宇宙は無尽蔵

昨日、スリランカから来客がありその方の生き方のことをお聴きするなかで宇宙意識というものがありました。私たちは元々、宇宙と一体になっている、それはこの自分の肉体はじめすべてと結ばれているというのです。

この方は、仏教徒ではありますが宗教色は強くないといいます。つまりこれが絶対として組織を優先し他を排斥することはなく、他宗教の方々とも親しくお付き合いをしています。

NGOを自分で立ち上げ、障碍者や産まれながらに病気や怪我などで苦しむ方々への治療や車いすの提供など、慈善活動をなさっておられます。結婚もして子どもも二人いて、ご自身の生活もありながら自分の食べるものを減らしその分で少しずつ寄附を続けておられるそうです。

中国の債務の罠でスリランカは国家全体が疲弊し、貧富の差は開き、汚職がお金によって蔓延し貧しい方々は飢餓などでも苦しんでいるといいます。特にその中でも福祉が必要な人たちのところに手が行き届かない状態だといいます。

彼になぜ、そこまで慈善活動をするのかをお聴きするとそれは宇宙の意識だからということでした。また自分の生き方として真善美を生きたいということです。自分が善いことをすることはそのまま世界が善くなり、自分も守られるし幸福や幸運を得られるということです。

確かにこれは当たり前の真理です。しかし人間は、欲望に呑まれ他人との比較のなかで自分を見失っていくものです。すると、宇宙意識というものよりも自分の眼先の利益や損得勘定に走り徳を積むことなどを忘れてしまうのかもしれません。

実際に宇宙意識というものが何か、現代は量子力学の研究が進むにつれて潜在意識と呼ばれるものが実際には脳でではなく、脳の管を通して宇宙全体と繋がっているという量子もつれが発生することが分かってきました。意識は脳内だけでできているのではなく、何か偉大な全体意識と常に結ばれて交流しているということ。また脳のほとんどすべては潜在意識で、顕在意識は1~2パーセントだとも言われます。つまり、私たちが知っている最先端の脳科学の情報はこのわずか数パーセントの知識しか解明できていないのです。他の大多数の機能は一体何をしているのか、そこに宇宙意識があると直観するのです。この直観もまた宇宙意識があるからです。

いにしえの仏陀の教えの中に「阿頼耶識」というものがあります。これは人間の全ての感覚の一番深いところの意識です、言い換えれば潜在意識に近いように思います。まず六識というものがあり、それは眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、顕在意識です。それに次が、末那識というものでこれは自我意識のことといいます。この世の欲望や自律神経などもその一部です。そしてその全てを含んだ奥にある八識目が阿頼耶識です。

よく考えてみると、直観というものやタイミング、或いはご縁というものはどこからやってきてなぜそれをそうだと感じるのか。それは阿頼耶識や宇宙意識が関与していることはすぐに自明します。もともと、仏教の面白さは現代でいう科学的研究によって理論を組み立てていることです。現代では西洋の科学が本物で、かつての古代の科学はスピリチュアルなどといわれますが私に言わせれば、今でも最先端の科学です。それを別の視点から現代でも科学研究が進んでいるだけということでしょう。

話を戻せば、宇宙意識はこの全体の一部として自分たちが存在している証拠ということになります。これは仏陀に「山川草木悉皆成仏」があり、「山も川も草も木も皆悉く仏に成る」という意味です。その理由は結びとしてすべてのいのちは宇宙の一部であるからということで明らかになります。

宇宙の一部だからこそ、私たちは仏(宇宙)でありこの世に存在するあらゆるものは宇宙そのものであるという意味でしょう。私たちは、宇宙そのものの意識に触れることができるのなら真の心の平和を得られるように思います。比較もせず、自分の真心のままに自分を生き切ることができる。そういう生き方の道の中には、あらゆる宇宙が入っていて宇宙の一部としての役割を果たそうとするいのちがあります。

全体の宇宙(蔵)は無尽蔵です。

スリランカと日本は離れていますが、宇宙は離れていません。意識を常に共にしているのなら、一緒一体にそれぞれの場所で私たちは意識もつれによって真善美に結ばれます。それが私が実践しているかんながらの道でもあります。

子孫や子どもたちがいつまでも宇宙蔵の守護の恩恵が得られるように、丁寧に暮らしを結んでいきたいと思います。

改めて、ご縁に感謝しています。

自然の徳、人間の道

時代というのは、それぞれにそれぞれの課題があるものです。この時代の課題というのは、人間の世界のことです。人間の世界は何度も失敗をして滅んでいます。かつての遺跡を見ていたら、大繁栄した時代もそのうち必ず終焉を迎えています。今もその当時の価値観で繁栄している世界はありません。遺っているのは、自然と共生してきた自然と一体になっている人間の世界だけです。それ以外は、栄枯盛衰を何度も何度も続けています。

現在の時代は、産業革命以降の資本主義が席巻しています。それを変えようなどと言ったら途方もないことをといわれて諦めることがほとんどです。確かに、消費文明を発展させてきたこの百年以上の歳月、もはや空気のように消費することが価値があることとして認識されて価値観が仕上がっています。消費しないことは悪のようにいわれ、消費に加担しない真の生産者たちはみんなお金を得る機会が失われていきました。そうすることで循環者たちもいなくなりました。まさに時代は、資本主義が成熟した繁栄発展の真っただ中です。

しかし、これもいつまでも続くことはありません。栄枯盛衰があるように必ず滅ぶ時がやってきます。問題はそれがいつなのかということです。今、急に変わるということはないでしょう。よほどの天変地異や世界大戦などの破壊、あるいは宇宙からの別の何かの襲来など期待するくらいしか考えられません。しかし、実際には長い年月を歴史の視点で眺めてみるとそのうちあと100年もしないほどにもうこの価値観は消えて別の何かになっているはずです。

その別の何かというのは何か、それは今の人たちが静かにそれを実現する準備をはじめているのです。世の中全部を丸ごと一気に換えるというのは必要ありません。自分の足元で自分のできることで理想を信じて実践していけばいいのです。

私はそれを暮らしフルネスと徳積循環という実践で続けています。現実には、アニメの物語のように今の体制を変えるほどの大それたことはありません。しかし、長い歳月をかけて先覚者や先達たちが普遍的な道を歩んできたように、いつの日かその時代が来ると信じて道を切り拓いていくのです。

自然がいつまでも地球から失われないように、決して自然の徳は失われることはありません。あらゆる姿に形を変えて道が続いていきます。人間の時代は、一つの一生ですから気づいて変わるかどうかが私たちが試されているということでしょう。

そういう意味で、気づいていく機会はこれからもたくさん訪れます。特に子どもたちはその機会に恵まれていくはずです。そんな時、一つの選択肢として一つの別の生き方があること、あったこと、今でもあることをどう遺していくかが私たちの世代の使命と責任になるように思います。

ある意味、どうしようもないことは無理しても仕方がないので気楽に愉快に全てを天にお任せして自らの道を予祝しながら歩んでいきたいと思います。

どの時代にも遠くを観て、今を生き切る同志に励まされます。ありがとうございます。

 

徳の一眼

昨日は、徳積堂の十三夜祭を無事に開催することができました。御蔭さまで雨の予報が見事に夜は晴れて美しい月を眺めることができました。特に雲の切れ間からの安らかな光や、雲越しの月の虹の神々しさには深い美しさを感じました。

私たちは父や母など、あらゆるものに見出していきます。昨日の美しい月はまるで母のようでしたが、私たちは海を母とも呼び、また母なる大地とも呼びます。母というのは、あらゆる自然の中にありその母を見出すとき私たちは懐かしい何かを感じています。

十三夜には何か、懐かしいものを感じるのは私だけではないはずです。昨夜は収穫を祝い、感謝してみんなで豊かな実りを味わいました。その時に、得られる安堵感は特別でした。

私たちは秋の実りがあるから冬を越せます。春から夏と、自然の恩恵を得て食べ物が得られることを如何に喜んでいたか。そしてこの秋に、実りがあって収穫したものがあることにどれだけ安心して仕合せを感じたか。夜空を見あげれば、美しい月が出て、それまでの苦労を見守ってくださっている清々しい姿に観音様のような存在を感じたのかもしれません。

今では、何でもお金なのでお金があるかないかで実りを感じています。しかしかつては、自然と共生し自然の恩恵の一部をいただいて暮らしていましたから食べ物があるかどうかが何よりも重要なことでした。それは大変ではありましたが、人間も自然と一緒一体になって生きてきていた時代ともいえます。

自然と共生するのは深い安心があるものです。この安心感は、自然のリズムで共に生きる仲間たちやいのちが循環していることを感じていたからのように思います。まるで、子どもが安心できる父母と共に暮らしているように私たちは自然を父母として共に暮らしていくなかに真の安心を得ていたのでしょう。

厳しい自然と慈しむ自然、子どもはこの厳父と慈母の中にあってこそ安心してすくすくと健やかに育つことができるのでしょう。

今年の十五夜祭も十三夜祭も、そんな自然への感謝に満たされた豊かな暮らしになりました。忙しい日常だからこそ、心はいつも自然のリズムでありたいものです。

慈しみの母の月を感じるほどに徳が循環する世の中にまた一歩、前進していける仕合せを味わえます。一眼は遠く歴史の彼方を、そして一眼は脚下の実践をと真摯に徳の一眼を精進をしていきたいと思います。

月の徳 十三夜

今日は、徳積堂で十三夜祭をします。生憎の朝から雨で、果たして月がどうなるのか、ここ数日間ずっと月待ちです。しかしこの月待ちという心の中には、豊かな風情があります。月をじっと待つ心境は、どこかなるにまかせた気持ちがあったり、夜の中の見守りに対する安心、また一期一会の出会いへの感謝などがあります。

平安時代、宇多天皇の世くらいからこの十三夜ははじまっているようですが私はこの後半の月の方が懐かしさを感じます。十五夜から十三夜までを月待ちするのも、暮らしフルネスの風情の一つになっているからかもしれません。

むかしの人たちは、この十三夜をどのように感じていたのか。私が尊敬している西行法師にはこういう和歌が遺っています。

「雲きえし秋の中ばの空よりも月は今宵ぞ名に負へりける」(西行法師)

確かに、十五夜は雲一つない眩いばかりの満月でしたが、十三夜はどこか雲に隠れたり雨の影響があったりと弱弱しい中でも美しく煌びやかな様子に風情があります。また十五夜は男名月といい、十三夜は女名月ともいいます。この「十五夜」の月と「十三夜」の月をあわせて「二夜の月」といって両方の月を同じ場所で見ると縁起が良いと伝承されてきました。

そしてどちらもお月様に感謝して収穫を祝うお祭りでした。十五夜は芋名月で芋三昧でしたが、十三夜は豆や栗などをお供えする豆名月、栗名月ともいいます。なんとなく、十三夜のお月さまの方が、豆や栗のような感じがするもの不思議です。

むかしの先人たちは、見立てによってあらゆる月を連想しそれを味わったのでしょう。今日は、夜は雨なら様々なものを月に見立ててみんなでこの十三夜を味わっていきたいと思います。

最後に松尾芭蕉はこういう和歌を遺しています。

「夜竊(ひそか)に虫は月下の栗を穿(うが)つ」

今年は栗がたくさんあり、お供えしていますが虫たちもたくさんいます。人間だけでなく、みんなでお月さまのもとに集まり分け合いながら月の徳を循環させていきたいと思います。

心のふるさと

家庭教育というものがあります。そもそもこの家庭教育はいつからはじまったかといえば、人類が始まった時からとも言えます。その時から代々、その家の家風や文化が産まれていきました。それは色々な体験や経験を通して、大切なことを親から子へと伝承していくのです。

つまりは家庭教育の本質は、伝承教育ということでしょう。

その伝承は暮らしの中で行われてきました。これを徳育ともいいます。私たちは徳を暮らしから学び、その徳が伝承していくことで代々の家は守られ持続してきました。私たちが生きていく上で、これは生き残れると思えるもの、自然界の中で許された生きるための仕組みを智慧として取り込んできたのです。

これは人間だけに限ったものではありません。鶏がもつ秩序であったり、虫たちがもつ本能であったりと、見た目は違ってみえてもそれぞれに家庭教育がありその一つの顕現した姿としての今の生きざまがあるのです。

人類は、その家庭教育をそれぞれの小さな単位の家からその周囲の家にまで広げていきました。親子で伝承してきたものを、その地域で伝承していくようになりました。善いものの智慧は、善いものとしてみんなで分かち合ったのです。助け合いの仕組みもまた地域の伝承の一つです。地域ぐるみでみんなで伝承してきたからこそ、その地域が豊かに発展し、存続してきたともいえます。

それが現代は破壊されてきています。地域の共同体も歪んだ個人主義により失われ、家庭教育も核家族化などによって環境が劣化していきました。今だけ金だけ自分だけという空気を吸い、家庭教育は学校任せです。こうなってくると、人類は今まで生き残ってきた力を失っていくことになります。

つまり生きる力の喪失です。生きる力が失われることは、私たちは心のふるさとを失うことでもあります。心のふるさとは、この代々の伝承のことでありそこをいつまでも持っているから故郷の心も守られます。

次世代のことを思うと、今の環境を変革すべきだと危機感を感じます。そしてそれは何処からかといえば、家庭教育の甦生からというのは間違いありません。家庭教育を国家などに任せず、それぞれが暮らしを丁寧に紡ぎ、地域の方々と一緒にかつての先人たちや両親、祖父母からいただいたものをみんなで分け合い守り続ける活動をしていくことだと私は思います。

私が故郷で行っているすべての事業もまた、その心のふるさとを甦生することに関係しています。保育という仕事に関わってきたからこそ、到達した境地です。

子どもたちのためにも、保育の先生方を支えるためにも信念をもって家庭教育を遣りきっていきたいと思います。

美味しいご縁

今、私は故郷の伝統在来種の高菜をリブランドし「日子鷹菜」としてこれから世の中へと広げる活動をはじめています。最初に在来種の高菜の種とお漬物の菌を譲り受けて16年目になるでしょうか。そろそろ頃合いかなとも感じての今の活動です。

人とのご縁があるように、種とのご縁というものもあります。私たちは何かのご縁で結ばれ今があります。そのご縁は大切にしていると発展していくように、出会いも広がっていくものです。

例えば、種と出会うと畑との出会いが結ばれます、同時にその畑に関わる人との出会いが生れます。そして場になり、その場でたくさんの物語に出会います。その場の中には、虫たち、植物たち、あらゆる周辺の生態系、そして町の人々、自分の思いや実践、その熱量などすべてと結ばれます。16年も経つと、写真を見ないと思い出さないようなこともたくさん増えました。しかし、その歳月で得られた智慧や技術、経験などは決して忘れることはなく全て染み付いています。そしてこれが私の高菜への信頼であり、自信と誇りになりました。

今では、どこに出してもまったく恥ずかしくない正直に取り組んできた全てを丸ごと公開できます。当然、肥料も農薬も一切撒かず、塩も故郷の天然天日塩、お水も地下水のみで木樽で家の裏の杜の発酵場で見守っているものです。むかしから変わらない先人の智慧通りのお塩と樽と菌のみの熟成。あとは、定期的にお漬物と対話しながらお塩や石の重みの塩梅をきかすだけです。

それを自分が毎日食べ、色々なこの高菜にしかない魅力や味を引き出してきました。他とは比べず、この高菜にしかない長所、善さを暮らしの中で発見し続けてきました。そうして、いよいよ家族や仲間から他の人たちへ食べていただく段階に入ったということでしょう。そこまでで16年、お金儲けのためではなく純粋に高菜と共に暮らしてきた有難いご縁の歳月でした。

これから世の中に出ていけば、色々な人たちや評論家などにこの高菜の値打ちが語られるように思います。人は色々なことを言いますから、他と比べて酷い評価をつける人もいるかもしれません。今の民主主義は、大人数が正義ですから大勢言えば真実ともなり悪い評判を出されればあっという間にダメになります。いい評判も、本当に心の底から私たちが感じているような美味しさを感じて出したものではない便利なものも出てくるでしょう。

結局のところ、真の値打ちは自分で育てて、自分を育てて、畑を見守り、畑で見守られ、共に暮らしを磨き、食べて慈愛や滋養を循環しあう関係で得た味わいは唯一無二でそれはその人たちにしか感じられないものということでしょう。

世の中にこれから出ていく日子鷹菜は、この先にたとえどのような評価が出たとしてもその真の値打ちは私が一番誰よりもよく知っています。だからこそ世の中にその美味しいご縁をリブランドしたいと思ったのです。過去や他人の評価などはどこ吹く風だと、この場で誕生した新たなご縁を信じてさらにもう一歩広げていきたいと思います。

子孫や故郷の未来に、この美味しいご縁を丹誠を籠めて結んでいきたいと思います。

教育の本質

私の人生を振り返って見ると最初に「教育」というものの本質に気づかせていただき、この道を教えていただいたのは吉田松陰先生だったように思います。もちろん、学校の先生には色々と教えていただきましたがはっきりと教育とは何かということを直観したのは松下村塾だったように思います。

17歳のころにその教育という愛に気づいてから、ずっと毎年欠かさず松下村塾へは参拝とご報告に伺っています。そもそも人を教えていくという道は、偉大な愛があります。愛を受けた生徒たちがその後もその愛に報いようと志を立て、己を磨き、學問に勤しみ修養し続けていきました。

肉体が滅んでも、心は燦然と輝き魂は永遠に生きているような至誠の生き方や後ろ姿に励まされ草莽崛起の立志の御旗は150年経っても色褪せません。まだ国防は終わってはおらず、何をもって国防とするのかということもまだ問の中です。

吉田松陰先生は、教育というものをこう定義しています。

「教えるの語源は「愛しむ」。誰にも得手不手がある、絶対に人を見捨てるようなことをしてはいけない。」

常に愛をもって人に接するというのが真の教育者ということでしょう。それは相手の徳性を深く厚く慈愛をもって見守っていく太陽やお水のような生き方をしていくということです。そしてこうもいいます。

「どんな人間でも、一つや二つは素晴らしい能力を持っているのである。その素晴らしいところを大切に育てていけば、一人前の人間になる。これこそが人を大切にするうえで、最も大事なことだ。」

「人間はみな、なにほどかの純金を持って生まれている。聖人の純金もわれわれの純金も、変わりはない。」

愛するというのは、条件をつけないということでしょう。大事なのは、自分が愛したかということであってそこに教育の本質があるように私は思います。

そして松下村塾というものの偉大さを感じるものにこの言葉があります。

「自分の価値観で人を責めない。一つの失敗で全て否定しない。長所を見て短所を見ない。心を見て結果を見ない。そうすれば人は必ず集まってくる。」

日本人の今まで伝承してきた教育のかたちは、「子どもたちを愛しむ」という真心にあるように私は思います。時代が変わっても、私たちの民族の中に脈々と流れているその伝家の宝刀を如何にこれからも大切に守っていくか。

これから日本がどのような状況に入っていくのかは混迷を深めていきますが、条件に左右されることなく子どもたちのために真心を実践していきたいと思います。

場のハタラキ

場のハタラキというものがあります。これは自分が直接的に何かをしなくても、その場がその代わりにハタラキをするということです。これは別の言い方では、やるべきことは全てやってあとは運や天命に任せるというものにも似ています。

これは自分でやると小さな力でも、その小さな力で大きな力を引き出すということにもなります。テコの原理なども、小さな力で大きな力を使います。場のハタラキは、これにさらにもっと偉大な力を使うということです。

例えば、場には想いが宿ります。他にも時が宿ります。重力も宿り、引力も宿ります。他にはいのちが宿り精神が宿ります。つまりありとあらゆるものを器の中に容れて宿らせることができるのです。そしてその場は、目には観えませんが偉大な調和が生れその中で奇跡のようなハタラキをはじめます。これは、物事がなぜかうまくいったり、不思議なご縁を引き出したり、一期一会の見事なタイミングがあわせたりします。

なぜかその場にいけば、いつも物事が善いように運ばれる。なぜかこの場所に来ると心が落ち着き、不思議と話も仕事もうまくいくということが発生するのです。

それがそのようになるのは、その場を創っている人が中心にあるのは間違いありません。ではその場をつくる人は何をしているのか。それは日々に心のお手入れをして場を調えているのです。場を調えることで場のハタラキはさらに活性化していきます。そのためには、生き物に接するように、あるいは神仏に仕えるように謙虚に丁寧に実践していくしかありません。

私は場道家として、場の道場でこのような場のハタラキを研究し実践していますが次々に場のハタラキが可視化され、多くの人たちに感じてもらうようにもなってきました。私が取り組んでいるのは、単なる場所貸しではなく、場のハタラキを受けられる場を提供しているということでしょう。

1000年先の子孫たちに伝承されていくように、まだまだ長い時間をかけてじっくりと醸成していきたいと思います。

場の徳

人は場を通して心を広げていけるように思います。それは波紋のようなものです。波紋は波動ともいえます。お山の中にいて、色々な生き物たちの音が聴こえてきます。この音は、波紋として全体に響きます。その音は、水の音や風の音、そして植物の触れる音、鳥の声、虫の羽ばたき、木々の揺らぎなどあらゆるものが自然の波動を合わせていきます。

その合わせていくものに心を寄せていくと、次第に境界線が取り払われ少し遠くで行われる波紋も感覚が拾うようになっていきます。身体の中にある様々な感覚と一体化していく感じです。それを感じていると、お山全体の波紋や波動を感じます。

たとえば、深夜の静けさに包まれているときのお山の状態。そして朝から昼にかけての状態、一日のの中で何度もその波紋や波動を感じます。すると、次第に自分がお山になっているのかのような感覚を得られます。すると、とても穏やかで静かな心になります。シンプルに心地いいのです。この心地よさというのは、心が地に着いているということでしょう。別の言い方にすると、落ち着いているということです。

心は場に落ち着くと、心は全体と結ばれていきます。心地よさというのは、波紋や波動が好循環して調和しているということでしょう。

お山には、そのような調和を司るいのちが宿っているようにも思います。お山にいき静かに瞑想をし、あるいは自然と結ばれると心が落ち着くというのはお山自体にそういう場があるからです。

その場をどう守っていくかというのは、如何にその靜けさを保つかということに他なりません。英彦山の宿坊で、ただ一人閑かに暮らしていると先人たちが何をこの場で取り組んできたのかが感覚的に伝わってきます。

先人たちが磨いてきた場の徳を、これからも大切に守っていきたいと思います。

守静坊の護符

今日は、一年のうちに7回しかないといわれる己巳の日と大明月が重なる日といわれます。この巳(み)とは、十二支の蛇のことで陰陽五行では土は金を生むということから蛇は金運、宝の神様とし弁財天のお遣いといわれています。また大明月というのは、暦では七箇の善日といわれ「物事の始まりを天が明るく照らしてくれる日」という意味があります。これが合わさった大吉日ということになります。

これから英彦山の守静坊で護符づくりを行います。この護符は、もともと御守りや魔除けとして太古の時代より伝承されてきました。今ではあまり護符や御札はその価値や意味も次第に薄れていますが、むかしは偉大な効果があるものとして人々の間で大切にされていました。これだけ悠久の歴史の篩にかけて今でも残っているのは、それだけの価値があるものだからということでしょう。

私は現在、英彦山で懐かしいお山の暮らしを甦生しています。護符づくりもその一つです。昨日から場を調え、周囲をお掃除し、隅々まで新しい湧水で拭き清めていき宿坊全体を清浄にしていきます。またこの場のすべてをご供養して室礼をし、供物などを捧げます。また護符用の和紙は、ご神木のサクラの木の下に一晩安置してサクラの徳が宿るようにいのります。

そして弁財天の祠をお掃除し、同様に供物を捧げ焼香や読経、法螺貝を奉納し場を清めます。私自身も食べものをはじめお酒も控え、麻やヒノキや和晒しで眠り早起きしてお水を換えて供物を調え火を入れて座禅をします。その後は、弁財天に祈祷をし前日同様なことを全て行い禊をしてから場をととのえます。この日は朝からは甘酒だけにし、鏡を磨いたあとは火と水と音だけで過ごします。

護符は、秋月の手漉き和紙ですが楮ではなくミツマタを使い今回は材料のところからこだわり何度も祈りを捧げながら半年かけて職人さんと共につくったものです。そして墨は200年前の固形墨を削ります。赤は辰砂を使い、龍脳の粉を少し混ぜていきます。そこに守静坊の汲みたての湧水を使い、版木は江戸時代のこの宿坊で伝承されてきたものを手で一つ一つ丁寧に押して力を篭めて入れていきます。

護符は丁寧に乾かし、最後に祭壇の前で法螺貝を吹き立てたあと大切に仕舞います。

ご縁のある方々がこの護符のご縁でさらによりよくなりますようにと真心を籠めていきます。よく護符は祈祷師の霊的力量次第ともいわれますが、私はそんな霊的力量に軸足を置かず、むかしの人たちが丹誠を籠めて丁寧に手間暇をかけて取り組んできたプロセスの方を尊重してつくるようにしています。

印刷機などの便利な道具で簡単にスピーディに大量につくれる時代だからこそ、長い時間をかけて、一つ一つの意味を噛み締めながら何一つ怠らず謙虚に真摯に真心を籠めて取り組むと不思議ですがそういうところにこそ神が宿るような気もしています。

そして己巳の日、大明日という大吉日に縁起を担ぐのも、このおめでたい日だからこそ「予祝」として先に叶うと丸ごと信じて、先人たちの生き方の実践し続けていきたいと思います。

暮らしの中の護符に感謝、おめでとうございます。