楔を打ち込む

世界が同時にコロナウイルスが蔓延しています。地球は丸く、すべては海を通して一つにつながっています。改めて国境というものの意味のなさ、そして現代人類というものの傲りを感じます

そもそもむかしは、みんなで別々の地域に住み、多様な生活を通してあらゆる環境に適応する人々が存在していました。独自の生態系に独自の生活文化が多様にあることで、あらゆる気候変動や災害に備えることができました。

現代のように画一的に同じ生活文化を世界に広げてしまったことで多くの弊害が出てきました。これは過去の歴史で何度も学んでいたはずなのにまた同じことに遭遇しています。

のど元過ぎれば熱さ忘れるではないですが、人類は忘れてしまえば過去のこととして今驚いていますが、よおくむかしのことのを感覚的に思い出してみればおかしいと思うことがたくさんあることに気づくはずです。

それは道理に反していることが直観できたり、王道ではないと原理原則から外れていることに気づくことに似ています。そういう感覚的なものは、むかしの記憶にアクセスしているのです。

自然界においても、あらゆる生きものたちは自然の中に暮らしながら気候変動のサインを察知します。おかしいと少しでも思えば、行動に移して身を守り生活居住区も換えていきます。時には冬眠し、時には種として土深く潜ります。これは、生き残る戦略でありかつての歴史の災害の記憶をいつまでも忘れないために持っています。

人類の傲りとは、目に見えるものしか信じなくなり、かつての記憶を蔑ろにし、本来の直観や感覚よりも科学が勝っていると誤解したところにあるように思います。都市型の生活をみればすぐにわかりますが、災害に非常に脆弱なつくりになっていることがわかります。

もしもに備えているものがほとんどないのです。自然から離れることはかえって自然災害から弱くするということです。これはウイルスでも同じなのです。滅菌や殺菌などで無菌にしても、あっという間に耐性菌が出てきて広がります。しかも自分の身体の中に菌を何兆ももっているのだからそもそも殺菌とか滅菌とかしていたら最後は自分も死んでしまいます。

ウイルスも同様に、免疫をつけて共生している存在をすべて取り払うことは不可能です。自然界は共生するために、どうすればいいか、どのような戦略があるのかをすべての動植物やいのちの存在から学べるようになっています。

人類が頂点にいる錯覚を起こしたことに気づき、実は頂点ではなく自然界の智慧に敵わない事実を悟ることが今回のウイルスから学ばせてもらうことにように私は思います。

人類は学ぶことで成長する生きものですから、どんなことからも真摯に学び直し、改善し、努力していけばまたそれが別の方向へと世界を換えていけるように思います。今回の機会は二度とない機会かもしれません。しっかりと天からの教えをキャッチし、然るべきこれからの時代に楔を打ち込みたいと思います。