許し認める

人は相手に完璧を求めたり、自分と同じことを求めると相手を許せなくなるものです。自分とは異なる能力、異なる個性を持っている相手を尊重するのではなく、自分と同じものを期待して求めていてもそれは相手を理解しているのではないからです。

どうしても自分の理解を求めるあまり、相手への理解を怠れば思いやりに欠けてしまいます。わかってもららおうとするよりも、わかってあげたいと思う心の中にこそお互いを活かしあうコツがあるように思います。

人は自分のことを周囲や相手に認めさせたいや認められたいという承認欲求が高くなりすぎればなりすぎるほど、許せない気持ちも大きくなっていくものです。自分を認めてほしいと求めるよりも、先に自分が認めることができれば許せる心が育っていくようにも思います。

許さないで認めないというのは、周りに自分を認めさせたいや認められたいという心の現れのようにも思います。そのことから周囲の人間関係とこじれたり、敵対したり、トラブルに発展しているようにも思います。

マハトマガンジーに、「弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、
強さの証だ。」という言葉があります。相手の思想や立場、また相手の能力や個性、相手の言い分を自分が先に認め、お互いに自分の信じる道を尊重し合おうと思いやれば長い目で大きな広さでみれば協力し合っているようにも思います。

本来は、同じ目的のために頑張っているのだから発展途上の中で自分の未熟さが周りに迷惑をかけることがあります。自分だって間違うことがあるし、相手もまた間違うこともあります。ガンジーはこう言います。「間違ったことをしている人を見たら、自分だって間違いを犯したことがあると思い起こそう。欲深い人を見たら、自分もかつてそうだったと思おう。こうやって世界中のあらゆる人に自分との共通点を見出せば、自分の幸せと同じように、人々の幸せを願うようになるだろう。」

思いやりで物事に接するならば、同じことを求めるのではなく自分との共通点を探し出せます。それはお互いに大変であることをいたわり、共にできることできないことがあることがわかり力を合わせたいと思うようになります。

最後に、「こんな世の中になって欲しいとあなたが願う世の中に、あなた自身が変わっていかなくてはならない。」といいます。

お互いの持ち味を活かしあえ、みんなで楽しく豊かで仕合せな社會を自然のいのちのように存分に発揮して生きるためにも、許すこと、認める実践を積み重ねていきたいとおもいます。