子どもの環境

子どもの環境というものを定義するのに二つの観念で考えてみる。

一つは、人間が意図して意識する物や空間ともいうべき環境というもの。例えば、身のまわりの様々な人工的な建物から道具などもそれである。

もう一つは、人間が意図せずに元々備わっている無意識に存在する物や空間。例えば、自然界にある太陽や月、草花昆虫などに等しく人間も含まれている環境のことである。

環境とは本当は何か。

その考えの根源が、人間側の都合で構成したものと、そうではなく宇宙一体の中にある自然全体と切り離していない人間も含むところで構成するものとではその定義が異なるのである。

子どもの環境で言えば、子どもに環境を与えるという考え方がもし人間が先であれば当然、身の回りのものはすべて人工的なものに満たしていく。なぜならその人自身が環境というものの定義が自然の一部とは思わないからである。

もしも人間が自然の環境の一部であると定義するなら、自分自身が環境に含まれている一部として認識しているのだから自分自身も自然の一部になるように真心を持って見守っていくことで環境が構成できていることになる。

もともとすべての生命は偉大な繫がりという関係性の中で互いを活かし合い助け合うように守り合っている。それが環境であるのだから、人間もそうやって自分が様々な繫がりの中で活かし合えるように自分の素直な心を磨き自然に近づき寄り添い学び、自然の一部になっていることがもっとも子どもたちが育つ環境を構成したということになる。

子どもが安心して育てるのは、みんながみんなを守っているからである。

みんなから見守れていると実感することで、情緒が安定し、本来の命が向かう方へと自由に伸びていくのである。

それを人工的な環境を用意し、自然から切り離すような意図的な教育はその子の情緒を不安にさせ本来のあるべきようには育たなくなってしまう。そのために、ありとあらゆる人工的な環境をさらに構成し、そのことで刺激を与えて人間側で育たせようなどという発想は本当に顚倒している考え方である。

環境というものを考えるとき、自分が自然の一部になることがもっとも子どもの環境に適しているということである。

自分自身が与える周囲との繫がりという環境の奇蹟を自然を観ているといつも感動する。小さな草花から、木々、動物、虫にいたるまで、みんながみんな環境の一部であることは心に安らかな平和を与えてくれる。

子ども達の好奇心は、常に宇宙の真理を捉えているものである。

まだまだ子どもの環境についての学び研究を深めていこうと思います。