現代の文明は、水の排水にばかりに注目して国土設計をしています。山では治山ダムや砂防ダムをつくり、川ではコンクリで水路を広げポンプで海に排水します。下水設備を増強し、水路はすべて下水管を通して下水上に流され塩素消毒されて排水されます。
しかし本来は、お水をどう運ぶかということにもっと意識をもって科学を発展させる必要があったように思います。そもそも日本の国土は島国であり、雨がすぐに海に流れ出していきます。親しい友人のいる国東半島では山がそのまま海の中にあるような島の環境ですから雨が降ればあっという間に海に流れてなくなります。むかしから棚田や田んぼを育て、お水が時間をかけて土地を循環し海に運ばれるように工夫した暮らしを通して生態系や人類が安心して生き延びれる環境を維持してきました。それが明治以降の西洋文明をはじめ、消費経済やお金だけを優先した制度や仕組みによって棚田も失われ人々はお山の上の方へは居住せずみんな海岸沿いの町中に居を設けて棚田や農家も失われています。お水がゆっくりと海に運ばれなくなったことで、自然の生態系が衰え海の魚も激減していき漁師の生活も厳しくなっていきました。養殖では無理に栄養剤を配布し、お金になりそうな生きものだけを育てても次第に費用が嵩み、海も汚れ悪循環です。
そもそも人々が追い求めている人間の経済効率とは何か。
これは循環を早めたり直線にすることで「すぐに大量に回収できる」仕組みをつくることです。人間中心の経済原理は、ゆっくりじっくりと浸透するように歩む文化のようなものと対局に存在しています。早く効果が出てすぐに変化するように目先の問題を解決することに特化しています。人間は目に見える利益や結果を信じると、それが最も価値のあるもののように信じ込みます。
そうしているうちに盲目に目先のために働き経済を活性化することが生活を維持することがすべての正義になっていきます。戦争もまたこの人間の利益の戦いです。隣国の核心的利益などもまた同様に、人間優先の世界のことです。本来は、地球に居る存在は自然のリズムと同じように働き、すべての生態系やいのちがお互い様に折り合いをつけて助け合うなかで安心することで、それを暮らしと呼びここまで生き延びてきました。
人間の生活は今の毎日を維持することですが、本来の自然の暮らしにはいのりがあり感謝があり、繋がりがあり、結があり、しあわせがあり、豊かさがありました。
私は過剰な文明の改善は、利益の奪い合いではな小さな他のいきものたちへの配慮、また一人一人の目覚めや氣づきからではないかと思いました。結局、この世に自分だけで生きているわけではありませんから、他のいのちや生物たちへの思いやりが必要です。それを理性や徳ともいいます。また人間性の回復とも言っていいかもしれません。
人間が、人間らしいというのはどういうことか。それは自然から謙虚に学び、智慧を持ち、科学を扱う技術がある。この地球で与えられた役割の一つが、地球の徳を活かすことではないかと思うのです。
お水はそういう意味では、もっとも私たちたちの生き方が顕現してくる存在です。お水がなければ生きていけません。この唯一無二のお水をどのように尊敬し大切にし、捨てるためではなく少しでも多くのいのちを循環していただけるように接するか。人間はまずお水への感謝の心があってはじめて健康の軸が決まり暮らしの中心が坐ります。
有難いことに私が実践する暮らしフルネスではどの場所も美しく素晴らしい個性をもったお水が湧いています。その身近なお水に感謝して生きていくことから、地球を喜ばせていきたいと思います。
