心考実行

何かの物事が起きるとき、それをどれだけ深く考え切ることができるかがある。

一見、何も意味がないように感じる事でも心で湧き出てくることを大切にしていたら長い時間のあとに大変な意味が出てくることがある。または、その逆もあり後になってやっておけばよかったと反省するようなこともある。

何かの物事は自分で考えている以上に、将来に必然的な意味があり目先に一喜一憂するようではまだ物事に集中しているとは言わないのだと思います。

よく脳が嫌がってもと言い方をすることがあるのですが、自分の脳が避けようとしても心に浮かんで感じたことを信じる力というのはどれだけ日頃から決心する習慣を持っているかということになるのだと思います。

この決心とは、頭で考えずに心で決めることを言うのだと思います。
そしてそれは頭では判断できなくても、心が望むのだから遣るのだという意志です。
そしてそれこそが自分が遣るのだと強く思うことであろうとも思います。

他人はすぐに目先に行為に対して見返りを求めるのは信じるよりも本当にメリットがあるかどうかなどを疑ってしまうからであろうとも思います。

しかしそもそもそれは生き方という心が決めた方が人生の舵取りをしているのだからこそ、如何によい理念、理想、信念といった盤石な根がなければ信じる方を決心している方を優先することができなくなるのだと思います。

頭で考えないためには、丹誠を籠めた日々の丁寧な真心の実行の積み重ねが必要になります。なぜなら、それが心で決めた方を継続するとも言えるからです。

目には観えないものを大事にするには、心で実行しながら考えるということの積み上げてあるのだと思います。繊細な配慮ができつつ思いやることなど大切にしていきたいと思います。