地球の利益

現在、無肥料無農薬で自然農のお米づくりをしていますが周囲の田んぼと違う光景に色々と観えてくるものがあるものです。

たとえば、資本主義の経済の中では利益の最大化を目指すために大量生産をして原価を抑えて利益を出そうとします。その原価の抑え方は、効率化がほとんどです。労働力を抑えて、生産能力を最大化するというものです。

そのために田んぼでは巨大な農業機械や便利な農薬や肥料が用いられます。実際にお米の価値も粒が大きくて虫に食べられていないもので収量が多いと利益になります。そのために、農家は労働力の最大化をはかり圃場の拡大を目指します。

しかし私の田んぼはまったくのその逆です。

そもそも収量は一つの田んぼでは限界がありますし、稲だけを育てているのではなく暮らしを豊かにするために田んぼ全体の生態系と一緒にいのちが循環しあう中で仕合せや喜びを感じます。

ほとんどが手作業です。労働力の最大化というよりも無駄ばかりです。しかしその無駄が心地よく、田んぼの小さな生き物たちを見てはまた雑草が生えては必要な分だけを除草します。

労働力の最大化というよりは、自然が育てて見守ってくださっている偉大な力を実感することができるのです。

そもそもいのちは誰が育てているのか、それは自然ですし他力ですし、自分以外の存在が丸ごとでゆりかごのようにいのちを見守っています。その偉大な労働力の御蔭で、私たちはいのちを繋いでいくことができています。

それぞれが自分のいのちを精一杯生きることによって恩返しをしていきます。人間だけがつくった社会のシステムの中でどっぷりつかった機械化されるのではなく、生命全体の循環の一部としていのち全体が耀くように自分を生き切っていくのです。

つまりそれぞれに生き方というものがあり、それを生きることによって全体と一体になって徳が循環するようにしていきます。

資本主義の中の利益の最大化というのは、結局は誰の利益かということです。株主や資本家のということです。利益の最大化というものが、もしも地球のためということになればどうなるか。

すると、みんな地球が喜ぶように「循環」や「流れ」が澱みなく絶やさずに安心するようにすることが利益の最大化になることをすぐに自明するようにも思います。

田んぼであれば、お水が流れていくなかですべての生命たちが多様ないのちを活性化させて自由に暮らしを謳歌できるような場をつくることでしょう。

引き続き、生き方を通して田んぼと関り、本来の日本人としての生き方や先人からの遺訓や遺徳を後世の子孫たちのために暮らしで結んでいきたいと思います。

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