マインドフルネス

マインドフルネスという言葉があります。これは、「マインド(心)」+「フル(〜で満ちた)」+「ネス(状態)」という単語が合わさったものであり、日本語だと「心が満ち足りた状態」と訳されます。

この言葉が一般的な生活を送る人たちのストレス対処策として広まることになったのは、ジョン・カバット・ジン氏の活動によるものです。具体的には「マインドフルネスストレス低減法(Mindfulness-based stress reduction)」という、慢性的なストレス症状を緩和するためのプログラムを開発し、瞑想やヨーガを、臨床医療の現場に適用して、最初に成果をあげました。

このジョン・カバット・ジン氏は、マインドフルネスをこう定義しています。Mindfulness means paying attention in a particular way: on purpose, in the present moment, and nonjudgmentally.」(マインドフルネスとは、意図的に、今この瞬間に、判断せずに、注意を払うこと)と。

これを私が意訳すると「今、此処のすべてにに心を置く意識」ということになります。私も一期一会を座右にしていますから、同じ心境を日々に実践して生きているとも言えます。つまり「人生のご縁を辿り、ご縁に委ね、すべてをお任せする境地。」これは私のメンターである、鞍馬寺の導師からご指導いただいた境地の実践です。

現在、アメリカで有名な世界的企業グーグルがこのマインドフルネスに取り組み注目をされていました。こういうことをするとすぐに宗教だとか敬遠されますが、グーグルでは瞑想やマインドフルネスを「宗教の実践」であるとみなしてしまうのではなく「人間の営み」として見るようにしたとも言います。

今の時代は、頭ばかり酷使して心が着いてこず、忙しさや繋がりが切れた画一的な競争社会でメンタルを著しく傷つけ、心身が病んでいる人が増えています。そして医者も患者も安易に薬に頼り、症状の悪化を停止するだけで現実を歪めてもさらなる不安を招き苦しんでいる人も増えています。このような悪循環は、人間の社會が本来の人間らしい暮らしを奪ってきたからだと私は思います。

人間はもともと自然の一部ですから、自然の速度があるように心の速度、精神の速度、成長の速度があるのです。じっくりと今を歩き、今を内省し、その今の意味を紡ぎながらずっと続いてきた道を自らの足で歩み続けるとき安心します。それを「魂の行路」とも言いますが、人類はそうやって「今」を生き続けているのです。

それを何かしらの影響で行えないからこそ、人は立ち止まりどうしていいのかわからなくなってしまうのです。だからこそ、仏陀は死の直前の遺言として「自灯明法灯明」といって自然の摂理に従い、自らを拠り所にし、自らを生きよといったのでしょう。この「マインドフルネス」には仏陀の言うような人類の生き方を思い出す智慧が入っています。そしてこれは仏陀に限らず、先祖が「暮らし」を通していのちを全うした先人の智慧が入っています。

私にとってのマインドフルネスとは、つまり人間らしい「暮らし」を甦生させていく智慧の一つです。現在、建築中の「BA」ではその理念の源流にこの暮らしの智慧を凝縮させています。

どのように人々の心や精神、体を救済していくか。私の理想をこの「場」に懸けます。人類の方向を換えていくための手段を研ぎ澄ましていきたいと思います。

  1. コメント

    現在は、「仕事中心」の人生であり、多くの仕事を抱えたまま、スピードに追われ、効率主義に振り回され、「自分自身を見失っている人」が多いようです。人間関係でも「人の眼」ばかりを気にし、「他人モード」で一日中過ごしているケースが多いでしょう。「そもそも自分は何をしたかったのか?!」「どのように生きたいのか?!」ほんとうの自分を取り戻す方法として、マインドフルネスが求められているのでしょう。

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