守静坊の護符

今日は、一年のうちに7回しかないといわれる己巳の日と大明月が重なる日といわれます。この巳(み)とは、十二支の蛇のことで陰陽五行では土は金を生むということから蛇は金運、宝の神様とし弁財天のお遣いといわれています。また大明月というのは、暦では七箇の善日といわれ「物事の始まりを天が明るく照らしてくれる日」という意味があります。これが合わさった大吉日ということになります。

これから英彦山の守静坊で護符づくりを行います。この護符は、もともと御守りや魔除けとして太古の時代より伝承されてきました。今ではあまり護符や御札はその価値や意味も次第に薄れていますが、むかしは偉大な効果があるものとして人々の間で大切にされていました。これだけ悠久の歴史の篩にかけて今でも残っているのは、それだけの価値があるものだからということでしょう。

私は現在、英彦山で懐かしいお山の暮らしを甦生しています。護符づくりもその一つです。昨日から場を調え、周囲をお掃除し、隅々まで新しい湧水で拭き清めていき宿坊全体を清浄にしていきます。またこの場のすべてをご供養して室礼をし、供物などを捧げます。また護符用の和紙は、ご神木のサクラの木の下に一晩安置してサクラの徳が宿るようにいのります。

そして弁財天の祠をお掃除し、同様に供物を捧げ焼香や読経、法螺貝を奉納し場を清めます。私自身も食べものをはじめお酒も控え、麻やヒノキや和晒しで眠り早起きしてお水を換えて供物を調え火を入れて座禅をします。その後は、弁財天に祈祷をし前日同様なことを全て行い禊をしてから場をととのえます。この日は朝からは甘酒だけにし、鏡を磨いたあとは火と水と音だけで過ごします。

護符は、秋月の手漉き和紙ですが楮ではなくミツマタを使い今回は材料のところからこだわり何度も祈りを捧げながら半年かけて職人さんと共につくったものです。そして墨は200年前の固形墨を削ります。赤は辰砂を使い、龍脳の粉を少し混ぜていきます。そこに守静坊の汲みたての湧水を使い、版木は江戸時代のこの宿坊で伝承されてきたものを手で一つ一つ丁寧に押して力を篭めて入れていきます。

護符は丁寧に乾かし、最後に祭壇の前で法螺貝を吹き立てたあと大切に仕舞います。

ご縁のある方々がこの護符のご縁でさらによりよくなりますようにと真心を籠めていきます。よく護符は祈祷師の霊的力量次第ともいわれますが、私はそんな霊的力量に軸足を置かず、むかしの人たちが丹誠を籠めて丁寧に手間暇をかけて取り組んできたプロセスの方を尊重してつくるようにしています。

印刷機などの便利な道具で簡単にスピーディに大量につくれる時代だからこそ、長い時間をかけて、一つ一つの意味を噛み締めながら何一つ怠らず謙虚に真摯に真心を籠めて取り組むと不思議ですがそういうところにこそ神が宿るような気もしています。

そして己巳の日、大明日という大吉日に縁起を担ぐのも、このおめでたい日だからこそ「予祝」として先に叶うと丸ごと信じて、先人たちの生き方の実践し続けていきたいと思います。

暮らしの中の護符に感謝、おめでとうございます。

徳は永遠の道

「懐徳堂300周年供養祭×徳が循環する未来の甦生シンポジウム×ブロックチェーン経済」を無事に開催することができました。有難いことに徳を実践する方々やこれから取り組もうとする方々が集まり温かい雰囲気に包まれた「場」になりました。

最初は、みんなで場を調えることからはじめ蜜蝋などで場のお手入れをしました。そして床の間に集まり法螺貝奉納後、懐徳堂の創設者や學主をはじめ関りの深いご縁のある方々と、この活動を深く支援してくださった方々、また参加者のご先祖様たちをご供養して念仏とご焼香をみんなで行いました。

会場を移動し、真ん中のテーブルをみんなで囲んでシンポジウムを行いました。シンポジウムでは、懐徳堂のその当時の歴史的背景や人物模様、また資本主義がはじまったころから今の成熟していくまでのプロセスでそれぞれの人物たちが何を思い、どう語ってきたかなど先人たちの遺徳を偲び学び直しました。人と人の繋がりの中にある徳を積む話にはみんな深く共感していたのが印象的でした。また贈与や布施、徳積という人間本来の結び合いから新しい技術を通して懐かしい未来やこれからの可能性についても話しました。また世の中の変革は、上からではなく底辺から一人からというのも印象に残りました。

ブロックチェーン経済のところでは、この2年間の私の徳積帳の経過や反省点や課題点、そして可能性や思いなどについて話をしました。同時に、本来のブロックチェーン技術は循環や徳積であることが望ましいこと、技術の前に人間が自分に打ち克つことの価値などを同志や開発者から話がありました。

その後は、みんなで車座になって火鉢を囲み懐徳堂の甦生を試みました。34名ほどの参加者が、それぞれに尊敬する生き方や今回の学びで気づいたことを語り合いました。涙する人もいれば、深く自省している人もいて、またそれぞれの言葉に励まされ元氣や勇氣をたくさんいただいたという言葉が多かったのも印象的でした。それぞれの場で、それぞれに挑戦している人たちだからこそ一人ではないと実感されたように思います。

最後は、直来をして朝から地下水と備長炭で竈で炊いたむかしのお米のおむすびと、伝統在来種の高菜や自然食の副菜、きのこ汁をみんなで食べてとても豊かな時間を過ごすことができました。おやつには、日本最大饅頭の柏屋さんのお饅頭をいただきました。

多くの徳積スタッフがお手伝いいただき、居心地のよい場をつくってくれています。BAでは自然農の畑や田んぼのように、多くの自然に見守られ健やかにいのちが育つ場が醸成されています。有難いことで、自然の叡智には感謝しかありません。

論語に、「徳は孤ならず必ず隣あり」という言葉があります。

まさにそれを実感する素晴らしい一日になりました。懐徳堂も300年前、「人の道」を大切にしようと志してはじまったといいます、先人たちが志たような場をこれからも何度も甦生していくことでその遺徳を継いでいけるようにも思います。

長い時代のなかで、人はずっと人の道を大切にしてきました。少し時代が揺さぶられて道から離れてもそれもほんのわずかな時間です。また原点回帰して元の道に戻れば、そのあとを子々孫々たちが歩んできます。

徳は永遠の道です。

引き続き、場を磨き、場を調え、場と和しながら徳を積み、子どもたちのために今できることを真摯に有難く取り組んでいきたいと思います。

 

ふるさとの宝

私たちの暮らしている場所にはそれぞれに固有の風土があります。この風土とは、その地域の自然環境のことです。しかしその自然の中には、単なる気候や土や環境のようなものとは別にその地域の人々の気質や生活文化、そして醸成されてきた性格を含めて様々なものが混淆しています。これらを括って風土ともいいます。

その風土が生んだものの一つに特産品というものがあります。これはその地域でしかできない、その地域固有の個性です。食文化などもその影響を大きく受けています。私たちが観光である地域を訪れ、その地域の素晴らしさを実感するときにその地域の特産品をその場所で食べると驚くほどに美味しく感じ、その地域の魅力に深く魅了されます。

私もかつて旅行でその地域の特産品を食べて感動して、それを持ち帰ったり東京で食べたりしましたがあまりその時のような感動がありませんでした。その「風土の中で」というのが最も重要だったことがわかります。風土には、人物空間、歴史や伝統などありとあらゆるものが混然一体になっているということでそれを深く味わえるのです。

この特産品の「特」というのは、特別の特のことです。この「特」の字はもともと古代中国の象形文字です。元々は牛に関する特別な印を示す意味で、牛をさしていたとされています。それだけ他とは異なる最も優れたものが牛だったということでしょう。特許や特有などといってむかしから大切なものの総称としても使われます。

そしてこの特産品は辞書で引くと「ある特定の国や地域でのみ生産 されたり、収穫 される物品のことでその地域を代表しその土地の気候風土を生かした物品のこと」とあります。

似た言葉に名品、名産品というものがあります。これは「その土地でしか作られないわけではない」ものです。その地域で売れていたり有名なものが名産品です。

しかし不思議なことにこれだけ重要な名産や特産の違いはあまり気にされず、言葉の意味や使い分けの部分は曖昧なままに偽物が年々増えているように思います。産地偽装や原材料の不透明化、さらには加工している時に大量の化学添加物を入れたりその土地の人や道具、あるいはプロセスなども無視したものでもまるで本物のように出回ります。世間では原材料も一部は違っても100パーセントと言っていいとかの規制緩和があったりして?ですし、他にも色々と調べれはきりがないほど「グレーゾーン」な部分が増えるのが当たり前で世の中は誤魔化しばかりです。それこそDAOの技術であるブロックチェーン技術も今は偽装を防ぐためばかりに使われています。

海外ではブランド品が模倣され様々な問題になっています。信じて買ってみたら、実際には偽装されたものだったとなれば売る方も買う方も悲しい気持ちになります。そうならないようにと、色々と対策を立ててはいますが売り買いする方も見た目ばかりを誤魔化して販売してきたことで、本物を見分ける力も失われているものです。

例えば、食に関する特産品であれば生産から加工販売まで全てを正直に自分で取り組んでいる人は偽装はしません。首尾一貫して本物にこだわり、伝統文化を守り風土と共に生きる人は偽装できません。それを「現場に見に行けば」すぐに本物かどうかは見分けがつきます。ただ、儲けに目が眩んで正直に取り組まなくなれば品質は下がります。

農業であれば、農薬や肥料をつかい機械化し大量生産をし種を改良しとすれば本来の風土の味が劣化していきます。加工でも便利なものを使い時短をし添加物などで誤魔化せば味が劣化します。また販売する方も、見た目ばかりで消費者が買いそうなものにデザインし流通にのるように価格をコントロールすることでさらに味が劣化します。

つまり正直に取り組まないから味が劣化するわけで、正直に取り組んでいれば味はその風土を体現するような本物の磨かれた味わいが出てきます。味に出るから本来は誤魔化せないはずなのですが、味を目や脳みその思い込みで食べている時代はなかなか本物を見分ける本能や感性も劣化してしまうものです。

話を戻せば、特産品というものは本来は「ふるさとの宝」です。このふるさとの宝をどう甦生して、そのふるさとの魅力を開発していくかはその志事に関わる人たちの大切な使命であるはずです。

それに気づいている人たちが地域の宝を守り、その宝を守る時にブランド化するということでしょう。みんなで守ろうとしなければブランドはできません。まず何が地域の宝なのか、そしてその宝をどう守るのか、それが将来の子どもたちや子孫へ何を譲り遺せるかにかかってきます。私が取り組む古民家甦生もですが、現在の消費優先の利益吸い上げ型の仕組みに気づき宝を磨いて守っていくような経世済民型の仕組みに転換していく必要性を感じています。

核心は常にこの宝を何にするかにかかっています。

引き続き、人類の本当の宝を磨いていきたいと思います。

先人たちの御恩

昨日は、国東半島にある三浦梅園先生と帆足万里先生のお墓参りをしてきました。三浦梅園先生は、昨年冬の生誕300周年記念イベントの深い學びに感謝の御礼をしてきました。旧宅でもご位牌にお経をあげて懐かしい時間を過ごすことができました。三浦梅園先生は、ご両親をはじめご先祖様をとても大切になさったと言われます。

実父の死後には三浦家一統の墓石を一ヶ所に集め、一日三度の墓参を欠かさず老齢に至ってからも一日二度の墓参は亡くなる数日前まで続いたといわれます。長男の黄鶴が「死に仕ふることかくのごとし。生に仕ふること、知るべし」とその生きざまを残しています。

これは列子にある「生を視ること死の如し」とも似ています。生死は自然の一部として分けずに超越しどれも天命や宇宙の流れの一部として身を任せるという生きる態度のことです。

そもそもこの世にある元氣や空氣などという氣というもの、目には観えませんが確かに存在します。また霊魂などといわれ、意識、念というものも眼には観えませんが確かに存在します。どれもこれも自然ということで、万物は常に一体善として存在するのだからそのすべてに仕えるということでしょう。

常に分けないで当たり前の暮らしを丁寧に実践しておられた三浦梅園先生は亡くなった今でも私の恩師です。その先生の言葉に、「学問は飯と心得べし、腹にあくがためなり。掛物のやうに、人に見せんずるためにはあらず」とあります。

このブログもですが、誰かに見せたり名誉や地位や金銭のためにするのではなく日々の丁寧に滋味を食べていく御飯のように學問をすることへの態度を語られます。常に日々の生き方が學そのものということでしょう。

また現代でもメディアを賑わしている人たちにも似ているのかもしれませんが「学文は臭きなのやうなり。とくと臭味を去らば用ひがたし、少し書を読めば学者臭し、余計書を読めば余計学者臭し、こまりしものなり。」ともいいます。

これは三浦梅園先生に学んだお弟子さんの一人に脇蘭室先生があります。この方が、「學問の道は知ると行うにあり。必ずよく知り、よく行うこと」と常に自他を戒めていました。また自分を愚山とも名づけこういいます、「この山は土は浅くてよい木材を育てることができず、勢いもなく雲を生み雨を降らすこともできない。したがって誰にも振り返って見られることのない山、私はこの山に似ているので愚山と名乗ることにした」と。學は志を遜にするにありの実践です。

學を志す姿勢や態度は今の時代はどうなっているのでしょうか。親孝行をし、家という社會をどのように治めていくか。畢竟、世界の紛争や欲望で大衆がどうしようもないところまで追い詰められる前に如何に未然に調えて守ろうかと考えたとき、そこには教育しかないことに氣づきます。學問は、人のためにあるのでしょう。そしてそれは謙虚に、真心の実践を積さかねていくことで徳を醸成していくことが一番の道です。

また帆足万里先生は、その脇蘭室より学びます。一生涯、恩師として慕ったことがわかります。その帆足万里先生も自らを愚亭と名乗ります。私塾の西崦精舎(せいえんせいしゃ)では弟子たちの善いところを見抜き、それを活かすために一緒に學を深めたといいます。外科医に向いている弟子がいれば、自分が外科のことを學び導き、オランダ語も40歳から学び、弟子たちを導きました。ここでも知るだけではなく行うことを重視した生き方が観えます。

時代が変わっても、學問の態度や本質は普遍的で変わることはありません。人格を磨き上げて謙虚に真摯に取り組んだ先人たちの背中を見ては恥ずかしい思いがします。自分はどこまで知った気になっているのか、自分を省みると本当はどれだけ実践で気づいて語っているかと思うととても残念な思いもします。まだまだはじまったばかりの學問を定期的に報告していますが謙虚にありのままのことを伝えていきたいと思います。

先人たちの生き方が私たちの今を照らします。心からご冥福をお祈りし、志を継いでいきたいと思います。

徳の根源

懐徳堂の学問を深めていくと、「孝」が中心になっていることがわかります。この孝とは、中国の孝経が由来で孔子が弟子の曾子に孝こそが徳の根源と語ったものから由来します。

孝経の中で「身体髪膚之を父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始なり」とあります。これは自分の身体は元々は父母からいただいたもの、その身体を大切にして傷つけないようにすることが最初の孝行であると。そこからずっと辿っていけば、ご先祖様からいただいたこの大切な身体を真心で大切にしていくことが孝行であるといいます。

そもそも「徳の根源」というものはどのようなものか、私の解釈ではそれは生まれる前から私たちに具わっているというもののことです。これは人間に限らずあらゆる生き物にも等しくいえます。

生まれたばかりの鶏でも本能があり、誰も何を教えてなくても餌の食べ方や遊び方、水の飲み方からその体の使い方や鳴き声が具わっています。親は子を守り、子は親を信頼します。これは自分が勝手に得たものではなく、父母をはじめ先祖からの徳の根源の存在があるからです。

自分の身体と共に生きている存在に感謝してそれに孝行することは先祖に孝行することと同じとも言えます。その気持ちをもって実際の父母を自分と同じように孝行をし、そして同時にその先のご先祖様たちの存在にも感謝を忘れないで暮らしていくことができればそれは徳を積んでいるのと同様であるということでしょう。実際には、その孝行を盡すのを広げて他にも国家の主や上司や先輩にも仕えていくことを忠孝ともいいました。明治維新以降はこの忠孝という言葉が戦争に使われ戦後はこの忠孝を忘れるような教育が入り家の概念も薄れて失われていきました。今では歪んだ個人主義が蔓延し、忠孝はパワハラや押し付けともなっています。

本来、この忠孝は「徳」の存在を感じるものであり、身近な徳を理解し実践するのに何よりも近道になっているものだったように思います。自分を大切に見守ってくださっている存在を自分と同じかそれ以上に深く思いやり愛することによって私たちは徳の根源にいつも出会うということでしょう。

懐徳堂もその教義の中で、「孝」「悌」をまず第一の徳目として掲げていたといいます。具体的には「父母によくお仕えするのを孝といい、年長者によくお仕えするのを悌と名付ける」とあります。そして「孝悌の二字は日夜心がけて、一生忘れてはならない」ともいい學問の道に導いていました。

同じく近江聖人と呼ばれた中江藤樹先生は、「父母の恩徳は天よりも高く、海よりも深し」といい同じく孝を第一義に実践をされ徳のことをあるがままに伝承されました。また孝行にならないものとして「にせの学問は、博学のほまれを専らとし、まされる人をねたみ、おのれが名をたかくせんとのみ、高満の心をまなことし、孝行にも忠節にも心がけず、只ひたすら記誦詞章の芸ばかりをつとむる故に、おほくするほど心だて行儀あしくなれり」ともいいました。つまり孝行や忠節がなくなると、人は父母の恩徳を忘れているということでしょう。自分の代のことばかりを憂いて夢ばかりを追いかけていると志が損なわれていくのはいつの時代も同じです。

懐徳堂の代々學主の生き方をはじめ、三浦梅園先生、麻田剛立先生など道なき道を拓き子孫へと徳を伝承された方々は共通して静かに隠棲し名誉や地位や権力やお金など私利私欲よりも公や天下万民、あるいは子孫たちの真に豊かな未来のためにと生涯を盡されておられたことが生きざまから観えてきます。この根本には、常に共通して「孝」があると実感します。

これから盂蘭盆会の時節ですが、ご先祖様のことをずっと感じ続けるこの期間はとても仕合せを覚えます。落雁をつくりお供えし、献花し香や火を絶やさずお水を添えてお祈りをする。父母の恩徳や家の有難さを最も感じる場です。

長い目で観れば最も子どもたちに伝承したいのはこの「孝の心と実践」です。引き続き、自らが恥ずかしくないように心身を調えて心穏やかに恩徳に報いていきたいと思います。

古今を懐かしみ真の今に至る大切さ

昨年、三浦梅園生誕300周年記念シンポジウムを開催したことのご縁からその學朋で同志の天文学者、麻田剛立のことを知りました。麻田剛立を知って大坂にある町人による學問所、「懐徳堂」にご縁が結ばれました。私が取り組む「徳積堂」に名前が似ていてすぐに関心が湧き、どのような「場」であったのかを深めました。

懐徳堂は今から300年前の江戸時代、五人の町人有志が出資して創設されその後も町人有志により運営された私塾ということがわかりました。そしてその學風も自由で寛容、自律や自助、そして貴賤貧富は関係がなく、謝礼も貧苦の方々は受けずまた聴くだけでもいいとあります。この当時、世界のなかでもこれだけ開かれ純粋に學問に取り組める場はありません。

最初の學主は、三宅石庵といい万年先生と呼ばれていました。朱子学を始め、陽明学、古義学、医学等々の諸学の善いところ取りをするから周囲から鵺学問といわれたそうです。鵺とは伝説の妖怪の総称です。鵺の見た目はサルの顔にタヌキの胴体、さらにはトラの手足に尻尾はヘビのようになっていてここから鵺学問とは得体のしれない不思議ではっきりしない人物や学問だといわれたということです。現代でも似たようなもので、分類わけできないものは得体のしれないものとして評価されないのと同じです。しかし本来はこの鵺のように、真の學問は「分かれていない」ところにあるものです。一物全体ともいい、一円融合ともいい、真の実践者たちは自然体で丸ごと自由に學び問い続けます。この懐徳堂の學風は、この鵺学問の実践がその後に偉大な影響を与えます。

その初代學主、三宅石庵はこの私塾創設の理念や初心に「人の道」を掲げます。

『扨学ト云ヘルハ、何ヲ学ブモノゾ、道ヲ学ブコト也、何ヲカ道ト云フ、人ノ道也、人ニアラザレバ各別、人ト生レタルモノハ、人ノ道ヲ学ハ子バナラヌ也。(學とは何を学ぶのか、それは道を学ぶのである。道とは何か。それは人の道のことである。人と生まれたからには人の道を学ばなければならない。)』

學=道=人だと言います。つまり人は道を學ぶことが誠の人になることだと、そしてこう続きます。

『シカルニ気質ノ偏ガ有ツタリ、耳目ノ欲ガアリテ、フト我ガ生レツキテヲル道ヲトリ失フナリ、ソレヲ失ナハズ、生レノママナルガ聖人也、学トハソレヲマナブ也。(現実には性格の偏りや情報の刷り込みや目先の欲望によって人は自分の生まれつきの道を失うことがある。それを決して失わないままでいることが聖人である。學とはこの聖人になる道のことである。)』

これは人=聖=徳であり、自分が生来もっている「徳」をいつまでも失なわずに存分に発揮できることが聖人でありそうあり続けるように學び続けることが道徳であると。

畢竟、人の道は「徳」に尽きるのでしょう。

懐徳とは、その徳の意味を心に深く省みて生きようとする生き方のことです。ご縁あって今月の8月25日に「徳積堂と場の道場」で「懐徳堂300周年供養祭×徳が循環する未来の甦生シンポジウム×ブロックチェーン経済」を開催することになり、先んじて先人たちのご遺徳を偲び墓前にご焼香と献花とご念仏をお供えしてきました。また旧懐徳堂跡の「懐徳堂旧阯の碑」でも一緒に登壇する禅僧、星覚さんと法螺貝奉納をはじめ供養祭をしてきました。大阪の今を眺めつつ、日本人の和の系譜に思いを馳せる善い機会になりました。

この今は普遍的な道を生きた方々への懐かしさがあってこそ真の今になると私は信じています。今を生きる私たちは子孫として先人たちの遺徳をよくよく顕彰し伝承し、その後の道を歩む一人として真摯に學問を心の中で磨き続けていくことが大切なのではないでしょうか。懐徳堂を知り、明治以前にあった思想は、私たちの思想の根源と結ばれていることに氣づきます。明治のころに歴史が消失し分断されましたが今一度、懐かしく徳を結び直して道を続けていきたいと思います。

古今を懐かしみ真の今に至る大切さを忘れないで300周年のご供養といたします。

懐徳堂の代々の學主、創設者の方々。またご縁を結んでいただいた方々。懐徳堂が144年間、塾生たちが学んだ場所跡。

三宅石庵
中井甃庵
三宅春楼
中井竹山
中井蕉園
中井履軒
中井桐園
並河寒泉
五井蘭洲
五井持軒
富永仲基
山片蟠桃
長崎黙淵
中村良斎
井上赤水
麻田剛立
緒方洪庵
緒方八重

魂の詩

私をずっと支えてくださっていた恩人の詩があります。その恩人はいつも一行詩を私に贈ってくれました。いつまでも心に薫り続けるのが詩です。今思えば、詩を贈ってくださった真心に涙がでます。

もうこの世では、お電話することも詩を贈ることもできませんが心の中で詩と共にいつも一緒にこの先も歩んでいきたいと思います。

詩「暮らしフルネス」

「かつて日本には自然と一体となった

モノにも礼儀を正す循環型の美しい暮らしがあった

その象徴が藁葺家

自然と共生し

仕事と暮らしを一体化するかんながらの道

暮らし方を変えることが

働き方を変えることになり

新しい豊かな社會を創造する

子どもも大人も育つはたらき方

和の文化と場の文化の甦生

仕事場は仕合せ場

日々を新たに 心を磨く それが 暮らしフルネス 」

清水義晴

ご冥福を心からお祈りしています。変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから、決して奢らず謙虚に素直に憧れた背中をこれからも歩み続けていきたいと思います。

魂の詩、ありがとうございました。

似て非なるもの

この世の中には似て非なるものというものがたくさんあります。例えば、本物には決して足さないような添加物を入れたり、作り方も正直ではない効率や小手先の技術で胡麻化すようなことをしたり、文章や宣伝、広告で過剰に悪いところを除いてさも本物のように表現したりしている偽物と本来の本物は同じものではありません。

しかし今の時代は、偽物が本物に挿げ替えられ本物はさも偽物のように表現されています。これは偽物でも、大勢の人たちが買うものが本物であるといった経済詐欺の仕組みが世界全体の価値観に浸透しているからです。民主主義といったものの、その実態は大勢の民衆が正しいといえばあるいは信じたのであればそれは本物であるといった刷り込みにほかなりません。

環境の影響で刷り込まれれば、似て非なるものがわからなくなります。何が本物で何が偽物かがわからないというのは、致命的な感性や感覚のズレを起こします。つまり事実まで歪められるのです。

この偽物を本物にする技術というのは、現代病の最も大きな根本原因になります。そしてこの現代病を推し進めてきたものが金融経済、あるいは現在のマネー資本主義です。

本来は、事実や実体というのは嘘がないものです。むかしから自然と共生していたころに発明された道具をはじめすべての物は正直に自然にできていました。自然物を用いる技法は、本物です。しかしそこに、まったく別のものを持ち込みそれを本物の代わりにしました。わかりやすいものでいえば、畳などもイグサを育て用いて編み込んで藁をいれてつくるものが今では合成のプラスチックとスポンジをいれて商品名はカビの出ない畳としてホームセンターで「畳」という名前で売られています。隣に本物の畳が置いてあるのならまだしも、もう商品の陳列コーナーにはこのプラスチックの畳しかありません。

それを購入する人は、安くて便利で畳だからとマンション向きのこの畳風のものを畳として認識して子どもたちに教えたりします。そのうちこの似て非なるものが本物になるのは時間の問題です。

こういうことは果たして罪ではないのかと私は思います。それなら別の名前にしてせめて畳風プラスチック床や、もう畳という言葉をいれずにカビのでないマットでもいいのではないかと思います。それに畳という言葉をいれて、畳という商品で販売する、そして購入者もそれを畳として認識して使うというのに問題があると思うのです。

これがOKとなるのなら、マグロでもマグロに切り身が似てればマグロにして、お米もお米風の別の種でもお米に似てればもうお米でいいとなり、そのうち見た目さえ似ていれば全部本物みたいに規制も緩和し企業の利益優先でどんどん無法状態で勝手に宣伝して教育していたら文化など一瞬で滅んでしまいます。

子どもたちの未来のことに対する責任として、社会や教育に関わる人は最低限で絶対的にこの似て非なるものの環境からまず何とかしなければならないのではないかと私は思います。環境が人をつくるのだから当然、環境をまずなんとかするのが真の教育者ではないですか?皆さんはどう思われますか?

私の親しい覚悟をもった伝統職人たちをはじめそれぞれの仲間は誇りをもって本物を保っています。彼らこそ真の教育者です。もちろん現代の発明や道具は時代に合わせて用いますが、●●風にはしないように特に厳格に生き方を常に反省して日々に注意して克己復礼して取り組んでいます。

仲間たちと共に、本物を次世代へと譲り徳を守っていきたいと思います。

もったいない

昨日は、BAのお庭にある自然農の野菜を収穫して手間暇をかけて調理をしてみんなで食べました。採ってすぐのものを、そのままあるもので調理をする。当たり前のことですが、採るところから調理して食べてそれを味わい振り返る喜びは食の仕合せを実感させるものです。

毎日の食事をどのようにしているかは、毎日の生き方をどのようにしているかということと結ばれています。

むかしの人たちは、今のようにスーパーに気軽にお金で買い物をするという具合ではありませんでした。特に田舎では、そんな便利な場所はすぐに近くにはありません。というより、家の庭で採れるのでその方が便利といえば便利だったでしょう。

今のようにパソコンやスマホで1クリックすればすぐに品物が届くなどという奇妙な便利さなど存在することはなかったでしょうから便利の意味も変わってきます。便利が人間の欲望にあまりにも近づいてくると、不便というものが敵のようになってきます。

本来は、便利は不便という豊かさを感じさせる大切な要素で敵ではなく仲間のような存在だったように思います。手間暇をかけることは敵ではありませんし、滅多にないものは貴重な体験だと大切にしたように思います。

なぜこうなっているのかというと、忙しすぎるからです。なぜ忙しいかというと、忙しくあることが価値があると社会的に信じられているからでもあります。そういう忙しくしている人々のために便利さは開発されていきました。不便だと敵なのは、より忙しくなると思われているからです。

この時代、物理的にも忙しくなるのは仕方がないことともいえます。しかし心まで忙しくなる必要はありません。心を忙しくしないと決めると、敢えてする手間暇やお休みはとても豊かな時間になり喜びになります。

そしてそれは日常の足元にある不便さに気づくチャンスでもあります。不便というは、それだけ何かをする行程が増えるというものです。しかし、一度しかない人生で一期一会のご縁と時間でそれを達すると終わってしまうと思えば少しでも味わいたいや覚えていたい、楽しみたいと願うものです。

駆け抜けるように振り返りもしないまま、ただやることを増やして前進するというみんなで忙しい社会や環境づくりに没頭していたらとても「もったいない」ことをしているかもしれません。

この「もったいない」とは、単にまだ使えるものをもっと大切に使おうとすることや単に捨てないということではありません。これは豊かさの本質に気づけずにもったいないという意味もあるように私は思います。

暮らしフルネスも今の時代は、なかなか理解できないこともあるかもしれませんが本来は暮らしがあるだけで充分という仕合せの話です。子どもたちや子孫たちに、徳を譲り遺していけるように実践を楽しんでいきたいと思います。

お米に親しむ2

私たち日本人はお米をずっと食べ続けてきました。日本の気候風土にも適応し、私たちの暮らしを根から下支えしてきた存在こそお米です。

お米は、元氣を育てるものです。この氣の元ともいえるお米を食べることで私たちはご神氣というものをいただき氣を補充できるともいわれます。むかしから「一粒のお米には七人の神様がいる」とも言われてきました。具体的には「太陽」「雲」「風」「水」「土」「虫」「人」といった自然の恵みであるともいわれます。他にも七福神などという説もありますが、確かにお米はこのすべての存在があってはじめて実をつけますからそれを神様が宿っているといっても過言ではありません。ここでは詳しくは書きませんが、むかしうちの会社のクルーがブログで書いていた記事を紹介します。

日本人が氣力が漲っていたのもまたお米にあるといわれます。そのお米を弱体化するために、農薬や肥料で田んぼを弱らせ、改良された種と育てかたで元氣が失われていったともいわれます。

私は自然農法で、伝統在来種の高菜を育てていて初めて気づいたこともたくさんあります。先ほどの七柱の神様は、お米だけに宿るものではありません。高菜にも同じことがいえます。この太陽、雲、風、水、土、虫、人は、すべてが役割分担して野菜のいのちが育つのを見守ります。

野生のものには人は入らないかもしれませんが、他はそれも存在します。人が栽培するときに、人の真心や手間が神様になります。

特にお米は、八十八の手間がかかるといわれます。お米という字も、八と十と八の合体してできている字です。もともと八というのは、末広がりの意味もありそれだけ多いや大きいという意味にもなります。つまり大量の手間がかかるということで八十八の手間がかかるといいます。

この「手間」という言葉は、元々は動詞「手まねく」から派生した言葉です。 手まねくとは手を用いて何かを作り出したり行動したりすることです。つまりお米作りは、それだけの作業が発生する大変な作物ということです。

お米作りに比べると、高菜の方がそんなに手間はかかりません。冬野菜で葉物、それに高菜は逞しく強いので手間はかかりますがそこませ繊細ではありません。しかし元氣が漲る味があるものは、やはりこの七柱の神様と人の手間がちゃんとかかるものです。

そう考えてみると、私たちの食べ物はすべてこの元氣に通じています。元氣というのは、私たちには決して欠かせないものです。医食同源ともいいますが、本来は私たちは元氣溌剌に活動するためにご飯を食べます。元氣のあるお米やご飯は、私たちのいのちや暮らしを根底から支えていくものです。

お米に親しみ、お米を尊重し、お米を新しくしていきたいと思います。