お米問題

日本のお米問題はかなり深刻です。その理由は、食文化ではなく単なる食料としてお米を扱うことにあります。それぞれの国には、何を主として食べてきたかという歴史、いわゆる食歴というものがあります。長い歳月、それを食べてきたというのはそれだけ深い意味があります。

たとえば、その気候風土に適うもの。それは自然との共生や循環とも関係します。また長い歳月をかけて自分たちの腸内細菌をはじめ、もっとも栄養素やいのちを循環させるのに適した状態にお互いに変化しあっていること。またそれを育てて見守る過程で、文化や伝統の智慧を継承してきたことなどがあります。

私たちのお米は、神社や神棚のしめ縄にもなり、あらゆる暮らしを助けてきました。また田んぼは貯水の役目を果たし、お水を浄化し菌を発酵させる場になりました。他にも結などの助け合いを促し、精神性などを磨く大切な素材ともなりました。家の屋根を守り、馬などの家畜も育てる、納豆などもまた稲藁を使います。

つまり主食が失われるというのは、単に物量が失われるのではなくその周辺にあるあらゆる知恵や文化やつながりが失われるのです。

お米問題の本質とは、このことです。

私がお米を無肥料無農薬でつくるのをみんなで力を合わせて取り組むのもまたこのお米の本質を守るためです。

お米によって助けていただいたご先祖様たち、そして今でも子孫を守ってくれている存在。その存在を守ろうとするのは当たり前のことです。

感謝を忘れず、お米に取り組んでいきたいと思います。

侍の精神

昨日は日本の「天下の三大揃え」の一つ、秋月の鎧揃えに法螺貝役としてお役目をいただき勤めてきました。秋月和紙の侍、井上さんとのご縁で参加してからはや五年目になります。

もともとこの鎧揃えは江戸時代の秋月藩における年中行事の一つであり、寛永14年(1637年)の島原の乱に際して初代藩主「黒田長興」(黒田長政の三男)が家中に命じて正月三日に鎧揃え(軍事演習)を行ったことが起源です。

その後は明治維新とその後の廃藩置県で秋月藩は消滅し、残された士族たちによって細々と続けられていた鎧揃えも昭和20年代には一度途絶えます。それから60年余りの時が流れ、平成21年(2009年)に地元有志により『秋月鎧揃え保存会』が結成され現代に鎧揃えを甦生しました。

この鎧揃えが生まれた背景を調べてみると江戸時代に入り最後の関ケ原の戦いが終わってから38年ほど経ち、武士たちも平和が続き平和ボケしていたといいます。実践経験のない武士たちはとても弱く、島原の乱に対応できず実践経験がある古参の武将たちがその時、とても重宝したといいます。平和ボケした武士は戦おうともせず、鎮圧もなかなかできず、一揆などがおき反乱する状況になるまで初期の対応もしなかった藩にも問題がありました。

つまり平和に油断していたことで被害が大きくなったのです。

この鎧揃えの年中行事の目的は、易経、孔子の『 安くして危うきを忘れず(安而不忘危) 存して亡ぶるを忘れず(存而不忘亡) 治まりて乱るるを忘れず(治而不忘乱)』の意味もあります。

これは安泰な時であっても危機を忘れず、存続している時も亡びる事を忘れず、治まっている時も乱れる事を忘れないこと。どのような時でも、油断してはならないという先人からの遺訓であり智慧の一つです。

そう考えて観ると、ただ伝統は繰り返し行っているわけではありません。この本質を守り続けようとする意志を伝承したものが行っている大切な実践であるのです。

現代ではどうでしょうか?

政治の無関心や先送り、そのうちなんとかなるだろうと何も主体的に動くことがなく、忙しさとお金儲けや目先のことで精いっぱい、誰かがやるだろうと他人任せにしては油断していないでしょうか。

今、もしも食糧危機が来たらどうするのか、もし近隣の戦争に巻き込まれたらどうするのか、もし大災害や金融危機が来たらどうするのか、ちゃんと対策はできているでしょうか。

私は暮らしフルネスの実践を通して、いつも危機に備えた暮らしをしています。自然と離れずに循環の中で食料や燃料やお水を確保し、徳を中心に据えた講のコミュニティをつくり、伝統の智慧を継承し、古民家を甦生しています。そして子どもたちの主体性を見守る環境をつくり広げ、最先端技術を温故知新しています。それでも油断してないかと色々と挑戦をしています。

武士道とは何か、商人道とは何か、日本人が大切にしてきた精神を守ることが治に居て乱を忘れずという実践ではないでしょうか。

引き続き、子孫のために志士たちの真心を紡ぎながら侍の精神を守り続けていきたいと思います。

いのち宣言

昨日は、大阪万博のいのちの宣言に参加してきました。今年の2月、いのち会議が飯塚の聴福庵とBAで開催されてからそのご縁でこの貴重な機会をいただきました。人のご縁によって導かれていくというもの、まさにこれも「いのち耀く」仕組みであると私は感じています。

そもそも日本人の暮らしの中の神様は「八百万の神々」といい、そして仏様は「山川草木悉皆成仏」といいました。つまり一神教ではなく、すべてには「いのち」が存在しているという「いのちのつながり」の中ですべてのご縁と物事を感受してきたということでしょう。

その証拠に大和言葉や日本の言霊は、自然の中で繋がりながら生きているからこそ産まれたものであり西洋のように自然と人を分けたり、神と人を分けている意識では誕生することもありません。雨にも色々な雨があり、黒にも色々な黒がある。日本人の使う美しい言葉はこのいのちの象徴です。

世界ではこの分けるという便利な思考方法によって様々なものを分類してきました。その結果、思い込みや刷り込まれたものをを真実のように勘違いをしては現実から目を逸らせてそれぞれが本質的ないのちを生きることを忘れて元氣がなくなってきました。ますます世界から元氣は失われているように思います。

この元氣というのは、自然あるがままのことです。そしてそれをかつての日本人は「かんながら」と呼びました。これはいのちの道ともいい、いのち耀く生き方を実践するという意味です。

いのち宣言ではそれぞれの発表するいのちの話をたくさん拝聴してきました。ちょうど、その前日、私は「いのち輝く」を理念にしている鞍馬寺にて2日間過ごし、本堂にてご祈祷と法螺貝奉納をしてきました。鞍馬山はお山の場にいるだけで元氣が湧いてくる。まさに鞍馬山は太古のむかしから今も「場」によっていのちを顕現している信仰の実践道場です。

そして私は現在、九州の霊峰、英彦山の宿坊を中心に法螺貝をつくりその法螺貝を吹き、一人でも多く覚醒していく人を増やすいのちの甦生活動をしています。この10年で500人と定め、場を調えて暮らしを実践しています。

人類は、思い込みや刷り込みからどのように目覚めていくか。謙虚というものは、実践のただ現実の真っただ中にこそ存在します。かつて古代中国の殷の湯王が「苟日新、日日新、又日新」と洗面器に刻み毎日、顔を洗って実践をしていたことが礼記に書かれていました。徳を磨き続ける覚悟があってこそ、いのちは輝き続けるのかもしれません。

私にとって徳を積むというのは、いのち耀くということと同義です。

引き続き、神仏といのちのご縁とお導きに感謝しながら謙虚と素直の両輪でかんながらの道を歩んでいきたいと思います。

ありがとうございました。

 

慚愧懺悔六根清浄

英彦山の遊行を毎月行っていますが、その際にお山を歩きながら「慚愧懺悔六根清浄」(さんぎさんげろっこんしょうじょう)と唱えながら仲間とお山を歩きます。

この懺(さん)は、心の咎を天に恥じること、そして愧(ぎ)とは自分の犯した罪を地に恥じることをいいます。

涅槃経に「慚はみづから罪を作らず、愧は他を教へてなさしめず。慚は内にみづから羞恥す、愧は発露して人に向かふ。慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。」とあります。

つまりこの慚愧懺悔とは、深く内省をして天地の間で自分をよくよく見つめ反省していきますという意味です。内省しながらお山に入り、反省をすればそのあとに六根が清浄になるという意味です。その六根清浄の「六根」とは私欲や煩悩、迷いを引き起こす目・耳・鼻・舌・身・意の六つの器官のことをいいます。そして「清浄」とはその煩悩や私欲から遠ざかり、清らかで穢れのない境地に入ったことをいいます。

シンプルに言えば、「お山の清浄な場を歩かせていただきながら、日頃の自己をよくよく振り返り素直に反省して心を澄ましていこう」という掛け声です。

これをみんなで唱えながら遊行します。

私たちは生きていれば、氣が付かないうちに環境の影響を受けては喧騒と煩雑な日々を過ごしていきます。いくら氣をつけて注意していても、知らず知らずに心が穢れます。穢れは、氣枯れともいいますが元氣が消耗していくのです。

毎日、私たちの細胞が生まれ代わるように日々もまた生まれ変わります。その中で、穢れが増えていくと甦生が澱んでいくものです。水が下流に流れていくときに次第に混濁していくようにいろいろなものが混ざってきます。本来の透明な魂や玉のような状態が隠れていくのです。

その隠れたものを綺麗に洗い流し、注ぎ、浄化して元の状態に帰っていく。それがこのお山で歩く理由であり、古い信仰の原型ともいえるものです。

古い信仰はすべてこの「穢れを祓う」ことからはじまります。いつも澄ませていこうとする生き方の中に、人間性を常に保とうとする自然と一体になった神人合一の精神があります。

時代が変わっても、人間の本質は変わりません。世界は自然破壊を続けて目先の経済を膨張させることに人々は躍起になっています。ありあまる富は一部の人たちの権力を守るために集中し、奴隷のように洗脳される教育や環境によって目覚めることもありません。

法螺貝を吹いて、錫杖をつき、お山を歩けば道に覚醒するものです。英彦山の守静坊の場から目覚めた法螺吹きを甦生させ真に心を澄ます道を照らしていきたいと思います。

法螺貝の甦生

現在、英彦山で法螺貝を甦生していますがせっかくなので甦生の特徴というものを整理してみたいと思います。

まずはじめに、法螺貝を持つためには法螺貝とのご縁が必要です。基本的には、法螺貝の甦生はすでに法螺貝をお持ちのご紹介者を通してか直接、英彦山に来てお話をさせていただく方しか受け付けていません。その理由も、顔や波動を観てご縁を確認してから理想の法螺貝を探していくからです。またすでに何らかの理由で法螺貝とのご縁がありお持ち込みの方も受け付けています。ただし、他の方が手掛けたものは甦生できないものもありお断りすることもあります。

流れは下記のようになります。

① 霊峰英彦山の守静坊にて吉日を選び法螺貝を安置し地下から湧くお水で清め光を当てて龍音によりご祈祷をする。

② 丁寧に洗い法螺貝の先端を切断し削りその貝の個性を見定めて螺旋の息が通るように調整する。

③ 手作りの唄口を天然の地下水と麻炭を使い石膏でつくりこむ。

④ 唄口を法螺貝に取り付け調律をし、その法螺貝の唯一無二の音を確認したらそれを立てて天地に調和する。

⑤ 完成のご祈祷をし、木の中に安置する。サイズや重さ、証明書と手引書を用意する。

⑥ 英彦山の守静坊にて法螺貝を磨きお手入れをし息を吹き入れ音と和す儀式をする。

⑦ 希望者には法螺貝の網袋の講習を実施し、英彦山遊行や法螺貝講習、仙螺講への登録をご案内する。

⑧ 定期的にメンテナンスをして、法螺貝の成熟を見守る。

ここまでで法螺貝を甦生したことになります。

この法螺貝の甦生とは単に音がなる楽器をつくったのではなく法螺貝が新たないのちを得て独立自尊し、一期一会の主人と調和し結ばれ、日々の暮らしを通して寿命をのばし幸運をもたらす存在になることを言います。ただのモノではなく、新たないのちの法具として人の一生を円満に見守る存在になります。

また時には修繕や供養も行います。修繕は、お手入れをして法螺貝の成熟に合わせて調えていくこと。供養は長く大切にしてきた存在の魂を慰め労い癒すこと。法螺貝の甦生とは別に、手掛けた法螺貝のお手入れや追善をします。

講習会では、お手入れの仕方をはじめ法螺貝の吹き方、法螺道の実践事例などもご案内します。時にはお山に一緒に入り、三省をし六根清浄をしながら法螺貝を立てます。また時には、法螺貝の網袋づくりを通して瞑想や見守り、寄り添いなどの心の在り方を学び合います。宇佐の大仙龍(大先達)の立螺師にも定期的に来ていただき、法螺貝の具体的な指導や講習会もあります。

お支払いは、法螺貝の仕入れ原価、唄口と石膏、加工の原価をいただきます。それ以外は、徳積循環のご喜捨とお布施を「徳積帳」というブロックチェーンを使って開発したシステムにて奉納いただきます。

納期は約1か月ほどいただいていますが、吉日次第では納期がかなり延びる可能性もあります。大量生産はできませんので、丁寧に一つひとつ甦生していきます。

現在も、制作中ですが一生の御守りや魔除けになり音がその人の波動を磨き、唯一無二の光の存在になっていくように手掛けていきます。

最後に最も大きな特徴は「調和」を何よりも優先して法螺貝を甦生しているということです。私が手掛けるものは調和の法螺貝です。それをご理解いただく方のみ、ご連絡をいただきたいと思います。

立志の人

昨日、来客がありその方は吉田松陰先生を尊敬しておられ萩に古民家を借りて勉強会などを開催しているとのことでした。久しぶりに吉田松陰先生繋がりのご縁があり、懐かしい不思議な感覚になりました。

14年前に、似たような出会いがありその方と意気投合して私のメンターになりそれから一緒に会社の運営をお手伝いいただきました。気が付けば、もう私もそろそろ50歳を迎えます。人間は年齢ではありませんが、役割交代といって若い人たちに色々な経験の智慧を伝承したり、見守ったりする季節に入ってきたのかもしれません。

以前、私は吉田松陰先生に憧れ先生が29歳で亡くなる歳まで同じように生きようと、毎年先生のその歳で書いた書物や文章から学び精進していました。卓越した情熱と成熟した精神と人間性に強く惹かれ、一つの目標にして同じように自分に挑戦していました。しかし、自分が29歳を迎えたときの留魂録を最期にその書物も終わってしまい、この後何を参考にしたらいいかと真剣に悩みました。

その時から吉田松陰先生を見ることはなくなり、吉田松陰先生が観ていた方を観るようになりました。そこできっぱりと先生は外側に存在する憧れの人ではなくなり、共に目指す理想や志を分かち合い共に歩む同志になったのです。

私は他にも様々なメンターがいます。今では亡くなった人もいて、困難な時、問題意識をもって深めるとき、その人がもし生きていたらと思う時もあります。きっとこういっただろうなという具合で空想で対話をします。例えば自分がその人だったらどうするかとその人の理想や志から考えます。そのうち一体になって自分そのものがその人になります。同志は私の志の一部になり今も生きているのです。直接話すことはできなくても、一緒に歩んでいるのです。

昨日の方は、吉田松陰先生の大河ドラマを見てあるシーンに感銘を受けて傾倒していったそうです。どこですかと尋ねると、「あなたの志はなんですか、君はどうしますか?」という問いのシーンだったそうです。まさにこれが自分の人生で志と正対するということだったのでしょう。自分はどうしたいのかと自分と向き合う。「覚悟を決める」ことの真価を直観したのでしょう。

私は思えば、今、この瞬間も、自分の初心は何か、そして自分はどうするかと自問自答を続けています。これを会社の理念経営にも活かし、日々の暮らしフルネスにも活かしています。

畢竟、人は覚悟があるのみです。覚悟さえあれば理想は失われません。常に自分に志を問うことが理想を生きることです。

でも人間はそんなにも強くありません。覚悟が揺らぎそうになることもあります。そんな時、前を歩んでくれた理想の聖賢や偉人、あるいは尊敬する先達がもしも自分ならどうするかと生き方を問うのです。そして生き方を磨くのです。そして志からブレなくなり志が堅固になり自立する。それが志を立てるということだと私は思います。それによって唯一無二の自分の人生の道が拓き、その人の一生がその人にしかない一期一会の光になって輝くのです。それがきっと松下村塾の教育方針だったのではないかと私は直観します。

だからこそ吉田松陰先生は、すべては志を立てることこそが万物の根源であると断言します。

つまりあなたは道を歩んでいますか、道を実践していますか、ちゃんと道を内省していますか、と途中を自分に問うのです。まさに仏陀の自燈明法燈明の境地と同じです。

純粋な心、素直な心、精錬な心、誠の心でもしも自己を省みるなら自分はどう行動するのかと、そしてそれこそが真の學問であるとしたのではないでしょうか。學とは、問うことだとしたのです。

私が吉田松陰先生を好きな理由は、この自分の志を立てようと純粋無垢に精進し続ける學問の姿勢。そして至誠を盡し、神人合一に今を生き切りいのちを完全燃焼させた生き方に憧れたのです。

もう先生が亡くなってから20年以上私は長く生きています。もしも先生が今も生きて今の歳になっていたら、どうなっているでしょうか。時代も環境も、そして周囲の仲間も国の状況も異なりますがきっと変わらない覚悟で理想を追いかける青年のように「立志」を生きているのでしょう。その安心感こそが後人を見守ってくださっているのでしょう。師友たちはみんなそれぞれの場所で育っています。

これからも一緒に道中を味わい、初心や目的を忘れずに覚悟を内省し、一期一会の今の季節を過ごしていきたいと思います。

ご縁に感謝しています。

変化の本質

変化というのは、どのような存在にも発生します。この世に存在する以上、変化は已むことはありません。それが宇宙の理で地球に住むからこそ当然、すべての循環の中で変化し続けていきます。

かの仏陀も、亡くなるときに世の中は変化するから怠らずに努めよとも言い残しました。変化するからこそ、変化しないものにすがったり、変化を止めようとしたり、変化そのものを避けようとしても意味がありません。

変化し続けることで、変化の中でも本質を守るというのが変化と共に生きるということです。

長い歳月、普遍的な真理や教えを伝承する人たちは伝承する側そのものが変化を生きている必要があります。時代時代に、社会の価値観も変化し、言葉や意味も使われ方も変わっていきます。それをどのように解釈して、本来ならあることか、もしも仏陀が生きていたらどうしたかと突き詰めていくなかで変化に対して本質を守る為の創意工夫を努力していきます。

例えば、平和という言葉でも、平和のどの時代か、また大衆心理で意味も異なります。戦争時の平和と、平和時の平和も同じ平和でも意味は異なります。真の平和というのであれば、生き方の問題にもなっていきます。どの時代でも、変わらない平和を貫いていくというのはその時代の平和に対して、何が平和であるかを実践して背中を見せていくのに似ています。

現代のように平和は平和でも平和ボケしてしまうような環境が多い世の中では、本来の平和のためにどうあるべきか、どう生きるかをを突き詰めていく人たちが真の平和を磨き上げていきます。

結局、磨いていくことは変化し続けるという智慧です。

変化しなくなると衰退していきます。では何を磨いていないのかということを見つめ直すことからかもしれません。色々な時代の変化のなかで、変化の本質を観つめていきたいものです。

手の扱い方

国家を観察するとき、その国家が人の扱い方がどうなっているのかというのを客観視するとき国家の方針を確認できるものです。例えば、大量生産し大量消費するモノのように人が扱われているのならその状況はモノを観察すればよくわかります。

利用価値があるものは大量に生産され、価値がなくなれば廃棄します。ゴミをよく観察すると、どのようにゴミが増えていくか、そして捨てられるのか、そのプロセスに扱い方というものが現れているからです。

この扱い方というのは、モノへの接し方です。

人は少ないと、希少だとして大切に扱いますが大量になると扱い方が雑になります。少ししかないと貴重だとして少しも捨てませんが多すぎると捨てるのです。

世の中にお金がありあまるほどあれば、同じように扱い方が雑になります。その逆に少ないと扱い方が丁寧です。

私はよく古民家甦生で「お手入れ」の話をします。これはどのように丁寧に接し手を入れ甦生させ続けるかというお話です。同時に、この「扱」の漢字の語源は、五本指と手でどのように引き込むかという意味です。

自分の手がどのようにモノやコトなどすべてを扱っているか、もっと言えば、自分の手でどのように今に接するかでその人の人生の方針がわかるのです。便利な道具としてか、それとも信仰の対象としてか、あるいはいのちを感じるためかはその人の手の扱い方に出てきます。

手は、何でも産み出します。私たちの心は手に顕れます。手は幸福を世界に産み出すこともあれば、残虐な不幸を産み出すこともあります。ある手は、人を救い、ある手は戦争によって人を殺します。この手は、心そのものでその手の扱い方をどうするかで生き方までも変わっていくのです。

取り扱うことが難しい案件というものはこの世にはたくさんあります。核や遺伝子組み換え、人工知能などもまさに手におえない難しいものです。これは頭でなんとかなる問題ではなくまさに日頃の手の扱い方、手の使い方にこそ気を付けなければなりません。

毎日、手を使って私たちは色々なことを創造します。

この手をまず善くすることから人は生き方を磨いていくことです。日々の手の扱い方、そこに自分の意識が投入されます。手を大切にしていくことから、人は心を大切にしていくことができます。

手の中にある意識をさらに高めて、世の中の平和を創造していきたいと思います。

パンデミックの正体

2020年頃にコロナウイルスが入ってきてから、色々なことが起きました。思い返せば、あれだけ未知のものへの対応で人間のもつ様々な心境や行動がはっきりと感じられたことはなかったように思います。

たとえば、感染者に対する差別をはじめマスコミなどの情報操作、デマや陰謀論、あらゆるものがありました。

思えば、不思議だったのがあの過剰な消毒や透明なプラスチックの防壁、マスクなどは印象的でした。異常な隔離に都市封鎖、移動制限などもはじめての体験でした。また予防薬やワクチンなど、その後もよく検証されていないものをたくさん投与しました。高齢者や病気の人たち、また病院や福祉施設は過敏になり対応に追われました。保育園などでも、1歳くらいからマスクをしたり過剰な消毒をして別の問題も発生しました。

よく分からないものに対して、人間というのは過剰に反応するものです。

私たちは感染症は歴史の中で何度も体験しています。特にたくさんの人たちがなくなった結核やインフルエンザ、ペストなどはその歴史に学んでいるものです。今回のコロナウイルスは、最初から正体が中国の研究所から出たや、人工ウイルスであるなどと、今までとは少し変わっていました。

そのことから人災として扱われ、世界中が疑心暗鬼になりました。それまでの自由な往来も制限され、次第に自国を守ることばかりに躍起になりました。気が付けば、分断が進み、戦争が各地で発生しはじめています。

そもそも感染症の歴史は、世界大戦の歴史と似ています。感染症があり、関税合戦があり、戦争へとつながっていく。人々の分断が進むところに、差別があり敵対がある。自分を守ろうとするあまりに他を排斥していくのです。毎日、報道では今日のコロナ患者の数が発信され、自宅待機や自粛、外出禁止や接触禁止などが行われました。

実際には、それができない職種もありそういう人たちが差別の対象になったりもしました。初期は感染していることを隠し、そのうちワクチンを打ったので関係ないと開き直った人たちもいました。マスクを着けていない人を徹底的に攻撃する自粛警察のような人たちもいました。戦争の時に、死ななければ非国民とののしり攻撃したり、排斥した人たちがいたことは本で読んだことがありましたが実際に似たことを体験したのはこのコロナの体験でした。

そこからパンデミックの正体とは何か、改めて今回のコロナの体験で気づいた人たちが多いように思います。人間の正体というのは、環境によっていくらでも変化することを垣間見る時、色々と考えさせられます。人間の心の汚染こそが世の中の荒廃を進めていくのです。だからこそ、いにしえから日々の浄化や穢れを祓う実践が病魔を遠ざける智慧だったのでしょう。

コロナが沈静化してきた今こそ、子どもたちのためにも歴史に学び、よくよく今回の出来事を検証して振り返っていきたいと思います。

客観的事実

陰謀論という言葉があります。これは一部の人々や組織が裏で密かに計画を立て、世界の出来事を操っているという考え方だと定義されています。情報化社会の中で、誰かが陰謀だといえばそこから陰謀論がはじまります。結局、陰謀であろうがなかろうが陰謀論と認知するとき人は陰謀論者になっているということです。

言葉というのはもともとお互いに反対の側面をもっています。正論という言葉には、曲論という言葉があったり、暴論や詭弁などという言い方をします。誰かが正しいといえば、誰かが間違っていると言います。そうやってディベートを楽しんでいればいいですが、権威や権力が乗っかっているとそれが戦争に発展していきます。

最近では、イスラエルとイランがミサイル攻撃をしあっているときにアメリカが突然参戦してバンカーバスターという地下深くを攻撃するミサイルをイランに打ち込みました。それも2週間停戦して交渉している最中にです。アメリカの正論としてはイランに核を使わせないといいましたが実際には核施設をミサイルで壊してしまえば核が流れ出てきてもっと悪い状況になります。自国はたくさん核を持っているのに、これはまた本末転倒な話です。同時に、ウクライナの時はロシアが一方的に攻撃したら西側諸国は国際法違反だと反対したのにイスラエルやアメリカが一方的に攻撃したときは国際法違反していても賛同していました。

自分の都合のよいことを正論といい、都合が悪いことを陰謀論とする。本来は、客観的な事実をよく観察して、実際の事実を確認することで正論も陰暴論もなくなっていきます。つまり、道理に適っていたか、事実かどうかはその後の経過を観察していればわかってくるものです。

例えば、コロナワクチンであれば最近のことなので覚えがあると思います。突然、自宅待機で都市封鎖し、コロナウイルスという凶悪なウイルスが蔓延すると世界で人々を恐れさせました。マスクを強要し、うちの地元ではコロナに感染した人のお店に卵が投げつけられ自殺してしまいました。差別が横行して、コロナに感染したのではないかと疑心暗鬼に見張る人たちが町中に増えました。ワクチンを打とうとしない、打っていない人は陰謀論者だとののしり、非国民であるかのようにワクチンを推奨していきました。学校でも小さな子どもにまで特段コロナで死んでいないし重篤でもないのに全員に一斉に打ちました。

しかしその後、3年、4年と経過を観察していると気が付けばコロナは収束したとマスコミが報道をやめ、たいしたウイルスではなくただの風邪だという扱いにしました。ワクチンも世界のほとんどが効果がなかった、むしろ感染しやすくなるとわかり、今ではコロナに感染したといってもほとんどたいした反応しません。

結局、陰謀論者とののしっていた人たちや正論を押し付けていた人たちは客観的事実が明確になってきたらどうなっているのでしょうか。最初に卵を投げつけた人、非国民だとののしった人たちは何処にいって今、何を思っているのでしょうか。本当なら、その人たちを追いかけてもらいなぜそういったのか、そして今はどう思っているのかを聞いてみてもらいたいと思います。

もちろんコロナワクチンがダメだというわけではありません。このブログの内容を読んですぐに反ワクチンの人と括られてしまうこともあるかもしれません。しかしこれはワクチン、反ワクチンの話をしているのではなく、経過をよく観察して内省し、そこから真実や事実を検証しようとすることの大事さを伝えているだけでもあります。

歴史というのは、決めつけるものではなく本来はどうなんだろうかとみんなでいつまでも考え続けることが大切だと私は思うからです。お互いを尊重しあうというのは、みんなでこんな考えもあるとわかり合おうとすることです。それは対話であり、正論の押し付け合いや議論ではありません。最近は、ディベートというものもありますがこれは客観的な視点を磨くのには効果があります。客観的なものをお互いに出し合う中に、活きた歴史もまたあります。

誰かが正しいのではなく、本当はどうなのかとそれぞれが共に検証することに人類の真の成長や発展もあるように私は感じます。

しかしドラマや映画やゲームでも陰謀が暴かれるシーンはワクワクするものです。陰謀好きが問題というわけでもありませんが、事実や経過の検証の方が本来はもっとワクワクするものかもしれません。

引き続き、世の中の客観的な事実をよく観察検証して子どもたちに必要な情報を遺していきたいと思います。