保育学ではなく保育道

昨日、事務局をしている保育環境研究所ギビングツリーのホームページをリニューアルした。

5年前に立ち上がったこの会が今では国を動かすほどの影響を与えている。

藤森代表がまったくブレずに小さなことの積み重ねを大事にすることで、これだけ大きな原動力を引き起こしている。

傍らで観ているとやはり藤森代表の実践哲学には、嘘や偽りが一片もない。
どんな時も、まずは自分がそれをやってみせるという凄みがある。

本物と仕事ができるというのは本当に幸せなことだと心から感謝に満ちる。

そして、そういう人と志を同じくギビングツリーとともにある方々も本当に素晴らしい。

それぞれが大変ながらも真摯に子どもを見ようとしている。カタチではなく、本質を観て子どものために何を自分がすることが一番良いのかを諦めずに悩み続けて実践を続けている。

その言葉の中には、常にどこか心の豊かさや自分の使命の重要さに気づいているようにも見える。

きっと心豊かに生きるとは、子どもの未来を創るとは、人が生きるということに真摯に向き合っている人にしかできないのだろうなとつくづく思う。

このサイトの中で以前よりずっと私がやりたかったことがある。

それは藤森平司先生との出会いからまったく変わらずそこにある理念の体現。

 『保育は、学ぶのではなく実践することです。実践とは子どもを見ることです、そしてその子どもを守ることです。』

と仰ったあの「見守る」の意味に出会った時の感動。

 『そして、実践することは保育学ではなくそれは『保育道』なのです。』

これをとにかくカタチにして大勢の方々に伝えられないか?

それをこの情報化社会のツールを駆使して、ブックレットにすることや場所を問わない会員間の交流、そして気づきの反復行動により実現できると感じているのです。

今、世の中はすぐ近くのことやその時々の瞬間だけを切り取って善悪を決めたり白黒を決めたりする。

それでは、取ってつけたような学問を尊ぶことになり、やってもいないことまでやっているような欺瞞や偽装がはびこるだけだと私は思う。

それで子どもが世界が本当によくなるのだろうかと思うと、やはり今こそ揺るがない理念を時代に立ち上げなければといけないと真摯に思う。

右か左か、上か下かなどを安易に決めたがる民衆というのは世界というモノサシでみたときどれだけ民度というものが備わっているのかと思うと本当に疑問に感じる。

だからこそ、ここでこそ、私たちの魂の起源、東洋文明の根底にある「道」(タオイズム)が私たち日本人には必要なのではと思う。

大和魂とは言わない、しかし、「中道や中庸など、どこにも決めずに真実に対して道を究める魂の練磨」はその人の生きる実践の中でしか身に着かないのではと本当に思う。

これからも私は、子ども達に対して分かったような知識や取ってつけたような真理は一切語らず、師匠と同じくただただ自らの実践のみの道を本懐としその中での後姿や歩む道筋だけを遺していけるように努めて生きたい。

そして一人でも多くの世界の発展と子どもの未来のために自分にしか歩けない道を歩んでいる方々と邂逅し、その方々と一緒に誰も通っていない道に一歩でも足跡を遺していければいいなと心から願う。

感謝