道はひとつ

この業界に来て、様々な人たちを支援し共に仕事をご一緒していく中でいつももったいないと思うことがあります。

同じように子どものことを思って同じことを取り組むのに、派閥ができ、共にやろうとはせずすぐに構えたり、わざわざ距離をおいて近寄らなくなったりして、力を合わせないのです。

今は時代がまだ悠長なことをしていてもいいと思っていないはずなのに、実際に何かをやろうとするとすぐに自分の世界や自分だけのものにしようとした力が働くのです。

多くの人達が同じ道を目指すのならば、自分だけのものにしたいや、自分だけがよくなればいいという考え方ではなく、共に同じ道を手を取り合って歩んでいくのがいいように思います。

しかし実際は、そうではなくすぐに分かれてまた不利益な競争をするのです。
二宮尊徳に下記があります。

「天地は一物だから、日も月も一つである。したがって誠の道は二つはない。真理は万国同じであるはずだ。ただ真理を究めないのと尽くさないということがあるだけだ。それなのに諸道おのおの道が異なるとして相争うのはそれぞれが自分の領域を狭くしてお互いにへだててしまうためである。ともに三界域内に立てこもった迷妄の者といってよかろう。まず、この垣根を見破ってから道について論ずべきだ。垣根の中にうちこもった議論は、聞いても役に立たず、説いても益がない。」

意訳すると、太陽も月も一つであるように天地は一つのものでできあがっている。だからこそ真心や誠の正道も同じく二つと分かれてはいない。つまり真理は世界共通であるはずだ。ただ真理を究め尽くしていないだけの話です。それなのに、自分の方が正しいとそれぞれに道を歩んでいる人たちが争い競うのはそれぞれが自分の世界に閉じこもり狭くし互いに垣根をもうけようとするからだ。これはこの世の中で自我欲に負けて彷徨っている亡者といってもいい。まずはこの御互いの垣根を見破り、常に道について論じるべきだ。垣根の中に閉じこもった議論をいくらしても役に立たず、それをいくら説いても効果がないのだから」

とある。

それぞれ業界で著名な方や、自ら志を立て一本立っている人たちがなぜ力を合わせようとしないのか、自分の世界でのみやろうとするのか、何かしようとするとすぐにメソッドのようなものばかりが出てきたり、何かしようとするとすぐに人間関係に不信になろうとする。

子ども達のことを本当に思うのなら、自らの垣根を壊してほしいと思うのです。

私自身も、相手のそういう気持ちについ反対したり言い返したりとする気持ちが出たりもします。しかし本当に子ども第一主義を貫くならば、そういう妄想や妄念を見破り、もっと大胆に世の中をよくするために協力していきたいと思うのです。

自分自身も道を歩んでいることを忘れずに、実践とは何か、今とは何かを気づいていこうと思います。

 

  1. コメント

    子どもの為とそれぞれの立場・役割からものを言うのではなく、何をすることが子どものためになるのか突き抜けたところで考えなければ、大人がつくった既存の枠にとらわれてしまうと思います。王道を自分自身が学び、導いていけるよう学びを深めていきたいと思います。

  2. コメント

    真理は世界共通なはずなのに、争い事は絶えません。それは国同士でも起こり、身近な人同士でも起こっているのが現状ではないかと思います。互いが自分を守るために争い多くの人が犠牲になっているのはどこに問題があるのかを自分なりに考える必要があるのだと感じました。又真理を極めつくすという言葉、とえも考えさせられます。何でもつい自分の考えを優先しがちになりますが、本当の真理はもっと見えない先にあるのだという事を自分のなかで意識していきたいと思います。

  3. コメント

    一円対話を行っていると、一つの道が出来てくる事を体験していますが、その一つの要因として、全ての違いを受け入れるというルールがあるのだと気づきました。違いを受け止める問は、自分自身の狭い価値観を壊し、本質的な一つの道に近づくための第一歩なのだと感じました。違いの先にある同じ道を信じて歩みたいと思います。

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