コロナウイルスの振り返り

コロナウイルスのパンデミックがはじまりそろそろ3年目くらいに入ります。このコロナウイルスとは何だったのかと振り返るにはちょうどいい時期でもあります。蝙蝠が由来とか、人為的だとか、色々と起源は判明せず、陰謀説や自然説も今となってはどうでもいいことになっています。

その後のワクチン応酬とゼロコロナなどの隔離、第1波から第7波だのと自粛だ開放だとの繰り返し。マスコミや政府、専門家の言いたい放題で後始末のない現実。病院はコロナに翻弄され、高齢者たちや病気を持つ方々は戦々恐々としてじっとするしかない状態。国民の安全か経済かと天秤にかけ、結局経済最優先という価値観が優勢になり急に世界はゼロコロナからフルコロナへと移行する。コロナの御蔭で環境改善が進むかと思えば、リバウンドで環境がさらに悪化する始末。この隙に応じて世界戦争がはじまっているという状態。

コロナとは一体何だったのかということが少しだけ垣間見えるような気がします。実際のウイルスというものは、単なる病原体にすぎません。これはかつてのパンデミックでも有名な、ペスト、結核、インフルエンザ、天然痘、コレラと同じくあるときに急に感染が広がり世界では死者が急増します。一つの自然現象であり、人間が広域で交流するようになったからこそ出てくる問題です。離島の動物たちが絶滅していくように、他から入ってくる強烈な外来種やウイルスに抵抗がなければ死んでしまいます。それぞれに分を弁えて、移動を制限して生きていればないことですが気候変動もありこれは仕方がないことでしょう。

問題は、自然現象ではなく人工的な現象の方です。例えば、人口密度です。狭いところにこれでもかと人間を押し込み、大量生産大量消費を無理やりに継続させていく仕組み。人口増加はもはや限界値を超え、さらに密度を増やそうをしています。食事も食糧難が来るからと、昆虫を食べるように開発し、サプリ栄養を確保しようと躍起です。未来を予測すると、抗生剤や抗菌剤、ワクチンはじめて遺伝子治療などをしてでもこの人口密集に耐えられる仕組みを人為的に施すことを行き着くところまで繰り返す予定でしょう。そのうち、人間が完全に弱り切ったころに大きな自然災害に見舞われ大量絶滅をするというシナリオでしょうか。これは自然現象かといえば、人間の人為的な行動の結末です。

人間は、わかっていても目先の欲望に打ち克つことができません。歴史は何度もそれで国が滅び、人々が大量に死んでいます。それでもなお同じことを繰り返していきます。解決も抜本的ではなく、対処療法を増やしていくだけで少しだけ延命治療をすることができるようなった具合です。世界が今、一つになろうとしているまさにそのときも、人類を導くようなリーダーは出てきません。むしろ悪化していて、自分の国の利益を我先にと争っては資源を貪りつくします。人間の浅ましさ此処に至れる具合です。核戦争など、本当に嫌です。人間がすべての生き物を殺傷するための大量破壊兵器を使う、これが人工的な現象の最後の姿です。コロナウイルスとは違います。ここに来て、今、どの辺に人類は立っているのかみんなで考え直す時期だと改めて思います。

だからといって現実逃避をする気もなく、こんなところだからこそ私は私で子どもたち子孫のために何ができるかと考えています。常に原点を忘れず、先人たちが残してくださった知恵を守り未来の分水嶺にむけて準備を調えながら徳を磨いていきたいと思います。

  1. コメント

    昨年中は野見山様の投稿を読ませていただき色々考える機会があり勉強になりました。以前からコロナウイルスの対応や報道について違和感がありました。経済の優先も大事ですが私達は今後どう生きるべきか自然界から警鐘を投げかけられているような気がします。

佐々木年成 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です