月の徳

まもなく中秋の名月で、徳積堂では「十五夜祭」を開催します。もう随分、月のリズムで暮らしを調えていますがこの秋の月を観照するのは、自己の一生を鑑照する対話の時間にもなります。

私たちのご先祖様たち、むかしの人たちは日々の暮らしを月と一緒に過ごしてきました。月は脳の暦でもあり、身体の暦です。ひと月、ふた月と、月で日を観ます。そして太陽で季節を合わせます。この月と太陽で私たちは日々を観てきました。

太陽には角度があり、月には満ち欠けがあります。螺旋のリズムを感じながら、その自然の一部である人間の身体も同じリズムで暮らしを調えました。

現代は、日々に忙しく人間都合のスケジュールや欲望で月のことなどを思い出すことも少なくなっています。

しかし月が私たちに与えてくださる恩恵は偉大で忘れられるものではありません。

月が引けば海が動き、海が動けば生き物が動き、月が満ち欠ければ夜の光が変わる。そして生き物はそれに合わせて行動し、人間はその周期を読み、暦をつくりました。その暦の御蔭さまで暦に合わせて種を蒔き、収穫し、祈り、祭り暮らしができます。

自然から離れて暮らしていると、月の有難さを感じにくくなっていくのもわかります。

でもせめて一年に一度、たった数時間だけでも太陽が知らせる秋の美しい夜空の中秋の名月を感じる時間を、自分のためにも、先人たちへの感謝のためにも、あるいは月との関係やつながりを大切にするためにもあってもいいのではないかと私は思います。

この時機の月の光は、眩く集まった仲間たちと水面に浮く満月の光を楽しみます。そしてお月見団子をお供えし秋の味覚を味わう。美しい音楽の調べと心地よい癒しの場。

中秋の名月の本質を語っている江戸時代の作者不明の詩があります。

「月々に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月」

現代に意訳すれば毎月、空には月があり、月を眺める機会はいくらでもある。けれども、「月を見る月」といえば、やはりこの八月十五夜の月であるという意味です。

来週の9月25日の中秋の名月、ここから暮らしの循環を取り戻していけるといいですね。

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