韓国でご縁のあった方ら日本の田中正造氏の話をお聴きする機会がありました。この人物は1841年〈天保12年〉〜1913年〈大正2年〉)の人物で日本の政治家・社会運動家で、足尾銅山鉱毒事件に一生をかけて反対した「公害問題の先駆者」として知られる人物です。
日本では近代の環境問題の原点ともいわれ、人権問題をはじめ弱い立場の農民たちに寄り添った人物として尊敬されています。本人は政治家でもありましたが、政治が腐敗する理由を知り政治家をやめて活動をしています。
「政治家が、正義とか道徳があることを忘れて政治を行えば、民衆は本質を失い堕落する。そうさせないために国民は、政治家を絶えず監視しなければならない。また、その監視を怠れば政治家は国民を騙し、盗みをするというものである」といい政治の要は仁義であるといい、真の政治家は人民の中にありとも言いました。
まさにその一生は、真の政治家を志し、その最期には赤貧を貫き、ポケットに石数個と日記があったのみだったといいます。生き方と実践を貫いた、見事な一生をやり遂げた方です。
人間中心の世の中を憂い、文明とは何か、真の豊かさとは何かに氣づき警鐘を鳴らしました。韓国では東学という運動があり、似たようなことに氣づいた人や農民が働きかけますがそれは政府によって鎮圧されています。日本では、運動にせず「真理は実行の中にこそある」とその生き方を通して田中正造氏がそれを示して今に至ります。
「山川は荒れても復することあり、人は荒れたるままにして復することなし」ともいいました。人は荒れるままにすれば快復しない、だからこそどうあるかを問い続けます。
現在、自然環境の破壊の荒廃は目まぐるしく、気候変動を含めた環境破壊は加速度的に進んでいます。最初に明治の文明開化を声高に掲げたとき「デンキ開ケテ世見暗夜となれり」ともいい、文明とは本来何が本来のものかを世の中に問います。
そして最期の日記に書かれたものにこういう文章が遺っています。
「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」と。
この時代、南方熊楠もまた自然破壊について同様に警鐘を鳴らしています。よくよく自然を観察する人たちは、自然が破壊された先に何が人々に影響を及ぼすかが手に取るように観えたのでしょう。
別に人類の発展に反対したのではなく、人類の行く末を憂い人を愛するからこそ反対するような行動をとったのです。人間はいつの時代も都合の悪い真実は受け入れないし信じないものです。
しかし時が経ち、いつかはその現実を目の当たりにするとき人はそれらの自然観察者がまるで預言者のように発した言葉をもう一度、聴き直し後悔し反省する日が来るのでしょう。
改めて世界規模で今こそ自然を再観察し、どのように生きるのか、暮らすのか、あり続けるかを学び直し、私なりに暮らしフルネスを通して子どもたちに実行を貫徹していきたいと思います。
