むかしの五穀田は、無肥料無農薬の自然農で取り組んでいるためたくさんの生き物たちが田んぼで生活しています。日々に田んぼの見回りをしていると、あらゆる昆虫たちや水中生物たちに遭遇します。多種多様なもの、また大小さまざまなものがいて生き物観察が大好きな自分には好奇心の宝庫です。
昨日は、掌ほどのショウジョウバッタやゲンゴロウの幼虫、ミズスマシなどを見かけました。お水をかけ流して循環を保つ工夫をしましたが、御蔭でたくさんの生き物たちが増えていきました。
ゲンゴロウなどは現代では絶滅種になり、当たり前にいるはずだった田んぼでも最近では見かけなくなっています。その理由は、農薬や人工的な田んぼの環境が影響を与えたといわれます。
単に昆虫たちや生物は農薬が田んぼに入ったから生きものが生きられなくなるわけではありません。毒によって生き物全てが全滅するイメージもありますが、ある特定の生き物にだけ作用する毒であったり、植物には影響がないような仕組みでつくられている農薬もあります。
しかしなぜ農薬を用いたら田んぼの生態系があっという間に貧しくなるのか、その理由をよく洞察するとその行為が生命の循環を途絶えさせ、いのちのつながり分断するところに原因があることがわかります。田んぼではまず藻や微生物を小さな生きものが食べ、その小さな生きものをヤゴやゲンゴロウが食べ、さらにカエルや鳥へとつながる、無数の関係によって成り立ちます。
そこに農薬が入ると、まず薬剤に感受性の高い昆虫、甲殻類、藻類などから減っていきます。すると、それらを餌にしていた生きものも生きにくくなります。さらに捕食者が減れば、今度は一部の生きものだけが増えていき田んぼ全体の均衡が崩れはじめます。つまり特定の虫を駆除したつもりが、お互いに共生しあっている生き物たちの生命のつながりを断裂させてしまうことになるのです。
生態系というのは、「すべて共生と貢献で循環」をしています。その象徴としての田んぼは、多くの生きものがそれぞれの役割を果たすことで自ら均衡を保つ場です。その一部が失われると次の生命へ渡されていたものが渡らなくなり、循環そのものが細くなって最後には関係が失われます。この関係性の消失が絶滅の本質です。
人間の一部の都合によって、特定の自然の循環の何かを止めてしまう。それが小さな分断や生命のつながりを弱くして関係が終わる。無縁社会とも私が呼ぶものです。人間社會もまた、これと似たようなことが起きているように感じるのは私だけではないはずです。
だからこそ、生き方として子どもたちにどのような未来や環境を譲り遺していきたいかを真摯に正対すると自然の田んぼの中で一緒に生態系の関係性を甦生させていきたいとこの「むかしの五穀田の甦生」に取り組んでいるということです。
短期的にみて恩恵を受けるということはたくさんあります。しかしその短期的な恩恵は、結局は視野狭窄にし短絡的に今だけ乗り切ればという発想になり対処療法の連続になります。
田んぼであれば、人間にとってデメリットが出たらすぐに対処療法しているうちに田んぼの生態系が自然に保ってくれていた均衡が崩壊して、その対策に必要なお金だけが不自然に大量にかかるという状態になるのに似ています。
自然に任せるというのは、余計なことをしないということです。
余計なことというのは「循環を切らない」ということです。
そろそろ人類は、環境問題をはじめ社会問題の本質に氣づくタイミングであろうと思います。関係性というものは、今を見直し身近な小さなところからも甦生できるものです。
こんな一つの田んぼの小さな改善ごときで人類や世界の何が変わるのかと思うかもしれませんが、循環というのは誰でもはじめはみんなほんの小さな関係性の甦生からはじめていくのです。
保育の領域も、場の領域も関係性を調えてこそいのちが健全に育つもの、つまり循環の根源の要諦は一つです。
引き続き、身近なむかしの五穀田の甦生を通して學びに来る方々と共に実践を通して世界を豊かに愉快に易えていきたいと思います。
