時代を創っていく

昨日、GTサミットでは藤森代表が講演の中で「時代を追いかけるのではなく、時代を創っていくこと。それが時代に翻弄されないということ、そして乳幼児期が重要だからこそ、そうあるべきである」と語られました。

この時代を追いかけるのではなく、時代を創っていくというのは「ブレナイ」こととも言い換えることができます。自分が本質から定めた初心や理念に対して、如何に流行に流されずにブレずに取り組んでいくか、それが実践されているとき時代ははじめて創られていくものです。

しかしこの時代を創るというのは、当然として流行というものがあります。しかしそれは流行を先に操作して時代がつくられるのではなく自分らしく自己の革新を続けていく中で流行が後から着いてくるのです。時代の価値観というものは、そのようにしてその時代に本気で問題意識や危機感、そして自由に生きた人たちによって創造されてきました。常に時代の中の本物こそが流行の源泉なのです。

そしてもう一つはこの流行に「流されない」ということ、つまりはその時代時代に自分の信念に従って勇気を出して前進し続けた覚悟の歴史が時代を創ってきたとも言えます。たとえ流行とは逆行していようが、流行とは乖離していようが、構わずに信念と実行を続けていこうとすることです。

変えてはならないもののために、如何に変え続けていくか。それは自己の刷新や革新、変化を創造し続けていくということでもあります。当然ですが、目的や理念、初心を決めれば時代の流れと共に合わないものが出てきます。その合わないものを調和していくには、自分の思い通りにはなりませんから大自然のお手本に従い自然を変えるのではなく自分自身を柔軟に変化させていくしかありません。

人間はすぐにマンネリ化し固定され、変化を嫌う傾向があり少しでも成功したり上手くいくとそのまま固着させてしまうものです。変化を嫌えば好奇心も減退し、同時に勇気も失われていきます。少しでも手を抜けばすぐに実力が衰えるのが世の常ですから、成長し続けること、変化を求め続けて変わり続けることは、自分を創造し続けることと同義です。

だからこそ、今に満足せずに時代を創り続けるために「勇気」を出して大切なもののためにリスクを選んだり、守るために挑戦することこそが変化そのものに近づいていくことなのです。

常に時代は価値観の変化と共に、一つの時代が終わりまた次の時代が訪れます。研鑽を積み続け達し続ける豊かで楽しい努力が仲間を集め、新しい時代を創造します。

子どもたちのためにも、信念と実行、そして勇気と覚悟で前進していきたいと思います。

足元の価値

人は物事に躓くほど自分を見つめ直す機会ができるといいます。それは様々な事柄から目を逸らしてきたから余計に足元を見つめ直す必要が出てくるのかもしれません。

今できることを、今改善できること、今しかできないことをやろうとはせずにできないことや、何か簡単に解決する方法ばかりを追いかけてしまうと大切なことから目を逸らしてしまうものです。

人間は自己中心的ですから、主観的に物事を観ては願望のバイアスがかかっていくものです。こうであればいい、こうあってほしいなどの理想が高ければ高いほどに現実から目を逸らしてしまうものです。現実から目を逸らせば、必要な努力や改善とも向き合いませんから反って理想から遠ざかる一方です。そういう時こそ、足元を見つめ直す必要があるように思います。

この足元を見つめ直すには、客観的に現状を把握し何をどう改善すればいいかという手を一つ一つ丁寧に取り組んでいく必要があります。一発逆転や、一気に問題解決などの安易な方法論に引っかからずに、何をどこから改善し、その改善をどのように今後に活かしていけばいいかといった地味な手を打っていくしかありません。

主観が入れば入るほど、現実から乖離した手を打とうとしますから現実の直視は何度も何度も自己と正対し謙虚に受け止めていく必要があります。理想から遠ざかることを恐れて抵抗し、こんなはずではなかったといくら責めても解決することはありません。現実から逃げても、現実は必ず目の前に現れるのです。

如何に現実の厳しさを謙虚に受け止めて、自分の本当の問題に向き合うか。いろいろな感情が邪魔すると思いますが、その現実を受け止める力こそが真剣さを本物にし、本気を発揮させる力の源泉になります。

もしも自分でできない場合は、信頼できる人に現実を一緒に見つめてもらって課題や問題を整理する時間があってもいいかもしれません。人間は一気に力技でいこうとするときこそ現実を直視しなくなる予兆ですから注意する必要があります。足元を見つめることは一人で向き合いながらも、一緒に向き合ってくださる人があることに感謝することかもしれません。

足元の価値を大切にし、子どもたちのために信念と実行を優先していきたいと思います。

目には見えないこと

現代の日本では、各地の伝承や口伝などの民話や神話をはじめ神秘的なものや妖怪などの話をオカルトや宗教だと決めつけて差別するような風潮があるように思います。しかし先人が伝承しようとしてきたものは、民話や神話などでより子孫たちがイメージしやすいようにと工夫を凝らして文化にまで高めてきたものです。

例えば、地域のお祭りや風習などもそうですがこれらもその土地でかつて何かしらの出来事があり、それを忘れないためにと毎年繰り返し行われ文化にしておいてその土地で暮らす人たちが安心して生きていけるようにと仕組みにしてきたものです。

それが連綿と続いていく中で、伝承されてきた意味には非科学的な事柄の方がむしろ多く、なぜこれを続けているのかが説明できないものがたくさんあります。また言葉では説明できないものもたくさん籠められています。

そこには津波の怖さを伝えるもの、大雨による水害を伝えるもの、そして伝染病などの予防のために続けているもの、自然のバランスを崩さないように続けているものなどキリがありません。民俗学などもそうですが、各地に伝承される言い伝えやお祭りなどには私たちが知識で理解できること以上の暗黙知が大量に籠められているのです。

よく私もこのようなブログを書いていたら宗教っぽいやオカルトだと揶揄されることもありますが、そもそも非科学的なものを理解するためにはどうしても暗黙知を言語化するために表現が抽象的なイメージになるものです。それに目に見えないものの存在を確かめることは哲学でもあり、どのような経営者もみなそのような存在を感じながら経営しているものです。それは運とも呼び、学問では道ともいいます。

松下幸之助氏は、経営の神様と称されるのは経営を科学的な面と非科学的な面の両面から捉えてそれを実践に昇華したからです。日本人はかつては当然として神様のような存在も当たり前にあると認識し、妖怪や先祖の霊や神様、魂なども共存していたものが今ではそれを語ると宗教やオカルトになってしまっていることに違和感を感じます。

いのち一つを創れない人間、自然や宇宙の神秘のほとんどが理解できていない人間が、知識で語れないことを敢えて知識で語ろうとすればそのほとんどは神秘になります。その神秘を知らないということは、知識だけの中で生きていくことでありそれではあまりにも狭い視野になってしまうように思います。

目に見えるミクロから如何にマクロを観ていくか、それはこの海や空の間にある偉大な空間をどのように直観していくかという自然の解釈とも似ています。偉大な人物には、宗教も哲学もそういうものが分かれておらずただ観念として理解しただけのように感じます。そしてそれをそのままにあるがままに子孫へ伝承しようとしたように思います。

私たちはもっと謙虚に、知識では理解できない知恵を先祖の遺言として受け止めて大切に守り続けていく必要があるように思います。引き続き子どもたちのために一つでも多くの災害から自分たちを守れる智慧を、そして大切な人たちを失ってしまった悲しみを後世のひとたちのために役に立てたいと祈った人たちの思いを受け継いで、初心を伝承していきたいと思います。

 

普遍的な経営学

日本の経営学の祖とも称される人物に、江戸時代中期の儒学者荻生徂徠がいます。徳川吉宗の思想に多大な影響を与え、その後、各地の藩校の思想として取り入れられてきました。

よく考えてみると、経営というものは歴史から学べるものです。どれだけ永く続くことができたか、繁栄と発展を持続できたかなどは同様に組織を持ち人々を集め、経営をしてきた人物たちの知恵や仕組みを観れば共有するものがあるのです。

その共通したものをよく分析し、それをその時代の特徴に照らせば凡その改善点は観えてきます。しかしそれを知ってもできないのは、人間が自己中心的であり我欲に負けたり、また自律的な道徳観によって和していくことができなくなるからです。ちょうどこの荻生徂徠のいた300年前も今の日本と同様に都市化が進み、スピード社会になり、金と物とのバランスが崩れた時代でもありました。

国家をどのように守っていくか、そして経営をどのように進めていくか、言い換えれば今の時代の経営コンサルタントであったともいえます。

徂徠の経営学の要諦は徂徠訓の中に見て取れます。

一、人の長所を初めより知らんと求むべからず。
人を用いて、初めて、長所の現はるるものなり。
ニ、人はその長所のみを取らば、即ち可なり。短所を知るを要せず。
三、己が好みに合う者のみを用ふるなかれ。
四、小過を咎める用なし。ただ事を大切になさば可なり。
五、用ふる上は、その事を十分にゆだぬべし。
六、上にある者、下の者と才智をあらそふべからず。
七、人材は必ず一癖あるものなり。器材なるが故なり。癖を捨つべからず。
八、かくして、上手に人を用ふれば事に適し、時に応ずる人物、必ずこれにあり。
九、小事を気にせず、流れる雲のごとし。

意訳ですが、すべてにおいてないものを求めずあるものを活かすという考え方です。そして短所をカバーし長所を伸ばすという人の活かし方です。人間を経営者の都合で使うのではなく、その人そのものの持ち味を活かせという経営方法です。

これは古来より、人間が調和し組織の中でそれぞれが活かし合うための妙法として君子や聖賢たちが取り組んできたことです。驕り高ぶらず謙虚にあるがままのその人を認め、その人が活かせるような環境を創るということです。

そのうえで、その環境を伸ばすためにそれぞれに合った制度を立て多様性を維持してくことと、人々が安心して生活するために儀礼・音楽・刑罰・政治などの制度(礼楽刑政)を磨き尽力することを諭します。

経営学は、いろいろな人たちが語りますが古今から普遍的に君子が守るべきものは尊重することです。その尊重することを、それぞれの時代でしなくなることから世の中が荒れ平和が維持されなくなっていくのです。

会社で行う小さな尊重こそがやがて世界の尊重になっていきます。経営を学ぶものとして、徂徠訓を肝に銘じたいと思います。

多様な風習

日本には様々な風習というものがあります。その風習は地域ごとに異なりますが、そこには忘れてはならない戒めやしきたりなどもあります。むかしばなしや童話などもそうですが、今のような記憶媒体になっている本やデータ管理などがなかった時代、それぞれで工夫してその物語が正しく伝承されるようにしていたように思います。

まさに年中行事などはその風習の代表で、正月やお盆、七夕や節分、お花見なども代表的な風習の一つです。そのほかには、地域のお祭りや花火大会などもあります。

これらは、四季折々の中で自然発生したものと意図的に誰かによって持ち込まれたものがあったりもします。しかしどれも日本人の文化として根付き、その地域の個性や色合いになっています。

多様性というものは、このように地域の風習と共に発展してきたように思います。それぞれの場所でそれぞれの人たちが、自由に自分たちの文化を醸成する。その文化を学ぶことが観光であり、その観光を通して自分たちの文化をさらに切磋琢磨させ発展させていく。

そうやって人類は、風習という風土の文化と一体になる智慧を学び続けてきました。今では経済活動と風習が挿げ替えられ、本来の風習の意味も損得勘定によって書き換えられていたりします。

本来の風習を守っていくことは、その地域や風土の多様性を守っていくことでもあります。引き続き、子どもたちに譲り遺していきたい風習や文化を学び直していきたいと思います。

見世蔵造り

旧長崎街道にある聴福庵の近くには、土蔵造りの古民家がまだいくつか遺っています。この土蔵造りのある街道の街並みは圧巻ですが、今ではその街道も廃れ街並みも大きく崩れてきています。現在では、便利になり住みにくいといわれる古民家も少し前までは暮らしやすい家として重宝されていました。

その一つに、この土蔵造りがあります。

この土蔵造りを辞書で調べると「建物の外観が土蔵のように大壁(おおかべ)で塗り籠(こ)めて、柱などの木の部分を露出しない造り方をいう。耐火性があるため、近世以降は土蔵だけではなしに町家の店舗にも用いられた。壁は柱の外側に間渡(まわたし)を打ち付けて塗られる大壁となるため、大壁造ともいう。また、近世の町家にあっては、一階部分は柱を露出するが、二階は土蔵造とし、窓の格子や軒裏の垂木(たるき)も塗り籠めたものを塗屋造(ぬりやづくり)という。江戸時代末期には、とくに耐火性を考慮して壁を厚くして、窓にも土扉をつけ、一見土蔵風にみえる店舗がつくられる。これを店蔵(みせぐら)とよび、土蔵造の典型的なものである。」(日本大百科全書の解説より)

先日、ご縁があった近隣の古民家はこの見世蔵様式で建てられています。この見世蔵とは、江戸期からの商店建築様式のひとつで土蔵つくりですが用途は蔵ではなく店舗として利用されてきました。外見も妻入りではなく桁方向を前面開口し、たたきと畳座敷で構成され、その2階には座敷があります。

この見世蔵の魅力は、漆喰の清涼感と見た目の重厚感です。1階部分は格子戸が設けられ外から中が覗くことがことができるようになっています。土間がある1階部分で商売をしたり、人が往来したのがわかります。本来の土蔵に比べたら火災の際の耐火性能は劣っても土壁でできているので夏の湿度が低くて涼しく感じられ木造住宅よりは耐火性能が高く火事に備えたのがわかります。

この聴福庵のある地域は、150年前に火災がありこの街道沿いの建物はほぼ全焼したということを聞いたことがあります。その時の教訓から土壁造りにしたのかもしれません。

改めて古民家を深めれば、なぜこの建築様式になったのかなどを調べていると歴史的な情緒を感じます。当たり前に疑問を持たない日常の些細な歴史的な建造物も、その意味や理由を考えてみればそこには浪漫があります。

引き続き、ご縁を辿りながら日本の文化を深めてみたいと思います。

 

犬矢来と駒居~風情の仕合せ~

昨日は、聴福庵にある犬矢来(いぬやらい)に柿渋を塗り込み掃除や手入れを行いました。この犬矢来は、駒寄せとも呼ばれ本来は馬が家の塀を蹴ったり犬のオシッコなどで汚れるのを防ぐというという目的があったようです。木で格子を組んだ型・丸竹を数本並べた型・割竹を並べた型などの様式もあるといいます。竹が曲げてある形は滑って壁を登れないことから泥棒の侵入を防ぐ効果もあったようです。

京都にいけば町屋が並ぶ通りにはこの犬矢来や駒居がならび独特な日本の和の風情を醸し出します。先日は、離れの犬走りを玉砂利で敷き詰めましたが同じ「犬」の字がつくこの犬矢来は、犬を追い払うやらう(やらい)という意味で、駒居は馬を寄せるという意味からできた言葉です。現在では雨垂れが飛び散り家の壁を汚したり腐食したりすることを防ぐ効果からも用いられます。

この犬矢来を聴福庵に取り入れるキッカケになったのは、聴福庵は町家づくりのためその原点になっている京都の町家建築を学び直すでその美しさに惹かれたからです。京町屋にある壁伝いに巡らされた駒寄せや犬矢来のある美しい町並みをみていたらその街並みの調和に感動したからです。そこに竹の清々しさや柔らかさ、そして町全体の暮らしを感じることができたからです。

現在では竹製品は少なくなってきましたが、むかしは物が不足していた時代の無限の資源として短期的な成長力があり生産性がもっとも高かった「竹」を暮らしの中で十分に活かすことを考えて竹を用いました。このことからむかしは日本の家の中外のほとんどに竹製品が彩られていたのです。

聴福庵も箱庭には竹垣や観音竹を、側道には黒竹や黄金竹を、玄関には京都の竹を用いた犬矢来、厨房の天井には年代物の煤竹、花籠、竹団扇、竹箸、それに火吹き竹や竹炭装飾に至るまで家の中はあらゆる竹に関係しているものが活動しています。

よく考えてみれば日本人の風情の中に「竹」は欠かせない存在です。それは日本の気候風土が湿度が高く水気が多く腐りやすいからです。その点、竹は水に強く丈夫でいつまでもしなやかに経年変化の中で長持ちする特徴があります。

現在グローバリゼーションや資本主義経済優先の中で、大量生産大量消費して世界中どこでも同じものを安く使い捨てする世の中です。本来の気候風土に合ったものを捨て、プラスチック製品や安易に製造できる化学製品を買い求めます。しかしそのことから、無駄を生み出すだけでなく風土の中で豊かに生きる智慧や風情をも捨てていきます。

生きていく仕合せの中心は、暮らしがあることです。暮らしがない人生は味気もなく、無機質なロボットのようになってしまいます。本来の人間として与えられた感性や地球や自然と一体になる喜び以上に豊かなものはありません。

引き続き子どもたちに、譲り遺していきたいものを丁寧に治し、そして活かし、温故知新していきたいと思います。

夏季実践休暇~盂蘭盆会~

今年の夏季実践休暇の一環として、聴福庵で天神様の盂蘭盆会の供養を行いました。菅原道真は私の遠い先祖であることもわかり、日ごろ見守ってくださっている地域の天満宮の清掃と共にむかしの形式を学び直しつつお花や供物をお供えしました。

そもそも盂蘭盆会というものは、仏教からはじまったものです。お釈迦様の弟子のひとり、目連尊者(もくれんそんじゃ)が自分の亡くなった母が地獄に落ち逆さ吊りにされて死後もなお苦しんでいることが神通力を通してわかり、どうしたらその母親を救えるでしょうかとお釈迦様に尋ねたのがキッカケです。それに対しお釈迦様は、「夏の修行が終わった7月15日に僧侶を招き、多くの供物をささげて供養すれば母を救うことができるであろう」とし目連尊者と僧侶たちがその教えに従うとその功徳によって母親は極楽往生が無事に遂げられたといいます。

ご先祖様への供養となるのは、仏教が中国に伝来してそれまでの儒教などと融合して発展したといいます。時期は南朝梁の武帝(在位502~549)の時代に同泰寺で盂蘭盆斎が設けられ以後、中国の年中行事の一つとなって大いに流行したといいます。日本では推古天皇14年(606年)の記録が古くのち先祖供養や祖霊来訪の民俗信仰と習合して正月と並ぶ重要な年中行事となっています。

この盂蘭盆会の実施の時期は、歴の関係で新盆とか旧盆とか月遅れとか呼ばれますが明治時代の暦の改変で変更されてからこうなっています。西洋のグレゴリオ暦にする前は、暦は年々変化しますからむかしはその暦の変化に合わせて御盆も実施されていました。お釈迦様のときは夏の修行後とあったので、私たちとは生まれた場所も異なりますから本来の日時も季節も同じではおかしいかもしれません。

しかし本質として、亡き人を偲び自らの心に供養をすることは亡き人の苦しみや悲しみを和らげることができまた同時に自他も仕合せになるという真理があるように思います。それを子孫たちが行うことには大切な意味があります。

実際に盂蘭盆会の準備でご先祖様が家に帰って来るという意識で供物やお花を用意していると、今の自分がなぜここに居るのか、そして多くの見守りに活かされているのかを実感し、有難い気持ちになります。

先祖や亡くなった方々があって今の自分があるという意識は、自分だけがよければいい、自分の世代だけ乗り切ればいいなどという自我欲が恥ずかしくなるものです。自分のことだではなく全体のため、子孫のため、地球全体のためにと生きてこそ、私のその先祖の一員になれるという気がしてきます。

また先祖の霊は山からくると信じられていますから、山の花々、山から下りてきた花々を一緒にお祀りすればまるで身近にご先祖様の霊が訪れ華やかに喜んでくださっている気がしてきます。

日本の行事の中には、先人からの大切な教えや回訓があります。学校の知識も大切ですが、本来実践して学ぶという行事からの学びは智慧の伝承として決して失ってはならないものです。

子どもたちに自分たちの代で途絶えることがないように、丁寧に温故知新し甦生していきたいと思います。

真心の日々

人は初心を忘れずに実践をし続けることで道を歩んでいくことができます。道には終わりがないように実践にもまた終わりはありません。実践も日々である理由は、道を歩くのと同じで少しずつでも歩き続けていたら前進していくからです。もしも歩くのをやめたり、休憩ばかりして歩まなければそれが十年、三十年、五十年という歳月が経ったときには遠大な差になっているからです。その差は人生の本質に影響を与えます。

人間は何度も生まれ変わります。その生まれ変わりは、先祖から今に至るまで数百年数千年、数万年、それ以上の歳月をかけて歩み続けてきた道です。人類の成熟に向けてどこまで自分がその道をつなぎ歩んでいけるかは、それぞれの人生に課せられた偉大なテーマであろうと思います。

よく仕事と人生と分けないことを、実践を通して語りますがこれは分けることで本質が失われてしまうからです。これは仕事、これはプライベートを分けるのは自分の知識であり、本来はどれも人生なのだからどれだけ本気で人生を生き切るかということになります。

もしも初心があり日々を歩んでいくのなら、分けずに何でも来たものを選ばずに今に集中して今を生き切ることが必要です。言い換えればそのどれにも必死になって努力し楽しむ人生を歩んでいくということです。

人生の時間は誰にも平等で、その人生にはいつの日か終わりが来ます。そして今一緒にいる仲間やパートナーや縁者たちとのお別れの日が必ず訪れます。今しかできないこと、人生としてやり遂げておきたいこと、そのどれにも妥協せず、言い訳せずに、これも人生であると言い切れるように日々を実践で彩っていきたいものです。

いつ死んでも悔いのない生き方の中に、真心の日々があります。

子どもたちのためにも真心の日々を磨いていきたいと思います。

雨と家~犬走り~

昨日は、聴福庵の離れの雨落ちのところに砂利を敷き風情のある犬走りができました。この雨落ちは軒先の真下に雨だれが落ちる部分のことをいいます。通常は雨樋があるのですが、この離れはむかしからの呼吸する屋根瓦を用いたためそのままの姿が美しく雨樋をつけないという選択をしました。そのため砂利を敷き詰めた側溝を設けたり、いし(雨落ち石)配したりして地面が凹むのを防いだり、雨水の跳ね返りを防ぐ必要が出てきます。

そこで犬走りといって雨が跳ねないように手入れを行いました。この犬走りとは、雨による汚れが建物に跳ね返ったり雨水が建物に浸透しないようにすることをいいます。諸説ありますがこの犬走りは建築用語でちょうど「犬が通れるくらいの幅」ということから「犬走り」といわれたり、施工したときに犬が歩いてしまい犬の足跡が残ることがよくあるといわれたりしています。

むかしからこの犬走りを設けるのは、家を雨から守るためです。雨が降ると、雨が瓦から軒下の土に落ちるとそれが跳ねては壁を汚します。またその雨が木材に長期的にかかると腐敗したり塗装が剥げたりします。

他には、軒下は雑草が生えやすく手入れをしていないとすぐに大量の雑草に覆いつくされます。その雑草に虫が集まり、さらには枯れたものから苔が生えたりと家の周囲が傷んできます。それが行き過ぎれば、蚊が発生したりシロアリなどが近づいてくる原因にもなります。

またここに玉砂利を敷くことで音による防犯などの役目があります。夜中に砂利を通ると音によって周囲に人の気配があるのが伝わります。今回は、黒玉砂利を敷きましたが玉砂利は土埃もたたず、水はけもよく、雑草も抑制し、清涼感があります。

雨が降ったあとに、乾いた黒灰色から湿った深い黒に変色することでより雨のときの空間に風情が出てきます。その玉砂利を囲む石は、山で雨によって崩れてきた岩の破片を集めて加工しました。

先人の知恵が家を守り、空間を引き立てているのを知り、日本の建築や庭園技術の奥深さを学び直しました。子どもたちに伝承できるものを丁寧に遺していきたいと思います。