私はかんながらの道というブログを書いていますが、かんながらの場というものも創っています。最近、場づくりをしている中で親鸞の自然法爾や義玄の隨縁任運などの言葉に出会いました。
自ずからという意味が何か、然とは何か、これは私は「ハタラキ」と「ハカライ」という渾然一体になっている今に直観するものです。
そもそも私たちは生きているだけで宇宙をはじめ地球の空気の中で活かされます。また太陽の光をはじめ、この身体もあらゆる影響を受けて感じて応じます。大前提として関係性の中で活かされています。そして今の自分というものを俯瞰すると、ご先祖様をはじめたくさんの縁起によってこうなっています。こうしようとしたのではなく、こうなっているということです。
つまりこの世は、ハタラキとハカライによってカタチを変容し続けているものです。つまりご縁と場によって結ばれているいのちが私の本体ということになります。
このハタラキとハカライは、一期一会の今を更新し続けていきます。ハタラキによって老化していきますし、ハカライによって目覚め意識も育ちます。与えられた場がハカライであり、その場がハタラキいのちが育つのです。そしてこれらは偉大な循環によって支えられ見守られます。つまりいのちは変化そのものです。
人は固定されたものを文字や形で切り取って認識します。しかし変化し続けているものの認識ができません。なのでいのちというものがあまり理解できません。空気も水も雲も海も血液も涙もこれは変わり続けている一つであってそのものは丸ごと渾然一体になったものです。だからこそ場として感じるのです。
場を調えるというのは、そのいのちそのもの、変化そのものを、あるいは縁起を感じることです。それがハタラキとハカライを結ぶことにつながります。
文章で書けるのはこれが限界。
これもまたじねんと神ハカライでそうなったもの。
子どもたちのいのちが自ずから発するように見守っていくために場や暮らしから保育の本願をみつめていきたいと思います。
