「お天道様」という言葉があります。これは口語だと「おてんとさん」なとども呼ばれます。最近は、聞かなくなりましたが幼い頃は祖母から聞いたような記憶があります。よくお天道様はちゃんと観ているから大丈夫という具合でしょうか。何を観ているかというと、自分自身の誠実さや正直さ、その誰の目を気にすることなく陰ひなたのない実直な行動を見守ってくださっているというような感覚でしょうか。すぐに成果結果が出なくても、自分の心で決めたことを信じるときや理不尽なことに遭遇したり不幸のように感じられるときにも用いられます。因果応報の時節にもよくお天道様の話を聴いたりしたように思います。
この「お天道様」は、よく太陽のことを指しますが単なる太陽ではなく、人の行いを見守る存在としての太陽の擬人化表現でもあります。日本では古来から神話や農耕文化に根ざし当たり前に使われてきたといいます。毎日、太陽を拝んでは誠実に素直に清々しく明るく生きるような生き方を実践した自然崇拝の一つのかたちでもありました。江戸時代以降は人々の道徳教育の象徴として使われたといいます。
私はブロックチェーンの活用で色々と関わっていますからこのお天道様の存在はいつも話の中で語ることが多くあります。老子の「天網恢恢疎にして漏らさず」とあるように、必ず天は観て記録、記憶しているということを伝えます。
不思議ですがこの世は大きな「円(縁)」でできています。円いのだから、投げたものは必ず戻ってくるし、クルクルと廻っては自分のところに帰ってきます。自分で蒔いた種という言葉もありますが、蒔くから芽が出るともいえます。だからこそ、正直に実直に心の中で素直に感じたままに生きる方が安心です。お天道様は、そういう存在を見守ってくれているのでしょう。
アップルのスティーブジョブズがこういう言葉を遺しています。
「偉大な大工は、誰も見ないからといって、床裏にひどい木材を使ったりはしない。」と。
私は古民家甦生をしますが、家と対話しながら誠実に取り組んでいるときにここは観ていないからと妥協することは一切ありません。家は生きているし、末代まで永続するようにといのり甦生しますから心をすべてに籠めていきます。
結局、手抜きをしたというのは自分がそれを一番よく観ています。自分の心が観ているからこそ嘘はすぐに自分にバレます。自分に嘘をつかないでいるようでいる努力があります。
それがお天道様という存在です。
よく考えてみると、太陽というのはただ照らします。誰が見ていなくても、自分の徳を発揮し続けてくれています。その恩恵に多くのいのちが支えられています。雲に隠れても、雨が続いても、その上には必ず太陽は光り輝き続けてくださっています。だからこそ、目先の迷いで投げ出したり諦めたりするのではなく太陽は必ず向こうで見守ってくださっていると素直に努力をし続けること。
自然はそうやって今までいのちを繋いできた存在です。
お天道様がいると信じられないことが、恥ずかしいということなのでしょう、お互いに徳を光り輝かせながら子どもたちのためにも今を大切に生き切っていきたいと思います。

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