研修の大本

本日は、イエナプランのビデオコーチングの研修に参加した。

これは教師の資質を向上するために、日頃の教育現場、保育現場をビデオで撮影してどの部分を改善していけばいいかなどをコーチングしていくものだ。

もちろん、誰かの主観でのアドバイスにはなるもののその本質はイエナプランの20の原則(子ども中心で子どもの個性を尊重した内容)に沿って、自らに気づかせて変化を促していくという手法だ。

今回は様々な学校から、イエナプランのビデオコーチングの資格を取得するための研修を受けている人たちが集まっていた。

人は物事を日ごろから自分の内面で判断しているからこそ、気づいているようで気づいていないのが外から自分がどう観えているかという客観的様相だ。それを見せることで、自分の内面の認識とのズレを本人が看取っていき、本来のあるべきように近づけたい本人の意思を尊重しながらそこへアドバイスすることで安心して内外のバランスを取れるようにしていくということだ。

これは野球でも何でもそうだが、職人的な人間的能力を発揮するためにもその微細な感覚の劣化を防いだり問題を発掘したりしながら如何に自らのベストを引き出していくかをコーチする方法なのだと思う。

それにあわせて子どもから先生がどう観えるかを子どもの視点で撮影していくことで子どもになりきる訓練にもなる。

クラスで担任などを持って、一つの場所で毎日過ごしているとそういう自分と子どもとの認識のズレがどうおきないようにしていくかは世界各国どの教師でも苦心しているところなのだろうと改めて思う。チームや異年齢、そしてさまざまなマネージメントがある国でもそれが必要なのだから日本では当然それが不足している。しかし日本ではほとんどそれを「見られたくない」「テストみたい」などの理由で広がらないのだろう。

何でも続けていくとその中にある本質が理解できるようになっていき、最初の感覚よりも人間はより深いところのことが修得できるようになる。

ビデオコーチングも最初は嫌でも続けていることで、それで自分が修正されることを知りセルフマネージメントをする力を得ることで本来の素直で正しい自信と柔軟性のある謙虚さなどが教員に持てるようになるものだ。

カグヤでも今後、GTの理念に沿って保育環境を観察する手法のひとつとして参考にしていこうと思う。

最後に、教育者や保育者というのは人間がどうであれ色々と職業的な柵やクセのようなものに囚われて無意識に意識的に自分勝手に偏っていくものだ。

たくさんの人たちを一斉に育てているのだからそういう子どもたちに自分がやりたいこと、または世界や社会、そして国家から要求されている子ども像の最低基準は確保できるようにそれぞれで研修の主要課題は常に明確にしていく必要があると思う。

平和教育も人権教育もそもそも形骸化しているマニュアルのようなものではなく、人間としてどう生きるかということを子どもたちとともに協働しながら考えていくことの方がより大事なことなのだ。

日本の職員研修はどうしてもコンセプトが受け手側に伝わっておらず、そして与え手側も何をどこまで保障したらいいかが明確になっていない。

そんな無概念で何をお互いが考えて学び合うことができるのか?

研修とは「研磨して修正する」ことだが、そのもの何に対して自分と他者をそうするのかを明瞭になっていないのに何が共にやることができるのだろうと私は思う。

そういう日頃の安直な上から一歩的にやったやってないという誰にでも分かるトップダウンのタテ社会官僚体制の姿勢が、子どもとのタテ社会イイカゲン環境管理になっていくのだ。私たちはそこに関わる仕事をしているからこそ文句を言っている場合ではなく本当に気をつけないといけないと改めて自社のスキルを含め戒める良いキッカケになった。

これからカグヤでもその辺の理論を整理して、なぜそうなるかなどを科学的に証明しながら先生方のサポートやアドバイスを的確にしていけるように取り組んでいきたいと思う。