新体制

夏至から七夕までの大切な時季に、株式会社カグヤは新たな経営体制に甦生しました。野見山広明は代表取締役会長に就任し、眞田海が代表取締役社長に就任します。

なぜ今、代表を交代するのですかと尋ねられることがあります。なぜか若いのに悠々自適な生活を送るのかといわれたり、仏門にでも入るのかなどともいわれます。世代交代や事業承継ですかともいわれます。

しかし本質は「甦生」の実践です。これは古民家甦生でも、結の甦生でも、暮らしその甦生でも同様にいつも取り組んでいるものの一つです。

そもそも自然界には、永遠に同じ姿のままで存在するものはありません。諸行無常ともいいますが、実際には変化し続けるものです。植物でも人間でも生死は循環します。しかし、そのいのちは姿を変えては永続し続けます。これが自然の徳です。

伊勢神宮に1300年以上続いている「式年遷宮」というものがあります。これは二十年ごとに社殿を建て替えながら、技術も祈りも精神も受け継がれていく知恵の実践です。これは新しくなるのは建物だけではなくそこに携わる人が育ち、次の役目へと移り、その人がまた次の世代を育てていく実践です。どんなに変化しても、その初心は伝承していくという仕組み。神道ではこれを常若といいます。

常に環境の変化や時代の変化を受け容れながらも初心を忘れずに甦生し続けることが、先人が私たちに遺してくれた大切な経営の知恵です。日本にある数百年も続く老舗などもその知恵を経営に取り入れてきました。

株式会社カグヤは創業以来、「子ども主体」の保育を通して、未来の子どもたちが安心して暮らせる社会を目指し経営してきました。

これからもそれを変えるつもりはありません。新体制は、その使命を果たすための新しい一歩でもあります。これまでカグヤを支えてくださった皆様への感謝や御恩返していくためにも、これからも「子ども第一義」の初心を忘れることなく、徳を循環させ、場を醸成し、甦生の歩みを続けていきます。

七夕の短冊に願いを籠めて。

一期一会 野見山広明

徳の循環

式年遷宮というものがあります。これは20年ごとに社殿を建て替える伝承の取り組みです。今は63回目、次回は2033年に64回目になります。見事に甦生され、いつ拝見しても新しく若々しく瑞々しさが保たれています。まさに永遠の象徴です。

この式年遷宮は、人は変わっても同じ精神・技術・形を何度も新しく活かすという仕組みです。この20年というのが絶妙な期間で、これが100年になれば職人たちも不在になり失われてしまいます。20年に一度というのは、職人の人生であれば3回は立ち会えます。最初の1回目の若い頃は年配のベテランの技術者や宮司はじめ神社関係者に指導されます。2回目、3回目は今度はそれを指導する側として同じことを取り組みます。

いくら同じ精神、技術、形があっても材料も人の環境も気候も価値観もすべて異なります。

それでも永続して初心を守ろうと取り組むところに、甦生の本質があります。

此の世の真理として死なないものは一つもありません。誰もが産まれては老い、死にます。死なない存在はありません。それがこの世の摂理です。だからこそ、人は死なないことを永遠とするのではなく「循環」することを永遠と定義したのでしょう。

循環し続けても、本質は守り続けるという実践。

日本にある老舗はみんなそれを守っています。式年遷宮と同じことをずっと繰り返しているのです。私の友人の会社や寺院も何世代も続いているところがあります。今でも何百年前のままに老舗を経営しています。

時代は廻ります。

たとえば、戦争の時もあれば平和な時もある、あらゆる天災人災に遭います。しかしそうであってもその時々の人が初心を守り本質を維持していたから今でも元氣に若々しく経営を続けています。それはそれぞれの老舗が「循環」を守ってきたからです。そしてこの循環には思いやりが必要で、次世代のためにと生きた先人たちの存在が不可欠です。

それを私は「徳」と呼びます。

徳が循環するというのは、永遠に甦生するという知恵の伝承なのです。

引き続き、人類、および子どもたちが安心して暮らしていける世の中になるように残りの人生も真摯に働いていきたいと思います。

地縁の甦生

いよいよ田植えがはじまり、これから草取り作業に入ります。田んぼはどのような生き物も元氣に見守りますからお米だけでなく他の草草もたくさん育ちます。自然農をはじめて最初の頃を思い出すと、よく育っていると遠目に見ていたら実はほとんどお米に似た別の作物だったということもありました。

擬態といってよく似た植物たちがお米の周囲に育っていきます。例えばノビエというものがあります。しかしよく観察するといくつかの違いがあります。それを見分けられないと、草取り作業はできません。

私の場合は葉の付け根にある葉耳(ようじ)と葉舌(ようぜつ)見て判断します。髭のようなものがピンとイネの節に生えています。他にも節目に舌のようなものが伸びています。ノビエにはありません。

後は近づて触ってみたときに、明らかに葉が硬め株も横に大きく広がっています。遠目ではほとんど見分けはつきませんが触ればすぐにわかります。江戸時代の農家も田んぼに出てはよく観察し、稲と違う育ち方をする雑草を早めに取り除くことを大切にしていたといいます。

江戸時代に郷里で農業全書という日本最古の農業書を書き記した人がいます。貝原益軒と共に故郷の偉人の一人です。この人物は江戸時代前期の農学者ですがもともとは武士の家に生まれていますが農民の生活や田畑の技術を長年調べました。そして農家の経験だけでなく、実際に田畑を見て学ぶことが大切だとし各地の農業の方法を調べ、農民から話を聞き、自分でも農作業を研究した人物です。どの時代も、思想と技術は両輪です。

農業全書の中にはこういう言葉がります。

「老農は草を見ずして草を取り 中農は草を見て草を取り 下農は草を見ても草を取らず」

意訳ですが優れたベテランの農家は草の芽が頭をのぞかせるかどうかぐらいのタイミングで土を動かして草を枯らし取り除く。そして普通の農家は、草が生えたときに草をみて草を取り除く。残念な農家は、草が生えても一向に取ろともしない、気づかないということでしょう。

これは単なる草取りの話ではなく、人間の欲望や会社の経営にも通じるものがあります。田んぼの草取りができて自立した農者として一人前ということでしょう。問題に早めに気づき取り除く人には問題はありません。問題は発生してから、あるいは放置したとき問題になってしまうのです。

これは病気の未病とも関係が深く、人間全般に通じる智慧です。

他には「時を失わず、手をゆるめず」という言葉、そして「少しの怠りより大きなる損を生ず」ということも記されています。

自然の中で生きるということは、まず深く自然をよくよく観察し、正しい時期に、丁寧に日々にお手入れをし心手をかけることが大切であるということでしょう。

田んぼは稲を育てているのではなく、人間を育てているともいえます。田んぼに入ることは、人間性を磨くことにもつながります。むかしは学校を休んで子どもたちは田んぼの手伝いをしていました。学校もそれを認めていました。それは田んぼがただのお手伝いではなく、それ自体が人間の真の教育にもつながっているという実感があったからかもしれません。

郷里では50年間、小学校や幼稚園に田んぼを提供して体験を伝承している農家さんもいます。先週、お田植祭の直会でご一緒しましたが私もその田植えを体験した子どもの一人です。

長い歳月を経て、地縁の場が甦生します。

歴史に学び、明日はお水の溢れる巳の日の田植えを学び楽しみたいと思います。

暮らしと心身の健康

昨日は無事に英彦山の守静坊で夏至祭を実施することができました。宿坊周辺のお掃除やお手入れの作務にはじまり、法螺貝を磨き、夏至に因んだものを調理しみんなで囲炉裏を囲んでお昼を食べました。その後は、仙人と一緒に供養の本質を学び直し、いのり読経し、瞑想をしました。不老園のお茶を飲み、お水まんじゅうをみんなで味わい法螺貝を立てて太陽の光を浴びながら御祈願しました。

ゆったりと夏至の時間を共にいのり味わう。場によって癒され疲れがとれまたエネルギーが漲ります。健康というものは、心身の調和に由ります。心の健康は暮らしの中に存在します。

日本の文化にはハレとケという考え方があるといいます。簡単に言えば非日常と日常という言い方もします。現代は、ハレが日常でケが非日常になっています。つまり本来の日常が失われ、非日常だったものを日常のように過ごしているのです。人間中心の人間都合の時間軸やスケジュールですべて動いています。毎日入ってくる情報は、ほとんど人間だけで切り取られた目先の問題のことばかりで心が休まりません。忙しいという言葉が出ないほど、忙しいことが日常になっています。

残念なことにここに本来の「暮らし」はほとんどありません。

本来の暮らしとはどのようなものか、それは自然との共生や調和があってその循環に人間が寄り添い安心するものです。

心身の休息は、五感を通じて自然を味わう中に存在します。自然の中の人間性を快復していくのは「場を調え、間をつくり、和が訪れるのを静かに見守る」時にこそ実感できるものです。

先人たちは、まさにそのことをそれを「暮らし」としました。

忙しくなることはあっても、暮らしは失わない。どんなにハレがあってもケは守り続ける。それがハレとケのバランスであり調和だったのではないかと私は思います。

夏至は太陽と地球、宇宙のリズムに和合していく暮らしです。朝に目覚めの太陽に溌剌と手を合わせ、夕に沈む太陽に内省して拝む。太陽を感じながら一年の巡りを調えていく。心身は元氣になり太陽の光の中に包まれていく感覚が得られるものです。

子どもたちに何が遺し譲れるか、それは私はこの「暮らし」そのものではないかと実感します。学びは教科書や文字からだけ学べるものではなく、暮らしから感覚を通して自学自悟することによってのみ伝承されるように思います。

引き続き、暮らしフルネスの実践を通して場の大切さを伝承していきたいと思います。

 

丸ごと治す

今年、韓国の智異山に訪問している中で許浚(ホジュン)という人物のことを深めました。この方は朝鮮王朝中期の名医・王室医官で、韓医学の古典『東医宝鑑(とういほうかん)』を編纂した人物です。この『東医宝鑑』は1613年に刊行され、アジアをはじめ日本にも伝来し大きな影響を与えた書物の一つです。2009年にUNESCO「世界の記憶」に登録されました。

このホジュンは王を診た名医だっただけでなく、民衆のために医学知識を体系化し、薬草や治療法を使いやすくまとめたことで朝鮮の養生文化が醸成されました。一部の特権階級でしか受けられなかった医療や、専門書や中国にしかない薬草を身近な朝鮮の山野草に変換、翻訳され、また民間療法や未病につながる生活習慣の改善の仕組みまでも記されます。これにより韓国料理のナムルのように野草を日常から取り入れる習慣や微生物を活用した発酵食などにも大きな影響を与えたのではないかと私は思います。まさに医食同源の実践です。

ホジュンが編纂した『東医宝鑑』では「病気になってから治すのではなく、病気にならない生き方を大切にする」という思想が入っています。つまり人の健康は薬や治療だけでなく、食事、睡眠、呼吸、心の持ち方、人との関係など、日々の暮らしそのものによって育まれると考えられています。これは私の提唱する暮らしフルネスの実践とも一致しています。

畢竟、人間の暮らし方が変わらなければ本質的な病はなくなりません。いつまでも病気になるような生活を続けてその対処療法ばかりをしていても、根源的な人間性の甦生、つまり人が本来持っている力や幸福感が発揮される暮らしが調わなければ真の健康とはいえません。病を治すと同時に、どう人を治すか。教育とか医学とか、分類わけされていますが本来は「人間を自然に調える仕組み」のことです。

むかしから医者には「小医は病を治し、中医は人を治し、大医は国を治す」といいます。ホジュンという人物はまさに養生文化によって民衆の未病を促すまさに大医の実践をした方のように思います。大医は場を通して人間を丸ごと治していくのです。

人間の生き方や働き方を調えることは、まさに養生をすることです。保育の世界にも養護という言葉がありますが、これは養生から発生した言葉です。養生を守るということです。見守ることの大切な要素の一つです。

何かを足すのではなく、もともと具わっているものを甦生する。つまり徳や天分を引き出すような環境、場づくりをするということです。それによって自然に育つ力が発揮されるということです。

本来、人間に免疫力が具わっているように自然に人間性も回復していくものです。そしてそれは暮らしが土台になっているのは歴史が証明しています。真の豊かさは、養生からはじまるのでしょう。

自分を養生することは、周囲を養生することになります。場が調和していけば、自然に養生される人々が増えていきます。私の尊敬する二宮尊徳もまた大医の実践者でした。

時代や国を超えて、大医の実践から學ぶことばかりです。

成長と成熟~自我との折り合い~

人間は人格が磨かれないと自我との折り合いがつきません。自我とは調和であり、自然体の姿でもあります。これは一人の人格の中に二人の人がいるような感覚です。神経では、交感神経と副交感神経との関係に似ています。

通常、成長成熟は人間的にも才能的にも技術にも完璧になった人のように語られます。地位も名誉も人格も身に着いた人物のように言われます。

しかし実際には、良寛さんやあるいは名も知られずとも地位がなくても見事な生き方をした僧侶や医師がいたりします。最近では、ウルグアイのホセ・ヒムカ氏などもそうです。

艱難辛苦がその人の自我を調え、見事に調和した「一人」になっておられました。つまり自我が調い、真の人間性を生きることができたということです。

そこから逆説として、では何が成長成熟なのかということを洞察してみると人間はどのような状況でも自己を深く探求し学問を続けることができるということ。また人間の理解が深まり、何が未熟であるのかがわかるということ。そしてどのような状況かであってもどう生きるかという生き方を磨いていくということが真の人格、自我との調和には関係していることがわかります。

人生は一度切りですが、生き方はそれぞれが決めるものです。

そして真の資質とは、その人がどのような状況でも本質が保てるかということに他なりません。

本質を学び、本質のままでいることは人格を高めることです。同時に、本質を守る人の周りには同じく人格を磨きたい人が集まってくるものです。孔子の一生が十五にして学を志し、七十にして心の欲するところ矩をこえずといったのは、本質を学び続けて遂に自然体の一人になれたということでしょう。

本質を保とうとすれば必ず苦労は訪れます。

残りの人生も、意味を味わいながら自我の調和を暮らしの中で調えていきたいと思います。

螺旋の道

明日は、英彦山守静坊で法螺貝を七神お渡しする儀式をします。誓願した法螺の五百羅漢を目指し、いま七十四羅漢になりました。ますます法螺を通した波動は揺れ螺旋の繋がりが広がりより中心への思いの結びつきは強くなります。

法螺の意味は、「螺旋の真理」という意味です。ではこの螺旋の真理とは何かということです。螺旋というものは、宇宙の姿であり、星々の姿であり、意識や生命の姿です。そして分子や量子の姿でもあります。波動は揺れていますが、それを纏めているのが螺旋です。

つまり波動がカタチになったものが螺旋ということです。

例えば、空気中の風は揺れています。しかしそれが纏まるとき、台風や竜巻になります。海や川などの水も同様です。流れがありそれが揺らぎ螺旋になることで調います。時が動けば波動、空間や場が螺旋です。

最近は、脳科学でも螺旋波というものが見つかり私たちの脳の認知や意識は螺旋上に信号を送ることで纏まるといわれます。心臓も単なるポンプをするのではなく、螺旋状に包まれた筋束が螺旋のように呼吸をして血液や酸素を全身に巡らせているというものです。つまり螺旋はマクロ宇宙からミクロ宇宙まで全て網羅しているあらゆる真理の姿です。

此の世の全ての神秘には、波動や螺旋が深く関わっています。古代より人々は螺旋の力を発見し、紋様をはじめあらゆる暮らしの中心に螺旋を取り入れてきました。ある部族は、蛇を象った螺旋の踊りをすることでいのちを蓄えました。またある宗教では螺旋はすべての神人合一の象徴としました。陰陽道やタオといった道もまた、波動と螺旋が顕現したものとされました。

法螺貝を持つということは、螺旋の道を実践するということでもあります。

人は日々の生活の中で様々な感情を持ち心を調えます。この瞬間瞬間の一期一会には、波動と螺旋が深く結びついています。微細な揺れから大きな揺れ、それを自己内省によって螺旋にして調えます。

私たちが「調っている」という状態は、螺旋になっているということです。そして調うとは、成長すること変化すること、シンプルに言えば「旅をする」ということです。宇宙を太陽系の星々と共に螺旋しながら旅をするように、私たちのいのちは螺旋の道と一緒に歩みます。

法螺貝を吹くとき、私たちは螺旋になります。

螺旋になるということは、あらゆるものを一円和合して成長して真に自己に氣づくことを繰り返すということです。

何度も何度も繰り返し同じことをしても、必ず前と同じ円ではなく螺旋となるという法則。そこに絶対的安心を直観するから今でも法螺貝は人々と共に旅を導く存在として大切に守られ人類のお導きの存在、宝ものになっているのでしょう。

宇宙自然、全体調和、波動の中で旅をし、螺旋の道を究めていきたいと思います。

英彦山枝垂れ桜の物語

英彦山の守静坊の枝垂れ桜は少しずつ開花をはじめています。この唯一無二の枝垂れ桜の物語を少しご紹介してみようと思います。

もともと守静坊のしだれ桜が英彦山の地に植樹されたのは今からちょうど二百三十年年前のことです。この頃の英彦山には約三千人以上の修験者たちが英彦山の中で暮らし宿坊も八百坊ほどあったといわれます。当時の英彦山はとても参拝者で賑わっており、坊家の山伏たちは薬草で仙薬をつくり、信仰者へのお接待やご祈祷や祭祀、護符の授与や生活の知恵の指導などを生業として暮らしていたそうです。

時代の変遷を受け、今はその様子は失われていますがその当時の面影のままに今でも清廉に咲き誇る「しだれ桜」が守静坊の敷地内にあるのです。時代を超えて生き続けている存在の御蔭さまで私も甦生に取り組むことができています。

この守静坊の枝垂れ桜の特徴は、「澄みきった可憐さを持つ花びらと、鳳凰のように羽を広げた姿はまるで今にも飛翔していきそうな姿」です。実際には樹齢二百三十年以上、高さ約十五メートル、幅約二十メートルほどあります。

品種は、「一重白彼岸枝垂桜」といいます。この名前には日本人の自然観と死生観がある象徴的な桜ともいわれています。この「彼岸桜」は、春のお彼岸の頃に咲くことから名付けられ、此岸(この世)と彼岸(あの世)をつなぐ存在として、古くから先祖供養や浄土思想と深く結びついてきました。

そして「枝垂」は枝が下へと流れるように垂れる姿を指し、その形は水や柳を思わせ古来より霊性や神聖さを帯びるものとされ寺社に多く植えられてきたものです。純白の透明感のある「白」は清浄や浄土を象徴する色であり彼岸という概念と重なることでより一層あの世への祈りや鎮魂の意味が入ります。

また「一重」は花びらが簡素で原初的な形であることを示し人の手による装飾性よりも自然そのものの美しさを宿しているともいわれます。これらすべてが重なり合ったという意味で「一重白彼岸枝垂桜」という名前になっています。

この世とあの世の境界に静かに佇み、亡き人への想いをそっと託すような、日本的精神性を体現した桜がこの守静坊の枝垂れ桜なのです。

そして言い伝えでは、江戸時代の文化・文政年間に(1804年~1819年)に当時の守静坊の坊主である守静坊普覚氏が二度ほど、英彦山座主の命を受けて京都御所へ上京しました。その時、京都祇園にあるしだれ桜を株分けしたものを持ち帰りこの英彦山に植樹したといいます。

昨年、故あってちょうど福岡にお越しになっていた平安時代末期から続く公家の家職であり代々宮中の装束を担当してきてこられた若宗家の山科言親様に浮羽の私が甦生している古民家でお会いするご縁をいただきました。その時に「元々は祇園桜の発祥は、京都円山公園にある山科家の宿坊の敷地内にあった枝垂れ桜だったんです」というお話をお聴きしました。その時の出会いの感動は大きく、時代を超えて桜を通して繋がる人々の関係があることに感謝したことを今でも覚えています。

守静坊ではこの枝垂れ桜の開花時期に、英彦山と場にご縁のある方々や檀家さんたちが集まりご先祖さまの供養を行う年中行事その後に行われてきたという伝承があります。それを新たに甦生して、今の時代に本質は変えずに桜を喜ばせるような年中行事「サクラ祭り」として私が実施しています。

昨日も大量の落ち葉を桜の養分にと作務をしていたら何処からか桜を観に来る方やお花見のお電話が入ってきました。どの方々もこの守静坊の枝垂れ桜を観て感動した、魂が震えた、桜との出会いが忘れられずにまた来たいと足を運んでおられました。

桜は凛としてただ自分の花を精一杯に咲かせているだけですが、その姿そのものあるがままの徳が人々の心を癒し清め、繋がりを保ち今でも心を救っています。

私もこの枝垂れ桜のように生きたいと、人生の大先生と慕い桜守をさせていただいているところです。きっと満開と見頃は今週末から来週末くらいまでではないかと思います。

英彦山はちょうど上宮の工事も終え、お山も次第に調ってきました。桜と共に皆様にお会いできるのを心から楽しみにしています。

https://www.crossroadfukuoka.jp/event/15519

場と道

「場が育つ」という言葉があります。植物や動物をはじめすべてのいのちが育つように、場も育ちます。この「育つ」という言葉の語源は、赤ちゃんが産まれることの会意文字でもあり、日本の古語の「生ひ立つ(おひたつ)」が由来だともいいます。つまり「時間をかけて成熟していく」ということです。

植物であれば、最初に土を定めそこに種を蒔きます。すると新芽が出て花が咲き実をつけては種になります。この自然の循環そのものが時間の成熟です。そしてそのいのちのめぐりそのものの働きを場とも呼びます。

場が育つというのは、自然全体で行われている循環が場に凝縮され顕現するのを実感するということです。

そしてその場の中には、人だけでなく風土や暮らし、そして歴史や文化、伝統や伝承などあらゆるものが有機的に結ばれて離れているものがない状態が繋がっています。その分けられていない、一物全体のような境地を「場」と私は呼んでいます。場は言葉で語れるものではなく、場で感じるものです。

場には道があります。

この道とは、歩んできた道のこと、つまりは時間をかけて成熟してきた道のりのことでもあります。人間は、視野を広げ、意識を高め、宇宙をはじめ全体と結ばれ、心を磨いて徳を調えると「道」の存在に氣づくものです。

道を感じるための入り口には、必ず「場」があります。

そして場を感じるのには兆しがあります。この兆しは、木々が清々しい花として変化したり、風や空気感が変化したり、水が綺麗に澄み渡ったり、光が揺らいだりといった自然現象の変化として顕れます。

人間は理想を抱き、謙虚に先人たちの遺徳を継承し、丁寧に誠実に実践を積み重ねるときに場の種は次世代へと蒔かれていくものです。

子どもたちのためにも、脚下の場を調えるような実践を積みかさねていきたいと思います。

ということで、来週は徳積堂(飯塚市有安)のある鳥羽池(八龍権現池)の桜から場を学び、再来週は守静坊(添田町英彦山)の230年の枝垂れ桜から道を辿ります。

この場と道に、ご縁のある方々のご参加を心から楽しみにしています。

むかしの五穀田

先日、故郷でついに農業委員会の許可を経て正式に農業を営む人になりました。そして2026年3月5日、無事に新しくご縁をいただいた田んぼで初心と覚悟を魂串に載せて綱分八幡宮の宮司様と一緒に「地まつり」を行いました。美しい棚田と霊山関の山を仰ぎ、澄み切った風がお山から吹き下ろされ一期一会の清らかで純粋なお時間を過ごすことができました。

このような素晴らしい風景がある場所の田んぼとご縁をいただけたこと、心から地縁神恩に深く感謝しています。

ちょうどこの場所は今から5年前に江戸時代の古民家を甦生した「和楽」(わら)があります。懐かしい未来の和の暮らしを実践する暮らしフルネス道場の一つです。この歴史を生きる古民家和楽とその庭先にある田んぼがきっと子どもたちの未来に確かな徳を智慧を伝承してくれることと信じみんなで予祝をしました。

5月の田植えころには、徳が循環する結づくりのコミュニティの仲間や縁者の皆様といにしえから続く音や楽、そして食や幸福を感じる神事を実施する予定にしています。

思い返せば、私が無肥料無農薬のお米づくりをはじめたのは2011年の東日本大震災の時です。もうすぐ3月11日、いつまでも大切なことを決して忘れない日と決めているこの日が近づいてきました。あの震災を私は東京で被災し、多くの犠牲者がでて天災と人災の違い、悲しみから犠牲者の追悼をしました。今でもあの体験を、あのメッセージを受け取った一人として忘れないぞという覚悟で田んぼに向き合ってきました。

そこから千葉県神崎にある神崎神社の麓にある田んぼをお借りして14年間無肥料無農薬でお米づくりを自然酒の寺田本家の酒米をつくっていた見事な農家さんと共に歩んできました。そして昨年、福岡県朝倉にある大己貴神社の麓にある田んぼをお借りしそこで仲間たちにお声がけして一緒に無肥料無農薬で手植え手刈り稲架かけでお米をつくりました。そしていよいよ本年から福岡県飯塚市(旧庄内町)にて田んぼを取得しこれまでの集大成としてこの場を天命と定めました。

田んぼの命名は「むかしの五穀田」としました。

これはこの地域の氏神様が五穀神社であることからです。

この五穀は古来、日本の食文化の根幹をなし、米を中心に麦・粟・豆・黍(稗)などが挙げられました。日本人の精神の真髄その根源には常に『五穀豊穣を祈る』文化があります。

むかしとは、懐かしい心の風景のことをいいます。

古代より今まで私たちは生きるために食べてきました。食べるというのは、ただ食事をすることをいいません。共に仕合せに生きるために、共につくり、共に生き、共に助け合い、共に笑い合い、共に暮らす、共生と幸福の原点をいいます。

むかしから変わらないもの、変えてはならないもの、それを守ることが、子孫やこの地球の人々の過去と未来と今を見守ることにもなります。

世界が渾沌として戦争前夜のような重苦しい空気の中であっても、どう生きるか、どういう生きざまをするかは自分で決めることができます。

日本には「和合」という言葉があり、「和楽」という生き方もあります。

和をもって尊しとなすといった、聖徳太子、そして和の系譜を生きた尊敬する先人たちの先達者たち。その方々に恥じない生き方ができるようにこれから私も人事を盡して天命を喜ばせていきたいと思います。

これから「むかしの五穀田」を甦生して日子山を中心とする大和のクニから続く願いと祈りをしめ縄のように結っていきます。

皆様のご参加、賛同を心から楽しみにお待ちしています。