場のハタラキ

場のハタラキというものがあります。これは自分が直接的に何かをしなくても、その場がその代わりにハタラキをするということです。これは別の言い方では、やるべきことは全てやってあとは運や天命に任せるというものにも似ています。

これは自分でやると小さな力でも、その小さな力で大きな力を引き出すということにもなります。テコの原理なども、小さな力で大きな力を使います。場のハタラキは、これにさらにもっと偉大な力を使うということです。

例えば、場には想いが宿ります。他にも時が宿ります。重力も宿り、引力も宿ります。他にはいのちが宿り精神が宿ります。つまりありとあらゆるものを器の中に容れて宿らせることができるのです。そしてその場は、目には観えませんが偉大な調和が生れその中で奇跡のようなハタラキをはじめます。これは、物事がなぜかうまくいったり、不思議なご縁を引き出したり、一期一会の見事なタイミングがあわせたりします。

なぜかその場にいけば、いつも物事が善いように運ばれる。なぜかこの場所に来ると心が落ち着き、不思議と話も仕事もうまくいくということが発生するのです。

それがそのようになるのは、その場を創っている人が中心にあるのは間違いありません。ではその場をつくる人は何をしているのか。それは日々に心のお手入れをして場を調えているのです。場を調えることで場のハタラキはさらに活性化していきます。そのためには、生き物に接するように、あるいは神仏に仕えるように謙虚に丁寧に実践していくしかありません。

私は場道家として、場の道場でこのような場のハタラキを研究し実践していますが次々に場のハタラキが可視化され、多くの人たちに感じてもらうようにもなってきました。私が取り組んでいるのは、単なる場所貸しではなく、場のハタラキを受けられる場を提供しているということでしょう。

1000年先の子孫たちに伝承されていくように、まだまだ長い時間をかけてじっくりと醸成していきたいと思います。

心を活かす生き方

中村天風先生という方がいます。この方は今から約150年前に誕生されのちに天風会というものを創設し心身統一法というものを生み出して多くの方々に影響を与えました。

私もはじめて志のため海外へ留学する際には、自分の弱い心を奮い立たせようと座右の書として何回も読み直しました。その後は、就職して営業職についてからもいつも名刺の中に中村天風先生の言葉をメモし仕事の合間の車内の中で何回も言葉に出して発していたことを覚えています。

その中で最も私が影響を受けたのは、積極思考というものでした。これは、消極的な生き方をしないということ。病気も弱い心もすべてはこの自分の中にある消極的な思考が引き寄せているというものです。

例えば、病気になるとだるいやきつい、熱があるなどから不安になったり心配事が増えて、そのうち治りも悪いと不平や不満ばかりがでてきます。本来は、その病気は自分の免疫をつけてくださっている大切なものであったり、自分を見つめ内省する機会いなったり、あるいは病気の治癒に専念できる有難い周囲の方々や両親をはじめ会社の人たちなどの存在があっているのです。不平や不満や不安や不信などが、消極的な生き方を育て、そのことによって永遠に病気の根源が治癒しないのです。それを積極思考にして絶対安心の境地に入る時、不思議なことに私たちは病気そのものの根源が絶たれるともいいます。

これは「生きる姿勢」の話でもあり、「心の在り方」でもあり、どんな今でも真摯に生き切ったかといういのちの根源との繋がりの話です。

天風先生はこう言います。「絶対に消極的な言葉は使わないこと。否定的な言葉は口から出さないこと。悲観的な言葉なんか、断然もう自分の言葉の中にはないんだと考えるぐらいな厳格さを、持っていなければだめなんですよ。」

消極的精神に対してのどうあることが積極的精神であるか、こういいます。

「どんな目にあっても、どんな苦しい目、どんな思いがけない大事にあっても、日常と少しも違わない、平然としてこれに対処する。これが私の言う積極的精神なんであります。」

常に平然と平常心で対処していく、それがまず積極的な精神を持つということです。そしてこうもいいます。

「運命だって、心の力が勝れば、運命は心の支配下になるんです。」

どんな状態であったとしても心の力が消極的なものの打ち克てば運命すらも心が支配できるというのです。そして心についてはこう言います。

「心も身体も道具である。」

道具のように大切に使い使いこなしていけば、いいというのです。だらこそ常に人生に対して、心と体を心身統一していこうといいます。

最後にこうもいいます。

「人生は生かされてるんじゃない。生きる人生でなきゃいけない。」と。

頭で知識で理解することができても、それを自分のものにするには常に日々の自己を磨き続けなければなりません。日々に様々な出来事が発生しても、それをどのように受け取り、心と身体を使って感謝や歓喜に換えていくのか。人生の醍醐味というのは、この小さな体験をどれだけ厚く豊かにしていくかということかもしれません。

子どもたちや子孫の仕合せのためにも、先人たちが人生をかけて遺してくださった生き方や知恵を実践で伝承していきたいと思います。

場の徳

人は場を通して心を広げていけるように思います。それは波紋のようなものです。波紋は波動ともいえます。お山の中にいて、色々な生き物たちの音が聴こえてきます。この音は、波紋として全体に響きます。その音は、水の音や風の音、そして植物の触れる音、鳥の声、虫の羽ばたき、木々の揺らぎなどあらゆるものが自然の波動を合わせていきます。

その合わせていくものに心を寄せていくと、次第に境界線が取り払われ少し遠くで行われる波紋も感覚が拾うようになっていきます。身体の中にある様々な感覚と一体化していく感じです。それを感じていると、お山全体の波紋や波動を感じます。

たとえば、深夜の静けさに包まれているときのお山の状態。そして朝から昼にかけての状態、一日のの中で何度もその波紋や波動を感じます。すると、次第に自分がお山になっているのかのような感覚を得られます。すると、とても穏やかで静かな心になります。シンプルに心地いいのです。この心地よさというのは、心が地に着いているということでしょう。別の言い方にすると、落ち着いているということです。

心は場に落ち着くと、心は全体と結ばれていきます。心地よさというのは、波紋や波動が好循環して調和しているということでしょう。

お山には、そのような調和を司るいのちが宿っているようにも思います。お山にいき静かに瞑想をし、あるいは自然と結ばれると心が落ち着くというのはお山自体にそういう場があるからです。

その場をどう守っていくかというのは、如何にその靜けさを保つかということに他なりません。英彦山の宿坊で、ただ一人閑かに暮らしていると先人たちが何をこの場で取り組んできたのかが感覚的に伝わってきます。

先人たちが磨いてきた場の徳を、これからも大切に守っていきたいと思います。

守静坊の護符

今日は、一年のうちに7回しかないといわれる己巳の日と大明月が重なる日といわれます。この巳(み)とは、十二支の蛇のことで陰陽五行では土は金を生むということから蛇は金運、宝の神様とし弁財天のお遣いといわれています。また大明月というのは、暦では七箇の善日といわれ「物事の始まりを天が明るく照らしてくれる日」という意味があります。これが合わさった大吉日ということになります。

これから英彦山の守静坊で護符づくりを行います。この護符は、もともと御守りや魔除けとして太古の時代より伝承されてきました。今ではあまり護符や御札はその価値や意味も次第に薄れていますが、むかしは偉大な効果があるものとして人々の間で大切にされていました。これだけ悠久の歴史の篩にかけて今でも残っているのは、それだけの価値があるものだからということでしょう。

私は現在、英彦山で懐かしいお山の暮らしを甦生しています。護符づくりもその一つです。昨日から場を調え、周囲をお掃除し、隅々まで新しい湧水で拭き清めていき宿坊全体を清浄にしていきます。またこの場のすべてをご供養して室礼をし、供物などを捧げます。また護符用の和紙は、ご神木のサクラの木の下に一晩安置してサクラの徳が宿るようにいのります。

そして弁財天の祠をお掃除し、同様に供物を捧げ焼香や読経、法螺貝を奉納し場を清めます。私自身も食べものをはじめお酒も控え、麻やヒノキや和晒しで眠り早起きしてお水を換えて供物を調え火を入れて座禅をします。その後は、弁財天に祈祷をし前日同様なことを全て行い禊をしてから場をととのえます。この日は朝からは甘酒だけにし、鏡を磨いたあとは火と水と音だけで過ごします。

護符は、秋月の手漉き和紙ですが楮ではなくミツマタを使い今回は材料のところからこだわり何度も祈りを捧げながら半年かけて職人さんと共につくったものです。そして墨は200年前の固形墨を削ります。赤は辰砂を使い、龍脳の粉を少し混ぜていきます。そこに守静坊の汲みたての湧水を使い、版木は江戸時代のこの宿坊で伝承されてきたものを手で一つ一つ丁寧に押して力を篭めて入れていきます。

護符は丁寧に乾かし、最後に祭壇の前で法螺貝を吹き立てたあと大切に仕舞います。

ご縁のある方々がこの護符のご縁でさらによりよくなりますようにと真心を籠めていきます。よく護符は祈祷師の霊的力量次第ともいわれますが、私はそんな霊的力量に軸足を置かず、むかしの人たちが丹誠を籠めて丁寧に手間暇をかけて取り組んできたプロセスの方を尊重してつくるようにしています。

印刷機などの便利な道具で簡単にスピーディに大量につくれる時代だからこそ、長い時間をかけて、一つ一つの意味を噛み締めながら何一つ怠らず謙虚に真摯に真心を籠めて取り組むと不思議ですがそういうところにこそ神が宿るような気もしています。

そして己巳の日、大明日という大吉日に縁起を担ぐのも、このおめでたい日だからこそ「予祝」として先に叶うと丸ごと信じて、先人たちの生き方の実践し続けていきたいと思います。

暮らしの中の護符に感謝、おめでとうございます。

徳は永遠の道

「懐徳堂300周年供養祭×徳が循環する未来の甦生シンポジウム×ブロックチェーン経済」を無事に開催することができました。有難いことに徳を実践する方々やこれから取り組もうとする方々が集まり温かい雰囲気に包まれた「場」になりました。

最初は、みんなで場を調えることからはじめ蜜蝋などで場のお手入れをしました。そして床の間に集まり法螺貝奉納後、懐徳堂の創設者や學主をはじめ関りの深いご縁のある方々と、この活動を深く支援してくださった方々、また参加者のご先祖様たちをご供養して念仏とご焼香をみんなで行いました。

会場を移動し、真ん中のテーブルをみんなで囲んでシンポジウムを行いました。シンポジウムでは、懐徳堂のその当時の歴史的背景や人物模様、また資本主義がはじまったころから今の成熟していくまでのプロセスでそれぞれの人物たちが何を思い、どう語ってきたかなど先人たちの遺徳を偲び学び直しました。人と人の繋がりの中にある徳を積む話にはみんな深く共感していたのが印象的でした。また贈与や布施、徳積という人間本来の結び合いから新しい技術を通して懐かしい未来やこれからの可能性についても話しました。また世の中の変革は、上からではなく底辺から一人からというのも印象に残りました。

ブロックチェーン経済のところでは、この2年間の私の徳積帳の経過や反省点や課題点、そして可能性や思いなどについて話をしました。同時に、本来のブロックチェーン技術は循環や徳積であることが望ましいこと、技術の前に人間が自分に打ち克つことの価値などを同志や開発者から話がありました。

その後は、みんなで車座になって火鉢を囲み懐徳堂の甦生を試みました。34名ほどの参加者が、それぞれに尊敬する生き方や今回の学びで気づいたことを語り合いました。涙する人もいれば、深く自省している人もいて、またそれぞれの言葉に励まされ元氣や勇氣をたくさんいただいたという言葉が多かったのも印象的でした。それぞれの場で、それぞれに挑戦している人たちだからこそ一人ではないと実感されたように思います。

最後は、直来をして朝から地下水と備長炭で竈で炊いたむかしのお米のおむすびと、伝統在来種の高菜や自然食の副菜、きのこ汁をみんなで食べてとても豊かな時間を過ごすことができました。おやつには、日本最大饅頭の柏屋さんのお饅頭をいただきました。

多くの徳積スタッフがお手伝いいただき、居心地のよい場をつくってくれています。BAでは自然農の畑や田んぼのように、多くの自然に見守られ健やかにいのちが育つ場が醸成されています。有難いことで、自然の叡智には感謝しかありません。

論語に、「徳は孤ならず必ず隣あり」という言葉があります。

まさにそれを実感する素晴らしい一日になりました。懐徳堂も300年前、「人の道」を大切にしようと志してはじまったといいます、先人たちが志たような場をこれからも何度も甦生していくことでその遺徳を継いでいけるようにも思います。

長い時代のなかで、人はずっと人の道を大切にしてきました。少し時代が揺さぶられて道から離れてもそれもほんのわずかな時間です。また原点回帰して元の道に戻れば、そのあとを子々孫々たちが歩んできます。

徳は永遠の道です。

引き続き、場を磨き、場を調え、場と和しながら徳を積み、子どもたちのために今できることを真摯に有難く取り組んでいきたいと思います。

 

自然學問の実践~場の道場~

もともと私たちは自然からあらゆる原理を学びます。その理由は、私たちは自然に活かされ自然がなければ生きていけない存在だからです。この水も空気も太陽も植物も土も微生物もすべて存在しているから私たちの肉体をはじめ精神は健康を保つことができます。その自然の恩徳をいただき存在するからこそ、私たちはその恩徳の存在の根源は何かとその自然學問への探求心が磨かれていくようにも思います。

この自然というのは、言葉で切り分けた自然ではありません。自分も入っている自然ですからもっと突き詰めれば自分というものも存在しない、あるいは自分も渾然一体になっている自然のことです。

その自然の原理というのは、観察によって磨かれます。農などはまさに観察の學問です。自然のハタラキのありとあらゆるものを観察して察知し、その原理を活かして暮らしを成り立てます。むかしの人たちは当たり前に學問に励み、自然に精通していたともいえます。

そして同時に人間のことも観察します。人間の存在が顕す自然の原理をよく観てそれを「孝」として察知し學問を磨きます。人間の徳が、孝によって磨かれ高められ自然に深く厚く循環を恩恵をめぐらせることを発見します。

発見した原理を如何に実践するかというのが、この世の中の経世済民家であり今では経営者といわれる人たちかもしれません。経営者は、自分の経営からということであれば世界人類皆経営者ということになります。

論語大学に、明徳の道はとありますがまさに自然の道はと言い換えれば孝の実践です。人間がいつまでも自然のままであること、これを古来の日本ではかんながらの道とも言いました。

また原理を具体的に実践した人に、二宮尊徳先生がいます。

この方に「たらいの水」理論の実践があります。これはたらいを使って、世の中が丸くなっていること、つまり自然が一円であることを説きました。今では地球を外からいくらでも科学的に観察できますからこの原理は自然の原理であることはもう誰にでもわかります。その中で、二宮尊徳先生は「欲心を起して水を自分の方にかきよせると、向うににげる。人のためにと向うにおしやれば、わが方にかえる。」とし、贈与していく実践を見せてはそれが如何に循環して最終的な偉大な恵みになって帰ってくることを可視化しました。

この思想は、一円観ともいい私もこの思想の原理と同じ意識で徳が循環する経済を実現させようと挑戦しています。これを「場」に投影させるということが、今の私の実践です。

そのため私が「場の道場」を創設して、場のハタラキがどこまでその徳を循環させるのかを観察する実験場としているのです。

今回、その実験の一つの節目としてどのような働きがあるのかがまた新たに観察できます。たらいの水の理論は、私に言うとまず一円であること、そしてお水が宿していること、そして循環すること、さらには浮かんでいるということ、最後はそのたらいそのものが生きているということが重要です。

徳は永遠に巡り、それが子々孫々へと恵みます。

今の時代だからこその面白さを、學び治していきたいと思います。

ふるさとの宝

私たちの暮らしている場所にはそれぞれに固有の風土があります。この風土とは、その地域の自然環境のことです。しかしその自然の中には、単なる気候や土や環境のようなものとは別にその地域の人々の気質や生活文化、そして醸成されてきた性格を含めて様々なものが混淆しています。これらを括って風土ともいいます。

その風土が生んだものの一つに特産品というものがあります。これはその地域でしかできない、その地域固有の個性です。食文化などもその影響を大きく受けています。私たちが観光である地域を訪れ、その地域の素晴らしさを実感するときにその地域の特産品をその場所で食べると驚くほどに美味しく感じ、その地域の魅力に深く魅了されます。

私もかつて旅行でその地域の特産品を食べて感動して、それを持ち帰ったり東京で食べたりしましたがあまりその時のような感動がありませんでした。その「風土の中で」というのが最も重要だったことがわかります。風土には、人物空間、歴史や伝統などありとあらゆるものが混然一体になっているということでそれを深く味わえるのです。

この特産品の「特」というのは、特別の特のことです。この「特」の字はもともと古代中国の象形文字です。元々は牛に関する特別な印を示す意味で、牛をさしていたとされています。それだけ他とは異なる最も優れたものが牛だったということでしょう。特許や特有などといってむかしから大切なものの総称としても使われます。

そしてこの特産品は辞書で引くと「ある特定の国や地域でのみ生産 されたり、収穫 される物品のことでその地域を代表しその土地の気候風土を生かした物品のこと」とあります。

似た言葉に名品、名産品というものがあります。これは「その土地でしか作られないわけではない」ものです。その地域で売れていたり有名なものが名産品です。

しかし不思議なことにこれだけ重要な名産や特産の違いはあまり気にされず、言葉の意味や使い分けの部分は曖昧なままに偽物が年々増えているように思います。産地偽装や原材料の不透明化、さらには加工している時に大量の化学添加物を入れたりその土地の人や道具、あるいはプロセスなども無視したものでもまるで本物のように出回ります。世間では原材料も一部は違っても100パーセントと言っていいとかの規制緩和があったりして?ですし、他にも色々と調べれはきりがないほど「グレーゾーン」な部分が増えるのが当たり前で世の中は誤魔化しばかりです。それこそDAOの技術であるブロックチェーン技術も今は偽装を防ぐためばかりに使われています。

海外ではブランド品が模倣され様々な問題になっています。信じて買ってみたら、実際には偽装されたものだったとなれば売る方も買う方も悲しい気持ちになります。そうならないようにと、色々と対策を立ててはいますが売り買いする方も見た目ばかりを誤魔化して販売してきたことで、本物を見分ける力も失われているものです。

例えば、食に関する特産品であれば生産から加工販売まで全てを正直に自分で取り組んでいる人は偽装はしません。首尾一貫して本物にこだわり、伝統文化を守り風土と共に生きる人は偽装できません。それを「現場に見に行けば」すぐに本物かどうかは見分けがつきます。ただ、儲けに目が眩んで正直に取り組まなくなれば品質は下がります。

農業であれば、農薬や肥料をつかい機械化し大量生産をし種を改良しとすれば本来の風土の味が劣化していきます。加工でも便利なものを使い時短をし添加物などで誤魔化せば味が劣化します。また販売する方も、見た目ばかりで消費者が買いそうなものにデザインし流通にのるように価格をコントロールすることでさらに味が劣化します。

つまり正直に取り組まないから味が劣化するわけで、正直に取り組んでいれば味はその風土を体現するような本物の磨かれた味わいが出てきます。味に出るから本来は誤魔化せないはずなのですが、味を目や脳みその思い込みで食べている時代はなかなか本物を見分ける本能や感性も劣化してしまうものです。

話を戻せば、特産品というものは本来は「ふるさとの宝」です。このふるさとの宝をどう甦生して、そのふるさとの魅力を開発していくかはその志事に関わる人たちの大切な使命であるはずです。

それに気づいている人たちが地域の宝を守り、その宝を守る時にブランド化するということでしょう。みんなで守ろうとしなければブランドはできません。まず何が地域の宝なのか、そしてその宝をどう守るのか、それが将来の子どもたちや子孫へ何を譲り遺せるかにかかってきます。私が取り組む古民家甦生もですが、現在の消費優先の利益吸い上げ型の仕組みに気づき宝を磨いて守っていくような経世済民型の仕組みに転換していく必要性を感じています。

核心は常にこの宝を何にするかにかかっています。

引き続き、人類の本当の宝を磨いていきたいと思います。

先人たちの御恩

昨日は、国東半島にある三浦梅園先生と帆足万里先生のお墓参りをしてきました。三浦梅園先生は、昨年冬の生誕300周年記念イベントの深い學びに感謝の御礼をしてきました。旧宅でもご位牌にお経をあげて懐かしい時間を過ごすことができました。三浦梅園先生は、ご両親をはじめご先祖様をとても大切になさったと言われます。

実父の死後には三浦家一統の墓石を一ヶ所に集め、一日三度の墓参を欠かさず老齢に至ってからも一日二度の墓参は亡くなる数日前まで続いたといわれます。長男の黄鶴が「死に仕ふることかくのごとし。生に仕ふること、知るべし」とその生きざまを残しています。

これは列子にある「生を視ること死の如し」とも似ています。生死は自然の一部として分けずに超越しどれも天命や宇宙の流れの一部として身を任せるという生きる態度のことです。

そもそもこの世にある元氣や空氣などという氣というもの、目には観えませんが確かに存在します。また霊魂などといわれ、意識、念というものも眼には観えませんが確かに存在します。どれもこれも自然ということで、万物は常に一体善として存在するのだからそのすべてに仕えるということでしょう。

常に分けないで当たり前の暮らしを丁寧に実践しておられた三浦梅園先生は亡くなった今でも私の恩師です。その先生の言葉に、「学問は飯と心得べし、腹にあくがためなり。掛物のやうに、人に見せんずるためにはあらず」とあります。

このブログもですが、誰かに見せたり名誉や地位や金銭のためにするのではなく日々の丁寧に滋味を食べていく御飯のように學問をすることへの態度を語られます。常に日々の生き方が學そのものということでしょう。

また現代でもメディアを賑わしている人たちにも似ているのかもしれませんが「学文は臭きなのやうなり。とくと臭味を去らば用ひがたし、少し書を読めば学者臭し、余計書を読めば余計学者臭し、こまりしものなり。」ともいいます。

これは三浦梅園先生に学んだお弟子さんの一人に脇蘭室先生があります。この方が、「學問の道は知ると行うにあり。必ずよく知り、よく行うこと」と常に自他を戒めていました。また自分を愚山とも名づけこういいます、「この山は土は浅くてよい木材を育てることができず、勢いもなく雲を生み雨を降らすこともできない。したがって誰にも振り返って見られることのない山、私はこの山に似ているので愚山と名乗ることにした」と。學は志を遜にするにありの実践です。

學を志す姿勢や態度は今の時代はどうなっているのでしょうか。親孝行をし、家という社會をどのように治めていくか。畢竟、世界の紛争や欲望で大衆がどうしようもないところまで追い詰められる前に如何に未然に調えて守ろうかと考えたとき、そこには教育しかないことに氣づきます。學問は、人のためにあるのでしょう。そしてそれは謙虚に、真心の実践を積さかねていくことで徳を醸成していくことが一番の道です。

また帆足万里先生は、その脇蘭室より学びます。一生涯、恩師として慕ったことがわかります。その帆足万里先生も自らを愚亭と名乗ります。私塾の西崦精舎(せいえんせいしゃ)では弟子たちの善いところを見抜き、それを活かすために一緒に學を深めたといいます。外科医に向いている弟子がいれば、自分が外科のことを學び導き、オランダ語も40歳から学び、弟子たちを導きました。ここでも知るだけではなく行うことを重視した生き方が観えます。

時代が変わっても、學問の態度や本質は普遍的で変わることはありません。人格を磨き上げて謙虚に真摯に取り組んだ先人たちの背中を見ては恥ずかしい思いがします。自分はどこまで知った気になっているのか、自分を省みると本当はどれだけ実践で気づいて語っているかと思うととても残念な思いもします。まだまだはじまったばかりの學問を定期的に報告していますが謙虚にありのままのことを伝えていきたいと思います。

先人たちの生き方が私たちの今を照らします。心からご冥福をお祈りし、志を継いでいきたいと思います。

盂蘭盆会の徳

先日から自宅で今年の分の落雁をつくり盂蘭盆会のお供えをはじめています。今回は菊の花を象った木型をつかい美しい菊の落雁ができました。以前、このブログでも紹介しましたが落雁は室町時代に中国経由で日本に伝来したものです。

落雁の名前の由来は中国では軟楽甘という名前からというものと、平たく四角形に固められた表面に胡麻を散らせた様が近江八景のひとつ「堅田の落雁」に似ていたからとも。実際の内容は、仏陀の百味飲物(ひゃくみおんじき)が由来です。これは目連という僧侶が亡くなったお母さんが食べられるようにと供養に用いたところがはじまりです。

実際に手作りで落雁をつくってみると、その一つ一つの工程が供養に結ばれていることが分かります。私たちは誰かのことを思いやり、真心で手作りするとき手から供養が入ります。物質的なものの見方だけではなく、たとえ目には観えなくてもこの世には魂や思いのようなものが存在します。

例えば、「場」というものにおいても追善供養といっていつまでも亡くなった方の遺徳を偲び、いつまでもその人への感謝や魂への尊敬を失わないでいるといつまでもこの世に存在し続けています。目には観えないし直接に触ることもできませんが、意識を通して触れ合うこともでき、同時に冥福を祈るように供養をすると心で通じ合うこともできるように思います。

お経やお香、お水やお光など、また声や音などを通しても伝わっていくようにも思います。私たちはそういう目には観えないものを「場」で感じることができるのです。

私が場を調えて、場を磨くのは、目には観えないものの存在によって私たちが謙虚に覚り反省しさらに世の中を明るく徳が伝承していくような実践をして豊かさや仕合せを感じるようにしていきたいからです。

私たちの存在は、親祖をはじめ祖先からずっといただいてきた何かでできています。それも徳の一つです。その徳を大切にするために、私たちは先祖へのご供養をします。先祖を思い慕い冥福に感謝するとき、同時に自分自身の徳へも感謝していることになります。

この盂蘭盆会の時機は、一年でもっとも豊かな暮らしが味わえる時間です。丁寧に真心を籠めて、場を調えて先人たちの遺徳の全てにここから祈りたいと思います。

徳の根源

懐徳堂の学問を深めていくと、「孝」が中心になっていることがわかります。この孝とは、中国の孝経が由来で孔子が弟子の曾子に孝こそが徳の根源と語ったものから由来します。

孝経の中で「身体髪膚之を父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始なり」とあります。これは自分の身体は元々は父母からいただいたもの、その身体を大切にして傷つけないようにすることが最初の孝行であると。そこからずっと辿っていけば、ご先祖様からいただいたこの大切な身体を真心で大切にしていくことが孝行であるといいます。

そもそも「徳の根源」というものはどのようなものか、私の解釈ではそれは生まれる前から私たちに具わっているというもののことです。これは人間に限らずあらゆる生き物にも等しくいえます。

生まれたばかりの鶏でも本能があり、誰も何を教えてなくても餌の食べ方や遊び方、水の飲み方からその体の使い方や鳴き声が具わっています。親は子を守り、子は親を信頼します。これは自分が勝手に得たものではなく、父母をはじめ先祖からの徳の根源の存在があるからです。

自分の身体と共に生きている存在に感謝してそれに孝行することは先祖に孝行することと同じとも言えます。その気持ちをもって実際の父母を自分と同じように孝行をし、そして同時にその先のご先祖様たちの存在にも感謝を忘れないで暮らしていくことができればそれは徳を積んでいるのと同様であるということでしょう。実際には、その孝行を盡すのを広げて他にも国家の主や上司や先輩にも仕えていくことを忠孝ともいいました。明治維新以降はこの忠孝という言葉が戦争に使われ戦後はこの忠孝を忘れるような教育が入り家の概念も薄れて失われていきました。今では歪んだ個人主義が蔓延し、忠孝はパワハラや押し付けともなっています。

本来、この忠孝は「徳」の存在を感じるものであり、身近な徳を理解し実践するのに何よりも近道になっているものだったように思います。自分を大切に見守ってくださっている存在を自分と同じかそれ以上に深く思いやり愛することによって私たちは徳の根源にいつも出会うということでしょう。

懐徳堂もその教義の中で、「孝」「悌」をまず第一の徳目として掲げていたといいます。具体的には「父母によくお仕えするのを孝といい、年長者によくお仕えするのを悌と名付ける」とあります。そして「孝悌の二字は日夜心がけて、一生忘れてはならない」ともいい學問の道に導いていました。

同じく近江聖人と呼ばれた中江藤樹先生は、「父母の恩徳は天よりも高く、海よりも深し」といい同じく孝を第一義に実践をされ徳のことをあるがままに伝承されました。また孝行にならないものとして「にせの学問は、博学のほまれを専らとし、まされる人をねたみ、おのれが名をたかくせんとのみ、高満の心をまなことし、孝行にも忠節にも心がけず、只ひたすら記誦詞章の芸ばかりをつとむる故に、おほくするほど心だて行儀あしくなれり」ともいいました。つまり孝行や忠節がなくなると、人は父母の恩徳を忘れているということでしょう。自分の代のことばかりを憂いて夢ばかりを追いかけていると志が損なわれていくのはいつの時代も同じです。

懐徳堂の代々學主の生き方をはじめ、三浦梅園先生、麻田剛立先生など道なき道を拓き子孫へと徳を伝承された方々は共通して静かに隠棲し名誉や地位や権力やお金など私利私欲よりも公や天下万民、あるいは子孫たちの真に豊かな未来のためにと生涯を盡されておられたことが生きざまから観えてきます。この根本には、常に共通して「孝」があると実感します。

これから盂蘭盆会の時節ですが、ご先祖様のことをずっと感じ続けるこの期間はとても仕合せを覚えます。落雁をつくりお供えし、献花し香や火を絶やさずお水を添えてお祈りをする。父母の恩徳や家の有難さを最も感じる場です。

長い目で観れば最も子どもたちに伝承したいのはこの「孝の心と実践」です。引き続き、自らが恥ずかしくないように心身を調えて心穏やかに恩徳に報いていきたいと思います。