オープン民主主義

昨日、久しぶりに田坂広志先生の講演を拝聴してきた。
以前、田坂塾に通ったこともありその思想に触れ大きく啓発されたものです。

知らなかったけれど原子力の論文を書き、その業界でお仕事をなさっていたそうで今回の大震災で官邸に招聘されて改革の指揮なども取られていたのが驚きました。

その中で、田坂先生が気づいたこと、何が本当の問題なのかということを生々しい実体験と人生の経験からお伝え頂きました。

そもそも国家の危険はすべてに楽観的空気から生まれます。昨日書いた平和ボケと同じで、どれだけの危機かと叫んでもそんなことはないだろうといった希望的観測を認知することで大切なことが素通りするのです。そして常にそういうことをやっていると、上層部にあるのがわけのわからない言語が飛び交うことです。これは保育や教育の方でも言えますが、語尾を微妙にすることでさもそれで善いのだというように誤魔化します。

大綱化や、何とか状態、直ちにではない、などなどキリがないけれど曖昧な表現をすることで言わなかったとはしないといった責任転嫁の言語体系が蔓延るのです。昨日も書きましたが、それはすべてさ「先送り」と言えばいいのに言わないのです。問題を常に先送りする上層部やリーダーに着いていく国民や部下は大変なことです。

また、物事の最初の情報と最後の情報を隠蔽すれば人はみんなお任せ状態の依存型の関係が発生するのです。根本的に何が問題だったのかをオープンに議論せず、結論としてどうあるべきなのかをオープンに議論せず、いちいち発生することだけを何回も議論してそれも隠れ部屋のようなところで繰り返す。

これに何の意味があるのかと憤慨するものですが、事実はこういう社会になっているのです。

以前、オランダに訪問した際に、子どものときから如何にオープンにしていくか、そして子どもに根本的な問題を投げかけ、そして最終的な問いを遺すようにするという参加型民主主義を見てきたことがあります。

今のクローズされた民主主義では決して話し合いや議論、国民が参加できることはないと私も思います。だからこそ、今こそ社会変革が必要でそれは子ども達も一緒になって取り組んでいく必要があるのです。

私が行う一円対話には、そういうことをすべて凝縮したものを詰め込んでいるのです。
これからもこの世界の行く末を見守りながら、自分から生き方と働き方を変えていくつもりです。

久々に田坂節を拝見でき、あの時の気持ちを思い出しました。
道を歩めばいつのときも「Unfinished Business」。

私も避けずに正面から向き合っていきたいと思います。
有難うございました。