パンデミックの正体

2020年頃にコロナウイルスが入ってきてから、色々なことが起きました。思い返せば、あれだけ未知のものへの対応で人間のもつ様々な心境や行動がはっきりと感じられたことはなかったように思います。

たとえば、感染者に対する差別をはじめマスコミなどの情報操作、デマや陰謀論、あらゆるものがありました。

思えば、不思議だったのがあの過剰な消毒や透明なプラスチックの防壁、マスクなどは印象的でした。異常な隔離に都市封鎖、移動制限などもはじめての体験でした。また予防薬やワクチンなど、その後もよく検証されていないものをたくさん投与しました。高齢者や病気の人たち、また病院や福祉施設は過敏になり対応に追われました。保育園などでも、1歳くらいからマスクをしたり過剰な消毒をして別の問題も発生しました。

よく分からないものに対して、人間というのは過剰に反応するものです。

私たちは感染症は歴史の中で何度も体験しています。特にたくさんの人たちがなくなった結核やインフルエンザ、ペストなどはその歴史に学んでいるものです。今回のコロナウイルスは、最初から正体が中国の研究所から出たや、人工ウイルスであるなどと、今までとは少し変わっていました。

そのことから人災として扱われ、世界中が疑心暗鬼になりました。それまでの自由な往来も制限され、次第に自国を守ることばかりに躍起になりました。気が付けば、分断が進み、戦争が各地で発生しはじめています。

そもそも感染症の歴史は、世界大戦の歴史と似ています。感染症があり、関税合戦があり、戦争へとつながっていく。人々の分断が進むところに、差別があり敵対がある。自分を守ろうとするあまりに他を排斥していくのです。毎日、報道では今日のコロナ患者の数が発信され、自宅待機や自粛、外出禁止や接触禁止などが行われました。

実際には、それができない職種もありそういう人たちが差別の対象になったりもしました。初期は感染していることを隠し、そのうちワクチンを打ったので関係ないと開き直った人たちもいました。マスクを着けていない人を徹底的に攻撃する自粛警察のような人たちもいました。戦争の時に、死ななければ非国民とののしり攻撃したり、排斥した人たちがいたことは本で読んだことがありましたが実際に似たことを体験したのはこのコロナの体験でした。

そこからパンデミックの正体とは何か、改めて今回のコロナの体験で気づいた人たちが多いように思います。人間の正体というのは、環境によっていくらでも変化することを垣間見る時、色々と考えさせられます。人間の心の汚染こそが世の中の荒廃を進めていくのです。だからこそ、いにしえから日々の浄化や穢れを祓う実践が病魔を遠ざける智慧だったのでしょう。

コロナが沈静化してきた今こそ、子どもたちのためにも歴史に学び、よくよく今回の出来事を検証して振り返っていきたいと思います。

客観的事実

陰謀論という言葉があります。これは一部の人々や組織が裏で密かに計画を立て、世界の出来事を操っているという考え方だと定義されています。情報化社会の中で、誰かが陰謀だといえばそこから陰謀論がはじまります。結局、陰謀であろうがなかろうが陰謀論と認知するとき人は陰謀論者になっているということです。

言葉というのはもともとお互いに反対の側面をもっています。正論という言葉には、曲論という言葉があったり、暴論や詭弁などという言い方をします。誰かが正しいといえば、誰かが間違っていると言います。そうやってディベートを楽しんでいればいいですが、権威や権力が乗っかっているとそれが戦争に発展していきます。

最近では、イスラエルとイランがミサイル攻撃をしあっているときにアメリカが突然参戦してバンカーバスターという地下深くを攻撃するミサイルをイランに打ち込みました。それも2週間停戦して交渉している最中にです。アメリカの正論としてはイランに核を使わせないといいましたが実際には核施設をミサイルで壊してしまえば核が流れ出てきてもっと悪い状況になります。自国はたくさん核を持っているのに、これはまた本末転倒な話です。同時に、ウクライナの時はロシアが一方的に攻撃したら西側諸国は国際法違反だと反対したのにイスラエルやアメリカが一方的に攻撃したときは国際法違反していても賛同していました。

自分の都合のよいことを正論といい、都合が悪いことを陰謀論とする。本来は、客観的な事実をよく観察して、実際の事実を確認することで正論も陰暴論もなくなっていきます。つまり、道理に適っていたか、事実かどうかはその後の経過を観察していればわかってくるものです。

例えば、コロナワクチンであれば最近のことなので覚えがあると思います。突然、自宅待機で都市封鎖し、コロナウイルスという凶悪なウイルスが蔓延すると世界で人々を恐れさせました。マスクを強要し、うちの地元ではコロナに感染した人のお店に卵が投げつけられ自殺してしまいました。差別が横行して、コロナに感染したのではないかと疑心暗鬼に見張る人たちが町中に増えました。ワクチンを打とうとしない、打っていない人は陰謀論者だとののしり、非国民であるかのようにワクチンを推奨していきました。学校でも小さな子どもにまで特段コロナで死んでいないし重篤でもないのに全員に一斉に打ちました。

しかしその後、3年、4年と経過を観察していると気が付けばコロナは収束したとマスコミが報道をやめ、たいしたウイルスではなくただの風邪だという扱いにしました。ワクチンも世界のほとんどが効果がなかった、むしろ感染しやすくなるとわかり、今ではコロナに感染したといってもほとんどたいした反応しません。

結局、陰謀論者とののしっていた人たちや正論を押し付けていた人たちは客観的事実が明確になってきたらどうなっているのでしょうか。最初に卵を投げつけた人、非国民だとののしった人たちは何処にいって今、何を思っているのでしょうか。本当なら、その人たちを追いかけてもらいなぜそういったのか、そして今はどう思っているのかを聞いてみてもらいたいと思います。

もちろんコロナワクチンがダメだというわけではありません。このブログの内容を読んですぐに反ワクチンの人と括られてしまうこともあるかもしれません。しかしこれはワクチン、反ワクチンの話をしているのではなく、経過をよく観察して内省し、そこから真実や事実を検証しようとすることの大事さを伝えているだけでもあります。

歴史というのは、決めつけるものではなく本来はどうなんだろうかとみんなでいつまでも考え続けることが大切だと私は思うからです。お互いを尊重しあうというのは、みんなでこんな考えもあるとわかり合おうとすることです。それは対話であり、正論の押し付け合いや議論ではありません。最近は、ディベートというものもありますがこれは客観的な視点を磨くのには効果があります。客観的なものをお互いに出し合う中に、活きた歴史もまたあります。

誰かが正しいのではなく、本当はどうなのかとそれぞれが共に検証することに人類の真の成長や発展もあるように私は感じます。

しかしドラマや映画やゲームでも陰謀が暴かれるシーンはワクワクするものです。陰謀好きが問題というわけでもありませんが、事実や経過の検証の方が本来はもっとワクワクするものかもしれません。

引き続き、世の中の客観的な事実をよく観察検証して子どもたちに必要な情報を遺していきたいと思います。

熱に中る病

地球の温度が年々、上昇を続けています。15年くらいまでまでは、夏に35度を超える日はそんなに多くはありませんでした。たまたま1日から3日くらいは猛暑日があっても10日や15日以上続くということはありませんでした。

最近は、連続して猛暑日が続き植物をはじめ動物たちもそして私たち人間も悲鳴をあげています。そして熱中症という病気も増えてきました。この熱中症ですが、亡くなることもある病気でとくに高齢者をはじめ体調がよくないときなど気を付けないといけません。

もともと人間の身体は、産熱といってじっとしていても熱を産みます。心臓や脳が動けば熱がでますし、ご飯を食べても胃腸が活発に動けば熱を出します。簡単に言えば、常にエネルギーを燃焼する熱を持っているのです。

それが絶妙な自律神経の働きで調整され、体温があがれば末梢神経を広げて皮膚に血液を流し、体外へと熱を放出して放熱しようとします。汗も放熱のために発生します。

しかし、如何にすぐれた調整機能があっても周囲があまりにも高温になり、それが長時間続くとこの機能が働かなくなります。すると、放熱ができずに今度は体内に熱が溜まっていきます。

熱中症は一つではなく、4つの症状があるといいます。具体的には、熱失神・熱けいれん・熱疲労・熱射病です。これらをまとめて熱中症です。熱失神は、脳に送られる血流が減るためにおこります。よく真夏に運動しているときに頭がふらっとするのはこの湿疹傾向が出ているともいえます。熱けいれんは、塩分が足りなくなると発生します。水分の蒸発とともに塩分も放出していますから電解質のバランスが崩れてけいれんします。熱疲労は、塩分水分がなく脱水症状です。これもかなり危険な状態です。そして最後の熱射病は、脱水症状が悪化して高熱になり体温調節が破壊されます。汗もかかなくなり、中枢神経や心臓、肝臓、腎臓などの臓器に致命的な影響を与えて死亡します。意識も混濁するため、誰かが周囲にいないと手の打ちようがありません。

つまり熱中症は、重度になればなるほどに危険度は増します。だからこそ予防は、早めに意識して対応するということです。熱は身体に籠ります。放熱できない場合は大変危険ということです。

結局、短い時間だけの熱なら対応できますが長期間になると身体は大きな打撃を受けるということです。こまめな水分補給や、塩分補給、あとは熱が放熱できない場合は暑いところを避けるか、早めに冷やすということです。熱が長時間籠ることがないようにするためには、長時間体内が高音になっていないのかをチェックが必要です。

熱中症のチェックの一つに、爪をつまんで三秒以内にまた皮膚が元のピンク色にもどらなければ危険というものもあります。あとは尿の色で赤や茶など濃くなっていると脱水症状になっているというものです。眩暈なども症状が出ているともいえます。

この熱中症は、軽く見る人がいますが大変危険な病気です。この猛暑日が長時間続くときこそ、みんなで声掛けして気を付けていきたいと思います。子どもたちにも関係なく人間は誰でもこの病気にかかりますので子孫のためにもこれからの環境変化に合わせて情報を発信していきたいと思います。

徳を調える

色々な生き物は毒を持っているものがあります。この毒を持てるのは、その生き物がその毒を上手に使う熟すからです。毒はもともと薬であり、薬は毒です。重要なのは、その匙加減であり、塩梅、適量であるということです。

生き物の中では、自分の毒で自滅するものもあります。また毒によって元氣になるものもあります。この毒と薬というものの正体は一体何かということです。これを少しだけ深めてみようと思います。

そもそも私たちの空気の酸素も生きていく上で必要ですが大量に濃度を上げて摂取すると猛毒になります。酸素があることで私たちは身体の薬になるようにリフレッシュをしたり、治癒を促進しますが過剰であると死んでしまうのです。また酸素によって呼吸し身体は活動しますが活性酸素というものがそのうち2パーセント毒になって身体をむしばみ続けます。

つまりこの宇宙の法則として、必ずすべての存在は薬であり毒であるということです。言い換えれば、生と死は一体であるということです。別の言い方では、病と老も一体なのです。

そもそも一体だからこそ、私たちはその加減を絶妙にして寿命を伸ばし健康を保ちます。この加減の妙を知るからこそ、調和して元氣を保つことができているのです。

この世の中は、そう考えてみるとすべては加減と調和によって運ばれています。自然環境にしても、あるいは人間の幸不幸にしてもすべてはこの加減と調和です。

現在、薬草やデトックスを深めていますが結局はいのちそのものの真理の妙を調律したり調整することをやっています。法螺貝の波動も同様に、この世は振動数の加減も含めて手入れと手加減でどう調えるかということです。

調えるには、調えるということが分かっていないと調えることができません。場を磨き、徳を調えていきたいと思います。

暮らしの積み重ね

古民家甦生をしていると、よくベテランや熟練の職人と出会います。特に私のチームは、大工の棟梁や左官ももう70歳から80歳くらいになっていますが10代の頃からこの道に入り今でも現役で一緒に作業しています。

年齢による貫禄もありますが、その円熟した仕事や作業の様子にはいつも尊敬の念を感じます。例えば、無駄な動きがなく、微細なことにも丁寧、後片付けや次の仕事の段取りなども上手に行います。的確な指示を出し、意見を集め、何か問題があれば臨機応変に粛々と対応します。できなことと、やるべきことをよく分別しては家主をはじめ家全体の様子を確認しながら最適な場所を探していきます。

私も軒数を重ねていくうちに、色々なことが習熟して無理をしなくても様々なことが調整や調和がわかるようにはなってきました。まだまだ問題ばかりに柔軟に対応していますが、ベテランや熟練の職人たちに支えられてばかりです。

これは会社の仕事も同じです。長い年月、一緒に様々なことを積み重ねていると感覚として自分がどうあればいいかをみんなで維持していきます。どのような意識がいいか、どのような習慣を続けていくか、どのような環境を用意するのがいいか、そして今、何に集中するのが理想なのかと感覚で一致していきます。

うちの会社の役員たちはもう一緒に過ごした期間も長く、阿吽の呼吸でお互いの目的に合わせて立ち振る舞います。

積み重ねていくということは、伝統や伝承を紡いでいくことに似ています。まさに伝統文化とは先人たちが積み重ねてきた智慧の結晶です。同じことを何度もやっているようでも、積み重ねていくうちに上達していきます。上達したものはまるで空気のように、そして体の一部のように変幻自在に自由自在に動いていきます。

日々の小さな実践や練習は、必ずいつの日か実を結び形になるものです。

子孫のためにも、暮らしフルネスを丁寧に積み重ねて徳を譲っていきたいと思います。

講という信仰

この二日間、大阪で歴史のある修験道の講のお手伝いをする機会がありました。英彦山を先導して歩き、私が感じる信仰の場所をご案内し共に修行し、共に笑い、共に食べ、共に歩き、共によき時間を過ごしました。

私は講というものは、三浦梅園先生の慈悲無尽講から学んでいましたが実際に歴史のある講の方々をご接待することで講の本質を垣間見ることができました。

そもそも修験道とは何かということにおいては、験を修める道とありますから読んで字の通りでしょう。では講とは何かということです。私は、この講とは別に「結」というものを宿坊の茅葺の葺き替えで学びました。宿坊は、機械や重機など何も入れないような場所にあるので200人の人の手でみんなでバケツリレーのようにして2000本ほど萱を運びました。みんなが力を合わせて助け合い生きていく仕組み、まさにそこに結の智慧を感じました。

この結に近いものがあるのが講ですが、講の方がもっと強い信仰を持っているように感じます。現代では、推し活動(おし活)というものがあります。先日も、ある若いピアニストをみんなで推して支えようと活動をしている人とお会いしました。その方々はそのピアニストのために全力で推して経済的にも精神的にも全身全霊で応援して支えておられました。各地のコンサートには駆けつけ、練習風景はSNSで発信し、まるで家族の一員のように見守っていました。

信仰というものは、人間が生きる支えになるものです。信仰があるから人は元氣になり、若々しくも瑞々しくもなり青春をし続けていきます。まさに信仰とは、好きであることです。

好きなことがあることは、人生を真に豊かにします。それは好きな人いることでも同じですし、好きなことをしている人も同様です。好きなことが同じ人が集まると、そこには自由闊達な集団が誕生します。

本来、無理をして組織などつくらなくても人は好きなことで集団をつくるものです。私の周りには、左官集団などの伝統職人集団や、音楽関係集団、波動を学ぶ集団、またあらゆる分野のオタク集団があります。どの集団も、自然発生的に集まっていてとても自由です。そして同じ目的で集まった人たちは、共感しあい助け合う場ができます。

時代が変わっても、人の本質は変わりません。

暮らしの中で信仰があること好きなことがあることはとても仕合せなことです。私もあまり現代の組織論や集団、外部から評価される信仰や宗教などに惑わされず、好きに遊行を生きていきたいと思います。

ありがとうございます。

暮らしが神事

昨日は、夏至祭を行いました。宿坊をはじめその周辺の片付けをし、場を調えました。宿坊周辺は、先日の暴風で枝木や落ち葉が散乱して大変な荒れようでした。いくつかの場所では落石もあり、直系80センチほどの丸い岩が上から転がっている場所もありました。また古くなった大木も折れていたりと、自然の間引きとその威力にはいつも驚かされます。お山が大きいのと放置期間が長いため、片づけても片づけても片づけることばかりです。

古木の守静坊のしだれ桜が心配でしたが、一つも折れている枝がなく旺盛な葉をつけてはいまずがしなやかに風をいなしたのでしょう。桜とは一緒に見守り合う関係になってはや4年目ですが、植物や木々はとても正直です。お互いに思いやれば、それに応え合います。この世は、関係性によって信頼が生まれ、そして信用や信仰が醸成されます。

信じあうということや、見守り合うということはお互いが「信じる」という絆を持つために大切な行為であり人間の徳の原点かもしれません。

現代、信仰というとすぐに宗教を思い浮かべます。しかし私は真の宗教は、暮らしや文化、生活習慣に渾然一体となって根付いているものではないかと感じます。例えば、食事の時に感謝で手を合わせることや、お互いにご挨拶をしてお辞儀をすること、お布団を畳んだり、靴をそろえたり、またはもったいないやありがたい、おもてなしなどの日々に使う言葉の中にも信仰を感じます。

信仰というと、何が正しくて何が正しくないかなどすぐに対立構造や両義性ばかりが語られます。お互い様や御蔭様というものがなければ、世界の紛争や戦争はなくなることはありません。個人のレベルでさえ、人間は欲望や煩悩、権威や権力、お金の力によっていつまでも禍根を増やしていきます。

本来、それぞれが日々に丁寧に自分自身の暮らしを調えていく中で信仰の実践をしていればそこに禍根や争いは発生せず、お互いに心穏やかにいられるものです。宿坊周辺を調えたあとは、土地や場所、お山の神様、そして太陽に深く祈ります。ご供物を捧げ、いただいている恩恵や恩徳に感謝します。ご先祖様に御礼をして、お水をはじめ火や土などの精霊にも感謝します。夏至の太陽の光は、雲に隠れて穏やかでしたが確かに太陽の見守りを感じてみんなで喜びを分かち合いました。

優しい光と風が吹き抜けて、心身が調うのを実感しました。有難い静かなひと時は、いつも日常の暮らしの中の一期一会に存在します。

また沈んでいく太陽を眺める間は人生を振り返ることに似ています。この一日をどのように過ごしてきたか、どれだけたくさんの存在に助けられているか。美しいもの、善いもの、循環する徳に包まれていることなどを深く感じられます。

畢竟、私が人生で取り組んでいるのは、暮らしの中の神事です。そもそも暮らしが神事なのです。その神事は宗教ではなく、まさに暮らしそのものを神事のように生きることです。暮らしフルネスは、暮らしを神事として実行し実践することです。

今日は、これから新たな田んぼで仲間たちとお田植祭です。伝承してきた古来からの祝詞をみんなと一緒に捧げ、唄いながら、笑いながら、田んぼの元氣をいただきながら一日を暮らします。千葉の田んぼや一緒に生きる仲間たちのことを思いながら稲を一本、一本手植えしていきます。

忙しい日々の中でも、太陽や月や土を忘れず丁寧に暮らしは誰にでもできます。

さあ、これから準備万端、田のかみさぁと英彦山ガラガラをもって田んぼと遊びます。

おめでとうございます。

杣と仙

山のお手入れをする人たちを「杣」(そま)と呼びます。この杣という語はもともと木を植え付けて材木をとる山そのものという意味になります。

古来から人間社会において建築用の木材が大量に必要なときに、木を伐採する必要があります。そのためには、その伐採するための重要な木材を管理する場所が必要です。それを「杣山」(そまやま)といいました。

そこで採れる木を杣木(そまぎ)といい、その杣によって生業とする人たちと杣人(そまびと、そまうど)と呼びました。

この杣は、古来よりお山を守る大切な生業の一つでした。自然と共生し、お山の暮らしを支えた大切な存在です。樵(きこり)とも呼ばれますが、神様が宿る依り代としての木を尊敬し丁寧に扱い、お山のお手入れを通してお山を中心にできた地域の伝統的な暮らしが穏やかに伝承され安心できるようにしてきました。今ではその存在はほとんど見かけません。お山は放置されるか観光地化しゴミを捨てる人たちによって汚れ、荒れ果ててここ数年の水害で土砂崩れが頻発しています。お山で暮らすのは、金銭的にもできないということでお山を捨てて都市に移動した結果、杣人もいなくなりました。当然、山伏などもほとんど暮らしていません。

現在、私も英彦山の守静坊からお山のお手入れをしていますがまるでやっているのはこのかつての杣人と同じです。かつての杣人たちは、霊峰や杜のなかで暮らし、木々や森林資源を活かして生活していました。お山と一体になっていたのです。

枯れ木や倒木を片付けて燃料にしたり、木材を加工して生活文化に必要な道具をつくったり、炭焼きや薬草の採取などお山で自然と調和する暮らしを守っていました。その調和する暮らしそのものが、自然への畏敬や感謝に溢れておりそれが地域の伝統文化や行事、神事、そして智慧を守ってきました。それを山岳信仰と呼ぶのでしょう。

現代では区別や分業化が進み林業となって、お金のための森林伐採がメインになっていますがかつての杣人たちはお山の仙人のような風格があったようにも直感します。

お山にいるとお山の恵みを感じない日はありません。美しく澄んだ空氣に、清らかなお水、またあらゆる動植物や昆虫まで多様に活き活きと生活をして循環を支えます。このお山の恩恵を大切に見守っていこうとするのが杣人、そして仙人の役割ではないかと私は思います。

私が今、取り組んでいるお山の甦生はまさにこの杣人や仙人の暮らしを甦生することです。すでに薬草が増え、炭焼き、法螺貝づくり、お山のご神木を見守る神事や山岳の智慧の伝承など活氣づいています。

子孫たちに如何に自然の恩恵を譲り渡していくか。現代文明が終焉に入り、歪んだ物質至上主義の世の中もちらほらと綻びはじめています。コロナをはじめ感染症の背景にあるもの、食料危機という名の拝金主義、田んぼを農薬で汚し新築ばかりを建てては智慧を捨てていく現状。

子どもたちのためにもそろそろ氣づいて行動していく時節ではないかと私は思いますが皆さんはどう思われますか?

暮らしフルネスと私が提唱のは、むやみに危機感を煽りたいのではなく本来は暮らすだけで仕合せだった古来からの智慧に原点回帰した方が喜びも仕合せも増えますよという意味でもあります。みんな自然と共生していたころの懐かしい未来に憧れていたものです。いつの時代も心の豊かさは自然との共生の中にこそ存在します。

杣から学び直し、仙からやり直していけたらいいですね。

 

日子山仙螺

私の手でつくる鳴動法螺貝の数も次第に増えてきました。一つ一つにいのりといのちを籠めてつくりますが、どの法螺貝にもその法螺貝の音や徳性がありその波動や鳴動には感動するばかりです。

英彦山の守静坊で、弁財天と英彦山三所権現、瀬織津姫や造化三神に供物を捧げ法螺貝を安置して祈祷します。そのあと、全てが調ってから唄口を合わせて調律し唯一無二の鳴動法螺貝をつくりこみます。

一つつくるのにかなりの心身のエネルギーを使うので、大量生産はできません。しかし、一つできるとその鳴動は持ち主の人生を守ります。

かつて法螺貝は、龍の一種であり貝の中には龍が潜んでいると信じられていた伝承があります。龍宮に棲み、海の中で寿命を全うしその後に鳴動し昇天するものとして信じられてきました。つまり、龍の抜け殻ともいえます。そこから雨乞いや水に関係する神様として様々な厄災を祓い清め、その振動によって様々な病気などを快癒していったともいわれます。

現代の科学では振動するものや周波数、また波動が場や身体に影響を与えることが少しずつ解明されてきました。

この法螺貝の神秘は、まさにいにしえの伝説の龍と深い関係があるのです。

私が手掛ける法螺貝には命名をすることにしました。

その名は「日子山仙螺」(ひこさんせんら)です。霊峰日子山の場でいのり法螺貝を甦生させ、仙人の霊力を持つ貝にしていこうという覚悟からです。

お山の暮らしを丁寧に守り、場をととのえ、縁者たちのいのちを仙人のお山から見守ることは徳を磨くことにもなるでしょう。

法螺貝が人一人を変え、そして真の平和な時代をつくることを信じて一つ一つ真心を籠めて手を入れていきたいと思います。

主食の甦生

私たちが日ごろ食べているお米にはとても長い歴史があります。特に近代においては、収量の確保からあらゆる食味がいいお米が多数開発されて私たちの食卓のお米の味は数々に進化してきました。

コシヒカリという銘柄があります。この開発の歴史も、収量重視から品質重視への転換でその当時の人々によって開発されてきたものです。最初は欠陥品種として病気の弱さや倒れやすさなども指摘されましたが、それを栽培方法などを工夫することで改善し、今では新潟のお米の代表となっています。そこにも関わった人たちの歴史があり、特に魚沼では風土と一体になってコシヒカリを見守り現在では日本の農家の約40パーセントがこのコシヒカリを栽培しているともいいます。

このコシヒカリという名前は、越前、越中、越後などの国々を指す「越の国」と「光」の字から「越の国に光かがやく」ことを願って付けられたといいます。その名付け親である元旧新潟県農業試験場長の国武正彦(福岡県出身)が「木枯らしが吹けば色なき越の国 せめて光れや稲越光」(冬には雪に閉ざされてしまう越の国にあってコシヒカリが越の国を輝かせる光となりますようにの意)」と和歌に詠んだことによるといいます。

同じ福岡県出身で、これから私たちがエミタタワ(笑みたわわ)の新たな品種の発展に取り組むのにとても参考になる人物であり、その生きざまや生き方にもこれからどのように日本のお米に取り組んでいけばいいかということも直観します。

もともと私も震災後から会社で無肥料無農薬でお米づくりに関わってきました。収量を気にせず、子どもたちの憧れるような生き方や働き方を目指し田んぼでの暮らしを充実させていきました。一般的に国が定めるような食味とは異なりますが、その美味しさは格別で今ではたくさんのファンがいて喜んでくださっています。

今回、福岡県朝倉市で復古起新してお米づくりに関わることにも深いご縁を感じます。

このエミタワワ(笑みたわわ)は、私の叔父さんが名付け親です。まず平成27年、農研機構との共同開発で研究段階にあった「羽919」という品種改良に着手し収穫1年目から羽919には他のお米にはない粘性・膨らみ・おいしさがあることに気づきます。そして翌年には「西海307号」へと名称を更新し、その後も改良を重ね続け、令和元年10月に農水省の品種申請の受理のもと「笑みたわわ」として誕生します。それを農薬・化学肥料一切不使用の安心でおいしいお米で、笑みがたわわに実りますようにと今まさにその志が世の中に出ていく黎明期です。

日本は、農家に対する政策を失敗してきた国だと私は思います。現在では、農家の担い手も減り、田んぼは化学薬品で傷み、現在の米騒動にあるように民衆の怨嗟の声も出ています。海外からのお米がこれから大量に流入してくるのも予測できます。

だからこそ、本来の日本人として私たちの主食をどのように大切にするかが問われる時代でもあります。子どもたちのためにも、今まで取り組んできたことをさらに磨き上げ、主食の甦生に挑んでいきたいと思います。