知恵を絞る

物事には損得というものがあります。損というのは、何か自分が不利益を被るもの、そして得というのは利益を得るものとして認識されています。しかしその損得は、大きな視点から観ると一時的であって全体としては循環していることがわかります。

地球に置き換えてみれば、すべて地球で行われている損得はすべて「徳」です。つまり、一時的に損であっても長い目でみれば得であり、一時的に得であってもまた長い目でみれば損であることがあるのです。

また自然界で観ていれば、人間にとっての得はその他の生物にとっては損になります。長い目で人間は損をしても、自然環境の思いやり徳を積むことの方が偉大な得を得ることもあります。

自然界の利子で暮らしてきたアイヌの先人たちや、かつての先祖の循環型の生き方は今の時代からみれば原始人的で非効率的のように思われまずが本来の損得の意味を深く理解した行動であったのはきっと後世の人たちによって証明されるように思います。

現代のように物が溢れる大量消費の価値観と資本主義経済の世の中においては、この「徳」の深遠な智慧を理解することはないかもしれません。

しかし身近な暮らしや人間関係の中、その他のどんなことにも一損一得があり、そのどれもが必要なものでそれをどう活かすかというところに人類の智慧があります。利他で生きようとする人には、大きな余慶が入ってきて家が仕合せになるといいます。また自利貧というか、貧乏の影にはつねに自分さえよければいいという孤立が出てきます。

私たちは自然の法則の影響を受けますから、生き方を転換するような出来事が起きては人類はそこから学び直し、何度も文明をやり直してきました。今は、まさに文明の転換期ですがどのようにこれを立て直すのか。

私もブロックチェーンストリート構想を掲げていますが、新しい道徳経済を甦生するために知恵を絞りだしていきたいと思います。