日本の大切な魂を持つ子どもが国際人になれないなどとはしたくないなと改めて自分の仕事の不足さに震えが来た。帰国したら改めて気を引き締めて邁進していこうと思う。

さて、話は戻す。

午後からは0歳児から4歳児までを預かる個性的な保育園へ伺った。日本とそっくりでたくさんの保育士さんがいて、子どもを保育していた。この国ではバウチャー制度が実施されていて保護者に補助金が支払われるそうだが、保育料を支払わない親がいて大変困っているそうだ。

なんだかどの国も、同じでちゃんと子どものことを考えていく体制をもっと周囲が用意しないと規律やルール、罰則ばかりで良い人たちと苦しめるのだから考えないといけないと思う。

3つ目に拝見したダルトン方式の中学校は、現在社会の変化に伴い「自らで課題を設定して自らで解決する」方式で日本の大学と同じように単位制で運営されている。今、オランダでもダルトンはとても人気があるそうだ。

子どもたちは常に社会経済にあうように教育を親が選択していく。お金の流れに左右されながらも本当の良い教育が受けられるようにしていく良心がこの業界には大切なのだと思う。

最後に、離れていても同じように子どもを思えば同じようなカタチになっていくのが人間なのだと思う。すべての生き物は思いやりを忘れて傲慢に自分中心になっていくと社会も悲しいものにしていくことになる。

常に豊かさとは何か?なぜ生きるのか?そういう生きていく上で結果よりももっと大切な意味を実感して自らを尽くせ、本来の在るがままにそれぞれがみんなで幸せになるような社会になることを心から祈る。