草莽崛起

歴史を学ぶ中で志が受け継がれていることを感じるものです。現代の様々なものは、かつて志を立てた人がいて、それを後世の人たちが引き継ぐことでカタチになっているとも言えます。それにこれからもまた、その志を受け継ぎ偉大なことが実現するときまで誰かが顕れ継承されていくのです。

わかりやすいものは、明治維新のころの松下村塾です。吉田松陰もまた、先人たちの遺志を継いで志を立てましたがその志は塾生たちによって実現していきました。また塾生たちが出会った人物たちもその志に触れ志を立てて参画し継承していきました。

たとえば、松下村塾の塾生に久坂玄瑞という人物がいます。この人物は禁門の変によって若くして亡くなりましたが坂本龍馬、西郷隆盛、高杉晋作など多くの志士たちに多大な影響を与えました。彼の死によって、志士たちはその遺志を分け合い後を引き継ぎ事を為す原動力にしていきました。

このように志は、志士によって醸成され、それは継承されることでさらに発達発展を遂げていくのです。代を積み重ねるたびに力が増していくのです。自分の代だけで簡単に終わってしまうものは志ではなく、死してなおそれが受け継がれていくようなものを持つことが志ともいえるのです。

「今自分の胸にあるのは、病人を治す処方ではない。天下を治療する処方である」

これは久坂玄瑞が松下村塾で立てた志です。もちろんこれは吉田松陰に出会うことで、志に出会ったのです。そしてその志は次第に草莽崛起という言葉に発展していきます。

「大名や公家はあてにならない。本当に力を発揮するのは草莽の志士の連中だけだ」

そして久坂玄瑞が亡くなったのち、高杉晋作や坂本龍馬、西郷隆盛をはじめ多くの志士たちが同時に立ち上がり草莽崛起を実現していくのです。

この草莽崛起という言葉は、まさに志士たちのためにある言葉です。久坂も「私の志は、夜明けに輝く月のほかに知る人はいない」ということを詠んでいます。見た目は他と変わらぬ普通の人であったとしてもその志は見た目にはわからず理解もされません。しかし自分自身は何よりもその志を知っています。明け方に月を眺め、意志を強く持って行動を続けた純粋な姿が観えてきます。

「私は、意志が弱い人間です。将来、私は、成功出来る人間ではない。しかし、もし私自身が駄目だと思い、行動しなければ出来ることも出来なくなる」とも詠んでいます。いのちを懸けるというものは、いのちを懸けようと行動した人たちが語れる言葉なのです。

それらの志をそれぞれの志士たちが自分の道で実現していくこと、道はたくさんあるのだからその道で志に向かいいのちを懸けることこそが草莽崛起であるのです。

時代がいくら変化しても、草莽の志は絶えることはなく私たちの心魂の中で生き続けて成長を続けていきます。まさに代を重ねていくいのちそのものとなってです。

私も草莽の志士としてなすべき今に集中していきたいと思います。