法螺貝の呼吸

私たちは呼吸をします。この呼吸は酸素を吸っているといわれます。酸素はいわゆる古代から効率的なエネルギーとして利用されてきました。ミトコンドリアという細胞が酸素を使って糖や脂肪を燃焼させて私たちは活動します。同時に酸素は毒でもります。三によって錆びたり、老化したりさせます。

人体でもっとも酸素を使うのは脳みそだといいます。全体の2パーセントしかない脳が、約20パーセントの酸素を使います。

脳は少しの時間酸素が供給されないだけで意識障害をおこし、数分で脳死します。酸素が脳を動かす動力源です。

この酸素というものは、科学的な存在以外に氣やエネルギー、いのちを司ります。

どんな人間でも呼吸をしない人はいません。また呼吸が止まればいわゆる死んでいるということになります。この呼吸をどれくらい大切にしているか、これは自律神経をはじめ心身の調和にも大きな影響がでます。

酸素にも色々な酸素があります。

特に美しい霊山の深山にある綺麗なお水が湧くところの酸素と、大都会の酸素、砂漠や北極などの厳しい自然の酸素、どれも同じ酸素ではありません。そこには確かないのちのエネルギーや存在がありそれを呼吸することで取り入れ自分を調えます。

人が緊張したり、不安だったり、感情に呑まれたりすると呼吸が乱れます。他にも心の状態が酸素を取り入れることに影響を与えます。

呼吸が浅くなり、酸素を取り込めなくなると脳が酸欠になります。すると精神疾患やうつ病などのリスクも出てくると言います。薬ですぐに麻痺をさらに麻痺させるよりも、呼吸の仕方を甦生させたり、いのちの循環を味わったり、休息によって息を調えることを優先した方が酸素は正常に供給されていくように思います。

息ができるということは、仕合せなことです。

呼吸があるから私たちはいのちの循環を味わい、いのちが別のものに転嫁して共生関係をつくることに氣づけます。

法螺貝はこの酸素を調えるのにとても役立つ唯一無二の法具です。酸素の存在を忘れやすい現代だからこそ、法螺貝の呼吸を伝承していきたいと思います。

元氣の回復

元氣というものがあります。これは氣の流れのことをいいます。元氣があるとかないとかいいますが、実際には氣が滞りなく流れている時は元氣がよくそうではないときを元氣がないと言っているように思います。

元氣というのは、絶えず循環して氣が滞りなく自然に流れている状態です。これはお水で例えればすぐにわかります。

お水は滞ればそこから腐り始めます。あるいは澱みが出てきます。まずお水が滾々と湧き出す状態、お水が自然に流れている状態、お水がまた濾過して排出されている状態。常に身体はお水を通して血液をはじめめぐり循環を已めません。

ではどのような時に氣が滞るのか。例えば、東洋医学では感情を抑え込むとき、緊張して滞ります。また、考えすぎることも氣の流れを妨げるといいます。それに恐れや緊張、不安も同様です。他には運動不足、季節感のなさや自然のリズムから離れた生活もまた氣の滞りをつくるといいます。そして執着や固執、頑固なども同様に氣が滞ります。

シンプルに言えば、無理に力んで固くなっている状態、凝り固まっているような状況がもっとも元氣を澱ませ、氣が滞るということです。

ではどのようにしてまた氣を流すのか。それは氣楽になること、つまり肩の力を抜いてリラックスし、心身をゆるめていくことだといいます。

具体的なゆるめる実践としては、呼吸を整えること。首や肩の体操、温かいものを取り入れる、また息を吐くことを含め排出を増やすこと。自然の中に入り五感を使うことや、足裏など押し氣を落とすこと、柔らかい音楽を聴く、薬膳などで心身を癒すことなど多々あります。

力が自然に抜けている状態、自然であるがままで過ごしている時間が元氣を回復していくのには必要だということでしょう。

元氣のあるものは、自然体であるということ。自然体であるために、あらゆる我執や凝り固まり、執着や煩悩を手放していくというのは修験道の一つの境地かもしれません。法螺貝はお水に通じています。法螺貝の神秘を通して、元氣を回復する仕組みを伝道していきたいと思います。

文化づくりの要諦

世界には様々な文化があります。その文化は今でも人々の暮らしの土台となってその人々を支えています。地域という土地の文化もあれば、関係性で続いている文化もあります。組織や会社、そしてそれぞれの家庭にも文化があります。どのような文化が根付いているか、どのような文化を持っているか、それは長い歳月でとても大きな影響を与えていきます。

例えば、習慣や継続するものの中には文化ができる素地があります。

大切なことや忘れてはいけないもの、それを維持するために文化があります。

暮らしの中では、何のために生きるのか、仕事においても、何のために働くのか、つまり目的があります。その目的を忘れないでいることで文化は醸成されていきます。

その逆に目的を忘れると、単なる手段になっていきます。手段は目的があっての手段ですが実際には手段が目的に取って換わることが多いのが人間です。

経済活動においても本来は国家が成長発展するためでしたが現代では経済活動そのものが目的になっています。何のために経済活動するのかも忘れてしまい、経済競争やGDPを増やすことに躍起になっています。

手段が目的になっていくと、人間は人間性を失なっていきます。例えば、存在価値があったものが存在価値よりも重要なものが増えて単なる便利な道具になっていったりもします。手段が優先されると、いのちや存在よりも利用価値や効率がよい方が価値があるように感じるものです。

そうやって失われていった感覚は、敢えて不便さや手間暇をかける中で思い出すことができるものです。

文化というのは、この不便さや手間暇の中でも忘れてはいけないものを守ろうとするときによく育つように思います。いのちの大切さ、地球の循環の有難さ、ご縁や関係性の仕合せ、そして一緒に生きる共同体への安心など、人類が今までずっと見守られてきたものへの初心がそこにはあります。

今の時代は、さらにAIをはじめ便利な道具が急速に発展していきます。人間性が道具に追いつかないでいると、悲惨な結果を招く可能性があります。子どもたちがどのような環境で育つことが、人類にとってもっとも存在価値を育むのか。

暮らしフルネスの場づくりを通して試行錯誤していきたいと思います。

不老園のお茶

英彦山で満月の日にお水の汲んで不老園をつくり調えています。地球は太陽と月によって陰陽を調えている存在でもあります。バランスは、その両方がどのような位置、関係性になるかで変化してきます。

私たちが朝調った状態で起き、夜は休息するように生命のリズムと月と太陽のリズムは一定です。地球がどのように呼吸をして育まれているのか。科学的に証明されなくても、五感や直観でいのちの揺れの状態は理解できるように思います。

例えば、四季というものがあります。これも太陽と月と地球の関係で小さな揺れによって引き起こされます。そのリズムに合わせて、植物をはじめあらゆる動物や昆虫、微生物も変化します。まるで先にその変化を知っていたかのように、少し先回りをして準備して育ちます。これは先読みをしたのではなく、リズムを合わせているのです。

リズムというのは、振動です。

いのちには振動があり、その振動を身体に取り入れることでいのちの循環と調和します。すると、自然に心身が調ってくるのです。

満月には、満月の振動、波動があります。太陽や月や地球が螺旋を描き、銀河を旅するように私たちの身体も同じように螺旋を描いて生命を循環させています。その生命循環の記憶を心身に直接取り込むのにお水は最適な存在です。

お水はあらゆるものを溶かします。そこには時間を溶かし、波動を溶かし、記憶を溶かすこともあります。つまり同化したり透過したり、渾然一体に融和するのです。

その存在を直接、心身に入れるのは感覚の内側からリズムを調えることに似ています。

満月の不老園は、薬草たちのちから、英彦山伝統の祈りのちから、満月の太陽と月の調和、そして場のちからが宿ります。

お茶として飲んでいただくだけですが、むかしはお茶も大切な薬でした。

現代のサプリや科学的な薬とは違い、お茶は嗜好品のようになっていますが本来の深い力を秘めた存在だったように思います。防腐剤や添加物など一切用いず、天然自然のちからが宿るお水をみんなで味わい、伝統を守り健康を保っていきたいと思います。