心の豊かさをよくお話する機会がありますが、その逆に心の貧しさということはほとんど話すことがありません。しかし豊かさがあるように、貧しさというものも同時にあります。
例えば、心の豊かさといえば私は徳のことをお伝えします。徳には心の豊かさで溢れています。物事の善い面を観ては、短所も長所として活かす。すべてのものに具わっている徳に光を当てて甦生し続ける中に私は真の豊かさを感じます。
しかしでは貧しさというのは何かといえば、この逆のことです。物事の悪いことばかりを見ては長所も短所として扱う、そして人を軽んじるのです。つまり徳を無視するということです。
ではなぜ軽んじるのか、それは心の貧しさからきます。相手をバカにしたり、上下をつけては蔑んだりする、勝手な評価基準をもっては人を裁いていく、ここには心の貧しさがあります。
この心の貧しさはなぜ発生するのか、それはあるがままのものを本来のあるがままの心で観れないということに原因があります。つまり何かの思い込みや刷り込み、あるいは常識や環境の影響を受けて本来の澄み切った眼を曇らせているからです。
なので私は古民家などでも磨きをはじめ、浄化や澄ます体験を通して心の豊かさを伝道しているのです。
心が豊かになれば、物事の実相がはっきりと明瞭に確認できます。すると人は、心の豊かさを取り戻すのです。
その時、人は思い込みから開放され様々な執着に縛られていることを手放すことができます。それが私が実践する暮らしフルネスの本質です。だからこそ、初心を忘れず伝承を砥石にしてお互いに一緒に心を磨いていきましょうと話します。
一緒に磨き合う関係の中にこそ、心の豊かさの根源が存在するからです。
ちょうど、英彦山の守静坊の古木の柚子を収穫し聴福庵に集まってみんなで柚子胡椒をつくりました。柚子の澄んだ香りは心も澄ませてくれます。また懐かしい伝統保存食の智慧をみんなで伝承する場は豊かさで溢れていました。
心の豊かさは、自然の恵みや循環と共に過ごす暮らしの中で彩られます。今日は、これから古民家和樂で納豆づくりをみんなでやります。納豆の藁も、無肥料無農薬の稲架かけした藁で大豆も同じ田んぼのものです。
自然の恵みに感謝して、心豊かな日々を歩んでいきたいと思います。
