先生

人間は何を先生にするかでその考え方の基本ができてきます。

そもそも先生といわれるものにはいくつかあります。例えば、先に生まれた人や学徳のすぐれた人、そして自分が師事する人、他にも教師、医師、弁護士など、指導的立場にある人、政治家や議員に対しても使われたりします。

この先生は、私が中国に留学していたときはみんなを先生と呼び、学校の先生は老師と呼びました。中国での先生は、「~さん」という相手の敬称として使われます。なのでこの先生というのは日本で構築されてきた言葉なのがわかります。

先生というものは、尊敬するものとして使われていたものが次第に師匠や世間的に偉い人、自分よりも知識が豊富な人などに使われています。しかし先生をどのように定義するかはその人たちの生き方が影響します。

例えばある人は、子どもから学び子どもを先生にするのなら先生とはだれか、それはお互いに先生ということになります。先生とお互いに学び合って人達同士ではすべて先生になっているということです。

どちらかが上か下かではなく、みんな学び合っている同志、先生であるという意味です。このような学び方をすれば、誰かだけが偉い人や特別な人だけで先生が語られなくなります。誰かだけが先生で誰かだけが弟子というのは、人はいつかは死んで弟子も師になり、師も弟子になるときがきますからみんな先生であるのは自明の理です。

論語の中に「三人行えば必ず我が師あり」があります。

どんなことも先生にする人は、その生き方そのものが「先生」であるということでしょう。

子どもたちに先生がいる喜びや仕合せ、先生とお互いに尊敬し合う関係を伝承していくために、すべてのものを先生にして学び直していきたいと思います。

暮らしの甦生

世の中を眺める視点として地球(自然)が認めるものと人類が認めるものに大別されるように思います。人類が認めるものというのは、この世には人類しか存在しないという考え方で人間都合のみの社会で語られる正論や真実などのことです。

それに対し、地球(自然)が認めるものというのは歴史の篩にかけられ淘汰され循環の理を一切邪魔せず、人間も全体の一部であるといった全体調和したもののことです。

人間は教科書をはじめ、人類という枠内でこの世に社会と都市を形成してきました。しかしどんなに人類が道具を用いて便利な世の中を自然から切り取ったといっても、他の生き物を食べて生きていますし、自然の恩恵なければ生きながらえていくこともできません。それは宇宙に出てみてわかる自明の理です。

しかし、人類が人類だけを中心にこの先も物事を進めていくのなら必ず資源は枯渇し文明が崩壊するのはわかっていることです。これは過去に文明が滅んだ歴史を洞察しても人類は人類同士の中でのみ世の中を構築してしまうと結局は傲慢さや欲望にまけて自らで崩壊を招いています。

つまり人類のみで構成する文明はいつの時代も傲慢さを招き、地球や自然を一切邪魔しない全生命圏の共生と貢献の循環の生き方が謙虚を招き文化を醸成していきます。

かつて日本の大部分に住んでいたといわれるアイヌの人たちは、自然の利子で生活を営み、自分たちが自然に貢献することで得られた利子を少しずつ積み立てそれを子孫に譲り暮らしを充実させていきました。

どれだけ長く生きて、どれだけ心豊かに仕合せに生きられるかと考えればこの生き方が最善なのは誰でもわかります。実際には、利子ではなく元本に手をつけて借金ばかりを増やし借りれるだけ借りて返済もせずにすべて使い切り先送りして踏み倒そうという発想では必ず終わりがきて滅ぶのは客観的に観れば誰にだってわかります。

実際には日々に報道される環境汚染の現状をみていたり、国家間の紛争や民族対立などをみていたら、もうここまで来たらどうしようもないと目を逸らしたい気持ちもわかります。競争させられた孤独で不安な世の中で必死で守ろうとするのも確かに事実です。

しかし人類の素晴らしさは何よりもよくないと思ったなら先人の生き方を学び、何がもっとも人類にとって価値のある選択だったのかと歴史を先生にしていくことで理性と本能のバランスを保ち間違いを正していける生きものであるところです。

私は只今も自分なりに暮らしを甦生していますが、これは決して狭義でいう自分の生活だけを甦生させようとしているのではありません。広義でいえば、永く遠い懐かしい生活を甦生させることは人類が本当の意味で繁栄と発展を約束されていた生き方に気づきそれを人類が取り戻していくことです。

それは敢えて能力があるけれど使わないという決断、敢えて効率的である方を選ばないという決断、敢えて少し損をしてでも徳を積もうという決断をすることを暮らしの甦生であると定義するのです。

この暮らしという言葉もそれぞれで使っている人次第で言葉の定義も異なります。しかし人類にとっての本来の暮らしとは、子々孫々まで永遠に幸福で生きていくためのものであるのは古今普遍的なものです。

時代が変わっても、変えてはならないものがあるし変えていかなければならないものがあるのです。子どもたちの仕合せを願い、暮らしの甦生を続けていきたいと思います。

旅の醍醐味

旅という言葉があります。この言葉の語源は諸説あるようですが「他火」や「他日」ではないかといわれています。辞書によれば、「住み慣れた場所を離れること」と定義されています。そして英語ではtravelとも言いますがこの語源である古代ゲルマン語では「産みの苦しみ」ともいうそうです。

旅行は今では旅行会社のツアーのように、リゾートに遊びにいくように楽しいものと認識していますがむかしの旅は、つらく苦しいことであったことが語源からもわかります。

よく考えてみれば、自給自足する場所をようやく手に入れそこで住み慣れた家や暮らしを離れるというのはそれだけ危険や苦難を伴ったものです。現代のように便利な移動手段もなく、宿泊施設などもなく、食料は限られたものだけで常に心の緊張を保つ必要もあり、大変な覚悟と決意が求められたように思います。

かつての古の旅に関する格言も、今の時代に読むと意味がはっきりと伝わってこないのは時代的な環境や価値観の影響を受けているからです。もしもその時代に生まれていたなら、その言葉の意味もはっきりと共感し理解したかもしれません。

つまり人間は同じ言葉を使っていたとしても、同時代の価値観で同体験を積んでいない限りその言葉の持つ意味が分からないということです。これは同様に、人生に対する価値観と体験も然りです。

言葉を学ぶということは、時代が異なっても同じ生き方をしてみるということでもあります。その言葉に近づこうとして、今の時代なら何をすることがその意味に一番近づくかと考えてみると少し意味が深まります。そのように自ら体験して近づこうとすることが、冒険であり挑戦であり旅の醍醐味かもしれません。

旅をするというのは、今の時代も危険も苦難も本当は付き纏うものです。しかしそれでも得たいものがあり、それでも叶えたい夢があるのなら敢えて飛び込んでいく勇気が必要になります。

旅には日ごろ得られない大切なコトや物語に満ちています。

人生の旅を味わい、新たな挑戦の扉を開いていきたいと思います。

浄化場

現在、復古起新している「場」に日本古来からある蒸気浴を建設する構想を温めています。現在、サウナブームということもありサウナに関心を持つ人も増えていますがその目的や使い方によってサウナの定義や種類も異なるように思います。

私はかんながらの道の実践もありますから、私にとってのサウナの定義は「浄化場」になります。聴福庵も浄化を目的に「場」を醸成するために実践と甦生を続けていますが今度取り組む「場」もまた浄化を中心に建築を進めていきます。

そもそも浄化はその人次第のことでもありますから、それぞれに方法もやり方も異なります。古来から私たちは水のチカラをお借りして穢れを払い浄化していきました。その浄化の方法は、洗い清めることです。つまり水に流すことで清浄にするという方法です。

実際には、水そのものに浄化力があり水はすべてのものを透過して元の状態に回帰させていく力を持っています。実際には、水だけではなく風、火、土、月、木などすべての元素にもまた浄化のチカラが備わっています。

つまり浄化とは、原点に帰すチカラそのもののを指すのでありそれをどのように治癒に活かすかが私の場道家としての力量ということになります。

例えば、サウナであればその浄化のプロセスの結果として汗が出てきます。人間はこの世でもっとも汗をかく生きものですから汗を出すことで水を発散させていきます。他にも呼吸をはじめ体のあちこちから私たちは水を出し続けています。水が澱むことで人間は様々な健康的な問題を抱えていきますから澱まないようにすることこそが浄化の大切なポイントです。

その意味で、汗をかくというのは色々な意味で効果があります。特に精神的に病んでしまう理由に汗をかくことが少なくなっていることも起因します。私たちは汗をかいて働くことを喜びにしていた民族です。みんなで汗をかき、みんなでご飯を食べることで豊かさを味わい心も体も浄化していました。

最近では、便利さの中でIT環境が整備され空調のきいた場所で簡単で取れるサプリや加工食品を食べ働いていますから汗をかくこともなくなってきています。そのことから精神的にも肉体的にも病んでしまうことも増えています。自律神経のバランスもそこから崩れてしまいます。

汗をかくための「場」というものの価値は、このバランスを整える効果があります。何を整えていくのか、何を浄化するのか、その本質を確かにすることが私の取り組む「浄化場」の創造です。

引き続き子どもたちに懐かしい暮らしや心のふるさとを譲り遺せるように着々と実践を積み重ねて磨いていきたいと思います。

花火の心

夏といえば花火大会がありますが、改めて花火の歴史を少し深めてみようとおもいます。

花火は一説によれば紀元前3世紀の古代中国、火薬の基本となる硝石が発見されてからがはじまりといわれます。日本での歴史に残る最初の花火はそれから約2000年後の天正17年(1589年)7月、伊達正宗が観賞したのがはじまりといわれています。

また慶長18年(1613年)8月駿府で、徳川家康に、英国人ジョン・セリーヌが、同行の中国人の手で花火を見せたという記録も残っているともいいます。

そう考えると日本では戦後時代に鉄砲が伝来し火薬を使った兵器が広がったころにその火薬が平和利用されだしたということかもしれません。

またおもちゃ花火は、どの時代からというのはありませんが調べると1659年に初代鍵屋の弥兵衛が葦の管の中に火薬を入れた初歩的なおもちゃ花火を考案し売り出したことで江戸で爆発的な人気を得たと記録があります。

もうそれから360年も経っていますが私たちが庭先で遊ぶおもちゃ花火はとても伝統的なものであるのがわかります。現在は、様々な彩色の花火がありますがこれは明治以降に西洋から塩素酸カリウムやストロンチウム、バリウムなどの彩色光剤を輸入することにより産み出され、世界一といわれる日本の花火の基礎がつくられたといいます。

火薬は使い道次第では危険なものにもなりますが、それを豊かさに転じれば人々の心を癒し楽しませ、豊かな風情を担う道具にもなります。日本人の心を花火に観るのは、このように使い方や使い道、生き方や生き道を福に転じる力があるのを実感するからかもしれません。

子どもたちに花火の美しさと日本の心が伝承できるように暮らしの意味を一つ一つ、重ねていきたいと思います。

正直の徳

「正直」という言葉があります。これは、「正しくて、うそや偽りのないこと。また、そのさま。」とあります。具体的には、事実に基づいて嘘偽りなくありのまま伝えることを言います。しかしこれは生き方であるのはすぐにわかります。

生き方が正直な人は、事実や本質を見極めていますからいつも相手は自分の心や天に対して恥ずかしくないかという道や徳を常に確認し内省しながら歩んでいきます。

正直という言葉で有名な諺に、「正直の頭に神宿る」があります。これは正直な人には必ず神のご加護がある」という意味です。他にも似た諺には、「正直は一生の宝」があります。これはその正直さが周囲の信用や信頼を得て幸福を運んでくるからです。まさにこの正直こそが、宝のような価値のあるものということです。「正直は最善の策」などは、嘘ばかりついては嘘で塗り固められた嘘八百ばかりなってしまいます。嘘をつかないことこそが真実や本質、道理から外れないということでしょう。

これは嘘偽りない誠実な姿になるというのは、自然界にあるいのちそのものの姿です。自然が正直ですから、正直に生きていれば必ず自然は味方になってくれます。しかし正直でなければ、自然と反しますから自然淘汰されていきます。

正直さというものはそれだけで神のごとくであるという意味は、自然と一体になっているいのち本来の生き方が生き方に出ているからきっと「神=自然」として畏敬が顕れ偉大な存在に感じるからでしょう。

人間は純粋無垢に魂を磨いていけばいくほどに、この正直の徳の偉大さを感じるものです。見た目が少し損をしているように見えたとしても、実際はその損は徳を積んだことであり自分自身を磨いたという精進になります。

生き方は長い年月で醸成されていきます。どのように生きていくか、どのように生きてきたかはその人の生き様が決めていきます。自分が大切にしたい生き方を守ることが正直であるということでしょう。

子どもたちが正直の徳が伝承できるように、私自身、自己と正対し自分の中の誠や真心を磨いていきたいと思います。

 

本来のはじまり~祈りの原点~

神仏習合と神仏分離という言葉があります。日本にはもともと八百万の神々という思想がありますから、本来はすべてのものには神様が宿っているという自然信仰ですが歴史の中で色々と意図的に変化させられてきたとも言えます。

神仏分離や廃仏毀釈においては明治政府が発令した神仏分離判然令を含む、神仏分離に関わる法律の数々、その目的はそれを起草した人々の思想を少し紐解くとわかります。

例えば、津和野藩の藩主亀井茲監、福羽美静らが主導となって、神仏分離令と呼ばれる種々のお布令が出ます。これは、祭政一致・国家神道の確立を目的にして国家をまとめる宗教の体系化、国家を精神的に一つにまとめること。そして徳川の時代の否定として徳川幕府の時代に人民の管理をする役所のような働きをしていた寺院からの支配権の奪取や、思想的な改革をすること。

この明治の頃の神仏分離令は、西欧列強に負けないように国家を一つにまとめ上げる為に行われました。この神仏分離令は仏教を中心に排除しましたが同時にキリスト教等の排除も行ったといいます。

そして廃仏毀釈がはじまります。仏像、建造物、経典等々、後世に蛮行と言われる考えられないような破壊を繰り返したのです。これにより寺院は半数が日本から消えたと言われ、残った寺院でもその規模は大きく縮小したといわれています。

ここまでして結果的には政府の目論見は失敗したといいます。国家をまとめるために利用した神道を国民全体に布教するために設立した神祇省も機能せず結果的には数年で廃止し、代わりに仏教側の手助けを借りて設立した大教院・教部省ができますが、それもすぐに廃止され国家神道を国民に行きわたらせることはできませんでした。

神仏分離により、それまでの神仏習合の神様まで名前も分離され仏教の影響を取り除こうとしました。そして本来の寺院の名前も新しく塗り替えられたために、うちの地元のように妙見宮という名前がなくなり日若宮になったり、八龍宮が水祖神社になったりとそのまま変わったままです。

そして戦後、昭和20年にはGHQが政府に対して発した覚書(国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ 保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件)とし、覚書は信教の自由の確立と軍国主義の排除、国家神道を廃止し政教分離を徹底しました。

このように今、私たちが見知っている宗教はそれまでの過去の歴史のものとは別のものになっています。本来のはじまり、神仏習合からの現在までの歴史も書き換えられたのはほんのこの100年前後のことです。

自分たちが暮らしの中で祈り育んできた道徳は、頭で認識するものとは別に遺伝子じめ伝統と伝承の中で私たちの文化の血肉に根付いています。その証拠に、日本人は有難いや勿体ないやご縁、そして慎まさや礼儀正しさ、正直さなどをもっている人ばかりです。

引き続き、本来のはじまりを深めながら子どもたちにあるがままを伝承していきたいと思います。

景観とは何か

以前、ドイツに訪問したときにその街並みの美しさには感動したことがあります。ドイツでは、戦後の復興の際に戦争で破壊された街を時間をかけて元通りの美しい街並みに復興するために都市計画を立てたといいます。

それを着実に数十年取り組んできたことで、今ではドイツらしい温故知新に取り組み街並みもそれに応じて美しく変化したのかもしれません。

歴史を調べると日本では関東大震災後にアメリカの都市美運動の影響を受け、都市計画関係者の間で「都市美」という言葉がしばしば用いられたようですが激化する戦争、戦災からの復興、高度経済成長という過程の中では合理性や経済性が優先され景観への配慮といった要素は主観的なものと考えられ軽視されるようになったといいます。

そして高度成長期以降は生活様式の変化で自然、都市や農村の景観も大きく変化し、鎌倉、飛鳥、奈良、京都といった日本の文化史上特に重要と考えられる地域まで合理性と経済性が入り込み景観が壊れていきました。

長い目で観て復元をしてきたドイツに対し、日本は目先の損得が押し切られ様々な法律が裏目に出るようになり古い町並みや古い建物は復元することもできず凄まじい勢いで壊され便利な建物、便利な街に変化していきました。田舎にもフランチャイズの店舗や、大型マンションが建ち、どこもかしこも画一的な街並みになっていきました。

2003年には国土交通省から「美しい国づくり政策大綱」を策定されました。そして2004年(平成16年)に景観法が制定され「美しく風格のある国土の形成、潤いのある豊かな生活環境の創造及び個性的で活力ある地域社会の実現」が目的にされています。しかし具体的にこの景観法が何ら規制を行うものでないためそれぞれの自治体が景観計画などを定める必要があるといいます。

みんな我先に、自分さえよければいいと好き勝手に利益ばかりを追い求めてしまうと街並みが壊れていきます。これは自然の中に都市を勝手につくり、様々な生き物たちが追いやられていくことに似ています。

本来の都市とは何か、その土地の風土の中で共生していくとは何か、そういうものよりも経済合理性のみを追求してきたツケが子孫たちに残されていきました。長い目で観て、経済合理性だけではない道徳的なものを如何に大切にバランスを保って維持するか。

世界が今、取り組んでいるSDGsも同様に持続可能な経済をどう保つかはこの経済と道徳の一致を目指すからです。

まとめればつまり、景観にはその景観に生き方が映るということです。その景観が美しく豊かであればそこの人々の生き方が映ります。そしてまた景観が懐かしく新鮮であればまたその場所の人々の生き様が映ります。

都市計画とは、生き方計画でもあるのです。

子どもたちがどのような街で暮らしていくか、子孫たちにどのような生き方を伝承していくか、私たちは今こそ、戦後復興のプロセスから学び直し、本来の復興とは何か、原点回帰してまちづくり、国造りをしていく必要を感じています。

今、私にできることから取り組んでいきたいと思います。

遺志を継ぐ

日本は戦後に急激な発展を遂げた国だといわれます。これは戦後の生き残った人たちが、志半ばで斃れた戦友たちのためにと奮い立って努力してきた結果だとも言えます。

志半ばのことを遺志とも言います。この遺志とは、故人が、果たすことができないで残した志のことです。

人間はある意味で、志を最期まで見届けて死ぬ人の方が少ないように思います。一代では叶えることができないからこそ、継ぐ人が出ることでその志はつながっていきます。

そう考えてみると、この「継ぐ人」というものがどれだけ大切であるのかがわかります。誰でもいい、誰かが継いでくれればいいという安心感。そしてその遺志は、誰かが必ず継いでくれるという安心感。

私たちが子どもたちの未来を見守り、子どもたちに託していくように志も同様に託していくのです。

そして戦友や仲間というものは、身近でもっとも遺志を継いでくれる存在であるようにも思います。自分がやり遂げたかったもの、自分が実現したかったものを受け継ぐ人の志の養分にして叶えてくれるのです。

人は決して一人ではありません。

その連綿とつながっていく喜びこそ、共に生きる豊かさなのかもしれません。

子どもたちのために、人類の未来のために協力していきたいと思います。

問処の道得

「問処の道得」という言葉があります。これは「正蔵眼法」古仏巻にはこう記されます。

「国師、因僧問、如何是古仏心。師云、牆壁瓦礫。いはゆる問処は、這頭得恁麼といひ、那頭得恁麼といふなり。この道得を挙して、問処とせるなり。この問処、ひろく古今の道得となれり。」と。

道元禅師は、問処の言葉が、そのまま仏の道理の表現になるともいいます。つまりは、「自問自答」こそが仏との対話であるということです。

この自問自答には、深さがあるように思います。どれだけ透明な心で自問したか、そしてどれだけ信じ切り時を待ったかという深さによって得られる答えがが変わってきます。純粋であればあるほどに、時空を超え時節を超え真実に到達します。

歴史の偉人たちが純粋な心で取り組んだことは、何百年何千年を超越して私たちの心にその問いを与え続けています。そして私たちはその答えを探し続けながら日々に心を研鑽していくのです、

心の研鑽はまさにこの問処の道得のようです。

私も日々に早朝に起きては内省をし、問処をし続けます。自分自身の純粋な魂が何を臨んだか、そして心は何を味わったのか、頭はどのように整理したのかと、それぞれに一つ一つ問いを発していきます。そして自問自答を繰り返しまた新しい一日を迎えていきます。

この夢のような日々の中で、感謝に包まれながら歩むことができる日々と対峙しながらその意味を深めていくのです。まさにこの問処の実践をすることこそが、仏の道理になるというのは共感するところです。

問処の実践は、流されるけれど流されず、風に吹かれるけれど吹かれないというような今との向き合いが必要です。それはどれだけ心や魂の声に従って自分を活かしきったか、そして全体に対して目的を忘れずに初心を貫いたか、というような主人公としての主体性が必要です。言い換えればいのちを使い切る努力が必要です。

特に今の時代は、なんでも物がそろい溢れ、情報化の中で現実世界(地球の循環)から遠ざかる生活が増えてきています。だからこそなお一層、自然を身近に感じ、自然に近づき、自然と一体化していく努力がいるのです。

地球に住むすべてのいのちは、問処の道得を実践しているように思います。

子どもたちに道理が伝承できるように、自然の生き物たちのように今にいのちを使い切っていきたいと思います。