自然界ではそれぞれの生存戦略というものがあります。どのように共生し補完し合うことで生き残るか、あらゆるいのちがお互いの持ち味を活かし、そしてお互いに分け合い循環して生命は循環を続けています。そこには確かな生き物たちの暮らしがあり、数千年、あるいは数万年も同じように連綿と続けて継続され戦略は保たれています。
では人類はどうでしょうか。人類もその土地に適応してあらゆる文明が産まれまた文化が興りました。長い時間の中で人類同士の争いが発生したことで統合されたり分離したり、あるいは滅亡を繰り返しながら今があります。
かつての遺跡などを調べていると、その時代の人々の息遣いがあります。場所や道具、そして文字や建造物からその時々の人々の意識や暮らしが観えてきます。
そもそもこの意識や暮らしというものこそが、この文明や文化の本質でもあります。
歴史的建造物があったとしても、そこに暮らしがなければただの古いむかしの建物です。またいくら道具が遺っていても使い方もわからければ失われた技術というものになります。
私が暮らす古民家などでも、かつての懐かしい道具があります。使い方がわからなければそれはディスプレイのように飾るだけのものになります。そこにかつての暮らしが甦生されたら道具たちも本来の姿に回復します。
例えば、日本ではいのちを活かすような道具がたくさん発明されました。大量生産大量消費のような道具ではなく、いのちそのものが失われないような道具を使って暮らしを調えてきました。
ここには、いのちを尊び、大切にいただくという意識が宿ります。
意識と暮らしというのは、分けられるものではありません。本来、意識が暮らしをつくり、暮らしが意識を継続させていくのです。
だからこそ、今の時代もそれが失われないことが日本文明や文化を維持することであり長く子孫まで生き残るための大切な戦略の伝承になっていくのです。
暮らしフルネスは、まさに温故知新した意識と暮らしということです。
引き続き、場を調えて暮らしフルネスを次世代へと繋いでいきたいと思います。
