大地と徳治

昨日、熊本で大きな地震があり私のいる場所も大きく長く揺れました。東日本大震災の時の揺れを思い出し、あの時、受け取った自然からのメッセージを振り返りました。暮らしフルネスに取り組む今があるのは、あの地震からの声をいただき、初心を忘れないようにしてきたからです。

中国の思想に「天人合一」(天人相関)という思想があります。これは紀元前二世紀、中国・前漢の時代に生きた儒学者の董仲舒(とうちゅうじょ)という人物が人類に投げかけた問いの思想です。

当時の中国では、法律によって国を治める法家、自然に任せる道家など、さまざまな思想が競い合っていました。その中で董仲舒は、「国は力ではなく徳によって治まる」と説きました。その理由は、人間は自然の外側に立つ存在ではなく、天地とともに生きる一つの生命であるとしすべては相関関係と因果によって為ると直観しました。つまり空を流れる雲も、山を吹き抜ける風も、川の流れも、月や太陽の光も、大地の震えも、人間とは無関係に存在するものではなく、同じ宇宙の理によって結ばれていると見立てたのです。

つまり天と人も自然の一部であり分かれているものではない。だからこそ人間社会が私欲によって乱れれば、その歪みは自然との調和を失い、やがて社会全体の苦しみとなって現れると説きました。

そして為政者こそ、自然のメッセージを真摯に受けとり自らを省みる鏡にせよといいました。そしてその政治の実践のことを「徳治」と定義し、まず国を導く者自身が徳を積み、人を敬い、自然を敬い、その姿によって人々を導くことが政治の根本であるとしたのです。それを当時の漢の武帝によって国家の理念として採用され、その思想がのちに日本にも渡来し、聖徳太子の「和をもって貴しとなす」、熊沢蕃山の治山治水、二宮尊徳の「天道に従う」、西郷隆盛の「敬天愛人」など、日本の思想の根底にも、天地を敬い、人を敬い、自らを正すという和の系譜が脈々と受け継がれたといいます。

どんなにお金があっても、便利な文明を築いても、科学技術が発展しても、驕れるもの必ず滅びるものです。平安末期の鴨長明の時代も大地震がありました。そして彼が遺した書物『方丈記』にあるように、大地が震えればこの世に絶対に安全などというものは存在しない、万物は変化して已まないし無常。人間の傲慢さはいつかは必ず天人合一に現れると氣づくのです。

今の世界に響き渡る大地の声は私たちへの偉大な問いかけではないかと感じます。そして為政者こそ災害の時に自らを省み、改心して徳を積み人々の心を治めよと聴こえてきます。

人類全体が謙虚にならなければ、すべてのいのちの幸福はない。

今こそ、徳治覚醒の刻です。

今日は、これから英彦山の宿坊で大地座禅と初心を深め禊をしてご祈祷して過ごします。

今夜の満月の心が、どうか穏やかに人々の内省を調えていただけますように。

不老不死の妙薬

英彦山で、満月の日に不老不死の妙薬、不老園を煎じています。これをお茶にしてみんなでいただきます。お茶は本来、薬でしたからむかしながらの薬の摂取方法ということです。

もともと霊山には澄み切ったお水が流れ、あらゆる薬草が生えてきます。その力を使って治療をすることが修験者たちの一つの生業でした。これが衰退したのは、明治のころの山伏禁止令により山伏がいなくなったこと、近代医学が普及し制度ができて公的な医療から排除されたこと、また経済的理由からお山で暮らす人たちがいなくなったこと、そして宿坊文化が失われたことなどが考えられます。

もともと修験道では宿坊が、修行者を受け入れるだけでなく、薬草を育て、薬を調合し、病人を看る拠点でもありました。その宿坊そのものが減少してその土地ならではの秘薬や薬湯、養生法も消失しました。養生思想も同時に消え、治療中心の医療、対処療法が社会の中心になりました。不老不死の妙薬もまた、お山から消えていきました。

もともと修験道において「薬」とは、丸薬や煎じ薬だけではありませんでした。お山の湧水、薬草、発酵食、温泉、呼吸法、滝行、山歩き、祈り、四季の食生活まで含めた「養生」そのものが薬としてきました。

英彦山にも玉屋窟から不老長寿の霊水が湧いていますし、行場はお山のあちこちに遺っています。

私が宿坊の甦生で、石風呂やサウナ、薬草園、治水、発酵食、薬味、座禅、水垢離、滝行や法螺貝をつくるのはこれらの日本で失われた宿坊文化を甦生するためです。そこにこの不老不死の妙薬、不老園は欠かすことはできない大切な先人の智慧です。

そもそも修験道が目指したのはお山の恵みをいただき、心身を整え、生命の流れを取り戻すことでした。だからこそ不老園が英彦山のご神体を想像する大切な存在だったように私は思います。

他の修験のお山ではどうなっているでしょうか?それを少し深めてみます。

奈良県の吉野・大峯山には、日本を代表する修験道の霊薬「陀羅尼助丸」は役行者が発祥で、主原料のキハダ(黄柏)を用いた胃腸薬として約1300年にわたり受け継がれてきたものがあります。長野県の木曽御嶽山の、「百草丸」も同様です。他には、山形県の出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)では、宿坊ごとに独自の霊薬や薬湯があるといいます。薬草酒や薬湯などを用い、修行と養生を一体のものとして実践しているといいます。石川県・岐阜県にまたがる白山では、白山修験の山伏たちが山の薬草や霊水を活用し、「白山霊薬」や「延命水」があります。富山県の立山では、立山修験の薬草文化が、後に全国へ広まった富山のあの薬売りとも深く関わっているといいます。和歌山県の高野山では、真言密教の医学と修験文化が融合し、「高野山陀羅尼助」などの寺院薬が今でもあります。滋賀県の比叡山では、天台宗の僧侶たちが医術や薬学を学び、人々へ施薬を行う「施薬院」が産まれました。和歌山県の熊野三山では、熊野修験の山伏が薬草を用いた霊薬や薬湯を伝えています。愛媛県の石鎚山では、石鎚修験の行者が薬草酒や薬餅などを養生に用い、そして山陰地方の伯耆大山でも独自の山伏薬が伝承されています。

修験の霊山には必ず妙薬があり、そう考えてみると修験道発祥の地、霊峰英彦山の不老園は1500年以上前から存在した可能でもあります。修験の霊山による修験者たちのお山の暮らしこそが、薬草文化そのものを調えたのでしょう。暮らしと薬は一体だったのです。

まだまだ時間はかかりますが、子孫たちのためにも宿坊文化や先人たちの知恵を一つ一つ丁寧に甦生していきたいと思います。文化の伝承はみんなで今でも使い続け、活かし続けることで生き続けていきます。失われたものではなく、継続し続けるものとして不老園を養生の暮らしに取り入れて頂きたいと思います。

ご協力をよろしくお願いします。

お水

四千年前の中国最古といわれる夏王朝に禹王という人物がいます。この方は、水土の理を深く理解し、水の道に従って天下を治めた聖王、そして水神とも呼ばれ民衆に称えられます。

この禹王の時代は天下は大洪水に苦しんでいました。川はあふれ、田畑は水に沈み、人々は住む場所と食べ物を失っていました。そして暮らし消え、村が崩れ、国も乱れました。

むかしは水を治めることは、川だけを治めることではなく、人々の命と暮らしを治めることです。この禹王の父である鯀は、国家の命運をかけて水を堤防で囲い込み、力によって押さえようとしましたが力によって水は抑え込めずに行き場を失った水は力を増し、ついには堤防を破り、さらに大きな洪水となってあふれました。そして処罰されいのちを失いました。

その父の失敗を受け継いだ禹王は、まったく反対の道を選びます。水を力で抑え込むのではなく、流す。そして水が本来向かう道を拓くという考え方によって治水を実現しました。そして、国家を同様に見事に治めていきます。

この禹王の治水を「禹の水を治むるは、水の道なり」と孟子はいいました。

この禹王が行ったのは、もともと水土の中にある道を読み取り、流れを塞いでいるものを取り除き、水が本来の働きを取り戻せるように調えて治めたのです。治めるとは、支配することではなく、本来の働きが自然に現れるように調えたということ。

最近、流域という言葉をよく聴きます。流域は、お水が集まりそこで数々の生命が結ばれ繁栄していく場のことです。そして水土は、その土地がその土地らしく育つ場ができることです。

私は徳積循環に関心がありますから、この水土に強く惹かれます。この水土は、風土と似ていますが明らかに水の道のことを示唆します。

お水を知るには、その土地の水土を知ることからはじまります。つまりお水の源流、上流のお山からです。お山を知ることが下流を知ることにつながります。そしてお山を知るには、先人たちが続けてきたお山の暮らし(智慧)を実践することからです。

私が英彦山の宿坊でお山の暮らしを甦生するのは、水土を學び直すためです。水土こそいのちの甦生の要諦ともいえます。どのようにいのちが循環しているか、どうすれば甦生するのかを観るのです。

お水が喜び廻れば、人の心も癒され喜び廻ります。お水が土と人を結ぶのです。

古代の中国では「善く国を治める者は、まず水を治める」とし、為政者の徳目第一とされました。「治める」のは、力の支配ではなく「徳を活かす」ことだと定義していたのです。

最後に作者不明の有名なお水の徳目、「水五訓」で締めくくります。

一 常に己の進路を求めてやまず自ら動いて他を動かすは水なり

二 如何なる障害にも屈せず巌(いわ)をも透す力を蓄えながらよく方円の器にも従い和合の性を兼ね備えるは水なり

三 自ら清くして他の汚れを洗い清濁合わせ容れるの量あるは水なり

四 力となり光となり生産と生活に無限の奉仕を行い何ら報いを求めざるは水なり

五 洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ霰(あられ)と化し凝(ぎょう)しては玲瓏(れいろう)たる鏡となりたえるもその性を失わざるは水なり

今年の私のテーマは「お水」です。

一緒にお水を先生に学び直していきましょう。

ご縁は実験

昨夜は地元の面白い先輩と一緒に、石風呂や囲炉裏を楽しみました。色々な生き方がありますが、自分の好きなことややりたいことに素直に生きている姿に好奇心が反応します。

人は興味があるものに色々と取り組みますが、そのうち条件をつけたり評価をしたりして最初の動機や初心を忘れてしまうものです。楽しみながら取り組んでいることは疲れもなく、面白いと思うから続きます。

人間は面白いと感じるものに素直に反応します。

子どもとか大人とかいって妙に納得するようになっていますが、本来は未知なるものに人は深く惹かれるものです。

未知なものを忘れ、知ったような気になったり、評価を恐れたり、失敗を避けたり、忙しいと思うと、余計なことをしないようにと生き始めていくものです。知っている世界の中で生きると、好奇心は塞がれワクワクドキドキしなくなっていくものです。

結局、面白いと思うものはこのワクワクとドキドキが必要です。

ドキドキのないワクワクもなく、ワクワクもないドキドキもありません。

これどうなるのだろうと、未知に突入していくことの醍醐味。そして少し怖いけどやってみようと試行錯誤していくときの愉快痛快さ。

人生は一度切りだからこそ、一期一会の実験を楽しみたいと願うものです。

そしてその実験はご縁が結びます。

どのような実験ができるご縁になるのか、出会いを大切に楽しんでいきたいと思います。

地域のお掃除

日々に継続して掃除をしていると、掃除が如何に人間の教育に必要不可欠なものかということがわかるものです。掃除は、ただ物を片付けて綺麗にしているのではなく人間の持っている欲望や心のお手入れをすることの大切さを教えてくれます。

私は掃除というよりも、お手入れという言い方をする方が多く暮らしフルネスではお手入れを中心に体験をすることが多くあります。

そもそもお手入れというのは、自分の感覚で触れることで氣づけるものです。

人間というのは、頭でっかちに妄想や知識が優先されていると自分の感覚が麻痺していくものです。正しいことをやっていれば、何も問題ないとさえ勘違いするものです。

実際には、何かを動けば動くだけの無駄や無理などが産まれます。それは自然環境問題でも同じです。何かをすれば何かのゴミや負担が増えるものです。そしてこれは仕事でも同様です。

人は何かをやろうとすると、そこに発生する諸問題は無視して前進すると後で片づけようもないものになりいくら埋めても遠くに捨てても問題は返ってくるようになります。

そうならないように先人たちは、1つを行えば1つを片付けていつも現場が調っているように配慮していきました。これが自然の循環の仕組みです。日々の暮らしも、様々な変化があるから一つ行えば一つ調えては丁寧な暮らしを紡いできました。

掃除をするというのは、暮らしのお手入れと同じなのです。

地域の清掃もまた、同様に暮らしのお手入れです。

誰が観ていなくても、関わっているからこそ片づけて調えていく。そのことで、自分の暮らしは落ち着いてきます。自分の暮らしが落ち着けば、周囲もまた落ち着いてきます。

安心と安静、安全というのは、日々の掃除から調えていくものです。

本日は、これから地域の中学校の生徒たちのお掃除に参加しますがこの数年で本当に地域が豊かになっているように感じます。子どもたちが健やかに育っていくのを見守れるのは幸せです。

自分も恥ずかしくないように丁寧に暮らしを調えていきたいと思います。

 

暮らしの知恵

今度、むかしの五穀田の草取りの日にインドのスパイスカレーの体験をセットにしています。はじめての出会いは、リズム&ドラム演奏で著名な三嶋ラッコさんのご自宅で奥様のカレーをいただいたことです。奥様は、長年インドで修行生活をしていて子育てもインドでやってこられた異文化を受容するような豊かな感性の方でした。

その独自に調合されたスパイスカレーがとても美味しく、これはいつか暮らしフルネスの中で体験したいと願って今回がその機会になります。

そもそもインドのスパイスカレーの歴史はとても古く、高温多湿の日本と気候条件も近く、医食同源に太古のむかしから人類の健康を支えてきた大切な暮らしの知恵としての食べ物でした。

インドのアーユルヴェーダでは、食べ物は薬であり、薬もまた食べ物であるという考え方があります。病気になってから治すのではなく、日々の食事によって心身の調和を保ち、健康を育むことを大切にしてきました。インドではその中心はスパイスです。

例えば、ターメリックは抗酸化作用や抗炎症作用をもち、体内の炎症を穏やかに整えます。クミンは消化を助け、胃腸の働きを高めます。コリアンダーは余分な熱を鎮め、カルダモンは口や胃を爽やかにし、シナモンは体を温めて血行を促します。クローブやブラックペッパーには抗菌作用があり、フェヌグリークは血糖値や代謝を支える働きがあるとされています。それぞれが異なる役割をもちながら、組み合わせることで互いの力を引き出し合うという具合です。

まるで漢方薬のようにあらゆる薬効を調合して最適なものにする。腸内環境の具合をみながら食材の能力を活かし、健康を調える。ここには最古の医療の原型があるように私は直感します。

その調合のことをインドでは、「マサラ」といいます。

このマサラとは特定の一つのスパイスではなく、「調合」を意味する言葉です。家庭ごとに受け継がれる配合があり、母から娘へ、祖母から孫へと伝えられてきました。同じカレーでも家によって味が違うのは、それぞれの家に「我が家のマサラ」があるからです。

家々の家庭の味、お母さんの味がスパイスでできているというのも浪漫があります。その家の家庭の体質にも調和して見事なことです。私の家は、胃腸が強くないのと皮膚も弱いです。お水をよく飲みます、なので子どもたちが自然に美味しいと感じるお母さんの味付けの調合が自然にでてきます。それがお母さんの味になります。

暮らしというのは、なぜ智慧があるか。

そこには、先人たちの思いやりや優しさがあるからです。私が暮らしフルネスで実践するのもまた、その真心を味わいながら暮らしていく安心感が得られるからです。

田んぼの草取りとインドスパイスは、医食同源の掛け合わせです。

場がどのように人間性を快復していくか、そして子どもたちを支えていくか。

一緒に大地の巡りを整える養生と、スパイスで身体の巡りを整える養生をし暮らしを調えていきたいと思います。古民家和楽の冷たい地下伏流水で竈で炊いたご飯で食文化を味わうのが楽しみです。

 

螺旋の霊峰

無肥料無農薬の自然農の実践をする「むかしの五穀田」の田んぼにはたくさんの藻類が生息しています。お山からの湧水をかけ流しにしていることからお水が循環し、水生生物たちの居心地のよい螺旋の場が産まれています。

そもそも居心地のよい場とは何か、それは「流れや循環が途切れない場」のことです。言い換えれば、それは変化が已まない場のことをいいます。

いのちの循環は、巡りの螺旋を通して繰り返され宇宙の歩みと共に私たちすべてが運ばれます。

眼には観えませんが、宇宙の壮大ないのちのエネルギーを受けては私たちのミクロからマクロまでの全体の生命はそれに呼応して呼吸をするように調和活動をしています。宇宙のリズムとも呼んでいいこの呼吸は、あらゆる生命の中で一切絶えずに行われていきます。それを螺旋の真理と私は呼びます。

田んぼで発生する発酵と腐敗というものまた螺旋の真理の顕現した姿です。螺旋に右螺旋左螺旋があるように、万物に陰陽があるようにある条件と環境においてその螺旋運動が変化します。

法螺貝を吹き始め、法螺貝をつくりはじめてからその螺旋の神秘をいつも身近に感じるようになりました。自然はすべて螺旋運動で呼吸していて、その螺旋運動の巡りを見立てることにより場所の流れを確認していくことができます。

螺旋は風を巡らせ、お水を巡らせ、光を巡らせ、いのちを巡らせます。

遺伝子からブラックホールに至るまで、この世の真理は螺旋運動の最中に存在します。

「場づくり」の根源は、この螺旋運動の調和に由ります。

私は場道家として、あとどれくらいの寿命があるのかわかりません。もう数年で寿命が尽きるかもしれません。しかしその寿命もまた螺旋運動の調和に貢献できるはずです。

お水に守られて導かれてきた人生、お水にご恩返しをしていきたいと思います。

今日も午後から英彦山守静坊で法螺貝とのご縁を待っている方々との邂逅です。螺旋の霊峰英彦山から丁寧に螺旋の場、いのちが育つ場を調えていきたいと思います。

お山の再生

英彦山に現存する最古の宿坊、守静坊を甦生してから4年目に入ります。歴史のバトンを受け継ぎ、かつての修験道や山伏たちの暮らしを甦生してきましたがそこには常にお山のお手入れや活用を直観するものばかりでした。

宿坊周辺の倒木の片付け、落ち葉や枯れ木の剪定、側溝の掃除や壊れてくる石積みの修理、また谷の水路の補修や土づくりなど作業は膨大です。特にここ数年、短期間で大量の雨が降るため水の流れが変わり林道なども崩れてきています。人口が多い時は、まだ地域で協力していましたが高齢化と過疎でほとんど山中に人もおらず手入れが進みません。

コツコツと作務をしたり、遊行というお山を歩いて修行する機会や年中行事の集まりで仲間たちや法螺貝の講のみなさんにお手伝いいただき少しずつお山のお手入れをはじめだいぶ調ってきました。現在では、不老園という英彦山に伝承する有名な不老長寿の薬を満月の時に土鍋で煎じてお茶としてお渡ししたり、薬草園の畑でナルコユリなどの仙人の薬を育てたり、柚子の古木と鷹伝説に因んだ鷹の爪なども育て柚子胡椒をつくったりと場も調いはじめています。

そんな中、親しい仲間のご紹介で「大地の再生」の提唱者の矢野智徳さんとお会いするご縁をいただきました。聴福庵にご来庵いただき、特に螺旋や循環、お水や風の原理や思想に意気投合して具体的に再生のご指導いただくことになりました。

矢野智徳さんは、50年前、日光東照宮を観て世界にこのような素晴らしい場所はないと感動し、そこから「生命は流れによって育まれる」という考えのもと、水や空気、土中環境の流れを読み解き、自然本来の循環と回復力を引き出す「大地の再生」を提唱・実践する環境再生士になりました。

人が自然を支配したり作り変えたりするのではなく、自然が本来持つ力が十分に発揮される環境を整えることを大切にし、森や田畑、河川、庭、集落など全国各地で数多くの再生に取り組まれてきました。一般的な重機や大量の資材に頼るのではなく、人力でお手入れし、土地の声に耳を傾け、水脈や風の通り道を回復させることで、自然が自ら甦る環境を育む独自の場づくりで結果を出しておられます。現代ではその活動が映画化され、多くの農家や林業家、造園家、建築関係者、環境再生の実践者に大きな影響を与え続けておられる方です。

私自身も、徳が循環する場づくりに取り組んでいますから改めて「甦生」をお山から学び直せる機会になり大変心強く、また理論も後押しいただくことで仲間たちとも安心して継続実践を楽しんでいくことができるように思います。

今回は、英彦山でまず大地の再生の根源の思想に触れ、現地を調査しながら実地実践を共有するなどを仙人苦楽部として企画します。

日時は2026年8月11日、山の日です。

「甦生」や「再生」、「場づくり」や「循環」、生き方や智慧の伝承に興味のある仲間たちで集中して取り組んでみたいと思います。

よろしくお願いします。

不自然

今年は稲の天敵のウンカという虫が、大量に飛来してきて警報が出ているといいます。お米を食べる生き物はたくさんいますから、それを全部害虫とみなして駆除していたら大変な労力と費用がかかるものです。

もともと自然の生態系というものは、全体最適で絶妙なバランスで調和しているものです。それを崩すとどうなるか、それは歴史が証明しているものです。

かつて人類史上最大の人災ともいわれる教訓があります。中国で稲を食べる害鳥だということでスズメを一億匹ほど駆除したといいます。その後、スズメが食べるはずだった害虫が激増して数千万人が飢饉で亡くなったといれます。結局、どうしようもなく隣国から25万羽ほど輸入して対応したともいわれます。特定の生物だけを駆除すると、他の生物とのバランスが崩れる一つの例です。

他にもネオニコチノイド系の農薬によってミツバチが大量死して果物や野菜などの受粉に影響が出たり人体に悪影響を与えたりしています。何かを大量に排除しても、他の何かが大量に害をするという悪循環。

そもそも環境のことを深めれば、好循環と悪循環があることがわかります。自然は好循環であり、そこに人間が利益を追い求めれば悪循環に入ります。結局、悪循環とは自分の利益のみを優先して他を排除しようとする精神からはじまるものです。

自然は常に公平で平等です。どのようないのちを持っている生命であっても、その生命がいのちを全うできるように調和しようとします。これは人体も同じです。病気になるからと余計な薬や栄養を摂取すれば、それが他のところの影響を与えます。不自然な生活を続けていることを改善せずに、部分最適ばかりをしていたらさきほどのスズメのような問題にもなりかねません。

現代の熊などの害獣問題、ウイルスなどの問題、他にも色々と次々に問題が発生してくるのは人類全体が排除したり自然を破壊したり、調和を乱すことを人間の利益ばかりを優先して行うことから発生しています。目先で得られる利益よりも、損害の方が膨大になっていても原因に気づかずに続けています。人類最大の人災は、残念なことに毎年ずっと更新中です。

誰がこの不自然な問題を解決するのか。それはみんなで同時に解決していくしかありません。一人一人が目覚め、本来の自然のルールを破壊しないような謙虚な取り組み方を実践すれば自然はあっという間に調和によって快復していきます。

自然の偉大な回復力に委ねていけば人災は減り、人命も助かります。

子どもたちのためにも、氣づく環境、目覚めた実践、暮らし方と生き方などを伝承していきたいと思います。

知恵を結ぶ

昨日は、講の仲間の地元のお祭りの予祝に法螺貝を奉納するご縁をいただきました。3年前に曳山を甦生して、伝統の祭りを伝承しておられました。時代の流れで人口が減り、かつての大きさを維持できなくなった場所で新たな体制を組み直しお祭りを甦生する。

元氣溌剌と明るく、お囃子や太鼓の音、餅まき含め地域が甦生していく姿を実感しました。

仲間は手書き提灯屋を継いでさまざまな作品を甦生しています。もともと提灯という文化の起源は室町時代くらいからはじまったといわれます。中国から渡来したものですが長い期間をかけて日本で独自の発展をし私たちの暮らしの灯りを点してきた日本の道具の一つです。

時代は科学が発展して様々なかつての道具が消えていきます。

例えば、火というものでもどのような素材で火を用いるかで道具が変わります。木材や油、蝋やガス、電気では道具も異なります。しかし本来、火というものは一つではありません。

ガスの火と、蝋の火も異なります。だからこそ道具は同じではありません。火を同じと考えるところに道具のミスマッチも生まれます。

むかしの人たちはあらゆる火を観てました。神事の時の火や、生活の火、そこに便利な火が入ってきました。同じ火ではないものを、同じ火として扱うところから伝統や伝承がちぐはぐになっていったのではないかと私は感じます。

今の時代、火の違いをはっきりと知覚できそれを正しく活用し今の時代に甦生できる人の存在が貴重になっていくように思います。

もし便利な火ばかりですべてを覆いつくしてしまったら、火はただの物質のようになってしまいます。これは水も同様です。

人間が感覚を失うことを時代の変化というのなら、時代の変化は人間性の消失を意味してしまいます。それが文明の終焉ということになります。

本来の人類の文明は、感覚を磨き調え、調和する時に発揮されるものです。

引き続き、古き懐かしいむかしの暮らしを甦生しながら失われてはならない大切な智慧を結び直していきたいと思います。