何の会社か?

多様な価値観がある中で、会社というものも多くの会社があるように思います。それはサービスが異なるように理念もまた異なります。どのような理念で何をしているのかはその会社会社で様々です。

何のために会社をやるのかの目的が異なれば、会社がやっていることの本質も変わってきます。外からみて、この会社は一体何をやっている会社だろうかと思えば売り物を見ればなんとなくわかるのですが、その会社が生き方として目指しているものは中に入ってみなければわからないものです。

私が尊敬する経営者の一人に、出光佐三氏がいます。

日本的経営を実践した出光佐三氏は、その理念を「人間尊重」としました。そして新入社員が入社した際には訓示として「ここは人間修養の殿堂即ち「人間尊重」を社是とする人格錬磨の修養道場に入られたことを心からお祝いする」と仰っていたそうです。さらに「修養は、禅寺や修道院などで行われているように思われがちですが私のいう修養はこのような社会からかい離された狭い場所でのみ使用されるような修養ではないのであります。」と仰られています。

私もまったく同様で、どのように自分を磨いていけばいいか、仲間とどのように磨くか、子どもの心を見守るためには自分自身を磨き高め続けなければなりません。だからこそ、会社での日々の働き方や生き方を通して自分磨きを行い切磋琢磨し人格形成の環境を世の中に広げていかなければならないと思っているのです。

生き方と働き方の一致という言葉がありますが、あれは正確には全人格で生きるということです。仕事も家庭も趣味も学問もすべては「人生」ということですから、その人生をどのように生きていくかを定めることが何よりも優先です。

そしてこの優先するものが目的であり、その社是を持つ会社の理念に取り組むというのは自分の人生を磨くための道場に入ったということです。あくまで何をやっている会社かと尋ねられれば、本質として「子どもの憧れる生き方をする道場」で修養をし修行をする会社ということになります。

古は、学問とは人格修養のことであると論語に書かれます。

師と友とともに道に入るのなら、その場を高めて道を続いていく人たちのためにも磨き続けて洗い清めて歩んでいきたいと思います。

人生の味わい

道というものを考えてみるのに、この世に果たして真っ直ぐな道がどれだけあるのかと思います。川の流れのように曲がりくねったものが本来の道であって、山から直線で川が海に流れることはありません。その曲がりくねった中に、色々な出会いが出来事があり緩急あり、時には落差ありと水が流れて海にたどり着きます。

そのたどり着いた水は、海で蒸発し雲になりまた山から流れる。

この繰り返しが自然循環であり、また同様に人間の人生も川のように生まれ変わっては出会いが出来事のご縁に結ばれていきます。

そうやって直線ではないと気づくのなら、人生は道草をしている方が仕合せではないかとさえ思います。身近にある夢や目標を追い続けるあまり、道を直線にしてしまっているのかもしれません。もしも道が直線と思い込むのなら、急いで焦って目的地にたどり着こうとするのでしょう。しかし先ほどの川のように、山から直線でいきなり海ならその川の流れを楽しむこともなく、その間にある真善美に触れ豊かさを味わうゆとりもなくなります。

そもそも道は曲がりくねっているものであり、流されながら流されないように自分をしっかりと持って歩むことこそが道草の醍醐味なのでしょう。

大分の麦焼酎、二階堂のテレビCMにこういうものがあります。

「近道は遠回り。
急ぐほどに
足をとられる。

始まりと終わりを
直線で結べない道が
この世にはあります。
迷った道が、私の道です。」

この迷った道が私の道というのは深い味わいがあります。

何度も何度も壁にぶち当たりながら頑固でプライドの高く、自分勝手な自分を削り落として素直にしていく。その繰り返しの中で、人生で大切なものを学んでいくということ。こういうことを繰り返していく中で、自分の道に気づいていきます。道に気づくときは常に直線の時ではなく、遠回りして道草をするときに出会うものです。

今を生き切るというのは、この遠回りをする余裕を持つことであり、どんな人生であったとしても日々に全身全霊に一期一会に学び直していくことのように思います。

思い通りでなかった時のことの方が、思った以上の幸運に恵まれていると感じることが人生の妙味に気づくコツのように思います。遠回りこそ近道、道草こそ最短距離と生き方を変えていく中で、深い味わいを持てる人生になるのでしょう。

子どもたちのためにも、自分の生き方を見つめ道を楽しく豊かに朗らかに歩んでいきたいと思います。

先祖に生きること

子ども第一義の理念で、子どもの仕事をしているのになぜ自然農や古民家甦生などをやるのかと聞かれることがあります。子どもという言葉の定義も、大人と子どもという時の子どもという意味で使っているのではなく、子どもを童心といった赤心のままや初心という意味で私は用いています。

その時、子どもをことを深めていけばいくほどに祖先や祖霊、先祖とつながるのは自明の理であるのです。今の私たちがこうやって暮らしているのは、先祖があったからに他なりません。その先祖が一人でも欠ければ自分はなく、その時代時代に先祖の生き方が私たちの長所や短所になって今の私を形成しています。

つまり自分は自分であって自分ではなく、先祖の一部でありその一部は子孫の一部になるということです。だからこそ自分のことだけを考えるのではなく、子どもたちに譲られていくものが自分のいのちだからこそ修養や修身をもって子孫のために今この時を精進していかなければならないと思います。

「星の王子様」を記したサン・テグジュペリに「地球は先祖から受け継いでいるのではない、子どもたちから借りたものだ。」という言葉があります。またネイティブ・アメリカンの格言に「土地は先祖からの授かりものではなく、子どもたちからの預かりもの。」という言葉もあります。

私たちが先祖のことを思うとき、この今のことを振り返ります。するとこの今は、まさに子どもたちの未来になるのだから子どもたちからこの世代を預かっているだけなのです。この預かったもの、借りたものを利子を増やして返却するのならまだしも借金を続けたうえに全てを消費し浪費してしまったら返せるものもありません。

今の私たちが裕福に豊かに暮らせるのは、すべてご先祖の皆様の丹精によるものです。その利子を少しずつ貯めたものを私たちは切り崩して暮らしているのです。それを自分のことしか考えず目先の欲のみに囚われ使い切るばかりで、それを貯めようと遺そうとしなければ必ず未来の子どもたちがそのツケを払わなくてはならなくなります。

幸田露伴に、「分福」「惜福」「植福」とありますが、この幸福の三福を先祖が代々続けてくださったからこそ今の自分がここで生きているということです。

つまりは子どもの仕事をするということは先祖の偉業を偲び、その祖先や祖霊を省み先祖から学び、先祖として子どものために生きるということなのです。子どもたちの仕事の本質は畢竟、先祖の生き方を伝承し、改善すべきは改善し、少しでも子どもたちのために福を増やしていこうとする一生に生きることです。そして子ども第一義の理念は、「古を愛する心」と共にあります。

引き続き、子どもたちのためにも先祖への恩恵を忘れず今あることに感謝し、初心伝承を積み重ねていきたいと思います。

梅の徳2~梅の見守り~

先日、福岡の聴福庵で梅干しをクルーと一緒につくる機会がありました。この梅干しに用いた梅は、「箙(えびら)」という品種で高野山で野性的に生えているものをある方からいただいたものです。天神祭に向けて梅を準備していましたが、改めてこの梅の持つ効能、また歴史について深めてみたいと思います。

ウメの語源は「熟む実」つまり「う」つくしく「め」ずらしいからきた語だという説があります。確かに、日ごとに熟して甘酸っぱい香りを放ちながら青梅が黄色になっていくプロセスには美しさを感じます。青いときも熟すときもまた、気品がありその時々が美しいということからその名前にあやかる人も多かったように思います。

梅は古来より薬として役立てられてきました。日本各地の弥生時代の遺跡に梅の自然木の断片・梅実の核(種)が発掘されています。日本へは約1500年前、薬用の“烏梅(ウバイ)”として伝来したことが文献にあります。これは青梅を薫製・乾燥したもので、現在でも貴重な漢方薬のひとつになっています。

現存する日本最古の医学書「医心方(いしんほう)」(984年著)にも、梅干しの薬効が記されています。昔から梅干しは「薬」として使われてきたのです。渡来当初、実は生菓子にして食べていたようですが、効用が知れるに従って長期保存ができる塩漬法が考え出されました。つまりここではじめて「梅干し」というものが書物に登場したことになります。

その後、ある申年に疫病が流行した時に村上天皇が梅ぼしとコブ入り茶で病が治癒したことで申年の梅干しには効果があると信じられ今でも価値があるとされています。その後は、鎌倉時代に入り、梅ぼしは僧家の点心やおやつとして用いられ椀飯振舞という言葉もここから出てきたといいます。

室町時代に入ると武家の食膳にものぼるようになり、戦国時代では戦場での「息合の薬」として戦に常備されていきます。江戸時代に入れば、一般家庭に梅干しは普及し冬が近づくと梅ぼし売りが街を呼び歩き冬を告げる風物となったそうです。梅干しはその後、明治に入り、コレラや赤痢の予防・治療、そして日清・日露戦争でも重要な軍糧として活躍したといいます。

梅干しは古来から、私たちが健康を維持するために必要な「薬」としての効果が高く、その歴史もまたいつも私たちを病から守る存在として大切にされてきました。現代でもがんの予防や、インフルエンザの予防、生活習慣病の予防、肥満の予防、美容効果に殺菌作用、整腸作用、エイジング効果、等々、書き出せばまだまだきりがないほど出てきます。

古語にも、「番茶梅干し医者いらず」「梅はその日の難逃れ」といわれますがそれだけ梅干しは目に見えて健康のために効果がある健康食品の原点ともいえるものではないかと私は思います。

以前、木は薬の役目があったと聴いたことがありましたがこの梅の木はまさに薬そのものとして愛され大切に私たちの子孫の健康を見守り続けてくださった存在だともいえます。この梅の徳に感謝の思いを込めて、毎年、この時期に梅干しをつくることは日本人として子どもの健康を願う親心そのものかもしれません。

私もこのご縁を機会に、これからは梅干しづくりを実践しその価値を引き続き伝承していきたいと思います。

 

梅の徳1 ~天神祭に向けて~

郷里にある天満宮の天神祭の甦生に向けて、菅原道真公をお祀りするために準備をしていると梅があちこちで出てきます。この梅は、菅原道真公が愛した木であり天神信仰にも深くつながっているといいます。

この梅の木は、日本のものではなく奈良時代に中国から渡来してきたものです。梅は別名「好文木」と呼ばれます。出典は『東見記』といい、晋の武帝が学問に励むと梅の花は咲き、学問をやめると開かなかったという故事からこの呼び名が付いたという言い伝えです。学問と梅の木は、菅原道真公そのものを顕しているともいえます。

また子どもを見守るという意味でも、梅という字は梅の字の「毎」は、髷を結った母を描いた文字でできています。母のように多くの実をつくり、安産を助ける木と言う意味も顕したといいます。

寒さが最も厳しい頃にどの花よりもさきがけて香り高く咲き誇ることから、歳寒三友の松竹梅の一つでおめでたい木とされています。梅の徳はどんな厳しい状況で苦しい環境下でも笑顔を絶やさずに明るくいるという意味でもあります。また高潔な美しさを君子の姿にたとえた「四君子(しくんし)」(梅・菊・蘭・竹)として、 清楚な美しさの画材とされる「三清(さんせい)」(梅・竹・水仙)などの呼称もあります。

つまり梅は、その梅が持つ気高さや清らかさが菅原道真公の御姿そのものであったように感じたからこそ今でも梅と一緒に祀られているのではないかと私は思います。

花も実もある梅の木は、その上品で気高い高貴な生き方として私たち人間の道を示します。

また日本古典文学の研究の権威でアメリカ人のアイヴァン・モリスが「高貴なる敗北」の前書きでこう述べます。

「日本では、人が気高い理由のため、正しきことのため、事をなすのなら、たとえそれが失敗に終わっても、人は尊敬されるべきだと考えられている」

真心や誠を尽くす人は、たとえそれが不遇であったとしても天が見ているとしてその後も私たちの子孫を見守ってくださっていると感じたのではないかと私は思います。大義に生きる人や、忠義に生きる人は、自分の保身などを考えておらず身を捨てて人々のために誠を尽くしていきます。

その生き方は高貴であり、気高く、気品に満ちたものです。この生き方としての美しさの象徴である梅の木は、人々が苦労の中でどのように生きていけばいいか、苦難の中でもどう美しく生きればいいかという姿勢として長く親しまれてきたのかもしれません。

引き続き、天神祭に向けて様々なことを学び直し深め続けて甦生させていきたいと思います。

磨き合い~徳を積む~

人は磨き合うことで、お互いを活かしあうことができます。現代は競争社会といわれますが、それを他人との比較の中で優劣を決めて平均を割り出し誰かを裁くような競争ではなくそれぞれが自分自身を見つめ心を高め、徳を磨くような競争であれば世の中はより安心した豊かなものになっていくように思います。

「切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し」というのは切磋琢磨の意味ですが、常に心の磨き合いより徳を高めるような日々の錬磨はその人の人格を研ぎ澄ませていきます。

常岡一郎さんにこういう言葉が遺っています。

「いつまでも消えない希望、それはひとりひとりの人間が自分を正しく知ることである。自分をみがくことである。鍛えることである。向上させることである。徳高く、人格清く、心豊かな人になりたい。この願いは一切の苦難をたのしく超えさせる力となる。苦しみも磨きの恩師と思える。自分はつねに自分と共にいる。夜中でもよい。自分ひとりで本が読める。早朝に起きる。これもたのしめる。お互いに自らのみがき合いを競争する。勉学に、修養に、健康の道に、こんな希望の集団をつくる。それが美しい社会の基本となる。」

すべてのことを磨く機会にするという考え方はまさに切磋琢磨であろうと思います。苦難があればそれを磨く機会にし、歓びもまた、仕合せもまた、すべてを磨くためにあるとする。

体験そのものが自分を形成していきますから、どんなことをもって自分を磨こうかと常に機会を砥石にして内省していればすべてのご縁によって磨きがかかってきます。そしてそれを行う人たちが増えていけば、自ずから磨き合いができるようになってきます。

人によりここで磨き方も異なりますし、磨かれ方も異なります。その人たちと触れ合うことで自分の磨き方を修正し、さらに磨き方が見事な人の真似をし高めていくことができます。尊敬し合う関係の中で、人はより一層磨きがかかります。

どんな磨き方にせよ、磨くことが尊いという境地。

磨き合いというのは、その境地の中に存在しているように私は思います。この世に生まれてきた以上、磨き合うことは生きる意味でもあります。その生きる意味を学び、日々に心魂を磨いていけば一期一会の日々を暮らしていくことができます。

常岡さんが言う、「自分を正しく知る=自分を磨くことである」はまさに箴言です。もっとも一番身近にいる自分のことがわからないのが人間ですから、自分の心と向き合って自分を知りながら己に克っていければ自己を調和し、周囲とも調和していけるように思います。

引き続き、磨き合い徳を積めるように精進していきたいと思います。

 

 

馬鹿になる生き方~正直者~

正直者が馬鹿を見るという諺があります。これは辞書では「悪賢い者がずるく立ち回って得をするのに反し、正直な者はかえってひどい目にあう。世の中が乱れて、正しい事がなかなか通らないことをいう。正直者が損をする。 」(大辞林)と書いています。

しかしこの正直とは、損得でみてもどれくらい長いスパンで物事を観るかでその質も変わってくるように思います。例えば、短期的にみれば正直でいたことがいつも損のように思えるものでも長期的に見れば正直でいることの方が得をしていたりします。また損得だけをみれば人生で正直者は損をしているように見えていても、正直な人は周りから慕われ晩年には多くの人たちから親切にされて大事にされることもあります。結局、損か得かを基準にしたときの正直だといえば、損をする人を正直者といいたいのでしょう。つまり世の中が乱れ不徳の時代に出てくる諺ということです。

本来の正直さというのは、昔はお天道様に恥じない生き方のことをいいました。これを誠とも書き、日本人の生き方の美徳として大事にされてきました。「お天道様が見ている」と幼少期には祖父母から素直であれと叱られ、自分に嘘をつかないように、他人に嘘をつかないようにと自分を大切にすることを教わりました。ここでは嘘をつくかつかないかというよりは、一生を通して天に恥じないように自分を修め、磨き続けることに価値があると言ったのです。

例えば正直を磨くというのは、掃除に似ています。日々に汚れたり、日々にけがれたり、怠け心が出てきては日々に塵や埃が溜まってきます。それをそのままにせず、毎日丁寧に掃除をして祓い清めて洗い流して磨いて綺麗にしていく。そういうことを続けていくことが、正直にやっていくということです。これを怠り、その場しのぎで誤魔化しても塵も埃もたまっていきますからそれをいつかは片付けなければなりません。そうなって全部、散らかしっぱなしてどうしようもないと放り投げて他所にいく生き方をすれば周囲に大きな迷惑をかけてしまいます。自分で蒔いた種は自分に戻ってきますから、日々にどんな種を蒔いているのかを自覚するのもまた正直さの実践のようにも思います。

正直という嘘をつかないという実践は、単に誰かに対して嘘がなければいいのではなく日々に自分の心を手入れして誠に恥じないか、真心を尽くしたかと、内省し綺麗に掃除を続けていくことに似ているのです。そういう正直な暮らしを行う人が馬鹿をみることはなく、丹誠を籠めた真心の暮らしによって人生が磨かれ豊かになります。自分を高めて人格を磨いていくことは馬鹿なことではなく尊いことだと感じます。

まるで太陽のように清々しくそのお天道様のような心で生きていこうとするのは、自分を活かし、周囲のいのちを育み見守ってくださっている御蔭様の存在を忘れず常に感謝で生きる存在になるということです。これは人間として傲慢になるのではなく、自然のいのちと同様に謙虚に太陽の元、周りを活かし共生しながら真摯に自分の生を生き切るということでもあります。

時代が個人の損得ばかりを優先し正直さの意味もその言葉の定義も変わってしまった現代社會においては、正直さというのはあまり良いことではないと思われてしまっているものもありますが古来からある正直さは私たちの先祖が大切にしてきた真心の生き方です。自分を中心に損か得ばかりを計算して保身ばかりに走るのではなく、自分の日々の怠け心に喝を入れて自分の我に打ち克ち損得度外視で真心を尽くす実践で自分を修め磨き続けていく正直者になっていくことは敢えて馬鹿になる生き方を選ぶということかもしれません。

引き続き、日々に馬鹿になって愚直に心の手入れを怠らずに歩んでいきたいと思います。

来るであろう未来

文化の変遷を深めていると、江戸時代鎖国が解かれ明治維新後の文明開化が如何に急速であったかがわかります。暦の改変をはじめ、生活スタイルはほとんど西洋のものを手本に換えてしまいました。四民平等という思想のもと、それまであった封建的なものを否定し、国民と国家という概念ができたといいます。その後、2回の大戦を経て戦後の復興、様々な歴史の歪が今の生活のあらゆるところに出てきています。

いままで歴史というものはやってみて後世の人たちが冷静に物事の経過を見定め判断し、それを改善していくことで文化を融和させていくように思います。誰かが先に決めたこともただ鵜呑みにするのではなく、よく精査するのもまた子孫の責任と使命であろうと私は思います。

今の時代は生活スタイルはほとんど伝統的な文化のものはなく、西洋文化の中にあるかのように日常を過ごしています。着る服から食べるもの、住居や仕事、制度や法律まであらゆるものがアメリカや西洋をモデルに創りこまれています。それを改めて気づくことがないくらい当たり前に西洋文化の中で過ごしているとも言えます。

私たちは環境を通して生活スタイルを変えますから、いかに環境が与えている影響が大きいかということを思います。その環境そのものを西洋にすれば、生活スタイルは自ずから西洋になります。本来は、気候風土に沿って時間をかけて醸成されてきた生活スタイルが、都市化とともに急速に便利になり科学の力でより一層、その土地の多様な風土を征服し人間の都合のよい生活スタイルに合わせてきたとも言えます。

そのことに慣れてしまえば、もはや風土や文化というものは過去の古いものになり新しいものとは都市化され都会化したものが新しいということになります。日本古来からの生活文化を否定し、西洋から渡来した生活文化を新しいと崇拝するという傾向は戦後一層強くなり今の私たちの暮らしを換えてしまいました。

しかし本来そこに自然にあった生活文化はとても合理的であり、無駄がなく無理もなく自然に沿ったものが暮らしとして存在してあったものです。そこに外来のものを入れて維持しようとすると無駄も無理も発生し不自然を維持するために大量のエネルギーと資金を投下していかなければ保持することができません。

それは今の公共事業でもいえますが、地方を維持するのにもうエネルギーも費用も枯渇してきているのです。最近では田舎の人たちを一極集中にして狭い地域に集中するような政策もあっていますが、これもまた田舎を都市化しようとするものに似ています。しかしそれもまた膨大な無理や無駄があり、頓挫していくのは火を見るよりも明らかです。

時代の流れの転換期というものは、気づいた人から変わっていくのがいいようにも思います。人は自分の都合で新旧を決めたり、良し悪しを思い込みますし、それまでの刷り込みがあれば最初からできないと思い込んでしまうものです。だからこそ生活文化というものを見つめ直すことが難しいとも言えます。

本来の自然に沿った暮らしとは、人類が持続可能で永続する生活の智慧です。人類が今、岐路に立たされているのはこのエネルギーと貨幣の膨大な投資をどこで転換してバランスを取り戻すかということです。

引き続き、暮らしの甦生を通して来るであろう未来に向けて準備を着々と進めていきたいと思います。

お祭りの本質

祭り部ができてからお祭りのことを深めていますが、お祭りが続く理由について考えることばかりです。京都の祇園祭りや博多山笠、秩父夜祭などもそうですが長く続くものには理由があるように思います。これらの大きなお祭りとは別に、地域で行われているお祭りもまた続いているものもあれば衰退していくものもあります。

若い人が田舎からいなくなり、都会に出てしまい少子高齢化で伝承が引き継がれないこともあります。また都市部でも、引っ越してきた新しい若い人たちが地域のコミュニティに参加しないということもあります。

本来、何のためにお祭りをしているのかを忘れてしまえばお祭りを継承することもできなくなります。今の時代は、先祖が積み重ねてきた徳を守り、恩返しに報いようとするよりも自分さえよければいいという風潮が多いように思います。お祭りもまたその中で変化して単なる観光の一つのようになっているところも増えています。

以前、お祭りを深めて書いたことがありましたが本来は自分を見守ってくださっている存在、つまりは神様に対して感謝を顕すためにあったものです。先日も、古民家甦生の中で地鎮祭をしていただきましたがこれもまたお祭りの一つです。

一つ一つの儀式を通して、節目に神様に対して感謝の念を奉げるということだろうと私は思います。このお祭りなどの儀式こそ、自分自身が常に観えない存在に助けられているという感覚との結びであり、それを体験することで先祖と繋がり、また子孫繁栄を願い祈る心と結ばれるように思います。

太古から流れているもの、当たり前に生きてはいない自分たちが何ものによって活かされているのか、それを感じる仕組みがお祭りにはあるように思います。

祭壇をつくり供物を奉げ祈りを祀る。

感謝を忘れたいのりは続かず、感謝を忘れたお祭りもまた続かないと私は感じます。

引き続き、お祭りの本質を見極めながらお祭りの意味や真価を高め子どもたちのために大切な伝統をつなぎ結び合わせていきたいと思います。

語り継がれるもの~好奇心~

伝承というのは、語り継がれていくものです。日本にも古事記をはじめ様々な神話があります。また竹取物語のように日本最古の小説が今でも子どもたちに語り継がれているものもあります。

1000年を超えて語り継がれるというのは、そこに確かな真実や信仰があるからに他なりません。教えないで教えるという伝承という仕組みを少し深めてみようと思います。

伝承の仕組みというと難しくなりますがシンプルにいうと、教えてもらわなくても理解する仕組みであるとも言えます。私自身の体験では分からないものを教えてもらわなくてもわからないものがわかることがあります。これを直観ともいいますが、「そうか」と感じてつかむ感覚のことです。

好奇心から様々なものに触れている中で、ある時、こう使えばいいと実感するのです。それは水や火、土や石に触れるときになんとなく直観するのと似ていますし、最近、古民家甦生を通して日本古来の道具に触れていても用い方やなぜそうしたのかが好奇心で触れているうちに察知します。

この好奇心というのは、生まれたての子どもはみんな持っているもので大人になると次第に薄れていくともいわれます。私は好奇心が旺盛なので、なんでも不思議に感じてはそのものをそのままに理解しようと努めます。それを直観するという言い方をします。

単に知識で得ようとするのではなく、そのものに触れて得ようと思う感覚です。私は伝承はこういうものではないかと感じるのです。

例えば、炭を知ろうとすれば好奇心があまりない人は知識として簡単に木を燃やして灰を被せて火を消し炭化したものとするのでしょう。しかし私の場合は炭のことが知りたくて知りたくて好奇心が発動するため、何度も炭に触れようとします。そのうち炭には同じ炭がないこと、多様な炭の特性があること、炭の美しさがそれぞれで異なること、そして日々に火鉢で炭を燃やしていく中でその時の状況や気温、空気で全く異なる燃え方をすること。さらには温度の差や、そのものが持つ香り、灰、出すエネルギーの量など不思議で好奇心はさらに活動します。

私はこの伝承の仕組みとは、「真実を知ろうとする好奇心」のことでありこれがあるから生き物たちは教えずにして学ぶように思うのです。言い換えるのなら、好奇心が失われているから単に知識だけで分かった気になり、物事を学び深めようとしなくなるとも言えます。

人間として学問が永遠に輝き続ける理由は、この好奇心があるからです。

人が好奇心を持ち、学問をし、物事をなんでも好奇心で楽しんで深めていけば自ずから1000年前の物語にもアクセスし、その面白さを直観します。古事記や竹取物語がいつまでも語り継がれるのは、本質としてその面白さを私たちは好奇心が察知しているからでしょう。そしてそこに真実があり、信仰もまた生きています。

引き続き、教えない教育や場の教育を深め、風土を醸成する仕組みを開発していきたいと思います。