月泉水

毎月、満月に英彦山でご祈祷をしお水を汲んで不老園を煎じています。御蔭さまで満月に合わせて生活リズムも調えることができます。常に月を意識して生きることで、心の動きを内省していくことができます。

古代より、人類は夜空の月を眺めて暮らしてきました。今では、ネオンが明々とし月を眺める機会も減っているものです。電気がない時代、暗闇が包んでいた時代は星空の中に一際、光を放つ月の存在感にいつも人類は癒されていたように思います。

日本では昔から、お月さまとお水は特別な存在として扱われたものです。この二つはどちらも汚れを洗い流し、心身を清め、甦生する象徴となりました。満月は、欠けていたものが満ちた状態であり、「完成」「調和」「再生」の象徴ともなりました。このお月さまとお水の共通点は、清めや癒し調和です。またどちらも鏡のように徳を映す性質があります。澄んだ夜空のお月さまやお水は、透明な心を澄ませる偉大な場づくりをしてきました。

英彦山で満月にお水を汲むのは、そのお水が太陽と月と地球の調和の波動が場に宿るからです。宿坊のある清らかなお水が溢れる谷は、一年中、水氣を浴びています。それだけお水の変化を感じやすく、空気をはじめ場がその時々のお水の状態を映します。そしてお水の変化が光の多様性を感じさせ景色を一変させます。お水と月の光の調和は、心の奥深いハタラキを映し出します、

東洋の医書、『東医宝鑑』では水の性質によって薬の効き方や身体への作用が変わるとし33種類の水(三十三水)があるといいます。特に薬草づくりに善いものは、井華水
、寒泉水、甘爛水、千里水(長流水)です。

これに満月の日のお山で井戸から湧くお水として新たに一つ追加し「月泉水」と命名しました。この霊泉を使い生薬を土鍋で8時間かけて抽出することで不老園は出来上がります。

そもそも科学的に証明されるものはこの世の中の数パーセントですから、実際には先人の智慧や叡智の方に不思議な霊験は宿っているものです。また現代では月を日々に意識することもありませんから暮らしを調えていくのに、月の女神と薬草の力を使っていくというだけでも十分に静かに過ごし、感謝で生きる環境が醸成されて自然のリズムに自分を合わせる助けになります。月の周期で生きるだけで、心が穏やかになっていく、また霊山のお水を身体に入れることでそのお山の清々しさや浄化を感覚で取り込んでいく。生薬は修験ではお山の女神の恩寵の一つで、植物たちの徳を活かす象徴です。

人間もまたその身体はお水でできています。お水が1パーセントなくなっただけで心身は不調になります。お水は単なる物質ではなく、いのちそのものです。だからこそそのお水を調えることで病気を未然に防ぎ、養生をしてきたのが先人の生き方だったのでしょう。

暮らしを調えることは、お月さまのリズム、そしてお水を大切に扱っていくことからはじまります。

不老長寿の妙薬とは、その自然との調和をする生き方だったのかもしれません。引き続き、丁寧に暮らしを調えて人々が安心して暮らしていける世の中を脚下の実践からはじめていきたいと思います。

道をつなぐ

人間は、ただ生きるのではなく生き方を生きるように思います。どう生きたかというものが、どう死んだかということになるのです。気が付けば、あっという間に一生は終えていきます。どの時代を思い出しても、その時々で一生懸命生きてきました。多くの方々に見守られ、身近な方々に支えられ、人生というものを紡いでいきます。

憧れたものに近づけるように努力し、そうありたいと何度も初心を握りしめて選択してきた結果として今のものがあります。なぜ今のようになったのかと思い返せば返すほど、それは自分の選択であったことは間違いありません。

吉田松陰先生に、「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」という遺言があります。このようになるのがわかっていながら、至誠や真心があるから行動しないわけにはいかなかったという感じでしょうか。

保身のために生きていたらできないことも、死をも恐れずに自分の生き方を大事にしていくという一つのお手本です。

また孔子は、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」ともいいます。朝に真理の道を學ぶのなら夕に死んでも悔いはないとも。それだけ生き方が優先できるのならそれ以上の學はないということでしょうか。

孟子は、「仰いで天に愧じず、俯して人に愧じず」ともいいます。誰が見ていなくても自分の生き方を貫くことを説きます。その生き方が自然体であり天地の浩然の氣と一体になるということでしょうか。

生き方は、真に自己の人生を生き、そして死ぬための羅針盤ということかもしれません。

最後に、二宮尊徳の言葉です。

「生きているときは人で、死んで仏になると思っているのは間違いだ。生きて仏であるからこそ、死んで仏なのだろう。生きてサバの魚が、死んでカツオになる道理はない。」

死んだら仏様や神様になることはない、生きているときに仏様や神様のような生き方をしているからそのまま仏様や神様のようになるのだ。魚のサバがカツオにはならないのと同じ、だからこそどう生きるかが大切であるということかもしれません。

生き方を日々に調えて実行するのは、己に打ち克つための実践の連続です。

しかし短い一生、長さではなくどう生きたかを常に御守りのようにしていきたいものです。子どもたちが後を続いていきますから、どうあるか、どう生きるかを道を繋いでいきたいと思います。

 

結徳の実践

この数日、アメリカから求道者が来坊され英彦山で修行をするお手伝いをさせていただきました。私は、暮らしの中で験力を磨きますから一緒に田植えをし炭火をつかって湯豆腐などを食べ、おむすびを共につくり、英彦山へ送り届けました。

彼はアメリカで鍼灸師をし、またあらゆる施術やきのこなどを用いた自律神経を調え心を癒す治療を行っています。メキシコのシャーマンとパートナーで、護摩焚きや山岳修行などを行っているそうです。

宿坊の作務をし、参道の道端のゴミを拾い、英彦山の山頂へと歩き、その後は英彦山のお水が湧く場所を祈祷してまわりました。彼が持っている法螺貝は、日本の海にあるホンビノス系の法螺貝ではなくカリブ海の大巻貝のクイーンコンチでした。Lobatus gigas(旧名 Strombus gigas)といいます。最近、日本でもピンク法螺貝といって女性に人気が出ているともいいます。

私がつくる吹螺の法螺貝は、日本の修験者が持つテングニシ科の大型巻貝、Triton’s trumpet(トリトンズ・トランペット)といい学名ではCharonia tritonisとも呼ばれるものです。

このテングニシ科の「テングニシ」という名前は、長く伸びた螺旋状の殻、先端へ向かって尖る形、大きく立派な姿が、昔の人には「天狗の鼻」のように見えたことに由来するといいます。

次回、来日する際にはこのテングニシ科の法螺貝を持ちたいと仰っていました。

お山の中で法螺貝を吹き、祈り、歩く。

それだけで人間は色々なものがそぎ落とされ、本来の自然体の感覚が甦生してくるものです。

極端な修行も感覚が目覚めますが、そうではなくてもお山で静かに暮らしているとあらゆる感覚が甦生してきます。それだけ都会や下界の環境は感覚を鈍らせ、頭でっかちに生活させるような仕組みになっているものです。

験力というものがありますが、これは修行によってられる本能の力のようなものです。

直感が冴えわたり、自我が調和し、思考が透明になり心が落ち着きます。

いのりが天に通じやすくなり、運氣が高まります。

人生の節目に、霊峰に来て祈り歩く。

この行為は、太古のむかしから人類が忘れてはいけない初心を思い出すための智慧としてこの時代にまで伝承されてきたものです。そして田を耕し人が天地と結ばれるように、山を歩くことで天地と人が結ばれます。

山伏の本来の本志は、「結徳の実践」ともいえます。

お山と人を結ぶ、天地を結ぶ、山と海を結ぶ。

それが私が五百羅漢の法螺貝を英彦山で伝承し続ける理由です。

至誠は天に通じます。

それは結ぶことからはじまるのでしょう。

日々の法螺貝の音を響かせながら、お山に深く入っていこうと思います。

心身の修養

場づくりというものは、私にとっては「耕す」ことです。二宮尊徳は心田開発という言葉の中でこのように話します。

「我が道は先づ心田の荒蕪を開くを先とすべし」

心の中に田んぼがある、そしてその心の田んぼを耕していくことからはじまるということ。そもそも田んぼというものは、荒れた田んぼでは稲は実りません。その田んぼで稲が実るには、その田んぼのお手入れをしていかなければなりません。

雑草をとり、土をほぐし、水を入れ、それを日々に見守るという行為が耕すということです。私はこのことを田んぼの場づくり、田んぼのお手入れという言い方をします。つまりは、育つ環境を調えていくということでもあります。

そもそも育つ環境というのは、安心の環境です。安心する環境は、心を寄せてその種が安心して自分らしく育っていくように場づくりからはじめる必要があります。

深い愛情や見守り、そして手間暇を惜しまず関わります。何もしないで無視していたら、また荒れた田んぼになります。荒れるというのは、人が関わらない、人間が接しない野生の場所に帰るということです。

野生の場所というのは、人間がいない場所。本来は野生の中に人間も一緒にいて自然と人間は呼んでいます。自然と人が共生していく中にあるものが「田んぼ」ということになります。

だからこそ、その田んぼを維持していくためには人間は自己に打ち克ち、修己治人の学問をし、具体的に場をお手入れし続けて耕し続ける実践を継続していく必要があります。

つまり田んぼを守るためにも、人間性を育てていくことの両輪があってはじめて田んぼとなるのです。田作りというのは、人づくりというのはその両方とも不可分で心と体の関係に似ています。

心を守ることは体を守る事、体も心も一体になっていることで道は続いていくということ。

人の道は、まず己に克つこと。

田んぼは己に克つための道場ですから、これからも田んぼの実践から内省し心身を修養していきたいと思います。

天地を結ぶ稲光

残りの無農薬のむかしの五穀田に苗を植えました。アメリカからの医師も隣家の友も参加して無心になって田植えをしました。民謡を唄いながら、御蔭様で心地よい雨と風に包まれ楽しいひと時を過ごすことができました。

夜には雷鳴が聴こえ、稲妻が天から降ってきました。

むかしから古代の人々は稲妻は稲の伴侶とされ、大切な存在として崇めてきました。世界では雷は雨をもたらす神様として祈りますが、日本では稲妻と呼び、夫婦和合の存在としていのります。

妻と書くと今では女性を顕しますが、もともと古語のでは「つま」は男性の「夫」と書いてもつまと呼びます。つまり人生を共にする相手、対になるもの、伴侶のことをいいます。

雷が鳴れば、稲が子を孕むと信じられてきました。山が水を産むように、大地が植物を産むように、雷が稲のいのちを産むと信じられてきました。現代の科学では、雷がなることで空気中の窒素が土壌に入るということもわかってきました。天然自然の肥料となって稲を育てます。

また稲魂(いなたま)という言葉もあり、雷が稲魂を目覚めさせると信じられてきました。光が魂を揺さぶり、稲が覚醒するという具合です。

雷は電気の放電現象を示しますが、稲妻は「光」そのものを顕します。つまり稲光が稲魂を結ばれるということです。それが夫婦和合の瞬間ということだったのかもしれません。

よく恋愛でも、出会った瞬間に雷が走ったなどと表現する人もいますがこれも一期一会の稲妻との邂逅のことを表現したのかもしれません。

光は目覚めの象徴、天からの光が田の神を覚醒させるという天地の結婚という理解だったのでしょう。

雨を通して私たちは天と地が交わります。

雨の中、水田の泥に素足で入れば天地と結ばれる感覚を味わえます。そこに自分の分身とも言える早苗を植えていく。私たちが食べているお米は、天地が育んでいることを素直に実感できるものです。

田んぼは、いのちを學ぶ大切な「場」です。

結ぶということが何か、なぜ田植えの仲間のことを「結」と呼ぶのか。実践すれば、伝承は懐かしい記憶と共に到来します。

天地を結ぶ稲光とともにこれからの季節の見守りを楽しみにしています。

むかしの五穀田 早乙女

むかしの五穀田で無事に仲間たちと一緒に御田植祭を実施することができました。雨も心地よく、和気藹々と田んぼの中で神人神楽の一期一会の一日になりました。

現代は、ほとんど田植え機を使い一人で田んぼで田植えをしますがむかしは共同体の存在があり、『結』というものを形成してみんなで田植えをしました。田植えは単なる農作業ではなく、まさに一生の一大事の神事として田の神様の神域でみんなで仕合せを味わう時間でした。

昨日は、朝から旬の供物を捧げ岩笛、法螺貝を立て、お田植の祝詞を奏上して紅い菅笠の早乙女が田んぼに入り丈夫でよく育った在来種の稲の早苗を田に植えました。

早乙女はまさに田の神様の依り代として田と稲霊が宿ります。早乙女が神事を通じて美しい棚田と霊山の風と雨をうけ神々しい場をつくります。私たちもその後ろで一緒に田んぼに深い感謝のいのりを捧げました。

田んぼは「場」になります。

そもそも早乙女という存在は、日本人が自然を神として敬い、いのちの循環を祈りながら生きてきた精神文化そのものを体現しています。お山の恵みを田と人の暮らしへと結ぶために山の神を迎え、田の神に仕え、家の繁栄をいのり、神と人を神聖な稲苗を通して田と結びます。そして神事に参加する仲間たちもまた神人和楽で田と結びます。

田植えの最中に私が法螺貝を吹いて植えるのは理由があります。古代から先人たちはお山はお水を産み、杜を育み、その恵みが田を潤すと信じられてきました。今のように山岳信仰と農耕文化は分けてはいませんでした。

また早乙女が女性なのは女性は子を宿し、新しい命を生み出す存在であり、その生命力が稲を育てる力と重なるとむかしの人々は信じていました。まさに早乙女は五穀豊穣と甦生の象徴です。田植えこそそのいのちを芽吹くハレの日の大切な神事でした。だからこそ晴れ着を着て、お田植唄を唄い、田植え後の直会ではみんなで喜びあい和来ました。早乙女が紅い菅笠や白い衣装を纏うのは神様を迎える装束なのです。

五穀豊穣の神事とは、まさに喜びの場づくりです。いつもいただいているお米は、単なる栄養素ではなくそのプロセスもまた元氣の源泉になります。お米の美味さはいのちや心も喜ぶなかにこそあります。

私たちのむかしの五穀田という場には、「むかし」があります。

むかしの日本の俳句や和歌にもこの早乙女やお田植のことが詠まれます。

松尾芭蕉はこう詠みます。

「早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺」

私の意訳ですが田植えの原初の風景を早苗をもつ早乙女の手元を観ると、なぜか懐かしい記憶がおぼろげにもはっきりと心の原風景に甦ってくるということ。田植えは私たちの先祖が2000年以上続けてきた稲作の真心の伝承なのです。

そしてもう一つ、好きな俳句に明治生まれの俳人、飯田蛇笏の俳句があります。

「早乙女や 神の井をくむ 二人づれ」

早乙女が、神と人と二人で美しく澄み切った神様の泉のお水をくみ上げながら協働していのちの場を醸成していく姿。

日本人として、失いたくない風景をこの和樂の場から甦生していきたいと思います。

暮らしフルネスを通して一年一生のいのちの循環を引き続き、早乙女たちと子どもたちに繋いでいきたいと思います。

雨ニモマケズ 大丈夫

この数日、大雨が降っています。そもそもこの雨は、私たちの暮らしには決して欠かせない大切な存在です。かつて人類は、天から降ってくる雨を信じて祈り続けてきました。

降らなければ干ばつをおこし、降りすぎると洪水がおきます。

今日は、お田植祭ですが九州北部は警報級の大雨予報が出ています。こんな時は、宮沢賢治の手帳のメモにある「雨ニモマケズ」の詩を思い出します。

「雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち 欲はなく決していからずいつも静かに笑っている 一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを自分を勘定に入れずによく見聞きしわかり そして忘れず野原の松の林の陰の小さなかやぶきの小屋にいて 東に病気の子供あれば行って看病してやり 西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば行って怖がらなくてもいいと言い 北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろと言い 日照りのときは涙を流し 寒さの夏はオロオロ歩き みんなにでくのぼうと呼ばれ 褒められもせず苦にもされずそういう者に私はなりたい 南無無辺行菩薩 南無上行菩薩 南無多宝如来 南無妙法蓮華経南無釈迦牟尼仏 南無浄行菩薩南無安立行菩薩」

この負けないというのは、「丈夫」でいること、そのためにどう生きるかということを書いているように思います。

この「丈夫(じょうぶ)」という言葉は、「健やかであること」や「強くて健康であること」をいう言葉です。身体的な健康だけでなく、精神的な安定や強さを含む言葉です。健康で長寿、心身が安定して穏やかであること。

また「大丈夫(だいじょうぶ)」の意味はもともと仏教由来で「偉大で立派な人」を意味します。語源は古代インドのサンスクリット語「マハー・プルシャ」にあり、「マハー」は『偉大な』、「プルシャ」は『人』や『一人前の男子』です。つまり迷いを超え真理を悟った「仏さま」という意味です。

つまりどんな時でもしっかりしていこうというのが、雨ニモマケズの本意なのかもしれません。この詩は法華経の解釈ともいわれます。

お田植祭は、尊敬する禅僧からの偈文も読経します。

合わせて神崎神社の宮司さまから伝承いただいたお田植祝詞を奏上します。

ご縁をいただき、大丈夫と見守ってくださっている存在に感謝しつつ、弁財天のご加護と田の神さまの縁日に元氣ないのちを田と和合し神人和楽を味わっていきたいと思います。

地縁の甦生

いよいよ田植えがはじまり、これから草取り作業に入ります。田んぼはどのような生き物も元氣に見守りますからお米だけでなく他の草草もたくさん育ちます。自然農をはじめて最初の頃を思い出すと、よく育っていると遠目に見ていたら実はほとんどお米に似た別の作物だったということもありました。

擬態といってよく似た植物たちがお米の周囲に育っていきます。例えばノビエというものがあります。しかしよく観察するといくつかの違いがあります。それを見分けられないと、草取り作業はできません。

私の場合は葉の付け根にある葉耳(ようじ)と葉舌(ようぜつ)見て判断します。髭のようなものがピンとイネの節に生えています。他にも節目に舌のようなものが伸びています。ノビエにはありません。

後は近づて触ってみたときに、明らかに葉が硬め株も横に大きく広がっています。遠目ではほとんど見分けはつきませんが触ればすぐにわかります。江戸時代の農家も田んぼに出てはよく観察し、稲と違う育ち方をする雑草を早めに取り除くことを大切にしていたといいます。

江戸時代に郷里で農業全書という日本最古の農業書を書き記した人がいます。貝原益軒と共に故郷の偉人の一人です。この人物は江戸時代前期の農学者ですがもともとは武士の家に生まれていますが農民の生活や田畑の技術を長年調べました。そして農家の経験だけでなく、実際に田畑を見て学ぶことが大切だとし各地の農業の方法を調べ、農民から話を聞き、自分でも農作業を研究した人物です。どの時代も、思想と技術は両輪です。

農業全書の中にはこういう言葉がります。

「老農は草を見ずして草を取り 中農は草を見て草を取り 下農は草を見ても草を取らず」

意訳ですが優れたベテランの農家は草の芽が頭をのぞかせるかどうかぐらいのタイミングで土を動かして草を枯らし取り除く。そして普通の農家は、草が生えたときに草をみて草を取り除く。残念な農家は、草が生えても一向に取ろともしない、気づかないということでしょう。

これは単なる草取りの話ではなく、人間の欲望や会社の経営にも通じるものがあります。田んぼの草取りができて自立した農者として一人前ということでしょう。問題に早めに気づき取り除く人には問題はありません。問題は発生してから、あるいは放置したとき問題になってしまうのです。

これは病気の未病とも関係が深く、人間全般に通じる智慧です。

他には「時を失わず、手をゆるめず」という言葉、そして「少しの怠りより大きなる損を生ず」ということも記されています。

自然の中で生きるということは、まず深く自然をよくよく観察し、正しい時期に、丁寧に日々にお手入れをし心手をかけることが大切であるということでしょう。

田んぼは稲を育てているのではなく、人間を育てているともいえます。田んぼに入ることは、人間性を磨くことにもつながります。むかしは学校を休んで子どもたちは田んぼの手伝いをしていました。学校もそれを認めていました。それは田んぼがただのお手伝いではなく、それ自体が人間の真の教育にもつながっているという実感があったからかもしれません。

郷里では50年間、小学校や幼稚園に田んぼを提供して体験を伝承している農家さんもいます。先週、お田植祭の直会でご一緒しましたが私もその田植えを体験した子どもの一人です。

長い歳月を経て、地縁の場が甦生します。

歴史に学び、明日はお水の溢れる巳の日の田植えを学び楽しみたいと思います。

暮らしと心身の健康

昨日は無事に英彦山の守静坊で夏至祭を実施することができました。宿坊周辺のお掃除やお手入れの作務にはじまり、法螺貝を磨き、夏至に因んだものを調理しみんなで囲炉裏を囲んでお昼を食べました。その後は、仙人と一緒に供養の本質を学び直し、いのり読経し、瞑想をしました。不老園のお茶を飲み、お水まんじゅうをみんなで味わい法螺貝を立てて太陽の光を浴びながら御祈願しました。

ゆったりと夏至の時間を共にいのり味わう。場によって癒され疲れがとれまたエネルギーが漲ります。健康というものは、心身の調和に由ります。心の健康は暮らしの中に存在します。

日本の文化にはハレとケという考え方があるといいます。簡単に言えば非日常と日常という言い方もします。現代は、ハレが日常でケが非日常になっています。つまり本来の日常が失われ、非日常だったものを日常のように過ごしているのです。人間中心の人間都合の時間軸やスケジュールですべて動いています。毎日入ってくる情報は、ほとんど人間だけで切り取られた目先の問題のことばかりで心が休まりません。忙しいという言葉が出ないほど、忙しいことが日常になっています。

残念なことにここに本来の「暮らし」はほとんどありません。

本来の暮らしとはどのようなものか、それは自然との共生や調和があってその循環に人間が寄り添い安心するものです。

心身の休息は、五感を通じて自然を味わう中に存在します。自然の中の人間性を快復していくのは「場を調え、間をつくり、和が訪れるのを静かに見守る」時にこそ実感できるものです。

先人たちは、まさにそのことをそれを「暮らし」としました。

忙しくなることはあっても、暮らしは失わない。どんなにハレがあってもケは守り続ける。それがハレとケのバランスであり調和だったのではないかと私は思います。

夏至は太陽と地球、宇宙のリズムに和合していく暮らしです。朝に目覚めの太陽に溌剌と手を合わせ、夕に沈む太陽に内省して拝む。太陽を感じながら一年の巡りを調えていく。心身は元氣になり太陽の光の中に包まれていく感覚が得られるものです。

子どもたちに何が遺し譲れるか、それは私はこの「暮らし」そのものではないかと実感します。学びは教科書や文字からだけ学べるものではなく、暮らしから感覚を通して自学自悟することによってのみ伝承されるように思います。

引き続き、暮らしフルネスの実践を通して場の大切さを伝承していきたいと思います。

 

陽の徳

本日は、夏至祭を霊峰日子山の守静坊で行います。この夏至祭は新たに甦生した祭祀の一つです。

もともと英彦山は、古代より太陽のお山として大切に守られてきた存在です。お山で過ごしていると光の煌めきの強さやぬくもり、お水と呼応して清浄なイヤシロチの場に包まれます。

夏至の時がもっともそのお力が漲り、この時に英彦山で過ごすと言いもしれない元氣や浩然の氣が湧いてきます。

古代の人たちは、太陽をどのように観ていたかを想像してみるといのちには欠かせない唯一無二の存在に思っていたように思います。木々をはじめ植物たちは太陽と地球や月の関係性とリズムでいのちがゆりかごのように育まれます。そして太陽の力がもっとも陽のときいのちは最高潮になり、もっとも陰のときに弱まります。まさに「生死」の根源を顕現しているのが太陽の存在です。

地球上でこの日に祭祀を行うのは、古代の人たちが太陽と共に生き、太陽と共に暮らしてきたことの証明でもあります。それは神話の中でも伝承されているものです。

時代が変わっても、どんなに環境が変わっても、私たちの身体は太陽の運行にあわせて調っています。かつて時は、太陽の時間を顕していました。太陽があるから私たちは生きられ、太陽の御蔭様で存在しているからこそ太陽の時に調和していこうとするときいのちはその恩恵に感謝を実感するように思います。

朝起きて、太陽が山から昇ってくる光景を眺めいのります。

すると、周辺のすべての植物たちをはじめ鳥や虫たちそして大地は照らされいのちが活き活きと躍動していきます。お水に乱反射してキラキラと徳やいのちを引き出します。

夏至は、太陽の徳をもっとも感じる大切な一日。

同じ太陽を観ても、どう観るか、誰と観るか、どこで観るかでその太陽はまったく別の存在となります。

だからこそ私は場を守り、夏至祭を日子山で実施することにしています。

場は単なる場所ではなく、かつては感覚を覚醒させる唯一無二の智慧でした。

日子のお山は太陽をはっきりと実感できるいのちの甦生の場です。

まだ夏至祭を甦生して3年目ですが、太陽の徳に報いる仕合せを感じています。

皆様にとっても素晴らしいいのちの甦生する夏至になりますよう、日子山から心穏やかに静かにいのります。