「山林(川)は国の本なり」という言葉があります。これは江戸時代の経世家、思想家、陽明学者でもあり当時の治水山林事業の第一人者でもあった熊沢蕃山のよく使う言葉です。
これはお山こそが国の根本であるという意味です。それ以外は末であるということです。まさに本末転倒は、どの時代でも発生するものです。それが人間の特性や欲望、視野狭窄になってしまう部分です。
私はこの熊沢蕃山を深く尊敬していて、この人物のことを深めたときがあります。中江藤樹との問答も大好きですし、後世には吉田松陰にも大きな影響を与えたといいます。
この山林(川)は、国の本なりと熊沢蕃山が著書で述べたところをいくつか抜粋します。
「それ山林は国の本なり。春雨五月雨は天地気化の雨に候。六七月の間には気化の雨はまれにして、夕立を以て田畠を養へり。夕立は山川の神気のよく雲を出し、雨ををこすによれり。山は木ある時は神気さかんなり。木なきときは、神気おとろへて、雲雨ををこすべきちからすくなし。」
この神氣というのは、まさにお山が産み出す循環のことです。それが国の根本であるとします。
「山川は国の本なり。近年山荒、川浅くなれり。是国の大荒なり。昔よりかくのごとくなれば、乱世となり、百年も弐百年も戦国にて人多く死し、其上軍兵の扶持米難儀すれば、奢るべき力もなく、材木・薪を取る事格別すくなく、堂寺を作る事もならざる間に、山々本のごとくしげり、川川深くなるといへり。乱世をまたず、政にて山茂り川深くなる事あらんか。」
ここでは経世済民と自然との共生こそ国の根本であるといいます。
「当時国に深山多もち給ふ大名は、山の運上多して一旦はよきやうなれども、山をもち給ふことは大事のもの也。山川は天下の源也。山又川の本也。古人の心ありてたて置し山沢をきりあらし、一旦の利を貪るのは子孫亡ると也。国中こぞりてかくのごとくなれば、天下の本源すでにたつに近し。」
お山の自然資本の元本を食いつぶすことが如何に危険なことか、自然の自然回復力や再生力を超えて目先の利益を追いかければ世の中の循環は絶えてしまうと。
「日本国中山つき変ぜば天下乱るべし。今山林つき、沢埋れたるは五行かけ五臓破れたるがごとし。ことごとく尽て変ずるといふ道理はなし。十に七八尽て、ようよう九つに至らんとする時、天下乱るべし。」
山林が壊れたら、心身が壊れるのと同じになると。自然の循環は少し崩れ出したら加速度的に崩れると。だからこそ、お山が天下の根源であるといいます。
つまり国があるのは、お山があるからでそれが破壊すれば自ずから国も亡びると説きます。これは非常に偉大な洞察であることがわかります。
今の時代は、どこから環境問題に関わればいいかとそれぞれに学者は述べます。しかし、よくよくお水の流れや循環を辿り洞察するとそれは「お山」からであることは一目瞭然です。
源流から治していかなければ、循環は調いません。
自然の快復力を最大限活かし、地球が喜ぶようにお水が見事に生態系全てを丸ごと循環して浸透していくように場をつくること。ここからです。
私が熊沢蕃山を尊敬するのは、天地自然を丸ごと師匠として學ぶ生き方と姿勢です。まさに徳が循環するということがどのようなことかを自明自覚されていました。
最後にこういいます。
「其本をよくせずして、末にての才覚は何としてなるべく候や。」
意訳ですが、根本根源を治さずに末端でいくら能力を出してもどうして問題が解決するのかと。「川だけ(部分最適)だけで観ず、上流のお山(根源)を見よ」という声ではないかと。
ということで、明日から妙見神社境内とお山の診断、そして明後日の山の日は霊峰英彦山の守静坊にて仙人苦楽部を開催します。
経世済民や徳積循環を実践する同志、仲間たちとどのように大地を再生することでお水が循環するかを仙人と共に學びます。
