納豆の伝承

昨日は、藁ぶき古民家和樂で仲間たちと一緒に納豆づくりをしました。今年の藁から納豆をしあげていきますが、竈ごはんとやお味噌との相性もぴったりでみんなで座禅後のような多幸感を感じることができました。

この納豆の発祥は、いつからかよくわかっていません。稲作と共に入ってきたという説、秋田県が発祥などもいわれます。もともと納豆の中にいる微生物は、枯草菌の一種で菌類最強ともいわれます。宇宙空間でも生きられるとし、酸やアルカリ、乾燥、熱などあらゆるものに強いといいます。少し菌糸が洋服などについてもそこから繁殖できるともいいます。

なので酒造りや醤油、味噌など麹菌を扱う場所では納豆はご法度になっていたりするものです。しかしこれが長所でもあり、私の居る宿坊は水気が大変多く、夏場の湿気であちこちにカビが繁殖します。それを納豆菌をスプレーで布につけて吹き掃除をしたり、箪笥の中や厨房などに置いておくと納豆菌が抗菌性のペプチドを生成しこれによりカビや他の有害な菌を駆逐してくれます。納豆菌が自身の生息空間を確保する仕組みをつかって他の微生物を寄せ付けないという仕組みです。

納豆の真のすごさは天然で副作用のない抗生物質とも呼ばれることです。腸内の悪玉菌や腐敗菌などを退治してくれます。善玉菌を守りつつ腸内フローラを活性化する。 納豆1グラム中におよそ10億個といわれる納豆菌が存在していてその納豆菌が生産するさまざまな酵素も出てきます。

このような智慧の存在を先人たちは随分早くから知っていたことになります。

時代が変わって科学がいくら発展しても、ここまでの存在を見つけることはなかなかできないはずです。納豆菌の素晴らしさは、藁の存在から感じます。藁の薫りや稲のすごさ、田んぼの力の根源などにこの納豆菌の持つ素晴らしさを再実感しました。

これからも子どもたちへ知恵を伝承していきたいと思います。

心の豊かさ

心の豊かさをよくお話する機会がありますが、その逆に心の貧しさということはほとんど話すことがありません。しかし豊かさがあるように、貧しさというものも同時にあります。

例えば、心の豊かさといえば私は徳のことをお伝えします。徳には心の豊かさで溢れています。物事の善い面を観ては、短所も長所として活かす。すべてのものに具わっている徳に光を当てて甦生し続ける中に私は真の豊かさを感じます。

しかしでは貧しさというのは何かといえば、この逆のことです。物事の悪いことばかりを見ては長所も短所として扱う、そして人を軽んじるのです。つまり徳を無視するということです。

ではなぜ軽んじるのか、それは心の貧しさからきます。相手をバカにしたり、上下をつけては蔑んだりする、勝手な評価基準をもっては人を裁いていく、ここには心の貧しさがあります。

この心の貧しさはなぜ発生するのか、それはあるがままのものを本来のあるがままの心で観れないということに原因があります。つまり何かの思い込みや刷り込み、あるいは常識や環境の影響を受けて本来の澄み切った眼を曇らせているからです。

なので私は古民家などでも磨きをはじめ、浄化や澄ます体験を通して心の豊かさを伝道しているのです。

心が豊かになれば、物事の実相がはっきりと明瞭に確認できます。すると人は、心の豊かさを取り戻すのです。

その時、人は思い込みから開放され様々な執着に縛られていることを手放すことができます。それが私が実践する暮らしフルネスの本質です。だからこそ、初心を忘れず伝承を砥石にしてお互いに一緒に心を磨いていきましょうと話します。

一緒に磨き合う関係の中にこそ、心の豊かさの根源が存在するからです。

ちょうど、英彦山の守静坊の古木の柚子を収穫し聴福庵に集まってみんなで柚子胡椒をつくりました。柚子の澄んだ香りは心も澄ませてくれます。また懐かしい伝統保存食の智慧をみんなで伝承する場は豊かさで溢れていました。

心の豊かさは、自然の恵みや循環と共に過ごす暮らしの中で彩られます。今日は、これから古民家和樂で納豆づくりをみんなでやります。納豆の藁も、無肥料無農薬の稲架かけした藁で大豆も同じ田んぼのものです。

自然の恵みに感謝して、心豊かな日々を歩んでいきたいと思います。

生を全うする

よく暮らしフルネスを体験する人たちが「時が経つのを忘れた」という感想を残していかれます。いつもは時間を気にして生きていますが、この場所に来ると時間を忘れるといいます。これはどういうことでしょうか。

私も元々時間を忘れて何かに集中しよく没頭するタイプです。気が付いたらこんな時間という日々の繰り返し。いつも夜になってもう夜かと思い、早く朝が来ないかと準備します。

別に楽しいことばかりではありません。時には楽しくないことも辛いことも多々あります。しかしいつも時を忘れるのです。これは時間を気にしていない、スケジュールを入れないということでありません。今に集中しているということであり、ご縁や流れ、繋がっている物語の中で意味を深め続けているともいえます。別の言い方では、一期一会に学び続けるといってもいいかもしれません。

私にとってこの毎朝のブログもその日その日にあった気づきや洞察、直観を振り返ることに活かしています。他にも日記を書いて、一行詩も書きます。初心を忘れないように何度も思い返し、自分の特性で道で注意することを反省するチェック項目もチェックしています。それが終われば、お蕎麦を食べお茶を点てて仲間とあいさつして暮らしのはじまりです。

そもそもかつての人たちはどのような暮らしをしてきたか。

現代のように秒単位で時間管理をしていたかというとそうではありません。一刻二刻と時を丁寧に刻むように暮らしに集中していました。自然の変化と共に、少し早めに自分の変化の準備をする。丁寧に暮らしていくために様々な年中行事に支えられました。そしてそのどれもが頭ではなく心で暮らすのです。

時が経つのを忘れるというのは、脳が忘れたということかもしれません。脳を少し休め、心の時間をゆったりと過ごす。心が豊かなになる時を刻む喜びは、まさに今に集中できる仕合せです。

畢竟、人生というものはどのような今を刻むかということです。

心が感得する懐かしい刻を忘れないで生を全うしていきたいと思います。

喜びの本質

昨日は仲間たちと一緒に柚子胡椒づくりを行いました。大勢で一緒に作業するのは心地よく、あっという間に時間が過ぎましたが心身が深く癒されます。この感覚は一体何かということです。

人類は今までどのようにして生き延びてきたか。

本能というものや潜在意識にその智慧は喜びとして記憶に刻まれているものです。例えば、美味しいという喜び。自然の恵みをいただくと喜びを感じます。また子どもが誕生する喜び、家族ができる喜びなどもあります。

人は喜びの中に、大切にしてきたかけがえのない智慧があります。

また同時に懐かしさというものを感じるものです。この懐かしさは、心が喜んだという記憶です。何度も何度も繰り返して心が喜んだことが記憶で伝承されているのです。助け合いの記憶や、愛に包まれた記憶は心の奥底にいつまでも生き続けているものです。

ご縁も同様です。

何度も生まれ代わり巡り会う、先祖が結ばれた人たちとまた再会する。

このような喜びもまた、私たちは感覚として直観するものです。繋がっているという喜びや一緒にいる喜び、これもまた私たちが生き延びてきたからこそ得ている感覚です。

喜びというシンプルな感情の中で、私たちは真理と共に歩みます。

子どもたちにも喜びが多い人生を歩んでほしいと願います。徳の喜びが循環する世の中になることを祈り、暮らしフルネスの実践を続けていきたいと思います。

真の発明

この時季は私たちは保存食づくりの豊かさを味わっています。お漬物をはじめ、干し柿や柚子胡椒など目白押しです。乾燥野菜などもそろそろはじまります。今では、冷蔵庫があり缶詰めもあり冷凍できますから保存食など必要ないと思われるかもしれません。しかしかつては、保存食がある御蔭で様々な困難を乗り越えてきました。いつの時代も、智慧を失わないように今も生きることは子孫のためにも大切です。

保存食の美味しさというものがあります。

これは通常の旬で食べるものとは異なり、また別の味わいがあります。例えば、この時季は柿が旬でとても美味しいです。しかし間もなく熟れすぎてしまい食べることができなくなります。それを干し柿にすれば春頃まで食べれます。発酵して甘さも格別です。健康にもよく、必要な時に食べることができます。

自然の中で保存する仕組みを発明した人類こそ、真の発明者ではないかと思います。比べるものではありませんが、ガソリンや原子力をつかった発明よりも私はとても共感できます。

自然の仕組みの中でも、自然への負荷がほとんどなくそのもののいのちをより活かすという智慧と技術。これは自然への畏敬や、自然と共生し感覚を感受できる喜びを知っているからこそ発明できるものです。ここに偉大な人格を感じてしまいます。

この世は徳の世です。

徳が謳歌し、徳が活かしあいいのちは百花繚乱に耀きます。光が充ちて何も不必要なものはなく、ゴミがでるなどということもありません。必要不可欠なもの同士が、絶妙に結び合って生きる喜びはかけがえのないものです。

保存食の発明は、その中で活かされてきた真心の伝承ともいえます。この価値は美味しさが証明します。自分の手で、丁寧にいのちを別のいのちに転換していく仕合せ。

今日も暮らしフルネスの実践を楽しんでいきたいと思います。

老いの道

加齢とともに脳の情報処理速度は衰えていくといわれます。これは脳だけではなく、身体のあらゆるものは衰えていきます。若い頃は、筋肉増強で筋トレすればすぐに筋肉はつきましたが年を取ってくると筋肉を衰退させないための筋トレになっています。すべての生き物は、変化して死に向かいます。その過程を体験することはとても大きな学びがあります。

身近な存在だと祖父母や両親です。ずっと一緒に暮らしてきても、ある時にふと年をとったと感じます。できていたことができなくなったり、耳が遠くなったりと不便なところに遭遇します。今までできていたことができなくなるというのは、下降していく感覚です。若い時は、何でも新しくできるようになるという喜びの方が多く、高齢になればできなくなる辛さというものもあるのでしょう。しかしよくよく観察すると、できなくなったことを他の方法でやったり、コツを使うんで最小限の力でできるように創意工夫していることもあります。

つまり知的好奇心というものや学びという感覚は死ぬまで衰えることはないということでしょう。肉体や感覚が衰えても、それはあくまで借り物の道具が弱っていくだけで精神や心は変わらずに成長を已まないということです。

常に心を若く、好奇心をもって学び続けている人は老害にもなりません。謙虚に素直に今、起きていることからご縁を悟り、人の話に耳を傾けてできることや使命を全うしていくのです。

また徳を積み続けていれば、周囲がその徳を見守りさらにみんなで助け合い仕合せな暮らしを創造していくこともできます。

つまり生き方というのは、衰えることがないということかもしれません。

つまり道に衰退なしということでしょう。そうすれば、老いたる馬は道を忘れずといううように仙人のような風格を保つ存在になるのかもしれません。

道は無窮、丁寧に老いの道を拓いていきたいと思います。

いのちの美味

日本には古来から「甦生」という精神性があります。私は場道家ですが、同時に甦生家でもあります。甦生は私のライフワークです。

生まれ代わるというのは、いのちのめぐりのことです。いのちというのは、常に生々流転しています。また輪廻転生するともいえます。あらゆるものと和合しながら生き続けていきます。和合していくことは、新たないのちになっていくことです。

例えば、昨日は新嘗祭を行いましたがお米の種はそのままいのちの種です。土に蒔き、お水と光と風が吹けば別の姿に変化していきます。そのもののいのちのかたちはそこで終え、別のいのちへと変化していくのです。私たちが成長して老化していくように、いのちもまた変化します。そして新たないのちに受け継がれていきます。

当たり前のこの真理ですが、これは実はとても大切な智慧の一つです。

神道では、式年遷宮をはじめ様々な甦生の儀式があります。新嘗祭もその一つです。私たちは毎年、一年に一度、甦生するのです。この甦生によっていのちが若返り瑞々しくなり長寿を得ます。この智慧は、健康食品などでは得られませんし、遺伝子治療などでも得られません、そもそも科学ではないからです。

昨日は甦生した井戸のお水で床下の備長炭を使い、田んぼの土で仕上げた竈に火を入れ、みんなで火吹き竹で息を吹き入れた今年の新米を炊きました。

その味には、確かに新たないのちが別のものになって宿っている感覚を直観します。仲間たちと一緒に味わいましたが、口先ではなく全身全霊で美味しいと感じるいのちの美味です。

甦生や若返りというのはこの感覚に似ています。

私はいつも古民家甦生や、あらゆる伝統や伝承の場を甦生する中でこの感覚を味わっています。いのちは変化する。変化こそ甦生の妙味であると。変化を如何に楽しむか、変化を如何に味わうか、私たちは変わることでいのちを何度も甦生させるのです。

暮らしフルネスの基本は、このいのちの美味を知ることからはじまります。

引き続き、徳の世を醸成し心豊かな社會のために智慧を実践し続けていきたいと思います。

いのちの新嘗祭

今日は、これから浮羽の甦生中の古民家で新嘗祭を行います。有難いことに、今年はとても由緒ある田んぼとご縁ができ手植え手がりで無肥料無農薬でお米を栽培することができました。仲間との思い出もいよいよ終盤、今年の有難いご縁と感謝でみんなで笑顔で新米をいただき予祝をします。

振り返って見たら、お米と共に一年を暮らす仕合せは格別なものです。一年中食べているのがお米ですからお米のいのちをいただいているといっても過言ではありません。一粒一粒にいのちが宿る種を食べているのです。それは元氣にならないはずはありません。

田んぼでいのちが充実しているという事実。

これは生き物がいっぱいの田んぼに入ればすぐにわかります。私たちはその田んぼの元氣をいただき、元氣溌剌と生きているのです。今ではお米も次第に、お金や物のように扱われています。先物取引のようにも扱われたりしました。しかし本来は、お米は私たちのいのちそのものに深く関係するものだからいのちとして接することが本来のあるべき姿ではないかとも思います。

お米に対する意識や姿勢こそ、私たちの精神性の中心を支えていたものです。

新嘗祭はそれを甦生する大切な儀式とお祭りです。

丁寧にいのちをいたわり、みんなで有難くいただきます。

柚子の恩恵

いよいよ今週から英彦山の守静坊の柚子を使って柚子胡椒づくりがはじまります。一説に由れば、柚子胡椒の発祥は英彦山だといわれます。代々、山伏たちが薬用として柚子を用いていたことが起因するようにも思います。

元々柚子の発祥は、中国の揚子江上流生まれであり、飛鳥、奈良時代に朝鮮を経由して日本に入ってきたと言われています。現在では、柚子は自宅のお庭などにも植えて栽培しているところも増えています。英彦山の宿坊にある柚子は、老木で高木です。凛とした佇まいと清々しい佇まいに柚子の気品を感じます。

柚子の科学的な効能としてはビタミンCが豊富で、免疫力を高め、風邪予防や美肌効果が期待できること。ペクチンが含まれており、整腸作用や糖尿病、動脈硬化の予防に役立つこと。リモネンが血流を改善し、消化吸収を助けること。抗酸化作用により、肌のハリを保ち、シミを予防する効果があること。クエン酸が食欲を増進させることなどが有名です。

もうすぐ冬至にゆず湯などに入りますが、これも理由があってゆずの皮に含まれるヘスペリジンが毛細血管を広げて血流を促し、体を温めるはたらきがあるといわれます。これはリモネンやヘスペリジンが血流をよくするので、体を温める効能があるのです。

またゆず湯に入ると風邪をひかないといわれるのは、冬至を「湯治」に合わせ、柚子を「融通」にかけた語呂合わせの縁起担ぎともいいます。柚子の香りは邪気を払う効果があるとされ、陰極まって陽になる冬至には最適なのです。

昨年もゆず湯に入り、祐徳石風呂で蒸され仕合せな時間を過ごしました。

柚子胡椒は冷凍庫の保存もでき、一年中、私の十割手打ち蕎麦の大切な薬味にもなってくれています。身近な自然の恩恵が私たちのいのちを支えてくれます。

自然への感謝、循環の恩徳を忘れずに今週も暮らしフルネスを味わっていきます。

継承と伝承 智慧のバトン

継承と伝承というものがあります。継承は、権利や財産を含め今まであったものを受け継ぐことです。しかし伝承は、受け継ぐだけでなくそれを次に伝えるという使命があります。継承した上で伝承をするというのが本来の姿でしょう。しかしそのまま伝承するというのは簡単ではありません。

時代背景が刻々と変化する中で価値観も新たな発明品も増えて環境が変わります。むかし当たり前だったことが次第に珍しいことになり、便利さや効率さ、金銭的な価値観が入ってくるとかつてのように知恵を時間をかけてじっくりとゆっくりと取り組むこともなくなります。

常に今を温故知新し続けて本質を保つ努力や精進を続けなければ継承も伝承もできなくなります。つまりこれは継続の智慧と仕組みの話なのです。@

例えば、文化的な価値のある建築などを継承するとします。経年変化で建物は必ず壊れ修繕が必要になります。あるいは壊れようにお手入れが必要です。その費用や労力はかなりのものです。そしてその建物に纏わる歴史などを伝承していく必要があります。これは伝承する側の意志や信念が必要です。そうやって代々、次世代へと結びつながれていく中で智慧もまた残ります。

人類はそうやって後世に体験したことの智慧をみんなで残して生き延びてきた歴史があります。それぞれに大切だと思うものを信念で守り続けてきたのです。

東日本大震災のときに、津波が来ない場所に石碑があり避難訓練をする伝統の村がありました。そこは日々の訓練を通して、石碑に祈り津波対策をしていたことで大勢が助かります。もしこの知恵を継承もせず伝承もしなければ、多くの子孫たちが犠牲になるのです。

伝統も伝承も継承も、これを後世へつなぐ必要があってはじまるのです。まさに智慧のバトンです。

時代が変わっても、その大切な志や思いが受け継がれていくように真摯に伝承を続けていきたいと思います。我こそは食の伝承者と思う人はぜひご参加ください。