純善たる伝承

レッジョエミリア教育というものがあります。これは、イタリアのローリス・マラグッツィという人物の思想や実践が一つの形として表現されたものです。

もともとこのレッジョエミリアは、第2次世界大戦後1946年の北イタリアの町の名前です。その街の郊外のヴィラ・チェラという村でガレキの中から復興を志し、幼児教育に力を入れようと熱心な親や町の人々が教育者、専門家と一体になって立ち上げたことがはじまりでした。このチェラでは、戦後に住民たちが戦争で残った石やレンガを使って、幼稚園を建てるためにドイツ兵が残した戦車やトラック、馬などを売って運営資金にしていたといいます。その後の数年間でレッジョ・エミリアでは女性たちを中心にして60にも及ぶ幼稚園が開園・運営されました。

戦争で子どもたちを保育する場所を自分たちの手で母親たちが主体的に復興するのです。そしてようやく1963年にイタリアで最初の公立の幼児学校がこのレッジョ・エミリアで誕生しました。そこから公立の幼児学校はイタリア全土に広まっていきました。

そもそもイタリアは元々昔から地方分権が強い場所でレッジョ・エミリアはファシスト政権に対する「レジスタンス運動」の本拠地で市民たちの自治意識が高い土地だったといいます。

その当時、教師やジャーナリストとして活動していたレッジョエミリア教育の中心となるローリス・マラグッツィは地域の教育活動に尽力していきます。

このローリス・マラグッツィは「100の言葉」という詩を書きその理念や哲学の中心になるものを残しました。そこにはこうあります。

「子どもには 百とおりある。
子どもには 百のことば 百の手 百の考え 百の考え方 遊び方や話し方
百いつでも百の聞き方 驚き方 愛し方 歌ったり理解するのに 百の喜び
発見するのに 百の世界 発明するのに 百の世界 夢見るのに 百の世界がある
子どもには 百のことばがある…それからもっともっともっと…

けれど九十九は奪われる
学校や文化が 頭とからだを ばらばらにする

そして子どもに言う 手を使わずに考えなさい
頭を使わずにやりなさい 話さずに聞きなさい
ふざけずに理解しなさい 愛したり驚いたりは 復活祭とクリスマスだけ

そして子どもに言う 目の前にある世界を発見しなさい
そして百のうち 九十九を奪ってしまう

そして子どもに言う 遊びと仕事 現実と空想 科学と想像 空と大地 道理と夢は 一緒にはならないものだと つまり百なんかないと言う

子どもはいう でも 百はある 」

自分なりの意訳ですが、それぞれの子どもにはそれぞれの子どもの人生がありその人生には正解などなく、それぞれに自分らしい人生があるということのように思います。この時代、いや今の時代も、子どもが真に尊重されているかといえば教育はその真逆で今でも軍隊のように権利を奪われ、画一的に個性をつぶし、あるいは大人の都合で子どもが主体的に自分のままであることを認めないものばかりです。

「子どもは無限の可能性をもち、あらゆる権利を持っている。そして、それは誰にも奪われず、主体として大切にすることが教育のあるべき姿だ。」とローリス・マラグッツィは静かに諭します。

その後、1991年に「ニューズウィーク」誌は、レッジョ・エミリアのすべての市立幼児教育センターと保育園の代表として紹介し園長を務めたディアナ保育園を世界のベスト10校の一つに挙げました。今では、グーグルやディズニーでも採用され世界中に実践が広がっています。

そう考えてみると、日本ではどうでしょうか。

どのような保育こそが、真にその子どもの主体性を保障し、無限の可能性を奪っていないのか。私は自然農法なども行い、暮らしフルネスを実践しますが日本人はいのちとの繋がり、つまりは物も人もすべていのちの顕現したものという意識を持ちます。

本来は、子どもがもっとも世界で仕合せに暮らす国だったように思います。そういう文化の国が西洋からの古臭い教育で色々な歪が出てきました。今一度、本来の日本にある伝統の教育を今に甦生する時機に入っているように思います。

私が実践する暮らしは本来の日本の保育そのものです。それを大人がまず実践することで、子どもたちにその保育を伝承することができます。大人か子どもかではなく、共に生きる、つまり一緒に暮らすことで実現するのです。これは働き方と生き方の一致でもあるし、過去と未来と今の一致でもあります。

いのちの共生、ものも人もすべて繋がっている場をつくりだす。これが日本式の子どもを育てる伝承法である。それを純善たる伝承とも呼ぶのでしょう。

時機が到来していることに仕合せを感じつつ、かんながらの道を真摯に力強く動き出していきたいと思います。

 

病気への対応

病は気からという言葉がります。これの由来を調べると、中国最古の医書「黄帝内経素問(こうていだいけいそもん)」紀元前四百五十年~二百二十一年頃に、百病は気に生ず(全ての病は気から生ずる)と記されていて、これが「病気」の語源となったとありました。

そもそもこの病気というのは、気に病むとも読みます。私の経験では、気にしすぎていると病気になるということがあります。思い込みの強さも病気と連携しているようにも思います。

また医者に診断されたり、自分がきっとこの病気だと思い込むとそういう病気を引き寄せていきます。不思議なことですが、人間の身体はこの思い込みというものに反応するということかもしれません。

以前、筋トレをする際もイメージしながらやるといいといわれたことがあります。その方が理想の筋肉がついてくるからだそうです。他にもスポーツでも、自分の思い込みを上手に使えばそれにあわせた身体能力が磨かれるといいます。また容姿なども、自信をもって自分の魅力がいいと思い込む人は周囲からそうみられるともいいます。

つまりは大半がこの思い込みによって反応するということになります。

身体はわかりやすく、痛みなどもより痛いところに意識は集中して他の小さな痛みは気にならなくなります。きつさなども、同様で一番きついところに意識がでてそれ以外のきついところは感じにくくなります。

私たちが痛みや辛さを感じるのは、この気の流れによるものかもしれません。よくストレスなども増えると免疫が下がることが証明されています。もともとの免疫がストレスによって疎外されるのです。ポジティブであったり、安心安定していると免疫が活性化するともいいます。

そう考えてみると、もっとも病気に対応できる方法は「気にしない」ことかもしれません。別の言い方をすると、気をそらすでもいいかもしれません。気がまぎれるや気持ちを切り替えるなどは、精神的なものだといわれますが実際にはそれが病気を減らす工夫だったのかもしれません。

とはいえ、治療が必要なものは避けては通れませんからお医者さんに頼り、未病や予防をいかに取り組むかということだとおもいます。

色々と学び直していきたいと思います。

聴福人の実践

先日、あることで松下幸之助さんの生前の講演動画を拝見する機会がありました。そこでは、私心を消すことについて謙虚にお話をされておられ色々と省みる機会になりました。

そもそも私心というのは、小我やエゴなど自分がという己の存在を過少過大評価をしている状態のことです。何物もでもない、存在している自分をよほどの存在として独善的になっていくと私心に囚われた状態になります。

本当の自信を持つというのは、難しいことでそれだけ日々に自分というものと向き合い、自分の中の私心がどうなっているのかを見つめ続ける必要があるように思います。

松下幸之助さんも、自分の私心が毎日出てくるからそれを危険だと思って気を付けていると。賢い人こそ、危険であるから要注意であると。賢いからこそ会社をつぶすことがあると、使い方次第であると仰っていました。

確かに、今の能力も才能もそして自分というものもそれをどう使うかというのは心が決めるものです。それを世のため人のため、そして社会のため世界のためにと自分を天から預かりものとして使うときは私心はなくなっていきます。しかし、それを自分のものだからと勘違いして特別な存在だと勘違いしてしまうと私心にまみれて判断がすべて己の方に引き寄せようと欲望に吞まれます。

この世のすべてはみんな天が与えた存在であると自覚すれば、天命というものの声も聴けるように思います。しかし、天命がわからなくなるのは自分勝手、得手勝手に勘違いし視野が狭くなるからのようにも思います。

視野の広さとは、自分はとても小さな存在と思えるとき視野は広がります。永遠から結ばれている先祖からの自分を感じたり、この世のすべてのいのちは繋がっていると感じたり、宇宙や星々、光や道を感じるときもそう感じます。しかし便利さや自分の権利が当然のような環境の世の中では、そういう感覚は麻痺してみんな私心まみれ我欲まみれになりたいように思います。

夏目漱石が晩年の境地に「則天去私」(天に則り私を去る=てんにのっとりわたくしをさる)ということを語っておられます。天命に生きることの要諦で、亡くなるまでずっとその道に挑戦されたことを想像できます。

また松下幸之助さんを尊敬されておられた稲盛和夫さんもこう仰っています。

「私心を捨てて、世のため人のためによかれと思って行う行為は、誰も妨げることができず、逆に天が助けてくれる。」

動機善なりか、私心なかりしかと、自問自答を日々に繰り返されたいたそうです。毎日、私心はないかと自分に尋ねるというのは本当に大切なことだと反省するばかりです。

最後に、私が大好きな良寛さんの遺した言葉だそうです。

「おらがおらがの「が」を捨て、おかげおかげの「げ」で生きよ」

感謝や御蔭様というのは、私心を毎日お手入れすることに似ています。自己の徳を磨いていくのは、それが天命であることを忘れないようにしていくためかもしれません。

よくよく反省して、自ら勘違いしないように周囲の声に耳を澄ませ、聴福人の実践を真摯に取り組んでいきたいと思います。

本当の自分に近づく

人間は自分の力を過信するときに、同時に慢心が生まれます。この過信と慢心は別の意味のように語られます。つまり過信は自分の力を信じすぎる、慢心は自分を信じすぎておごり高ぶるという具合でしょうか。しかし、実際にこの過信も慢心も同じ意味です。

そうではない姿とは何か、それは謙虚です。

この謙虚さというのは、ある意味自分というものの理解を正しくしているものです。例えば、自分ではないと思えるということです。今の自分があるのは、ご縁、ご先祖様、お導き、仲間や家族、あるいは私であればお山やお家、風土や先人の遺徳、自然、太陽、お水、あらゆるものが自分ではないものになっていきます。

その時、私たちは御蔭様に気づき、有難いと自然に感謝ができます。そういう自分ではないものの存在に気づくとき、その中にあり「活かされている自分」というものに出会います。

自分で勝手に生きているのではないし、自分の力だけで生きてきたのではないという事実を知るのです。

その事実を知るとき、人は過信や慢心というものから遠ざかり現実を受け入れ真実を見つめることができます。

どうしても自分に意識が行き過ぎれば、人は過信となり、そして自分の力でのみ乗り越えられると思えば慢心となります。結局は、事実として人は誰かの助けによって共生の原理によって存在しますから現実に苦しめられるだけになります。

だからこそ現実を直視して、活かされている自分のままでいることに徹することで事は成就していくのでしょう。それが謙虚さであり、本当の自分を知るということになると思います。

色々と勘違いして、私もまだまだ迷い悩む日々ですが常に初心や原点を磨きながら、周囲の御蔭さまと有難さに感謝をして本当の自分に近づいていきたいと思います。

大家族主義の徳

互譲互助という言葉を知りました。これは出光創業者の出光佐三さんの遺した言葉です。日本人は、本来、お互いを尊重しあい譲り合う和の精神がありました。それが個人主義で失われていくのは違うのではないかと、さらに和の精神を磨こうと発信されました。

出光興産のホームページには「互譲互助」がこう紹介されています。

『個人主義は利己主義になって、自分さえ良ければいい、自分が金を儲ければ人はどうでもいい、人を搾取しても自分が儲ければいいということになっている。ところが本当の個人主義というのは、そうではなくてお互いに良くなるという個人主義でなければならない。それから自由主義はわがまま勝手をするということになってしまった。それに権利思想は、利己、わがままを主張するための手段として人権を主張する。この立派な個人主義、自由主義、権利思想というものが悪用されているのが今の時代で、行き詰っている。

それで私はよく会議で言うんだが、「お互いという傘をかぶせてみたまえ。個人主義も結構じゃないか。個人が立派に力強くなっておって、そしてお互いのために尽くすというのが、日本の無我無私の道徳の根源である。自由に働いて能率を上げて、お互いのために尽くすというならこれまた結構である。それから自分が人間としてしっかり権利をもって、お互いのために尽くすというなら結構だ。」と言うんです。互譲互助、無我無私、義理人情、犠牲とかはみんな「お互い」からでてきている。

大家族主義なんていうのも「お互い」からでてきている。
その「お互い」ということを世界が探しているということなんだ。』

本当の個人主義とは何か、それはお互いが善くなると定義されています。そもそも自今主義は利己主義でもなければわがままするものでもない。権利思想が悪用されているというのです。

私はこの権利思想というものは、人権を含め、お互いを尊重しあうという意味で人としてとても大切なことだと感じています。しかし今の使われている権利は、戦うため、争うための材料になってしまっています。

そこで本来の意味に回帰しようと「お互い様」という日本の精神を説きます。みんなで自立するのはいいことだと、そうやって自立してお互いのために支え合うのが日本人の生き方ではないかと。そのうえで、自分の権利を保っていこうではないかと。その道の先にこそ、みんながお互い様で生きていこうとする大家族としての地球があるのではないかと、私はそう仰っているように思います。

自分の国や自分のことだけ、そのために奪い合い争い合うというのは平和的ではありませんし自然の掟に反するものです。自然は、よく観察するとお互い様で成り立っており、みんなそれぞれが尊重しあうなかでお互いに譲り合って助け合って存在しています。

例えば、野菜でもそれを育て見守り喜んで一生を歩んでいく過程でその作物や食料として私たちは食べていくことができます。そして種をいただき、その種を育てていくことで共に生のパートナーとしてお互いを見守り合う関係で家族になります。

思いやりをもって歩んでいくことで、このお互い様がはじまりそこに譲り合いという知恵が生まれます。権利と勝ち負けではなく、尊重と譲り合いが世界をつくるのです。

時代が変わっていろいろと世の中も毒がたまってきています。毒を取り除くには、日頃から毒を出すかのように浄化し続けることが必要です。この出光佐三さんの大家族主義というのはまさに今の時代に求められている気がしています。

子どもたちの健やかな未来のためにもお互いというところをさらに突き詰め、徳積循環経済の仕組みに挑戦を続けていきたいと思います。

未来の可能性

未来の可能性というものは、今の自分の能力で推し量ることはできません。それは未来が予測できないことと似ています。今の自分が、今こうなっていることを40年前やもっと前に予測できたかといえばほとんど予測できていません。そこには数多くの奇跡やお導きがあり、今に結んでいます。

ビジョンというものは、方向性を決めるものですがこうなると未来が予測できるものではないように思います。しかし、そうなると未来を信じるのだからその信じるものを実現するために自分の能力を磨いていくのです。

そうやって人は成長し、進化していくものであろうと思います。

しかし、あまりにも高い理想や現実の世界の価値観とかけ離れたようなことに取り組もうとなると未来の可能性がどんどん小さく感じるものです。本当に実現するのか、実際には不可能ではないかと不安にもなるものです。

実際には、小さく感じても小さなことからコツコツと挑戦をし積み重ねて可能性を広げていきます。特に自然を相手にしてみるとわかりますが、思いどおりなどにはいかず、自分を謙虚に素直に改善していくしかありません。

そうやってコツコツと取り組んでいると暮らしが次第に変わってきます。日々の日常の中で、変化が出てきます。その変化こそ、未来の可能性ともいえるものです。

実践するというのは、日常の暮らしから変わっていくものです。

時間がかかっても、未来の可能性を信じて知恵を活かす新たな能力を磨いていきたいと思います。

お山の知恵

英彦山の宿坊では先日の大雨被害から水回りのお手入れを続けています。都会の治水とは異なり、山の治水は思った通りにはいきません。毎回、水量が更新され水の流れも新しくなります。そのままにしておけば、水路ができたり道が遮断されたり土砂崩れになることもあり、土木作業が必要になります。

山で一人で土木作業というと想像するだけで大変なことがわかります。特に重機などを使わず、人力で行っていますから作業量の多さに立ち眩みするほどです。

しかしこの治水というのは、お山で暮らすためには必須の力であるように感じます。石を用い、水を治める。あちこちの宿坊跡地をみていても、如何に水を御するのか、そして土を管理するか、木々と石と風と水、それらを上手に総合的に組み合わせて場をととのえていたのがむかしの人たちの山での暮らし方だったのでしょう。

治水といえば、有名な人物に加藤清正がいます。むかし明治神宮の傍に住んでいたとき、よく加藤清正が掘った井戸にいくことがありました。水を上手に活かすことができる人物というのは、自然の道理や知恵に長けておりまさに自然の総合力を活かせる人物だったように思います。国を治めるのも、水を治めるのも道理は一つだったように思います。

その加藤清正に治水五則というものがあります。

一、水の流れを調べる時に、水面だけではなく底を流れる水がどうなっているか、とくに水の激しく当たる場所を入念に調べよ。

一、堤を築くとき、川に近いところに築いてはいけない。どんなに大きな堤を築いていても堤が切れて川下の人が迷惑をする。

一、川の塘や、新地の岸などに、外だけ大石を積み、中は小石ばかりという工事をすれば風波の際には必ず破れる。角石に深く心を注ぎ、どんな底部でも手を抜くな。

一、遊水の用意なく、川の水を速く流すことばかり考えると、水はあふれて大災害を被る。また川幅も定めるときには、潮の干満、風向きなどもよく調べよ。

一、普請の際には、川守りや年寄りの意見をよく聞け。若い者の意見は優れた着想のようにみえてもよく検討してからでなければ採用してはならぬ。

これは知恵の結晶です。何度も治水に取り掛かるうちに失敗したことを改善し、その改善したことを五則として再現可能なものに展開しています。誰でも失敗はしますが、それを善い失敗として何度も反芻するなかでそれを一つの法則にまで高めていく。

法則を持っていることで、後世の子孫たちが真に参考にでき知恵が活かされるという仕組みです。

英彦山ではもう山伏もいなくなり、治水を知っている人もほとんどなくなりました。今は故人の遺した石垣や治水の跡をよく観察し、どのような道理なのか、そして谷がどうなっているのかを洞察して治水を続けています。

お山の暮らしは学ぶことがいっぱいあります。子孫のためにも、お山での知恵が子孫へ伝承できるように改善し仕組みにしていきたいと思います。

本来の歴史

歴史のある場所を訪ねていると、つい何年前のものかということを意識して考えてしまいます。10年くらいならまだしも、100年、あるいは500年、1000年、もっと前の2000年前のことになると頭では考えられなくなります。特に古代のことになると、1万年や10万年などというとほとんど想像ができません。

自分の人生の時間軸で物事を量ろうとしても、それは量れません。例えば、重量計で載せられる範囲のものはわかっても載せれないほどの壮大なものであったなら私たちはそれを計算で量りますが実際の量は頭で計算した分であり感覚的にはピンとこないものです。

それだけこの世の中は、頭では量ることができない感覚的なもので存在しているのです。歴史も同じく、私たちは時間を量れません。そこに流れてきた経過、そして生き続けている今を量ることはできないからこそ感覚的に感じて近づいていくしかありません。

これは自然に近づいていくことにも似ています。宇宙を量るときもあの膨大で無限に存在する星々をどのように認識するでしょうか。教科書にあるような星座や銀河を想像してもあまりピンとはきません。吸い込まれるような大きな闇に感覚的に近づいていくとき、その無数の星々と一つになります。自分が星になり、星が自分になるかのような一体感があってこそその場に溶け込んでいくことができます。

分けている世界ではなく、分けていない世界に溶け込んでいくのは感覚を用いるものです。この感覚を研ぎ澄ませていくことは、目には見えないもの、また頭では量れないものを感受する仕組みです。

古代の人は、また数千年前、数百年を生きる歴史の人たちはこの感覚の世界に存在していて今も生きています。これを理解するのは、感覚で近づいていくことですがこれをすることが修行の本懐であるようにも私は思います。

子孫のためにも、甦生を続けて本来の歴史を感覚を研ぎ澄ませる仕組みをもって伝承していきたいと思います。

憧れ

暮らしを追及していると、生き方に出会います。生き方は暮らし方になっているからです。そして生き方を見つめていると死に方と向き合います。死に方は暮らし方の延長にあるからです。そして生き様というものが顕れ、死に様というものでその縁起を覚えます。

私が尊敬する人たちは、みんな生き様が見事な方でした。ここ10年で私が憧れた人たちが次々とお亡くなりになりました。ごく自然に、距離を持ち、そして静かに穏やかに逝かれました。

生きているときに常にこれが最期のような感覚をいただき、お別れするときは今世はもうお会いできないのではないかという寂しさがありました。そうしてまたお会いしたいと思ったときにまたタイミングがきてお会いすると、出会えた喜びに生まれ変わったような気がいつもしました。しかしもうお会いできないという状況になると、まるで深山の巨樹のようにまだそこに存在して見守ってくれているのではないかという気配があるものです。

ある方は、光のように、ある方は風のように、ある方は土のように逝かれました。生き方はそのまま死に方になり、生き様はそのままに死に様になりました。

これらはすべてその人の初心が顕現しているとも言えます。どのような初心を以って道を歩んでいくのか、その初心の余韻が場に薫ります。

私たちはその人になることはありません。しかしその人の歩んできた道を共にした経験によって歩き方も変わっていきます。振り返ってみたら、自分もまた歩き方がだいぶ変わってきました。歳をとり、若い時のように歩いていくことはできません。歳相応に歩いていきますが、気が付くと無理ばかりをしているようにも思います。

初心を忘れてはいけないと、歩き方を歩き様を振り返っては反省の日々です。

憧れた大人になるように、そして子どもたちの憧れるような大人になれるようにどう生きるか、どう死ぬか、そしてどう逝くかを見つめています。

盂蘭盆会の準備に入り、夏の風が吹いてくると日が強くなり死が身近に感じられます。日々の小さなことに感謝して前を向いて歩んでいきたいと思います。

視野を広げる

塩野七生さんという歴史作家がいます。「ローマ人の物語」というローマの1300年の興亡を描き切った方です。私も読めていないのですが、文章のところどころに視野の広さや戦略のこと、政治と軍事のこと、本当に深く洞察されております。

歴史は、よく見直し洞察すると現代でも起きている戦争や政治の混迷などほとんど似ていることが発生します。似ているということは、過去から深く洞察し歴史から学べるということです。

「戦略は、現状を正確に把握していさえすれば 立てられるというものではない。 過去、現在、未来を視野に入れたうえで、 それらを統合して立てるものである。そうでないと、たとえ勝利しても それを有機的に活用することができない。 活用できないと、戦闘には勝ったが戦争には負けたということになってしまいがちだ。 「自覚」が重要なのは、これこそが一貫した戦略の支柱になるからで、 それが確立していないと、 戦争の長期化につながりやすい。戦争は、攻められる側だけでなく、 攻める側にとっても悪である。 「悪」なのだから、早く終わらせることが何よりもの「善」になるのだった。」

本来の戦略とは統合されているものということ。統合できる視野があることを洞察されています。今のウクライナやロシアの戦争もまた、どのように終わらせればいいか、どの視野でこれをリーダーたちが理解できるかどうかによります。

「兵士を率いて敵陣に突撃する一個中隊の隊長ならば、 政治とは何たるかを知らなくても 立派に職務を果せる。 しかし、軍務とは何たるかを知らないでは、政治は絶対に行えない。 軍人は政治を理解していなくもかまわないが、 政治家は軍事を理解しないでは政治を行えない。人間性のこの現実を知っていたローマ人は、 昔から、軍務と政務の間に境界をつくらず、この間の往来が自由であるからこそ生れる、 現実的で広い視野をもつ 人材の育成のほうを重視したのであった。」

政務と軍務も本来は統合されたものです。それを分業することで視野が狭くなります。広い視野とは、分けないということ。それは一体であるという認識を持つことです。違いを認め合い、お互いの持ち味を活かすことこそ視野の広さを醸成していきます。

組織を含め、分けていくのは簡単ですが分けることで視野はどんどん狭くなるものです。どうやって共生するか、そして統合し思いやりのあるいい状態を創造するかに視野は育つように思います。

他にも塩野七生さんの遺した言葉があります。共感するものばかりです。

「危機を打開するには、何をどうやるか、よりも、何をどう一貫してやりつづけるか、のほうが重要です。」

「戦争は、死ぬためにやるのではなく、生きるためにやるのである。戦争が死ぬためにやるものに変わりはじめると、醒めた理性も居場所を失ってくるから、すべてが狂ってくる。」

「 100%の満足を持つなんて、自然ではない。天地創造主の神様だって幾分かの不満足は持ったに違いない。本当の仕事とは、こんな具合で少々の不満足を内包してこそ、実のあるものになるのだと思う。」
「危機の時代は、指導者が頻繁に変わる。首をすげ代えれば、危機も打開できるかと、人々は夢見るのであろうか。だがこれは、夢であって現実ではない。」
どれも高い視野で語られている言葉です。ローマという国がどのように興亡したのか。そこには歴史の深い教訓があります。人類は今こそ、歴史に学び直す必要性を感じています。
身近な実践から見つめていきたいと思います。