梅の徳1 ~天神祭に向けて~

郷里にある天満宮の天神祭の甦生に向けて、菅原道真公をお祀りするために準備をしていると梅があちこちで出てきます。この梅は、菅原道真公が愛した木であり天神信仰にも深くつながっているといいます。

この梅の木は、日本のものではなく奈良時代に中国から渡来してきたものです。梅は別名「好文木」と呼ばれます。出典は『東見記』といい、晋の武帝が学問に励むと梅の花は咲き、学問をやめると開かなかったという故事からこの呼び名が付いたという言い伝えです。学問と梅の木は、菅原道真公そのものを顕しているともいえます。

また子どもを見守るという意味でも、梅という字は梅の字の「毎」は、髷を結った母を描いた文字でできています。母のように多くの実をつくり、安産を助ける木と言う意味も顕したといいます。

寒さが最も厳しい頃にどの花よりもさきがけて香り高く咲き誇ることから、歳寒三友の松竹梅の一つでおめでたい木とされています。梅の徳はどんな厳しい状況で苦しい環境下でも笑顔を絶やさずに明るくいるという意味でもあります。また高潔な美しさを君子の姿にたとえた「四君子(しくんし)」(梅・菊・蘭・竹)として、 清楚な美しさの画材とされる「三清(さんせい)」(梅・竹・水仙)などの呼称もあります。

つまり梅は、その梅が持つ気高さや清らかさが菅原道真公の御姿そのものであったように感じたからこそ今でも梅と一緒に祀られているのではないかと私は思います。

花も実もある梅の木は、その上品で気高い高貴な生き方として私たち人間の道を示します。

また日本古典文学の研究の権威でアメリカ人のアイヴァン・モリスが「高貴なる敗北」の前書きでこう述べます。

「日本では、人が気高い理由のため、正しきことのため、事をなすのなら、たとえそれが失敗に終わっても、人は尊敬されるべきだと考えられている」

真心や誠を尽くす人は、たとえそれが不遇であったとしても天が見ているとしてその後も私たちの子孫を見守ってくださっていると感じたのではないかと私は思います。大義に生きる人や、忠義に生きる人は、自分の保身などを考えておらず身を捨てて人々のために誠を尽くしていきます。

その生き方は高貴であり、気高く、気品に満ちたものです。この生き方としての美しさの象徴である梅の木は、人々が苦労の中でどのように生きていけばいいか、苦難の中でもどう美しく生きればいいかという姿勢として長く親しまれてきたのかもしれません。

引き続き、天神祭に向けて様々なことを学び直し深め続けて甦生させていきたいと思います。