夢の途中

私は、幼児期の子どもを対象にするお仕事を人生の半分以上取り組んできました。50歳の節目で振り返っていると、なぜこの仕事をしてきたのかということを考えてみました。本来、そんなに子どもは好きな方ではなく少し大変な存在だと感じていたことがありました。保育園や幼稚園に行くと、たくさんの子どもがいて少し苦手なくらいでした。ただ、自分の子どもができてからは子どもの発達に感動して魂が揺さぶられる体験をたくさん経験し、子どもを信じること、見守ることの有難さを学びました。

その上で私が子どもの仕事を根気強く続けてきた本当の理由は何か、それは「子ども心」にこそあります。私は子どもが子どもらしくいられる世の中になってほしいと願い、その社會の実現のために様々な社会実験を会社を通してやってきました。今も、その途上です。一般的には、何の会社か分からないといわれたり、変人や稀有な人などとも言われますが本質は子どもらしさを大切にするために志を守っているだけです。

日常的に、どうすれば子どもらしさが守れるか。これは大人に言い換えれば、どうすれば魂のままあるがままの自分が尊重しあえる世の中にできるかという問いでもあります。

本来、人間は固有の個性と徳性があり、それぞれに唯一無二の存在価値があります。それを十把一絡げのように扱い、金太郎飴みたいに切り刻んでいく。これが耐えられないからそうではない生き方をしたいと行動してきたともいえます。これはまず自分の子ども心を守り、自分らしさを守る挑戦でもありました。

そして子どもたちには、安心して自分らしくいられるようにその周辺の大人が自分らしくいられるための場づくりや研修をしてきました。また子どもの発達を邪魔しないことで、その子らしくいられる環境づくりもしてきました。

結局は、あるがまま、そのまま、自然のままということでそれを「かんながらの道」と名付けて今があります。

この先の人生もまた、環境や立場、状況が変わっても自分の生き方は変わることはないように私は思います。子どもたちがいつまでも健やかに安心して暮らしていける平和な世の中を推譲していくためにも、自分の生を遣り切っていのりたいと思います。

元氣が出る場

昨日から聴福庵に、神奈川県からある家族が来て2泊3日の暮らしフルネスの体験をしています。御蔭様で子どもたちの感性が素晴らしく「むかしはすごい!」との大絶賛です。来庵早々、畳に寝ころび隅々まで私の説明を聴いて家を観察してくれました。

お茶を飲めば、こんなお茶を飲んだことがないと喜び、令和が負けてると発言し、お昼のお蕎麦や自然養鶏の烏骨鶏の卵も甘くて美味しいとお塩もつけずにそのままに食べていました。

その後は、畑のお手入れをしてジャガイモや野菜の種を蒔き、遠賀川にお花を摘みにいき、柿渋をつかって古民家のお手入れを一緒に行いました。どの作業も眼をキラキラとさせていて上手に暮らしの中に入っていました。

夕食は、自家製の無農薬無肥料のお米をつかった竈ごはんを4杯以上おかわりしたり、お米を普段まったく食べない子どもが全部食べたりと喜んでいました。焼き野菜やうなぎをはじめ、御汁まで美味しいと食べてくれました。

その後は、自分たちで敷いた和布団で寝ころび、すやすやとお休みになりました。自分が何かをすれば、興味津々に近づいてきて尋ねたり観察してきます。どんなものへも興味を持ち、懐かしい暮らしの一部を味わっていて嬉しい気持ちになります。

むかしはお祖母ちゃん家がこうだったと話す大人が多い中、幼い子どもたちにはそれもわからなくなっています。そして古い家=祖父母という印象だったのも、核家族化で施設に入り、マンション暮らしです。

本来、古い家は伝承の場でした。先人からの智慧を伝承するための大切な場所です。それを今でも体験するということは、将来、子どもたちが「生きる力=生き残る、生き延びる力」を持つために大切なものです。

今回のご家族は、常日頃より一般的な教育よりも子どもたちに「生きていくための力」を身に着けてほしいと実践している方々でした。

子どもたちもその証拠に、情緒も安定し、豊かな感受性を持ち、元氣が溢れていました。

元氣がある子どもたちは、元氣が出る場が必要です。

今日も引き続き、暮らしフルネスの場を調えていきたいと思います。

ちょうどいい関係

人生というものは、計算通りに生きてきたようにみえてその実際は計算していないことに運ばれているものです。シンプルに言えば、それを「お導き」ともいいます。仏教では他力ともいい、日本の先人たちはそれを「ハタラキ」や「ご縁」とも呼びます。

色々な人生があって、それに他人の評価で善悪正否をしたがるものですが実際はそれは何の意味もありません。今の自分の身体や与えられた場所なども選んでいるようで、「選ばれた」という方がしっくりくるものです。

私は古民家甦生や場の甦生をしていますが、よく観察すると家を選んだように見えて家に選ばれていることがわかります。同時に場に選ばれたというものがあります。むかしの人たちはそれがよく観えていたから感謝を忘れずに家に神様をお祀りし、氏神様を崇敬したのでしょう。

現代は、計算通りに生きることがいい人生であるかのように教えこまれます。思い通りに生きることが如何に素晴らしいかなどを刷り込みます。

しかし実際の人生で、幸福を感じるのは足るを知り感謝をし、選ばれた幸運に報いるように徳を積むときに得られるものです。そしてそれは、「手放す」ことや「お任せ」すること、ご縁や今をあるがままに受け容れること、「ちょうどいい」と感じることで前進していくように私は思います。

今までご縁があった人を思い出すと、人生の道しるべになった人たちばかりでした。それは教師も反面教師もあるし、自分自身との対話が深まってどう生きたいかを見つめ直すものもあるし、様々でした。

だからこそ、如何に今に集中してきたご縁を大切にしていくか。それに尽きるように思うのです。

暮らしというのは、ご縁との暮らしともいえます。

暮らしに包まれ、見守られながらどう今を調えていくか。

今日もこれから暮らしフルネス体験に、あるご家族の方々が遠方から来庵されます。一期一会のよきご縁を味わい、ちょうどいい関係を調えていきたいと思います。

ありがとうございます。

お天道様

「お天道様」という言葉があります。これは口語だと「おてんとさん」なとども呼ばれます。最近は、聞かなくなりましたが幼い頃は祖母から聞いたような記憶があります。よくお天道様はちゃんと観ているから大丈夫という具合でしょうか。何を観ているかというと、自分自身の誠実さや正直さ、その誰の目を気にすることなく陰ひなたのない実直な行動を見守ってくださっているというような感覚でしょうか。すぐに成果結果が出なくても、自分の心で決めたことを信じるときや理不尽なことに遭遇したり不幸のように感じられるときにも用いられます。因果応報の時節にもよくお天道様の話を聴いたりしたように思います。

この「お天道様」は、よく太陽のことを指しますが単なる太陽ではなく、人の行いを見守る存在としての太陽の擬人化表現でもあります。日本では古来から神話や農耕文化に根ざし当たり前に使われてきたといいます。毎日、太陽を拝んでは誠実に素直に清々しく明るく生きるような生き方を実践した自然崇拝の一つのかたちでもありました。江戸時代以降は人々の道徳教育の象徴として使われたといいます。

私はブロックチェーンの活用で色々と関わっていますからこのお天道様の存在はいつも話の中で語ることが多くあります。老子の「天網恢恢疎にして漏らさず」とあるように、必ず天は観て記録、記憶しているということを伝えます。

不思議ですがこの世は大きな「円(縁)」でできています。円いのだから、投げたものは必ず戻ってくるし、クルクルと廻っては自分のところに帰ってきます。自分で蒔いた種という言葉もありますが、蒔くから芽が出るともいえます。だからこそ、正直に実直に心の中で素直に感じたままに生きる方が安心です。お天道様は、そういう存在を見守ってくれているのでしょう。

アップルのスティーブジョブズがこういう言葉を遺しています。

「偉大な大工は、誰も見ないからといって、床裏にひどい木材を使ったりはしない。」と。

私は古民家甦生をしますが、家と対話しながら誠実に取り組んでいるときにここは観ていないからと妥協することは一切ありません。家は生きているし、末代まで永続するようにといのり甦生しますから心をすべてに籠めていきます。

結局、手抜きをしたというのは自分がそれを一番よく観ています。自分の心が観ているからこそ嘘はすぐに自分にバレます。自分に嘘をつかないでいるようでいる努力があります。

それがお天道様という存在です。

よく考えてみると、太陽というのはただ照らします。誰が見ていなくても、自分の徳を発揮し続けてくれています。その恩恵に多くのいのちが支えられています。雲に隠れても、雨が続いても、その上には必ず太陽は光り輝き続けてくださっています。だからこそ、目先の迷いで投げ出したり諦めたりするのではなく太陽は必ず向こうで見守ってくださっていると素直に努力をし続けること。

自然はそうやって今までいのちを繋いできた存在です。

お天道様がいると信じられないことが、恥ずかしいということなのでしょう、お互いに徳を光り輝かせながら子どもたちのためにも今を大切に生き切っていきたいと思います。

信仰の甦生

古代信仰というものがあります。これはまだ宗教などと表現される前からあった原初の信仰のことです。私も日々、かんながらの道を歩んでいますがこれも今でも続く古代信仰の根源とも言えます。

そもそも生活即信仰という言葉もありますが、暮らしは信仰そのものであったものです。朝に太陽を拝んで一日がはじまり、夕にまた太陽を拝んで一日を終える。この最もシンプルな暮らしの中に真の仕合せはあるものです。

古代の人たちは自然と共に生き、自然と共に死に、いつも自然体で生きていました。すると、この古代の信仰は自然に続けられるものです。それがいつのころからか、国家や社會を管理統制するための信仰に換わり現代信仰のように変化していったのでしょう。

むかしに思いを馳せると人々は何に拝んだか、何を最も感謝していたか考えてみるとすぐに自明するものがあります。先ほどの太陽をはじめ、あらゆる自然に対する感謝です。宇宙をはじめ精霊といわれるものから重力や引力、そして身近では山や川、田んぼ、そして食物といったもの。これらを「いのち」として崇めていのりを忘れませんでした。

自分の存在そのものが偉大な循環に生かされていることを忘れずに、壮大な調和そのものに溶け込んでいくのです。

人は部分最適ばかりを追いかけていると、全体最適や全体快適が見えなくなるものです。それくらい人の視野というものは利己的で狭くなるものです。そうならないようにと、先覚者たちが道を歩み後人たちへと道しるべを用意していきました。それが今では各地の郷土信仰とも結ばれているように思います。

私は信仰を甦生するのは、暮らしからだと確信しています。暮らしとは、信仰のように生きることでありそれは自然との共生を感謝と共に歩むというという道の実践のことです。

引き続き、かんながらの道を歩みながら暮らしフルネスを求道していきたいと思います。

場と道

「場が育つ」という言葉があります。植物や動物をはじめすべてのいのちが育つように、場も育ちます。この「育つ」という言葉の語源は、赤ちゃんが産まれることの会意文字でもあり、日本の古語の「生ひ立つ(おひたつ)」が由来だともいいます。つまり「時間をかけて成熟していく」ということです。

植物であれば、最初に土を定めそこに種を蒔きます。すると新芽が出て花が咲き実をつけては種になります。この自然の循環そのものが時間の成熟です。そしてそのいのちのめぐりそのものの働きを場とも呼びます。

場が育つというのは、自然全体で行われている循環が場に凝縮され顕現するのを実感するということです。

そしてその場の中には、人だけでなく風土や暮らし、そして歴史や文化、伝統や伝承などあらゆるものが有機的に結ばれて離れているものがない状態が繋がっています。その分けられていない、一物全体のような境地を「場」と私は呼んでいます。場は言葉で語れるものではなく、場で感じるものです。

場には道があります。

この道とは、歩んできた道のこと、つまりは時間をかけて成熟してきた道のりのことでもあります。人間は、視野を広げ、意識を高め、宇宙をはじめ全体と結ばれ、心を磨いて徳を調えると「道」の存在に氣づくものです。

道を感じるための入り口には、必ず「場」があります。

そして場を感じるのには兆しがあります。この兆しは、木々が清々しい花として変化したり、風や空気感が変化したり、水が綺麗に澄み渡ったり、光が揺らいだりといった自然現象の変化として顕れます。

人間は理想を抱き、謙虚に先人たちの遺徳を継承し、丁寧に誠実に実践を積み重ねるときに場の種は次世代へと蒔かれていくものです。

子どもたちのためにも、脚下の場を調えるような実践を積みかさねていきたいと思います。

ということで、来週は徳積堂(飯塚市有安)のある鳥羽池(八龍権現池)の桜から場を学び、再来週は守静坊(添田町英彦山)の230年の枝垂れ桜から道を辿ります。

この場と道に、ご縁のある方々のご参加を心から楽しみにしています。

新たな変化

季節はゆっくりと移り換わっていますが、それを感じる間もなく忙しくしていたら季節は急に変わったと思うものです。しかし、実際によく観察すれば来るべくして周囲へ変化をし続けます。その時々に、必要な変化を已みません。特に一年に一度、花を咲かせる植物や木々などはその季節を知らせる大切な合図になります。

まもなく桜が開花しますが、今は梅が満開です。河川敷には黄色の菜の花がたくさん咲いています。土筆も出てきて、蕗の薹も出ます。春の報せです。

冬に蓄えた養分が花になり周囲を明るくします。

季節の巡りというのは、ちゃんと順序があるものです。静と動、陰と陽、太陽と月、まさにその調和によって何が産まれるか。変化を見せてくれるのは、変化で反応する生き物たちの存在です。

では変化に反応していないものがあるかといえば、そういうものはありません。変化に対して、変化しないという順応もあります。石や岩、鉱物などです。止まるということで変化をはっきりと映し出すものです。枯山水などをやってみるとわかるのですが、岩は同じようですが変化を受けて変わりません。この変わらないというものが変化を映すのです。周囲の景色を引き立てる存在もまた、変化しないものの存在です。

私たちは変化をするのですが、変化をしないという変化があるということです。

変わらないものを見つめる時、止まり静かに沈むとき、周囲の変化はより鮮明にそして微細に感じられます。蓄える時、覚める時、冷静になるとき、真実は顕現するものです。

新しい春を味わい、新たな扉を開いて前進していきたいと思います。

不便な暮らし

昨日は、カグヤでは「大切なことを忘れないDAY」として東日本大震災の出来事を振り返り、みんなで反省し知恵を学び直しました。子どもたちには、文字や言葉で教えられないものがある。体験した自分たちがどのような生き方や働き方を通して伝承していくかなどを語り合う大切な時間になっています。

今思い返しても、あの震災以降に私たちの暮らし方や働き方は大きく変化しました。むかしの田んぼをはじめたのもあの震災からです。暮らしフルネスといって、日々の暮らしそのものを変えていくことで子どもたちの大切な環境を未来へも結んでいこうとしたのもあの体験。

私が徳積財団をするのも、古民家甦生をするのも大きな影響を与えた出来事でした。

かつての先人たちは、敢えて不便さを暮らしに取り入れ常に災害に備える暮らしを実践していました。自然災害が最も世界でも多い日本だからこそ、先人たちは常に備える暮らしによって柔軟に対応できる力を磨きました。

例えば、地震などのとき日本人は世界でも最も道徳的な行動をする人が多いとも言われます。これは教育なのかといわれますが私は伝承もあるように思っています。日々の暮らし方のなかにもったいないという意識や、持ちつ持たれつや、お陰様、有難いといった謙虚な生き方。また自助だけではなく助け合い、分け合い、見守り合いなどの結びつきや繋がりがあります。

島国というのもありますが、日本人は一つの大きな家族として自然災害をみんなで乗り越えてきたともいえます。

だからこそ、日々の生活を災害に備えていくことを忘れないために日々の暮らしに不便さを持ち込みました。私の提唱する暮らしフルネスもまた同じです。

敢えて、竈や羽釜、七輪などを使い、お水をくみ上げ、お野菜を育て、手間暇をかけて古民家に棲む。そもそも古民家というものは、強固で頑固な都会のビルのようではなく脆弱で壊れやすく柔軟です。

しかしだからこそ、自然とのつながりを緩やかに感じられ、自然から感性が外れないように常に寄り添い、逃げやすく、再建しやすいようにできているともいえます。その中で暮らしていると、自然に備えることが当たり前になっていきます。

自然災害を生きるというのは、自然との繋がりをさらに強くしていくことに似ています。敢えて、自然災害の近くで暮らしその変化を取り入れることで自然災害と共に生きるという選択をするということ。

本来の災害とは、畏敬の念を忘れ謙虚さを失い、人間が欲望に負けて傲慢になることです。その状態になれば、自然の天敵にされ、人災によって理不尽な犠牲に巻き込まれていきます。

日々の暮らしに敢えて不便を味わい、不便を楽しむことが真の生きる力を育てるのでしょう。引き続き、子どもたちの未来のために暮らしフルネスの実践を磨き、伝承していきたいと思います。

メッセージ

生きている中で、地球や自然からメッセージを受け取る人たちがいます。今までお会いしてきた中でも、自然と共生している人たちほどそのメッセージを受け取っています。そう考えてみると、自然と共生する生き物たちはみな、常に自然と対話を続けて自然のメッセージを感受しているのかもしれません。

その証拠に、自然災害から逃れまた自然の恩恵を得て甦生や循環を続けて今も已みません。厳しい自然と優しい自然、どれも自然あるがままで一緒にいのちを生きています。

例えば、自然からメッセージの一つに地震があります。ちょうど、3月11日は東日本大震災のあった日です。私は東京で被災しましたが、あの時の揺れは今も忘れることはできません。

想定や想像をはるかに超える長時間の揺れ、自然が起こす自然の変化はちっぽけな人間の物差しではとても測ることはできません。もしも阿蘇山が大噴火などすれば数百年は地球の気候も生態系も変わってしまいます。

そういう体験を通すとき、人は謙虚になります。つまり偉大な調和に合わせて生きることこそ、本来のいのちのあり方ではないかと氣づくのです。

もう一度、見直してみると当たり前のことですが誰かが朝をつくることもできません。太陽があって地球が回転することで、私たちは明るさと太陽と朝を迎え一日がはじまります。これをやってくださっているのは人間の力ではありません。人間はその朝をどのように生き、どのように過ごすかはやれるものです。

自然と共生するいのちは、感謝を忘れません。当たり前ではないこの偉大な調和が自分を活かしてくれていることを自覚するからです。

私が今、あるのは震災の時のメッセージを受け取ったからです。子どもたちの未来のことを祈り、暮らしフルネスという生き方を選んだのもあの時のメッセージを忘れないようにしたいと決心したからです。

調和を場に集約して実験と実践を続けていますが、志まだ半ばです。引き続き、今と100年後、1000年後の人々のお役に立てるよう精進していきたいと思います。

和食と天ぷら

日本の伝統料理の一つに「天ぷら」があります。このてんぷらの語源は、諸説ありますが語源はポルトガル語の「tempero(料理)」や「temporal/temporal days(四季の斎日)」に由来するともいわれます。西洋のカトリックの斎日では肉食が禁じられ、代わりに魚や野菜を小麦粉で衣をつけて揚げた料理が食べられていたといいます。この文化が16世紀にポルトガル人宣教師や商人によって長崎に伝わり、日本で「長崎天ぷら」として広まりそれが江戸に伝わり江戸の郷土料理になったといいます。

江戸時代では、屋台ですぐに揚げて出すという具合に庶民に親しまれていました。天ぷらの専門店が出るのは江戸時代末期、幕末頃だともいいます。その理由はもともと屋内で油を使うと火事の危険があるということもあり、油を使うのは屋外ということで屋台になっていたといいます。

油の種類も関西と関東では異なっていたといいます。関西では卵を使わず菜種油で仕上げたといいます。関東では卵入りの衣をごま油で仕上げたといいます。関西で広まった天ぷらは野菜中心で野菜の味を損ねないように菜種油で揚げて塩をつけて食べるためで、関東では日本橋の魚河岸で水揚げされた魚介をごま油で揚げるのは魚の臭みが抑えられるためだったともいいます。

今でも調理は西と東で異なっていることが多いですが、天ぷらも微妙に味付けが変わっているということでしょう。

実際に天ぷらを揚げてみるとわかりますが、野菜を揚げても油はあまり変化ありませんがお魚やお肉を揚げると色が変わってしまいます。

江戸末期の天ぷらの種類は、穴子、芝海老、コハダ、貝柱、するめなどが多かったとあります。江戸時代では主食というよりも屋台のおやつ感覚で食べていたようです。今でも高速道路のSAや道の駅などでも、ちくわや丸天などが手軽に買えたりします。その頃の名残ともいえるものです。

専門店では、油の質も高まり高温で素早く揚げる品のいい天ぷらができたことにもあるように思います。

今でも、揚げたての天ぷらは美味しく素材の味を引き出してご飯を美味しく食べられます。そして和食の伝統的な調味料「天つゆ」も天ぷらには欠かせません。この天つゆの基本的な成分は、鰹節や煮干しをベースにした出汁、醤油、みりん、砂糖です。そこに大根おろしを混ざれば、消化も助け、味も調和して絶妙なバランスで美味しくなり
深みとコクもあり箸が止まりません。

日本の食文化の奥深さには歴史もあり、和食ならではの素材と調味料の調和があります。

調和こそ、和食の真髄であるといつも和食を創ると感じます。これからも和食の素晴らしさを子孫へと伝承していきたいと思います。