徳の循環

式年遷宮というものがあります。これは20年ごとに社殿を建て替える伝承の取り組みです。今は63回目、次回は2033年に64回目になります。見事に甦生され、いつ拝見しても新しく若々しく瑞々しさが保たれています。まさに永遠の象徴です。

この式年遷宮は、人は変わっても同じ精神・技術・形を何度も新しく活かすという仕組みです。この20年というのが絶妙な期間で、これが100年になれば職人たちも不在になり失われてしまいます。20年に一度というのは、職人の人生であれば3回は立ち会えます。最初の1回目の若い頃は年配のベテランの技術者や宮司はじめ神社関係者に指導されます。2回目、3回目は今度はそれを指導する側として同じことを取り組みます。

いくら同じ精神、技術、形があっても材料も人の環境も気候も価値観もすべて異なります。

それでも永続して初心を守ろうと取り組むところに、甦生の本質があります。

此の世の真理として死なないものは一つもありません。誰もが産まれては老い、死にます。死なない存在はありません。それがこの世の摂理です。だからこそ、人は死なないことを永遠とするのではなく「循環」することを永遠と定義したのでしょう。

循環し続けても、本質は守り続けるという実践。

日本にある老舗はみんなそれを守っています。式年遷宮と同じことをずっと繰り返しているのです。私の友人の会社や寺院も何世代も続いているところがあります。今でも何百年前のままに老舗を経営しています。

時代は廻ります。

たとえば、戦争の時もあれば平和な時もある、あらゆる天災人災に遭います。しかしそうであってもその時々の人が初心を守り本質を維持していたから今でも元氣に若々しく経営を続けています。それはそれぞれの老舗が「循環」を守ってきたからです。そしてこの循環には思いやりが必要で、次世代のためにと生きた先人たちの存在が不可欠です。

それを私は「徳」と呼びます。

徳が循環するというのは、永遠に甦生するという知恵の伝承なのです。

引き続き、人類、および子どもたちが安心して暮らしていける世の中になるように残りの人生も真摯に働いていきたいと思います。

丸ごと治す

今年、韓国の智異山に訪問している中で許浚(ホジュン)という人物のことを深めました。この方は朝鮮王朝中期の名医・王室医官で、韓医学の古典『東医宝鑑(とういほうかん)』を編纂した人物です。この『東医宝鑑』は1613年に刊行され、アジアをはじめ日本にも伝来し大きな影響を与えた書物の一つです。2009年にUNESCO「世界の記憶」に登録されました。

このホジュンは王を診た名医だっただけでなく、民衆のために医学知識を体系化し、薬草や治療法を使いやすくまとめたことで朝鮮の養生文化が醸成されました。一部の特権階級でしか受けられなかった医療や、専門書や中国にしかない薬草を身近な朝鮮の山野草に変換、翻訳され、また民間療法や未病につながる生活習慣の改善の仕組みまでも記されます。これにより韓国料理のナムルのように野草を日常から取り入れる習慣や微生物を活用した発酵食などにも大きな影響を与えたのではないかと私は思います。まさに医食同源の実践です。

ホジュンが編纂した『東医宝鑑』では「病気になってから治すのではなく、病気にならない生き方を大切にする」という思想が入っています。つまり人の健康は薬や治療だけでなく、食事、睡眠、呼吸、心の持ち方、人との関係など、日々の暮らしそのものによって育まれると考えられています。これは私の提唱する暮らしフルネスの実践とも一致しています。

畢竟、人間の暮らし方が変わらなければ本質的な病はなくなりません。いつまでも病気になるような生活を続けてその対処療法ばかりをしていても、根源的な人間性の甦生、つまり人が本来持っている力や幸福感が発揮される暮らしが調わなければ真の健康とはいえません。病を治すと同時に、どう人を治すか。教育とか医学とか、分類わけされていますが本来は「人間を自然に調える仕組み」のことです。

むかしから医者には「小医は病を治し、中医は人を治し、大医は国を治す」といいます。ホジュンという人物はまさに養生文化によって民衆の未病を促すまさに大医の実践をした方のように思います。大医は場を通して人間を丸ごと治していくのです。

人間の生き方や働き方を調えることは、まさに養生をすることです。保育の世界にも養護という言葉がありますが、これは養生から発生した言葉です。養生を守るということです。見守ることの大切な要素の一つです。

何かを足すのではなく、もともと具わっているものを甦生する。つまり徳や天分を引き出すような環境、場づくりをするということです。それによって自然に育つ力が発揮されるということです。

本来、人間に免疫力が具わっているように自然に人間性も回復していくものです。そしてそれは暮らしが土台になっているのは歴史が証明しています。真の豊かさは、養生からはじまるのでしょう。

自分を養生することは、周囲を養生することになります。場が調和していけば、自然に養生される人々が増えていきます。私の尊敬する二宮尊徳もまた大医の実践者でした。

時代や国を超えて、大医の実践から學ぶことばかりです。

螺旋の道

明日は、英彦山守静坊で法螺貝を七神お渡しする儀式をします。誓願した法螺の五百羅漢を目指し、いま七十四羅漢になりました。ますます法螺を通した波動は揺れ螺旋の繋がりが広がりより中心への思いの結びつきは強くなります。

法螺の意味は、「螺旋の真理」という意味です。ではこの螺旋の真理とは何かということです。螺旋というものは、宇宙の姿であり、星々の姿であり、意識や生命の姿です。そして分子や量子の姿でもあります。波動は揺れていますが、それを纏めているのが螺旋です。

つまり波動がカタチになったものが螺旋ということです。

例えば、空気中の風は揺れています。しかしそれが纏まるとき、台風や竜巻になります。海や川などの水も同様です。流れがありそれが揺らぎ螺旋になることで調います。時が動けば波動、空間や場が螺旋です。

最近は、脳科学でも螺旋波というものが見つかり私たちの脳の認知や意識は螺旋上に信号を送ることで纏まるといわれます。心臓も単なるポンプをするのではなく、螺旋状に包まれた筋束が螺旋のように呼吸をして血液や酸素を全身に巡らせているというものです。つまり螺旋はマクロ宇宙からミクロ宇宙まで全て網羅しているあらゆる真理の姿です。

此の世の全ての神秘には、波動や螺旋が深く関わっています。古代より人々は螺旋の力を発見し、紋様をはじめあらゆる暮らしの中心に螺旋を取り入れてきました。ある部族は、蛇を象った螺旋の踊りをすることでいのちを蓄えました。またある宗教では螺旋はすべての神人合一の象徴としました。陰陽道やタオといった道もまた、波動と螺旋が顕現したものとされました。

法螺貝を持つということは、螺旋の道を実践するということでもあります。

人は日々の生活の中で様々な感情を持ち心を調えます。この瞬間瞬間の一期一会には、波動と螺旋が深く結びついています。微細な揺れから大きな揺れ、それを自己内省によって螺旋にして調えます。

私たちが「調っている」という状態は、螺旋になっているということです。そして調うとは、成長すること変化すること、シンプルに言えば「旅をする」ということです。宇宙を太陽系の星々と共に螺旋しながら旅をするように、私たちのいのちは螺旋の道と一緒に歩みます。

法螺貝を吹くとき、私たちは螺旋になります。

螺旋になるということは、あらゆるものを一円和合して成長して真に自己に氣づくことを繰り返すということです。

何度も何度も繰り返し同じことをしても、必ず前と同じ円ではなく螺旋となるという法則。そこに絶対的安心を直観するから今でも法螺貝は人々と共に旅を導く存在として大切に守られ人類のお導きの存在、宝ものになっているのでしょう。

宇宙自然、全体調和、波動の中で旅をし、螺旋の道を究めていきたいと思います。

英彦山枝垂れ桜の物語

英彦山の守静坊の枝垂れ桜は少しずつ開花をはじめています。この唯一無二の枝垂れ桜の物語を少しご紹介してみようと思います。

もともと守静坊のしだれ桜が英彦山の地に植樹されたのは今からちょうど二百三十年年前のことです。この頃の英彦山には約三千人以上の修験者たちが英彦山の中で暮らし宿坊も八百坊ほどあったといわれます。当時の英彦山はとても参拝者で賑わっており、坊家の山伏たちは薬草で仙薬をつくり、信仰者へのお接待やご祈祷や祭祀、護符の授与や生活の知恵の指導などを生業として暮らしていたそうです。

時代の変遷を受け、今はその様子は失われていますがその当時の面影のままに今でも清廉に咲き誇る「しだれ桜」が守静坊の敷地内にあるのです。時代を超えて生き続けている存在の御蔭さまで私も甦生に取り組むことができています。

この守静坊の枝垂れ桜の特徴は、「澄みきった可憐さを持つ花びらと、鳳凰のように羽を広げた姿はまるで今にも飛翔していきそうな姿」です。実際には樹齢二百三十年以上、高さ約十五メートル、幅約二十メートルほどあります。

品種は、「一重白彼岸枝垂桜」といいます。この名前には日本人の自然観と死生観がある象徴的な桜ともいわれています。この「彼岸桜」は、春のお彼岸の頃に咲くことから名付けられ、此岸(この世)と彼岸(あの世)をつなぐ存在として、古くから先祖供養や浄土思想と深く結びついてきました。

そして「枝垂」は枝が下へと流れるように垂れる姿を指し、その形は水や柳を思わせ古来より霊性や神聖さを帯びるものとされ寺社に多く植えられてきたものです。純白の透明感のある「白」は清浄や浄土を象徴する色であり彼岸という概念と重なることでより一層あの世への祈りや鎮魂の意味が入ります。

また「一重」は花びらが簡素で原初的な形であることを示し人の手による装飾性よりも自然そのものの美しさを宿しているともいわれます。これらすべてが重なり合ったという意味で「一重白彼岸枝垂桜」という名前になっています。

この世とあの世の境界に静かに佇み、亡き人への想いをそっと託すような、日本的精神性を体現した桜がこの守静坊の枝垂れ桜なのです。

そして言い伝えでは、江戸時代の文化・文政年間に(1804年~1819年)に当時の守静坊の坊主である守静坊普覚氏が二度ほど、英彦山座主の命を受けて京都御所へ上京しました。その時、京都祇園にあるしだれ桜を株分けしたものを持ち帰りこの英彦山に植樹したといいます。

昨年、故あってちょうど福岡にお越しになっていた平安時代末期から続く公家の家職であり代々宮中の装束を担当してきてこられた若宗家の山科言親様に浮羽の私が甦生している古民家でお会いするご縁をいただきました。その時に「元々は祇園桜の発祥は、京都円山公園にある山科家の宿坊の敷地内にあった枝垂れ桜だったんです」というお話をお聴きしました。その時の出会いの感動は大きく、時代を超えて桜を通して繋がる人々の関係があることに感謝したことを今でも覚えています。

守静坊ではこの枝垂れ桜の開花時期に、英彦山と場にご縁のある方々や檀家さんたちが集まりご先祖さまの供養を行う年中行事その後に行われてきたという伝承があります。それを新たに甦生して、今の時代に本質は変えずに桜を喜ばせるような年中行事「サクラ祭り」として私が実施しています。

昨日も大量の落ち葉を桜の養分にと作務をしていたら何処からか桜を観に来る方やお花見のお電話が入ってきました。どの方々もこの守静坊の枝垂れ桜を観て感動した、魂が震えた、桜との出会いが忘れられずにまた来たいと足を運んでおられました。

桜は凛としてただ自分の花を精一杯に咲かせているだけですが、その姿そのものあるがままの徳が人々の心を癒し清め、繋がりを保ち今でも心を救っています。

私もこの枝垂れ桜のように生きたいと、人生の大先生と慕い桜守をさせていただいているところです。きっと満開と見頃は今週末から来週末くらいまでではないかと思います。

英彦山はちょうど上宮の工事も終え、お山も次第に調ってきました。桜と共に皆様にお会いできるのを心から楽しみにしています。

https://www.crossroadfukuoka.jp/event/15519

場と道

「場が育つ」という言葉があります。植物や動物をはじめすべてのいのちが育つように、場も育ちます。この「育つ」という言葉の語源は、赤ちゃんが産まれることの会意文字でもあり、日本の古語の「生ひ立つ(おひたつ)」が由来だともいいます。つまり「時間をかけて成熟していく」ということです。

植物であれば、最初に土を定めそこに種を蒔きます。すると新芽が出て花が咲き実をつけては種になります。この自然の循環そのものが時間の成熟です。そしてそのいのちのめぐりそのものの働きを場とも呼びます。

場が育つというのは、自然全体で行われている循環が場に凝縮され顕現するのを実感するということです。

そしてその場の中には、人だけでなく風土や暮らし、そして歴史や文化、伝統や伝承などあらゆるものが有機的に結ばれて離れているものがない状態が繋がっています。その分けられていない、一物全体のような境地を「場」と私は呼んでいます。場は言葉で語れるものではなく、場で感じるものです。

場には道があります。

この道とは、歩んできた道のこと、つまりは時間をかけて成熟してきた道のりのことでもあります。人間は、視野を広げ、意識を高め、宇宙をはじめ全体と結ばれ、心を磨いて徳を調えると「道」の存在に氣づくものです。

道を感じるための入り口には、必ず「場」があります。

そして場を感じるのには兆しがあります。この兆しは、木々が清々しい花として変化したり、風や空気感が変化したり、水が綺麗に澄み渡ったり、光が揺らいだりといった自然現象の変化として顕れます。

人間は理想を抱き、謙虚に先人たちの遺徳を継承し、丁寧に誠実に実践を積み重ねるときに場の種は次世代へと蒔かれていくものです。

子どもたちのためにも、脚下の場を調えるような実践を積みかさねていきたいと思います。

ということで、来週は徳積堂(飯塚市有安)のある鳥羽池(八龍権現池)の桜から場を学び、再来週は守静坊(添田町英彦山)の230年の枝垂れ桜から道を辿ります。

この場と道に、ご縁のある方々のご参加を心から楽しみにしています。

むかしの五穀田

先日、故郷でついに農業委員会の許可を経て正式に農業を営む人になりました。そして2026年3月5日、無事に新しくご縁をいただいた田んぼで初心と覚悟を魂串に載せて綱分八幡宮の宮司様と一緒に「地まつり」を行いました。美しい棚田と霊山関の山を仰ぎ、澄み切った風がお山から吹き下ろされ一期一会の清らかで純粋なお時間を過ごすことができました。

このような素晴らしい風景がある場所の田んぼとご縁をいただけたこと、心から地縁神恩に深く感謝しています。

ちょうどこの場所は今から5年前に江戸時代の古民家を甦生した「和楽」(わら)があります。懐かしい未来の和の暮らしを実践する暮らしフルネス道場の一つです。この歴史を生きる古民家和楽とその庭先にある田んぼがきっと子どもたちの未来に確かな徳を智慧を伝承してくれることと信じみんなで予祝をしました。

5月の田植えころには、徳が循環する結づくりのコミュニティの仲間や縁者の皆様といにしえから続く音や楽、そして食や幸福を感じる神事を実施する予定にしています。

思い返せば、私が無肥料無農薬のお米づくりをはじめたのは2011年の東日本大震災の時です。もうすぐ3月11日、いつまでも大切なことを決して忘れない日と決めているこの日が近づいてきました。あの震災を私は東京で被災し、多くの犠牲者がでて天災と人災の違い、悲しみから犠牲者の追悼をしました。今でもあの体験を、あのメッセージを受け取った一人として忘れないぞという覚悟で田んぼに向き合ってきました。

そこから千葉県神崎にある神崎神社の麓にある田んぼをお借りして14年間無肥料無農薬でお米づくりを自然酒の寺田本家の酒米をつくっていた見事な農家さんと共に歩んできました。そして昨年、福岡県朝倉にある大己貴神社の麓にある田んぼをお借りしそこで仲間たちにお声がけして一緒に無肥料無農薬で手植え手刈り稲架かけでお米をつくりました。そしていよいよ本年から福岡県飯塚市(旧庄内町)にて田んぼを取得しこれまでの集大成としてこの場を天命と定めました。

田んぼの命名は「むかしの五穀田」としました。

これはこの地域の氏神様が五穀神社であることからです。

この五穀は古来、日本の食文化の根幹をなし、米を中心に麦・粟・豆・黍(稗)などが挙げられました。日本人の精神の真髄その根源には常に『五穀豊穣を祈る』文化があります。

むかしとは、懐かしい心の風景のことをいいます。

古代より今まで私たちは生きるために食べてきました。食べるというのは、ただ食事をすることをいいません。共に仕合せに生きるために、共につくり、共に生き、共に助け合い、共に笑い合い、共に暮らす、共生と幸福の原点をいいます。

むかしから変わらないもの、変えてはならないもの、それを守ることが、子孫やこの地球の人々の過去と未来と今を見守ることにもなります。

世界が渾沌として戦争前夜のような重苦しい空気の中であっても、どう生きるか、どういう生きざまをするかは自分で決めることができます。

日本には「和合」という言葉があり、「和楽」という生き方もあります。

和をもって尊しとなすといった、聖徳太子、そして和の系譜を生きた尊敬する先人たちの先達者たち。その方々に恥じない生き方ができるようにこれから私も人事を盡して天命を喜ばせていきたいと思います。

これから「むかしの五穀田」を甦生して日子山を中心とする大和のクニから続く願いと祈りをしめ縄のように結っていきます。

皆様のご参加、賛同を心から楽しみにお待ちしています。

 

お水への感謝

浮羽の老舗兵四郎のお披露目会で古民家甦生の報告をすることができました。思えば、2年半の間、お水に見守られた有難いご縁になりました。浮羽は、大雪で吹雪いており時時に美しい太陽の清々しい光が舞い降り場を照らしてくれました。

今回の甦生で一番思い出に残っているシーンは、井戸掘りだったのは間違いありません。1年半もかけて、ずっとお水が甦生するように祈り、何度も井戸に入り、井戸に祈り、井戸を掘る職人と一緒に誠実に盡しました。最初は、井戸のあった場所が見つからず、周辺を何度も数メートルほどみんなで掘りましたが出てこず、諦めた頃にむかしの井戸であっただろう掘り穴が出てきました。またその井戸が空気抜きがされていないこともわかり、苦しかったであろうことも感じご供養祈祷をしました。

そこから砂や土を取り出し18メートルほど掘っているとお水が湧きました。そのお水が透明で美しく、顔を洗い口に入れるとその清らかさに感動して泣いていました。これだけ長い時間をかけて井戸を掘った理由は、井戸職人さんの体調をはじめ、道具を集めたり、無理せずに日を選んだり、定期的にご祈祷をして穏やかに取り組むようにしたこともあります。

井戸を掘っている間は、常にお酒やお塩、法螺貝を吹いては事故や怪我がないように祈り続けました。不思議なことに、一番奥ふかい場所から一つの勾玉のような石が出てきて台座もありました。誰かが井戸を埋める前に、安置したのではないかとし今でもその石と台座を大切にお祀りしています。

また井戸検査も見事な結果で、もちろん飲用もでき水質は近隣の名選百水の清水湧水に勝るとも劣らないほどです。

お水は調理や生活するには十分なほどの水量もあり、これから老舗兵四郎の店舗で用いられます。お水がまた流れはじめ、暮らしの中で循環すると思うと感無量で言葉にできません。

私たちはお水があってこそ生きていくことができます。

あまりにも身近にありすぎて、感謝をする機会も減っているように思います。しかし私は有難いことに井戸を掘る機会に恵まれたことでお水が湧きでることの本当の有難さを學ぶご縁をいただいてきました。

此の世のどのようなものよりもお水が尊い存在であることも井戸が教えてくれました。

昨日は、井戸の蓋を開けありがとうございますと話しかけました。清らかにあがってくる空気を感じながら、お酒を法螺貝に汲んで井戸と酌み交わしました。波動や鳴動で振動を揺らすと、余韻が場の全体に響き渡ります。

甦生したお水と古民家が、子どもたちの未来に向けて徳を発揮し、豊かさや喜びが場に満ちることを信じて蓋を閉じました。

一期一会の井戸とのご縁に深く深く感謝しています。

ありがとうございました。

老舗兵四郎の甦生

浮羽の古民家がお披露目会の準備に入りました。思えば、2年半もかけてたくさんの方々のお力をお借りしてここまで甦生できました。本当に感謝しかありません。最初に、叔父さんからお声がけがありこの古民家はどう思いますかと尋ねられました。その時、素晴らしい古民家ですよとお伝えしてから今があります。

古民家がどう素晴らしいかというのは、役割をまだ持っていてさらに生きようとする意志が家にあるということ。同時にその主人がその意志を活かそうと覚悟を決めていること。このふたつさえあれば、私は甦生できますと応えます。

もちろん、実際には取り掛かろうとするとあらゆる問題が山積みでちょっと手軽にや、片手間でなどできることではありません。まさに全身全霊、身を粉にして取り組みます。その理由は一緒に取り組んでくださる職人さんたちにとっても大変な仕事で、できないことや無理なことばかりを要求することが多くなるからです。

具体的な無理な要求とは、そのものを活かしてほしいや、できる限り壊さないこと、目的や理念から外れないこと、我を出さず家の声に合わせてもらうこと、禍転じて福にしていくような働き方で取り組んでもらうこと含め、様々な注文を出していきます。

だからこそ、それを言うあなたはどうなのか、その背中はどうなっているのかの信頼を姿かたち実践で共感してもらい安心してお志事に取り組んでいただく必要があるからです。

しかしそのプロセスを通して、一緒に苦しみ、一緒に歓び、一緒に智慧を出し、一緒に感動し、一緒に感謝するという場が産まれます。そういうことの一つ一つが、実を結び、最期には生き方のようなものを纏った家や場が完成するのです。

そして生き方を纏った家はまるで生き物のようにそこで暮らしをはじめます。その暮らしを共に生きるのがその場の主人と家族です。

物語は新たに続きだし、永遠となります。

つまり甦って生きるということ。

これらの日々の記憶は、真摯に真剣に至誠を生き切ったからこそ語り継がれます。

この浮羽の古民家、老舗兵四郎が日本をはじめ世界の子どもたちの成長を見守る偉大な存在としてこの先も甦生し続けることを祈念しています。

 

場

私たちは生き方が場に顕れてくるものです。どのような人がその場所でどう生きたかは、よくよく観察すると場に顕れます。そしてその場が残るのは、その場に生きた人たちが遺したものによっていつまでもいのちが継承されていくのです。

私は場道家として、場をつくることが本志です。

場をつくるには、場を調える必要があります。場を調えるにはまず場を澄ますことからはじまります。場を澄ますには、自分が場と同化して自己を澄ます実践が必要です。つまり、場と自己を磨き続けるという精進があってこそです。

では何を砥石にして場と自己を磨き続ければいいか。それは自我よりも偉大な存在に対して素直に従い、すべてを選ばずに承りながら道を歩む時に砥石は顕現します。この砥石は、かんながらの道でありあるがままの天命を生き切るときに自然発生してくるものです。

なので、正解もなく、固定もなく、思い込みもありません。ただあるがままの道を歩んでいるということです。

畢竟、人生というものは誰にでも誰にしかないものがありその使命を盡していのちを全うする存在そのものです。ただし、どれだけ透徹された透明さであるか、どこまで澄み切れたかというのはそれぞれに異なります。

自分の生れ落ちた場が選べなくても、自分の場を澄ませて透明にしていくことはできるということです。

いのちが透明であるというのは、いのちの正体を生きるということです。

場はそういう時にこそ、はじめて自他一体になり神人合一の境地に入るように私は思います。場と一体になるというのは、宇宙そのものであるともいえます。

引き続き、場を學び、場と歩んでいきたいと思います。

老舗をつくるとは何か

ブランドというものは、何かと考えてみるとそれは「信頼」であることがわかります。信頼は商売のすべての根源であり根本です。老舗と呼ばれるすべての会社が、長い期間を経て得ているもの、それが信頼であるのは間違いありません。

その信頼をブランドと私は定義しています。この信頼を育てるというのは、生き方を磨いて生き方を貫くということです。生き方を貫いているから、周囲はその人を信頼します。そしてその目指す目的を絞り、その絞った目的に向かって全社員で取り組んでいるからこそ会社もまた信頼されます。

つまりブランドというものは、長い期間をかけてお客様をはじめ社員、および周辺の人々と自分たちの取り組む生き方を通して感情的なつながりを築き形成されるものです。

そしてブランドが失墜する時というものは、その信頼が壊れる時です。どのような時に壊れるかといえば、一つは短期的なものばかりに囚われ長期的な目的を蔑ろにする時。または目先の利益ばかりを追いかけて、本来の目的を忘れる時です。老舗で信頼がある企業は、不易流行をよく判断し、何を変えていけなくて何を変えていいかがよくわかります。さらに言えば、不易というのは長期的な理念であり流行は世の中のニーズやシーズに合わせて自分たちの持ち味を活かし、全体が喜ぶような仕事にしていくということです。

私はよく法人を人格として観て、理念のある会社を一人の人間として捉えその会社が喜ぶかということを純粋に取り組みます。これは、理念が喜んでいるかともいえます。理念が喜ぶために何をすることが最も効果があるのか、そして長期的に観て何を取り組むことがその理念を最も喜ばせることができるのかを考えます。それに気づいた人たちやその仕事に携わる人たちが近い将来、必要とするであろう長期的で必要な目的に取り組むのです。

それを世の中ではブランディング戦略とも呼ばれたりします。つまりブランドは、目先の短期的なものに左右されず長期的な目的に従っている時にこそ醸成され周囲に認知されるということでしょう。

ブランドを持っているものと持っていないものの違い、信頼されるものと信頼されないものの違い、長く積み上げていくこと、積み重ねていくこと、研ぎ澄まされていくこと、盤石な基礎を固めていくこと、それがブランドを創るということでしょう。

一見、利益にもならない、儲からない、あるいは手間暇もかかり面倒で趣味や道楽だといわれるようなものでもよくよく洞察するとこれが長期的な信頼であると御旗を掲げて歩んでいることがわかります。

長いからこそ理解できず、純粋性で高い理想や理念に対して思いが透徹しているからこそ老舗としての初心が育ち、それが養分となり大樹になっていく土が醸成されるのでしょう。

ブランドは土づくりととても似ています。収穫を考えず、ただ只管に土をよくするためにいのちを懸ける。しかしその懸けた土があれば、その後にどのような作物の種を蒔こうとよく育ちます。それを私は「場」とも言います。場を育てるというのは、土をつくるということです。

農の本質は、国造りであり人づくり、そして未来のための土づくりです。

そろそろ集大成、遺言のようにこの文章を刻んでいきますが後を託す人たちのために自分にしかできないことを遣りきっていきたいと思います。