地縁の甦生

いよいよ田植えがはじまり、これから草取り作業に入ります。田んぼはどのような生き物も元氣に見守りますからお米だけでなく他の草草もたくさん育ちます。自然農をはじめて最初の頃を思い出すと、よく育っていると遠目に見ていたら実はほとんどお米に似た別の作物だったということもありました。

擬態といってよく似た植物たちがお米の周囲に育っていきます。例えばノビエというものがあります。しかしよく観察するといくつかの違いがあります。それを見分けられないと、草取り作業はできません。

私の場合は葉の付け根にある葉耳(ようじ)と葉舌(ようぜつ)見て判断します。髭のようなものがピンとイネの節に生えています。他にも節目に舌のようなものが伸びています。ノビエにはありません。

後は近づて触ってみたときに、明らかに葉が硬め株も横に大きく広がっています。遠目ではほとんど見分けはつきませんが触ればすぐにわかります。江戸時代の農家も田んぼに出てはよく観察し、稲と違う育ち方をする雑草を早めに取り除くことを大切にしていたといいます。

江戸時代に郷里で農業全書という日本最古の農業書を書き記した人がいます。貝原益軒と共に故郷の偉人の一人です。この人物は江戸時代前期の農学者ですがもともとは武士の家に生まれていますが農民の生活や田畑の技術を長年調べました。そして農家の経験だけでなく、実際に田畑を見て学ぶことが大切だとし各地の農業の方法を調べ、農民から話を聞き、自分でも農作業を研究した人物です。どの時代も、思想と技術は両輪です。

農業全書の中にはこういう言葉がります。

「老農は草を見ずして草を取り 中農は草を見て草を取り 下農は草を見ても草を取らず」

意訳ですが優れたベテランの農家は草の芽が頭をのぞかせるかどうかぐらいのタイミングで土を動かして草を枯らし取り除く。そして普通の農家は、草が生えたときに草をみて草を取り除く。残念な農家は、草が生えても一向に取ろともしない、気づかないということでしょう。

これは単なる草取りの話ではなく、人間の欲望や会社の経営にも通じるものがあります。田んぼの草取りができて自立した農者として一人前ということでしょう。問題に早めに気づき取り除く人には問題はありません。問題は発生してから、あるいは放置したとき問題になってしまうのです。

これは病気の未病とも関係が深く、人間全般に通じる智慧です。

他には「時を失わず、手をゆるめず」という言葉、そして「少しの怠りより大きなる損を生ず」ということも記されています。

自然の中で生きるということは、まず深く自然をよくよく観察し、正しい時期に、丁寧に日々にお手入れをし心手をかけることが大切であるということでしょう。

田んぼは稲を育てているのではなく、人間を育てているともいえます。田んぼに入ることは、人間性を磨くことにもつながります。むかしは学校を休んで子どもたちは田んぼの手伝いをしていました。学校もそれを認めていました。それは田んぼがただのお手伝いではなく、それ自体が人間の真の教育にもつながっているという実感があったからかもしれません。

郷里では50年間、小学校や幼稚園に田んぼを提供して体験を伝承している農家さんもいます。先週、お田植祭の直会でご一緒しましたが私もその田植えを体験した子どもの一人です。

長い歳月を経て、地縁の場が甦生します。

歴史に学び、明日はお水の溢れる巳の日の田植えを学び楽しみたいと思います。