世の中の商品には、自然環境を著しく破壊するものがたくさんあります。同時に、人体を著しく破壊するものもあります。今も文明と人類が滅び、長い時間が経ては回復するかもしれません。しかしそれはとても残念なことのように思います。
そもそも縄文人をはじめ、太古の人々は自然と共生して自然の恵みだけで生きてきました。その恵みを過剰に取りすぎず、破壊しないように配慮して長い時間をかけて回復する自然の恩恵に肖っていました。その自然の恩恵に氣づく感性もまた研ぎ澄まされていたようにも思います。
どこからか自然の恩恵よりも資源として採掘をはじめ、それをどう資金にしていくか。埋蔵金の発掘や海賊のように恩恵を搾取するようになりました。それも個人の権利として特定の人たちがだけが独占するという具合です。
恩恵の独占によって恩恵から外された人たちは厄難であり迷惑をうけます。特定の人たちが権力や富を牛耳ることで問題が発生して恩恵ではなくなったということでしょう。つまり恩恵をわが物にして、恩恵を与える側になったようにふるまうのです。
恩恵というものは、人間が造り出したものではありません。恩恵は元々、宇宙自然によって存在しているものです。その恩恵をみんなで分け合い暮らしていくと決めて生きてきたのがかつての人々であったということでしょう。
権力者や独占者は、恩恵を奪取するのが得意です。恩恵がなくても、恩恵のように見せかけて人間を操るのも得意です。最近では、マッチポンプといって敢えて環境を壊すことでそれを回復させているかのように振舞いお金を集める組織や会社も氾濫しています。マッチポンプとは、自分で起こしたもめごとを鎮めてやると関係者にもちかけて報酬を得ることのことをいいます。
自作自演をして恩恵を誤魔化しているのを見ると、悍ましさに悲しみも覚えます。今の時代、グローバリゼーションがそれを加速させています。
暮らしを調えていくことは、生き方を調えていくことでもあります。
よくよく自然の恩恵とは何かを見究め、恩恵と共に暮らしていくことを積み重ねていくことでしょう。子どもたちのためにも、恩恵に感謝する暮らしを精進していきたいと思います。
