日本的精神を引き続き深めていますが、それは日本人の歩んできた古代からの記憶であり今も続いている道です。その道はどこから探り出していくのか。古の日本を研究する学問が、霊元上皇や国学、水戸学などの流れをつくり尊王攘夷を経て今に至ります。
今ではあまり日本の道は何かなど考える学問がありません。私はそれを「かんながらの道」と名付け二十年前から毎日欠かさずブログを綴り続けています。
そしてその日本の道、かんながらの道は、暮らしの中にこそあるとし『暮らしフルネス』というものを発案し実践して今に至ります。
もともと古代の記憶はどこに伝承されているのか、また先人が何を畏れ、何に感謝し、何を次の世代へ伝えようとしたのかは場や暮らしに継承されています。それを甦生し、その心をもう一度受け取り、今の時代にふさわしい営みにすることで道を甦生しながら共に歩み連綿と続く未来の子どもたちや子孫へこの日本人の生き方を譲り渡していこうとする文明実験の一つです。
日本的精神は特別な何かの抽象的な思想を掲げることではなく、日々の暮らしを通していのちのつながりを日々の所作や実践によって内省し改善を続けるものです。あらゆる自然と混然一体になり、祖先が共に自分の心身と共生していることを自覚し、悠久の循環の中に自分と関係するすべてを丸ごと結び、呼吸するように暮らしを投じていくこと。それを徳循環と呼んでいます。
一人一人が、暮らしを調えて徳を磨いていけば自ずから道は現れます。すべてのものや人との関係性を大切にしていくことで日本的精神は研ぎ澄まされていくからです。
かつて古事記や万葉集から本居宣長は、日本人の精神をつかみ取ろうと人生を懸けて洞察しました。そこで「もののあはれ」と「真心」であると発見します。「もののあはれ」とは、物事に触れたとき、その姿や出来事の奥にあるいのちや意味を感じ取り、自然に心が動くことをいいます。あらゆる縁起の中で心が動いたままにいる。私の言葉では、常に直感が働いている状態のことをいいます。
そしてこの感受性の根源の存在を「真心」としました。作為や作り物ではなく、完全に宇宙のまま、あるがままありのままの心の動きです。これは先ほどのもののあはれと一体のものです。
心があらゆる事象に対して微細に動く、あらゆる八百万の神々たちとの関係性の中で変化して無常である。まさにその自然や宇宙の繋がりの中で感受する渾然一体の存在です。それを私は螺旋や法螺貝を通して実践しています。
心のままであることは、日々の暮らしを大切にすることで守っていくことができます。
なぜ私がここまで暮らしにこだわるのかは、それは生き方や在り方、日本人の心を生きるためです。霊峰英彦山から日本人の暮らしを甦生できるよう、お山と一体になった真心の実践を伝承していきたいと思います。
