この世界は、様々な元素が調和し成り立ちます。私たちは物質の名前を切り分けて理解して判断しますが実際には調和したもの同士が調和を続けているだけでもあります。本来、一定に保たれたものが渦や螺旋の揺らぎを通して変化し続ける。まさに調和とは、調和し続けるという連続のことを言うように思います。
その中で、調和と調和が滞ることがあります。
これは先ほどの境界線を引き続けたり、あるいは調和を止めようとする行為が原因です。つまり時を止めてしまい意識を固定したり、あるいは循環しているものを遮ったりすることで発生します。
変化を受け容れることや、息を吐いて呼吸を調えることや、他と比較しないことや、過去にいつまでも執着しないことなども調和を促進します。
そもそも雨一つとっても、色々な雨があります。この雨がよくてこの雨がよくないなどいうものはありません。人間の都合で、豪雨は嫌で霧雨はいいなどといっても仕方がありません。雨というものは、水の動きであり循環です。その時々に必要なことが起きては、その雨が循環することで調和の状態が継続します。
異常気象とも言われますが、実際には調和のための気候変動です。
緩やかに暑くなると緩やかに冷えていきますが、激しく暑くなれば激しく冷えていきます。私たちは自然の調和の中で順応して暮らしを適応させていく生き物です。それぞれのいのちは、調和の中で折り合いをつけますから自然に変化に身体を順応させていきます。また全体数や居場所も変えては、その気候風土にあわせた最適な質量へと変化していきます。
だからこそ、気候変動に合わせて暮らしを調えていくことで永続して調和する自然の仕組みと同化していこうとしたのが先人たちの知恵でした。
現代は、人間の都合があまりにも行き過ぎています。人工的な雨も降らせるようになり、調和にも干渉しています。人間が傲慢になるほどに不調和は激しくなり、循環が滞り、気候変動も激しくなります。
むかしは自然の警告として、謙虚になることをみんなで大切に暮らしてきました。その警告も今では、あまり効果がありません。結局、身の回りや身近で問題がなければ自分の問題ではないとしてしまうのが脳の働きなのかもしれません。
心や魂が何を望んでいるのか、自然の警告のたびに小さな実践を積むことは謙虚であろうとする生き方の集積です。
謙虚さと素直さが調和を引き寄せることを信じて、日々の身近な小さな暮らしを調えていきたいと思います。
