いのちの記憶

現在、自然農の田んぼにある豊里の稲が出穂し受精をはじめています。私たちの田んぼでは一番最後の出穂になりました。台風の影響も受け、雨も少し降り出していますから無事に受精が済むかどうかを心配しています。

この受精は、稲が種になるために必要なプロセスです。私たちの食べているお米が膨らむのは、この受精を通じて種になるから実現するものです。ここで受精することがなければお米はできず、実の入らない籾だけになってしまいます。

具体的には、稲は晴れた日の午前中に清楚な花を咲かせます。ここに花びらはありません。すると緑色の籾が開き、雄しべが伸びてきます。雄しべの花粉が風に運ばれて雌しべに受粉したら籾のカバーが閉じるという具合です。

1本の穂には約100個くらいの花が付き穂先から順番に咲いていきます。開花時間は約2時間くらいですが全部の花が咲き終わるまでに1週間くらいかかるといいます。敢えてズレることで、全部に受粉できるように調整しているのでしょう。

この時季から稲は、種を遺すためにすべての今までの生命を注ぎ込みます。種をつくるまでがそれまでの生の集大成という具合です。これを人生で例えれば、産まれてきて精一杯生きて充実した人生を送り、その成熟し実った魂をすべて種に託すのです。つまり一つの田んぼで、一つに生き切った生涯を種に注ぎ込みます。

私たちが食べているお米は、こうやって受精受粉したものが登熟してエネルギーが詰まった種になったものを食べています。

だからこそ、よい環境で自分らしくイキイキと元氣に育ってほしいと見守ります。生き物がいっぱいで澄んだ風と水、時折、困難があってもそれを乗り越えて逞しく育つような健康な稲生を安心して生きてほしいと寄り添います。

そうやってできた種は、その生き方や生きざまが宿っています。

単に食べた味だけではなく、そのお米の一生の醍醐味のようなものがお米から滲み出てきます。

私たちの五感は、単に味覚だけではなく全体を直観する偉大な感覚もあります。美味しいお米を食べて感動する時、そのいのちの記憶に触れているのかもしれません。

田んぼを育てるというのは、自己を育てるということでもあります。

引き続き、未来の子どもたちのためにも恩徳を結んでいきたいと思います。