未来世代への思いやり

昨日は、赤村の光明八幡宮でお掃除やお手入れ、歌枕を実践してきました。朝からみんなでお掃除をしますが、みんな主体的で真摯に取り組んでいるため隅々まで美しく綺麗に整います。やらされている掃除とは異なり、みんなが主体的なので積極的に普段はしないようなところまで丁寧に取り組んでいきます。

その土地への配慮や、先人たちの遺徳に感謝するのは心地よく、お互いを思いやりながら場を磨いていきます。こういう縦のつながりを感じながら取り組んでいくことは、私たちがこれまでどうやって暮らしてきたのか、そして今、なぜ自分があるのかなどを実感できる機会になります。

スピード社会のなかで、忘れがちな立ち止まる時間、そして自己を振り返る時間は尊いことで生きている喜びや実感、そして感謝があります。

先人たちが子孫へ向けて放ってくるメッセージを受け取る感性というのは、受け取る側の力量によります。これは文字だけではなく、生き方もまた同じです。私も先祖の一人になる人間ですが、子孫へどのような真心や思いやりを以って今の世代を使命を果たしていくのか。

同じ思いで取り組んだときこそ、先人たちのやさしさや祈り、その真心が共感できます。みんな未来世代のために、自分の世代をどうととのえていけばいいかを真摯に向き合ってこられました。

現代は、今だけ金だけ自分だけという風潮で目先のことに追われては何かと先送りすることが是とされている世の中ですが先送りしたものは未来世代のツケとして残っていきます。

未来世代は、なんでこんなことをしたのだろうと先祖になる私たちの世代のことをどう思うのでしょうか。たまに、うちの祖父の代がどうしようもなくてなどといっている孫世代の愚痴を地域で聞くこともありますがそのツケがあまりにも大きいと苦しい気持ちになるものです。

例えば、ダムの問題をはじめとした環境問題や、バブル景気のときにやった観光事業が廃墟の建物ばかりで景観がボロボロになっていたり、風土の伝統文化を捨てて都会のコピーになり衰退していたり、これを目の当たりにした子孫たちは先祖に対してなぜだろうと思うのです。

本来、これは子孫のためにならないと思えば判断しなかったり、未来の世代にツケを残すと思うと敢えて別の道を残してくれたおかげで今の世代が恩恵をいただいているものもあります。それはその世代や個人は多少損をしたと感じても、長い目で長期的な視点に立てばそれは損にはならず子孫繁栄の礎になっているものです。

現代は視野も狭く、短期的目線で個人や世代のメリットを優先して短絡的な判断をしているものが多いように思います。特に経済においても、すぐにリターンがないものを選ぶのは愚かなことのように思われます。余裕もゆとりもないといいますが、それはそうではなく目的に対して長期的に取り組んでいこうとする気持ちが定まっていないからのように思います。

私は活動をするのに、長い時間を設定していきます。目的がはっきりしていますから、休み休みであってもそれは時間をかけて取り組みます。そうすると、そのうちに目的が近づいてきて本懐を遂げることができるようになります。

未来世代のことを考える仕事というのは、長い目で、私心を取り除き、お金を気にせずに純粋に取り組んでいくものでしょう。そしてそこに後からついてくると信じて勇気を出してやっていくことです。

この後からついてくるというのは、子孫の恩恵と共に増えていくという意味です。

後世のために、子孫のために、あとに続いていく人たちのためにと喜び勇んで実践していきたいと思います。

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