いのりの像

私の身近には数百年以上経た仏像や木像がいくつかあります。古民家甦生の関係で、古い家と関わると次第にそういう存在とのご縁があります。仏像には玉眼が入り、数百年経った今でも活き活きとしています。

そもそもこの仏像や木像に限らず、すべての神事や仏事で使われる法具や道具は祈りと共にあります。祈りが入っていないものは、どこかパサパサと乾燥してくすんでいます。しかし祈りをし、丁寧にお手入れをしているものはいつまぜも瑞々しくいつまでも新鮮です。

結局、これは家も同じく生きている状態にしている存在があるということです。その存在は、人の意識であることは間違いありません。

現代は、有名な宗教以外の人が何かをすると怪しまれたりスピリチュアルだとか言われることもあります。しかし、よく考えて観ると日本は古代から祈りは当たり前に身近にあり、神道であれば三種の神器をお祀りし、仏教でもお経や仏像を拝み、農民たちはその土地土地やご先祖様を敬い生きてきました。

そこで大切にされてきた存在の一つが、仏像や木像、また鏡だったということでしょう。

数百年経っても今でも残っていることがすでにすごいことですが、明治の廃仏毀釈などでほとんどが破壊されています。仏像や木像からしたら本当にいい迷惑な話ですがどれも人間が行うことです。

歴史というのは、人間がかつて何をしたかの事実を残します。その破壊されたものの一部が残っていたとして、それを現代の人がどうするかは現代に託されたものです。

大切に甦生していく過程で、私たちは何を祈ってきたか、どのようなお役目があったものかを意識を通じて伝承していくものです。

ご縁に感謝して学びを深めていきたいと思います。