慈愛の中心

自然農の田んぼに出で、畔を整えているとその周りには春の花と共に土筆が顔を出していました。それにたくさんのオタマジャクシやカニワナ、田んぼに被せた藁をのけると生まれたてのクモや小さな虫たちが走りまわっていました。

この時期は、新しくいのちの廻りをはじめる季節で夏の終わりまで活動する生き物の子どもたちで溢れています。自然には陰陽があり、季節もまた陰陽があります。また気温にも陰陽があり、その場所にも陰陽があります。

この陰陽を繰り返し巡ることでいのちは活性化していきます。寒暖の差においても陰陽があり、オスとメスにおいても陰陽があります。その陰陽があってはじめて調和するのが生き物であり、調和することではじめていのちは存在し続けることができます。

この陰陽調和を司ることができるものは生き物の王とも言えます。万物を活かし万物の調和を保てる人物は、周囲の道具を活かし関係性や場を創造できるものです。それは自然と同じように慈しみや愛を持って接することができるものとも言えます。

もっとも自然に近づいたもの、もっとも自然体になったものが陰陽をその中心に保ちます。かつてのご先祖様が続けてきた日本古来からの暮らしは、万物を大切に使い活かし、子孫へとその関係や場を改善しつつ譲り遺していただいたものばかりです。この地球の自然もまた、ご先祖様たちが大切に子孫のためにと遺してくれました。その慈愛の恩恵を私たちはいただき幸福を得られています。

慈愛の中に陰陽があり、その陰陽調和によって美しい自然は廻ります。

呼吸し生死を繰り返すように、私たちが生きている日々はまばたきのようなものです。少し目を閉じて心の声に耳を傾け、長い目で物事を考え、今何をすべきかを間違わないように歩んでいきたいと思います。

陰陽のめぐりに合わせて、慈愛の中心を磨き直していきたいと思います。

 

  1. コメント

    「陰陽」は一円観であり、「調和」はバランスでしょう。「自分」や「自分の都合」というものを優先しようとすると、いちいち引っかかってバランスを崩します。視野が狭すぎるのか?!中心におくべきものを間違っているのか?!自己の小さな世界に閉じこもり、完全無欠な自分を目指そうとするところが我欲となり、かえって調和を乱すのかもしれません。

  2. コメント

    気づいたら季節は変わり始め、春は特に色々な変化を感じやすい分、視野が狭くなっているとあっという間に置いていかれてしまうと感じます。常に変わり続ける自然のように、時に身を任せつつ長い目で見たらどうかと立ち止まったりしながら今できることを尽くしていきたいと思います。

  3. コメント

    聴福庵での夜の静けさ、薄暗い明かりのなかで心を静める時間を体感すると、これが本当の夜であることを感じました。自分のいのちも自然のもの、陰と陽のバランスというものがあるのでしょうが、生きるおおもとの生活のリズム一つをとってもメリハリのないものになってしまいがちです。自分に合わせるのではなく、自然に自分を合わせていく方を見ていきたいと思います。

  4. コメント

    陰陽を丸ごと受け止められる強さが、優しさが、大切なんだと改めて感じます。まん丸な心。柔らかい心。あったかい心。包み込むのは何か。裁くのは何か。裁く心を無くし、豊かな状態を作っていきたいと思います。

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