自己観照

人は外ばかりを見ては自分というものをなかなか見つめないものです。自分が一体、どういう人間か、そしてどのような人格を持っているのか、自分が求めて望んでいるものが何か、そういうものを自覚していないものです。

その理由は、自分という存在があまりにも身近でありあまりにも傍にいるからです。自分の目を自分で見ることができないように、心臓の鼓動が聞こえてこないようにあまりにも一体化していて自分に意識を集中しない限りなかなか自分というものを自覚しないように思います。

例えば、目を見るときは鏡を見たら目は見えます。鏡は自分というものを映しだして自分の姿かたちをとらえることができます。そして心臓の音を聞くときは、聴診器をあてれば聞こえることもできます。脈をはかれば、心臓の鼓動から自分の体の状態に気づくことができます。

私たちは敢えて自分を観ようとしたとき、聴こうとしたときにはじめて自分というものを掘り下げて自覚することができるということでしょう。

そして自分というものの理解には、周囲の友人や家族、身近な存在によって自覚することもできます。どのような人たちが自分の周りで共に生きているか、どのような志を持つ仲間や友、そして愛し合う人たちと一緒に生きているか。それによってまた自分というものを掘り下げて自覚することができるのです。

私たちは自覚するにおいて大切なのはこの身近な存在を意識することにより自己観照をしていくことができるのです。

自己観照ができると、本当の自分に出会えます。それは色々な言い方がありますが、魂の自分と呼んでもいいし、心の姿と呼ぶ人もいます。自己というのは、私にとっては混然一体の自己の顕現する姿であり万物一体全の一部として存在する自分というものです。

与えられた自分の天命が何に気づき、何処に向かい、何を味わいたがっているか。日々に内省し、反復し、慎独するのは自分という無二の存在を大切にしていくための道の実践であるように私は思います。

出会いやご縁は、自分というものを磨き上げ、自分というものを確かにしていきます。一期一会の出会いに感謝しながら、大切な日々を生きていきたいと思います。