みずから

現在、浮羽の古民家の井戸を甦生していますが困難が続いています。毎回、試練というか自然に指導されるように物事が動きます。心身も削られますし、自分の中にある常識が毀されていきます。むかしの人たちの生き方や意識や考え方と、自分たち現代人があまりにも乖離していることを痛感して謙虚さを思い出させられます。

便利な世の中で今では水は当たり前に蛇口をひねったら出てきます。コンビニに行けば、ペットボトルで買えますしトイレなども水洗で大量の水が流されます。田んぼも干ばつなどは少なくなり、むしろ大雨や洪水に悩まされる方が多いものです。

しかしよく考えてみるとすぐにわかりますが、この水は何よりも尊いものです。水が出るということ、水が来るということがどれだけ有難いことだったかと感じます。むかしは毎日、丁寧に樽や柄杓のようなものでくみ上げていました。最初の水を神棚に祀り、感謝をして感謝を忘れずに一日を過ごしました。

美味しい水が毎日飲めることなど、とても仕合せなことだったように思います。水があることで家族の健康が保たれ、農耕も安産も工芸も商売繁盛もすべて成り立っていたのです。水があるかないかで日々に一喜一憂したように思います。私たちが呼んでいるカミ様も、火と水でカミともいうといいます。火と水がなければ私たちは生かされません。なのでそれが大前提ということでしょう。

平和な時代、何でも物が便利に溢れる時代はカミ様の存在も次第に忘れられていくのでしょう。

井戸の神様の名前は、弥都波能売神(みづはのめ)、日本書紀では罔象女神(みづはのめ)と書きます。これは和久産巣日神(わくむすび)と共にイザナミから産まれた神様です。

このみずはのめの「みづは」は「水つ早(みつは)」と解釈して「水の出始め」、つまり水源や泉、井戸などを指すという意味や「水走(みつは・みずばしり)」として灌漑の引水を指すという意味もあるそうです。

私たちが日ごろ使う「みず」という言霊は、水が自ら出るところを指している言葉なのかもしれません。井戸はそのみずが集まる場所を意味します。お水が集まるところへの井戸の神様に対する気持ちが失礼になっていないか、色々と反省することばかりです。

今回の古民家甦生でも、自分の無知と先人や目に観えない存在への尊敬と配慮のなさに情けない気持ちになります。刷り込みがまだまだたくさんあることを知り、刷り込みを一つずつ削り落としていきたいと思います。

みずからの学び直しを心を籠めて取り組んでいきたいと思います。

重さのハタラキ

この世には重力というものがあります。これは簡単に言えば「重さ」です。そのものの重量とも言っていいものと思います。私が小さい頃から虫や動物を飼うことが多かったのですが、それらの生き物は死んだら軽くなります。この時、実際のグラム数ではほとんど感じないものですが軽くなる感じがするのです。

それとは別によく幼い子どもたちを連れて山登りしていたのですが、おんぶや抱っこをしていて子どもが起きているときはいいのですが眠ると重くなります。これは重心の問題があるといいますが、重さは生き物が生きているバランスと影響しあっていることに気づきます。

また或いは体調を崩したり疲れたり寝不足になると体が重たく感じます。他にも意識として嫌なことや心で思ってもいないことは重たく感じます。これらを観察してみると、この重さには重心があり重力がありそこには確かに単なる物質的な重さだけではないものが働いていることを直観するのです。

水というものにも重さがあります。これは氷や液体、そして気体でも変わります。しかし、低気圧の厚い雲の下や膨大な水量を持つ湖や海だと重みを感じます。逆に秋晴の空や山の上などにいくと軽く感じるものです。

つまりこの「重さ」というものを私たちが感じるときには、物質を超えた何かと触れ合っているということになります。これは熱を感じるときに似ています。私はガスの火や炭の火や太陽の火などでは火の感じ方が異なります。熱もまた重さと同様に、単なる物質的ではない火がありその影響をとても深く体で感じていきます。

私たちはいのちというものを直感し、感得するのに五感や六感、あらゆる感覚を駆使して稼働させていきます。思想や思念もまた、先ほどの重さや暑さを伝道しているのです。

私たちは小さく生まれそれが大きく重たくなりまた小さくなり軽くなります。それが人間の一生です。次第に気楽になって気軽になり、体も軽くなって極楽にいくのでしょう。重くなくなり軽くなることが自然の循環だとすれば、私たちの重さの源は一体何かということを思うのです。

重力や重心には、まだまだ深めていく面白さがあります。新しい修行を追及していくなかで、様々な智慧を顕現させていきたいと思います。

 

不易=流行

不易流行という言葉があります。これは松尾芭蕉の俳諧の理念の一つだといわれます。芭蕉は「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」とあります。これは「不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、変化を知らなければ新たな進展がない」という意味です。

私の解釈では、自然は普遍ですが人間の価値観は変化していきます。自然の真理を深く理解している人だけが、何が不自然かがわかるというものです。そして不自然が理解できるからこそ変化がわかるということでしょう。

例えば、過去の歴史を省みると近代はあらゆるものが新しくなっています。建物をはじめ食料、生活用品、お金などその時代に発明されたものが進展して今があります。しかし元々何だったのかを見極めていくと何が本来の自然の姿であったかに気づきます。そしてそれがどう複雑化してきたのかもわかります。特に現代は何でも簡略化して合理化して大量生産し大量消費する価値観へと人類が移動してきたからそういう進展を経ているということです。

これは決して物だけではなく意識の変化も同様です。人間は時を体験することでそれまでのことを新しくします。この時の新しくというのは、変わっていくということです。同じことを繰り返していくうちに、同じではなくなっていくといった方がいいのかもしれません。

本質的に同じように取り組むのなら変化に対して変化に応じていかなければ本質が維持できません。これをしなくなると形骸化していきます。現在の文化財保護などもよく眺めていたら、一昔前に文化財が破壊されまくっていた時代には必要な保護でしたが現代ではその保護がかえって破壊を進めています。ショーケースにいれてただ見学するような文化財はすでに終わったものです。

本当は歴史や文化は不易流行があってこそ成り立つものです。それをしないで、文化財の保護や活用をいくら専門家が集まって議論してもそれが新たになることはありません。特に今の時代は、流行が真理のようになっていて不易を知る人はほとんどいません。それくらい何が自然で何が不自然か、もっといえば何が常識で何が非常識かもわからなくなっているちぐはぐな時代だからです。

だからこそ、不易流行の原点回帰が必要になってきているように思います。そのためには、不易=流行にする精進が必要です。意味のなくなってしまったものを甦生し、形骸化されたものを根源的に実践する。

道のりは長いですが、私なりに暮らしフルネスに取り組む中で一生をかけて精進していきたいと思います。

剣聖や医聖の生き方

塚原卜伝という人物がいます。のちに剣聖と呼ばれる人物です。戦国時代に戦わずして勝つという思想を持ち、その極意である一之太刀は「国に平和をもたらす剣」であるとされ尊敬されたといいます。

よく考えてみると、戦国時代はまさに戦いの世の中です。戦いを終わらせるために新たな戦いをしては戦国時代は終わりを見せません。仮初の平和というのは、強いものが出て仕方なく戦わないでいるだけで弱くなればまた争いの世の中です。人類史の歴史は、いつまでもこの戦いを続けています。戦いというのは、ある意味で人類にインプットされた必然なのかもしれません。

だからこそ、どう戦いを終わらせるのかというのが勝つということかなのかもしれません。この剣聖の塚原卜伝は、無手勝流といって戦わないための仕組みを考案しました。その一つは、戦わないということを極めることで未然に戦いを防ぐ意識であったり、あるいは敢えてそれを避けるために行動するということです。侍であれば非常に憶病にみえますが、実際の戦いでも一度も負けたことがありません。この負けるということの定義が、一般的な勝ち負けではないことはすぐにわかります。

そういえば以前、似た話で扁鵲のことを書いたことがありました。これは中国の同じく春秋戦国時代の伝説の医者のことです。この扁鵲はその時の皇帝から認められた真の名医ですが兄弟の中ではもっとも自分の医術が低いといいます。それは長兄は発病する前に未然に防ぐ人で、次兄は病気が軽いうちに少ない薬と施術で治す人で、扁鵲は病気なってから人を治す人だからだといいます。

発生する前に決着が着いているというのが、まさに戦わずして勝つということなのでしょう。

今の時代の有名人や評価されている人たちは、果たしてどれが一番でしょうか。私は塚原卜伝や扁鵲の長兄のような人物こそがこの世を平和に導く真の聖者ではないかと感じます。もちろん、それぞれに役割がありますがだからこそそういう市井の隠者のような人物を探し求める必要があるのではないかと思います。

世の中の変革は、決して目立つような派手なところ、権力があり膨大な財力や名声があるところで発生しているのではありません。塚原卜伝や扁鵲の長兄のような人物が裏で支えているのでしょう。私もそうありたいと思います。

子孫のためにも、人類の未来のためにも徳を磨いて徳の循環する世の中に貢献していきたいと思います。

場と人を結ぶ

聴福庵には珍しい方がたくさん来られます。そして多くの方が影響を受けてその後の人生が変わっていく方がいます。一つの家に出会うことで人生が変わるというのは大げさのように思えますが、そういう私も思い返せばこの家に出会ったことで色々なことが変わりました。

人が誰かに出会って変わるように、人は家というものに出会っても変わります。

家というのは、一つの伝承の器のようにも思います。言葉にできないものや文字にならないものを仕組みにして伝えていくのです。まさにこれが日本家屋の真髄の一つかもしれません。

特に自然淘汰の中で、それでも長い年月を経て遺された場所や家には不思議な力があります。その力は、永遠の力というか形を変えても価値観が変わっても失われていきません。それを守り甦生する人たちによって何度も息を吹き返していきます。

これは人間の生命も同じです。人の一生は限られていますが、そのいのちや志というものは代々受け継がれていくものです。形をかえても、何度も人を変えては甦生していきます。大事なものは伝承されていくのです。

それを保つもの、それを結ぶもの、繋ぐものとして私たちは器というものを用意します。その器は別では場ともいい、空間にいつまでも宿るものです。その宿っているものを形にする力、まさにこれは物づくりの醍醐味でもありますが敢えて形にすることで私たちは出会いをいただくこともできるように思います。

人との出会い、物との出会い、出会いは全てを一瞬で変えていきます。

そういう出会いがある場所に出会えたことも奇蹟であり、私はとても恵まれていることに気づきます。御恩をいただき、ご縁に感謝して場と人を結んでいきたいと思います。

役割の尊さ

すべてのものには役割というものがあります。それはそのものにしかないものです。不思議なことですが役割は交代することもあれば、急に別な役割をいただくことがあります。自分がこういう役割を果たしたいといくら思ってみても、あるいは役割が果たせない状態になっていたとしても役割は与えられることがあります。その時々の役割があって、それを体験することで自分というものの可能性を新たに発見していくことがあります。

例えば、器というものがあります。一つのお椀というものでもいいです。はじめはご飯を食べるときに食べ物を容れるものでしたがそれが愛着が湧いて自分の大切な暮らしのパートナーになります、時には汁を容れたり、またある時は子どもの御粥をつくったり、時には保存するものに使ったり、割れたら修繕し、大切な時の縁起担ぎや御守りになったり、そして場をととのえるお花や苔を活けるものになったり、最後は一緒に土になったり、それぞれにその時の役割を全うしていきます。

私は古民家甦生に取り組んでからその「役割」というものをとても強く感じるようになりました。私の身近にあるものは、長いものは数百年の役割をもっていた道具があります。伝来するなかで多くの人たちにご縁があり大切にされ、あらゆる役割を果たしてきました。

色々な役割を経てきたものが持つ美しさや洗練された徳には頭が下がる思いがします。

現代の社会では人間は役割というものを誰かによって決めつけられるものです。あるいは、自分の役割を自分勝手に決めつけては苦しんでいるものです。しかし本来の役割というのは、自然に与えられるものです。

与えられた役割を全うする生き方というのは、仕合せで豊かなものです。他人と比べて幸福の善し悪しを嘆くよりも、自分に与えられた最も尊い役割を実感することで有難い気持ちが満ちてきます。時にはそれが自分の思っていないものかもしれませんし、世間的にはあまりよいものではないと評価されることがあるかもしれません。

しかし不思議なことですが、自分にしかない役割を天が与えてくれていることがほとんどです。それをどう受け取るかは自分次第でもあります。他の誰かにはなれないからこそ、自分の役割を全うする喜びに生きることが大切です。

教育というのは、何かにさせるのではなく、役割に気づいてその役割を全うする中で出会うご縁に感謝していく人を見守っていくことではないかと私は思います。今の価値観では、そして日本の教育環境という空気を吸っている中ではそこは議論の中心になることもなくなっているのかもしれません。

徳というのは、本来は観えないものです。だからこそ、気づく環境を用意して見守るのがある意味での教育者の役割かもしれません。生意気なことを言っているようですが、役割の尊さに気付けることが入り口に立つことだろうと私は思います。

子どもたちに役割があることを丸ごと信じてそれぞれの人生を全うする喜びを伝承していきたいと思います。

真理と生きる

久しぶりに三重県伊賀市にいる私のメンターにお会いしました。コロナもあり、お便りが途絶えていたのもあり心配していましたがご夫婦共にお元氣で安心して嬉しい時間を過ごしました。

いつお会いしてもとても純粋な方で、遠い未来を見つめて深く考えて行動されておられます。世間一般には、気ちがいや変人などといわれていますが私にすればそうではなくあまりにも根源的な智慧に対して正確無比で本質的、そして自然的に真実を語る姿に現代の価値観に毒された人たちや刷り込まれた人たちには理解できないだけです。

よくお話をお聴きしていると、すべては自分の実体験からでしか語っておられず、そして自分の身に起きたことや感じたものを素直に掘り下げてそれを誰よりも素直に受け止めて歩んでおられます。色々な大変な人生を送っておられますが、大変強運でいつも何か偉大なものに助けられておられます。

奥様も大変素敵な方で、実践を味わい感謝も忘れていません。ご夫婦でバランスがよく、なかなか冒険的な人生を楽しんでおられます。人柄というものは、人徳と合わせてにじみ出てくるものです。

今の時代、世の中の価値観が本来のあるべきようと離れて道からズレていたとしても粛々とそれに抗いながらも人類のためにと愛をもって様々なことに取り組んでいく姿にはいつも共感を覚えます。

純粋な方が居る御蔭で、私も多少世の中と調整しながらやっていこうとする気持ちが産まれます。常に希望があるのは、その方が純粋性や夢を諦めていないということです。

今回の訪問でメンターは新たに物事を見極めるモノサシを定義されておられました。そこにはこうあります。

「真理と断定できる条件」

1.生死がない

2.損得がない

3.表裏がない

4.不変である

5.万物に公平公正平等である

6.永久永遠に継続する

これは、よくよく見つめ直すと自然の姿であること。これではないことは不自然であると言っているように私は思います。如何に今の人間や人類が自然の道から外れているのかを物語ります。

人は、人生の最期にこの世に産まれてきて何をしてきたかの総決算があります。それは徳に顕現されてきます。その時、自分はどのように生きたかということを自覚するのです。

私も一期一会、一日一生のこのいのちをどう生きるか、いただいてきたものを感謝で恩返しできるよう徳に報いる人生を歩んでいきたいと思います。

ご夫婦には、純粋さで同志を励ます存在でおられるよういつまでもお元氣で健やかでいてほしいと思います。いつもありがとうございます。

信仰と経済

伊勢神宮にはお蔭参りというものがあります。これはざっくりだと江戸時代を通して御蔭年ともいえる約60年前後を周期で1650年より御師 (おし) や豪商の扇動からはじまったともいわれます。この「御蔭年」というのは、伊勢神宮で遷宮があった翌年のことです。江戸時代には遷宮の翌年は、特に御蔭(恩恵)が授かるとされて伊勢神宮への集団参詣が流行したといいます。

その頃の人口でいえば6人に1人は、伊勢神宮詣でをしたといいますからこれは大変なことです。今のように車も新幹線も飛行機もない時代に、遠くから歩いて伊勢神宮まで詣でるというのは命懸けです。しかも、ほとんど歩いて老若男女問わずそして犬までもとありますからどれだけこれがその当時に価値があったかがよくわかります。これを支えたものが、伊勢講を中心とした講の組織です。積み立てをしたり、みんなで支えたり、代表者がお世話をしたりと伊勢神宮が詣でることができるようにと助け合いました。

本来なら、そのまま今の時代でもそうなっているはずですが戦後にアメリカのGHQより伊勢講といったものやそれまでの仕組みがすべて解体されました。その後は、伊勢神宮周辺は荒廃して場も乱れ、苦しい時期を迎えます。そこに英彦山の山伏の子孫、鷹羽小三郎(志士、鷹羽浄典の弟)が伊勢古市にある備前屋に養子に入り太田小三郎となって伊勢神宮の尊厳を守る為に神宛会をつくり復興や甦生、場を調えることに人生を懸けて伊勢神宮に人がまた集まるようになりました。

そして最近では、餅菓子で有名な赤福が江戸期から明治期にかけての伊勢路の代表的な建築物が移築・再現した「おかげ横丁」ができます。今では伊勢に訪れる人が増えて1年間に600万人を超える方々が来られるようになっています。話は少し逸れますがこの赤福の言葉の由来は「赤心慶福(せきしんけいふく)」という文字からきています。これは赤福の社是で、「人を憎んだり、ねたんだりという悪い心を伊勢神宮内宮の神域を流れる五十鈴川の水に流すと、子供のような素直な心(赤心)になり、他人の幸福を自分のことのように喜んであげられる」という意味だそうです。

私も伊勢神宮に来ると、必ず赤福や白鷹に寄ります。この伊勢詣でと参道のお土産やお店はなぜかいつもセットになって記憶に残ります。日本の各場所に、そういう場所がありますが懐かしい何かを感じます。

話を戻せば、この信仰と経済というものはむかしから密接に関わっているものです。経済的なところで広がりつつも、大切な信仰は守られるというバランスが大切だということです。

現在の日本では、政府の補助金を使いいろいろな観光プロジェクトが広がっていますが批判はしたくありませんが残念なものばかりでかえってしない方がよかったのではないかというものばかりです。

聖なる場所がただ穢れていくだけのような経済の導入や、信仰や尊厳を損なうような経済活動、見ていたらかえって大切なものを破壊していくようなものばかりです。

歴史を善く学び直し、どうあることがもっとも信仰や尊厳を保つものなのかをちゃんと学んだ人が本来はそういう甦生業に関わる必要があると私は思います。そういう意味で、神社の傍や信仰の傍に長い年月で徳が磨かれ研ぎ澄まされてきた老舗があるというのは心強いものです。

私も、私なりに私の役割を果たしていきたいと思います。

好奇心と本質

どの道を極めていくにも先入観のなさというのは大切なことのように思います。思い込みというのは、本来の純粋さを失わせていくようにも思います。そもそも最初は、思い込みなどなかったところからはじまりました。それが知識を経て、後からこういうものだと付け足していきました。それは後の人の解釈であり、最初の人は損な解釈をしていません。

これはどのようなものでも同じです。誰かがそういったから、それがいいと思ったというのは自分が最初に思ったのとは異なります。誰かがいったことを認識して、きっとそうだろうと思い込んでいるものがほとんどです。自分の当初の感覚ではなく、誰かの感覚で認識するのです。

現代は特に、知識で塗り固められた世の中で情報過多の時代です。しかも専門家や権威が仕上がっており、最初から考えることもなしにそういう人たちの評価や意見を鵜呑みにしてしまいます。さらにみんながそう言ったからという常識に縛られてしまいます。これでは、本当のことはほとんどわかることはありません。さらに質の悪いことに、専門家ではないことや資格を持っていない、あるいは認可がないや許可もないとなるとすぐに偽物として邪魔をしたり法律違反や詐欺のようにいわれることもあります。

純粋に素直にそのものに向き合う人が減っていくのは、それだけはじめに先入観や思い込みを植え付ける環境が整ってしまっているからのように私は思います。

そういう自分も、先に誰かによって刷り込まれた知識が膨大にあります。そこから考えなくなり感度も下がり、常識のようなものに呑まれては気づかないことが増えました。日々にその思い込みや刷り込みを取り払うだけでも学びが精いっぱいで発見や発明できる驚きの日々にはまだまだ追いつかないほどです。

好奇心というものは、先入観や刷り込みがあることで次第に減退していくものです。何でも初心、はじめは素人と取り組むからこそ本当のことが観えてくるものです。自分の知っているものをそぎ落とし、先人たちのように最初に感じたものに近づいていくのはすべて好奇心がなせる業です。

好奇心のままに、真理に向き合い、実践や行動によって本質を保っていきたいと思います。

老舗の戦略

ここ数日、久しぶりに京都に来て色々と伝統的建築や老舗を観てまわっています。どの建築も今でも伝統の息遣いがあり、時代が変わっても大事に磨かれていることがわかります。建物が変わらなくても、人の価値観は変化しています。むかしのような意味が今も保たれているところは減っているのかもしれません。

形骸化することは、意味がなくなってしまうことです。如何に初心を忘れずに、同時に世の中の価値観にも順応するのかはバランスが試されます。長い年月を生き残るというものには確かな戦略というものがあることを感じます。

例えば、大きくしないという戦略があります。長く続けようとすると、時代の価値観の変化で人の感情や意識も変わりますから栄枯盛衰というものがあります。急に大きく成長すれば、同時に急に衰退することもあります。流行というものは、流行りがあるから廃れがあります。これを知っている人ほど、流行と衰退を見極めさっさと流行を切り捨て新たな流行をつくっていきます。むかしある日本の有名なゲーム会社の専務と話したときに、無数のゲームを開発していても一つ当たればすべて回収できると日々に新たなゲームを作り続けていたことを思い出しました。実際にその方は、カードゲームを当てて過去最大の利益をその会社にもたらしました。

また逆に、流行にのらないという戦略があります。敢えて、その目的にこだわり徹底して本来の役割に尽力するというものです。老舗で長く続いているのは、余計なことをしない、足るを知り、限られた場所と資源で自分のその場での役割だけに専念するということです。京都でいえば、一文字和輔という最古の和菓子屋があります。ここは、今宮神社の参道にある老舗ですが今でも1000年以上の歴史を生きて同じ理念でここに参拝する方々をおもてなしています。無理はせず、身の丈を超えず丁寧に真心を籠めて今もむかしと変わらない味と対応を心掛けておられます。

そう考えてみると、一気に拡大するという戦略と長く続けるという戦略。どちらにしても生き残るための戦略をそれぞれがもっているからこそ今でも継続することができるというものです。

戦略を持っているのと持っていないのでは、時代によって翻弄されるものも変わってきます。別にヒットしたくなくても、テレビや報道、雑誌などで急に人気がでるときもあります。そこでどう戦略の舵をきるかはそれぞれの経営者の判断です。

しかしよく観察すると、人間の人生というものは100年以内です。その中で完結するのか、それとも引き継ぐ人が出てきて守るのか、そういう生き方の影響が老舗の根幹に宿っているようにも思います。

素晴らしいのは、老舗にはそれを受け継ごうとする志のある人が連綿と続いてきたことです。これは信仰に近いものを感じます。色々と学び直して、今年の甦生に役立てていきたいと思います。