昨日は無事に英彦山の守静坊で夏至祭を実施することができました。宿坊周辺のお掃除やお手入れの作務にはじまり、法螺貝を磨き、夏至に因んだものを調理しみんなで囲炉裏を囲んでお昼を食べました。その後は、仙人と一緒に供養の本質を学び直し、いのり読経し、瞑想をしました。不老園のお茶を飲み、お水まんじゅうをみんなで味わい法螺貝を立てて太陽の光を浴びながら御祈願しました。
ゆったりと夏至の時間を共にいのり味わう。場によって癒され疲れがとれまたエネルギーが漲ります。健康というものは、心身の調和に由ります。心の健康は暮らしの中に存在します。
日本の文化にはハレとケという考え方があるといいます。簡単に言えば非日常と日常という言い方もします。現代は、ハレが日常でケが非日常になっています。つまり本来の日常が失われ、非日常だったものを日常のように過ごしているのです。人間中心の人間都合の時間軸やスケジュールですべて動いています。毎日入ってくる情報は、ほとんど人間だけで切り取られた目先の問題のことばかりで心が休まりません。忙しいという言葉が出ないほど、忙しいことが日常になっています。
残念なことにここに本来の「暮らし」はほとんどありません。
本来の暮らしとはどのようなものか、それは自然との共生や調和があってその循環に人間が寄り添い安心するものです。
心身の休息は、五感を通じて自然を味わう中に存在します。自然の中の人間性を快復していくのは「場を調え、間をつくり、和が訪れるのを静かに見守る」時にこそ実感できるものです。
先人たちは、まさにそのことをそれを「暮らし」としました。
忙しくなることはあっても、暮らしは失わない。どんなにハレがあってもケは守り続ける。それがハレとケのバランスであり調和だったのではないかと私は思います。
夏至は太陽と地球、宇宙のリズムに和合していく暮らしです。朝に目覚めの太陽に溌剌と手を合わせ、夕に沈む太陽に内省して拝む。太陽を感じながら一年の巡りを調えていく。心身は元氣になり太陽の光の中に包まれていく感覚が得られるものです。
子どもたちに何が遺し譲れるか、それは私はこの「暮らし」そのものではないかと実感します。学びは教科書や文字からだけ学べるものではなく、暮らしから感覚を通して自学自悟することによってのみ伝承されるように思います。
引き続き、暮らしフルネスの実践を通して場の大切さを伝承していきたいと思います。
