天地を結ぶ稲光

残りの無農薬のむかしの五穀田に苗を植えました。アメリカからの医師も隣家の友も参加して無心になって田植えをしました。民謡を唄いながら、御蔭様で心地よい雨と風に包まれ楽しいひと時を過ごすことができました。

夜には雷鳴が聴こえ、稲妻が天から降ってきました。

むかしから古代の人々は稲妻は稲の伴侶とされ、大切な存在として崇めてきました。世界では雷は雨をもたらす神様として祈りますが、日本では稲妻と呼び、夫婦和合の存在としていのります。

妻と書くと今では女性を顕しますが、もともと古語のでは「つま」は男性の「夫」と書いてもつまと呼びます。つまり人生を共にする相手、対になるもの、伴侶のことをいいます。

雷が鳴れば、稲が子を孕むと信じられてきました。山が水を産むように、大地が植物を産むように、雷が稲のいのちを産むと信じられてきました。現代の科学では、雷がなることで空気中の窒素が土壌に入るということもわかってきました。天然自然の肥料となって稲を育てます。

また稲魂(いなたま)という言葉もあり、雷が稲魂を目覚めさせると信じられてきました。光が魂を揺さぶり、稲が覚醒するという具合です。

雷は電気の放電現象を示しますが、稲妻は「光」そのものを顕します。つまり稲光が稲魂を結ばれるということです。それが夫婦和合の瞬間ということだったのかもしれません。

よく恋愛でも、出会った瞬間に雷が走ったなどと表現する人もいますがこれも一期一会の稲妻との邂逅のことを表現したのかもしれません。

光は目覚めの象徴、天からの光が田の神を覚醒させるという天地の結婚という理解だったのでしょう。

雨を通して私たちは天と地が交わります。

雨の中、水田の泥に素足で入れば天地と結ばれる感覚を味わえます。そこに自分の分身とも言える早苗を植えていく。私たちが食べているお米は、天地が育んでいることを素直に実感できるものです。

田んぼは、いのちを學ぶ大切な「場」です。

結ぶということが何か、なぜ田植えの仲間のことを「結」と呼ぶのか。実践すれば、伝承は懐かしい記憶と共に到来します。

天地を結ぶ稲光とともにこれからの季節の見守りを楽しみにしています。