原風景と風土の徳

昨日、千葉県神崎にあるむかしの田んぼで田植えをしてきました。みんなで協力し、田植えをしお昼には昨年の新米で手巻き寿司をつくりみんなで和気あいあいと語り合いました。天気もよく、食材も地元神崎の発酵したものばかりを食べ、この田んぼで作られた酒米や甘酒などを飲み心も体も仕合せな時間を過ごすことができました。

「和」とは何かということを頭で考えて勉強をする人もいますが、本来の和とは「和」という言葉が先に生まれたのではなく和があって言葉ができたのです。その和を体験するためには、むかしからの原風景の中で原体験を得るしかありません。今の人たちはすぐに頭で考えて先に答えを出して、その中で価値があるものやメリットがあるものだけを取捨選択しようとする傾向があります。

体験することの価値が失われていることが残念で、本来は体験の中でこそその意味や言葉の価値を知るのが真実です。映画館の中で外から眺める人生ではなく、中に入って一緒に味わっていく人生の価値というものは和の醍醐味の一つです。

話を戻しますが、世界人口の約半数の人たちが食べるお米は地球上ではとても重要な役割を果たしています。特にアジアは米食文化で、様々な伝統行事や神聖な祈りなどもお米を中心に行われます。元号が変わる今年は、新嘗祭といって今までの稲の種を次の代へと引き継がれる大切な行事が行われます。

それだけ私たちにとって稲作というものは、この日本の風土の原風景であり、先ほどの田植えは日本人の原体験であるのです。

この原風景とは何か、辞書には「人の心の奥にある原初(一番最初)の風景。原体験から生じるさまざまなイメージのうち、風景の形をとっているもの。今はなくなってしまった、子供の頃の記憶のような風景。様変わりした現実の風景に対して、本来そうであっただろう、懐かしさを覚える風景。」と書かれます。またほかの辞書には「原体験におけるイメージで風景のかたちをとっているもの。」と書かれます。

私にとっての原風景の定義とは、「本来の風土の景色」ということです。もともとはじまりがどうであったか、この風土にしてこの景色ありということです。それは東南アジアの風土であればこの風景、北欧のこの風土であればこの風景、アフリカの風土であればこの風景というように、その土地が自然そのままあるがままの風景になったものということです。

現在は、風土に合わない様々な異文化が価値観のコントロールによってそれぞれの場所で展開されています。すると、原風景から遠く離れた光景が現れます。例えば、アフリカの真ん中に巨大なピラミッドがあったり、北欧にバンブーハウスがあったり、日本でアフリカの服装をしていたらすぐに原風景ではないことは気づくはずです。

つまり風土の中に人間も一体になり調和するとき、私たちはそれを懐かしいと感じ、原初の魂に触れているのです。こうやって風土に学び風土となることは、私たちの人生に大きな影響を与えていきます。

それを「懐かしい」という感覚で表現しますが、これは心に原風景を持ったということです。それを別の言い方では故郷を持つとも言います。風土が故郷になり、私たちはそこから出て故郷の価値を再認識し、どのように故郷と調和を続けるかを自覚します。そうやって自分の体や心を創ってきたもの、自分というものを育てて形成したものへの感謝や尊敬が自分の自信や幸福感を満たしていくのです。

当たり前すぎて語られることも少なくなりましたが、この風土という絶対的な価値に気づいている人は少ないように思います。

子どもたちもまた風土の化身であり、風土の景色です。

その風土の恩恵や徳を譲り遺していくためにも、私は子どもたちのために人生を使っていきたいと思います。

 

 

洗練された伝統の美意識

以前、埼玉県にある小江戸川越を散策したことがあります。この小江戸とは「江戸との関わりの深い町」「江戸の風情を残す古い町並みを残している町」、「江戸のように栄えている」という意味で使われています。

特に印象的だったのは、鏡のように磨かれた黒漆喰が塗られた土蔵造りの古民家の街並みのかっこよい姿です。この小江戸川越で黒漆喰で塗られている壁を「江戸黒」と呼びます。

そもそもなぜ土蔵造りにしたのかというと、それだけ江戸では火事が多かったということです。これは江戸に限らず火事のあった街道筋では土蔵造りの古民家を多く見かけます。私の古民家甦生で手掛けている福岡の長崎街道の飯塚宿幸袋や日田街道の比良松も明治頃の火事によってほとんどが焼失し土蔵造りが多くあります。これもまた火事対策のためです。むかしは放水などがなく、木造住宅が火事になった場合は周りに燃え広がらないように風向きをみて周辺の家を壊すしかなく対策がありませんでした。土蔵にすれば、その家には燃え移ることもないので土蔵造りが増えたのです。蔵の原理と同じで、土は燃えないという理からです。

そしてこの小江戸川越もまた、明治36年の大火でほとんど焼失し今の土蔵のほとんどが明治36年以降に作られたといいます。通常なら白い漆喰で塗られるのですが、なぜ黒漆喰なのか、それは「渋さ」を愛した江戸っ子ならではの粋であったからだとも言います。

しかしこの黒漆喰は、通常の漆喰よりも高価で手間暇が非常にかかるため現代で黒漆喰で壁をやるというのは費用も含めほとんど不可能に近くなっています。この黒漆喰は菜種油を燃やして取った油煙を漆喰に混ぜて漉した「黒ノロ」と呼ばれる塗料をまずつくります。そして表面に塗り込んで仕上げていきます。そしてその漆喰を塗り終えた壁に薄く塗り表面が固まってきたら布で磨くという作業を行います。さらに岩石を粉状にした砥之粉(とのこ)を打ち素手で鏡のようなつやが出るまで徹底して磨くという非常に手間がかかる作業でつくるのです。

今でも輝き続ける江戸黒の美しさは熟練の伝統左官職人の技と時間が惜しみなく注ぎ込まれたものなのです。

この「粋」という言葉は、江戸時代に生じた言葉で江戸の美意識や心意気を指すものです。そこから身なりや振る舞いが洗練されていることを言いました。つまりシンプルに言えば、「洗練されたもの」ということでしょう。そしてそれを「渋い」と尊称したのです。

私もこの日本の黒が持つ、深い渋みや洗練された色合いが大好きで身の回りのほとんどに黒を用います。私が黒を愛する理由は、炭にはじまりましたが夜の闇に火を灯した漆黒の美しさやぬくもりに感動してからです。

今度は、そんなに古くない古民家を手掛けますが温故知新された伝統和モダンの民家を私なりに深めてみようと思います。

 

 

後悔のない働き方

現在、働き方改革などといわれて時間を短縮したり業務をIT化したりと具体的なところばかりがフォーカスされますがそもそも働くとは何かということを議論されていることが少ないように思います。

世界には色々な働き方があり、それと同様に多様な生き方があります。生き方の方を尊重されている社會であれば、自ずから働き方も尊重されるはずですが残念ながら日本ではあまりそれがないように思います。

幼少期から画一的に規格内の平均値を設けられ優劣を相対評価によって集団に埋没するように教育を施されてきていますからなかなか個人でもそれを超えて新しい生き方を優先することはできません。周囲も応援してくれているというよりは、全体的な諦め感というかどうせ無理という声の方が多いように思います。

または自分とは分けて、有名人だからとかお金持ちだからとできない理由を恵まれた環境のせいにしていたり、自分の不憫な環境のためにという言い方もします。

果たして本当にそうでしょうか。

私はよく周りから新しいことに挑戦して日々に濃い人生を送っているといわれることがあります。現に一緒にいる人は、密度が高いから大変といって嫌煙されることもあります。しかし同時に楽しかったや充実しましたと喜ばれることの方が多いように思います。

その理由は、後悔のない人生を送りたいと思っているからです。よく後悔しない生き方をしたいという人がいます。この後悔しないことがつまり生き方であり、日々に後悔しないような仕事の仕方が働き方になるのです。

そもそも何のために働くのか、それは何のために生きるのかです。

だからこそ働き方改革とは、後悔のない働き方を選択していけば自ずから改革は進んでいくのです。残念ながら後悔する働き方をしているのが日本の大多数の現状なのかもしれません。では何が後悔するのか、一度、それを検証してみる必要を感じます。

目的がはっきりすればするほどに、人生は濃く充実していくものです。

働き方を子どもたちに伝承していけるように後悔のない仕事を楽しんでいきたいと思います。

 

本質を愛する人間~何のために生きるのか~

私は、こだわりが強いと色々な方に言われることがあります。この「こだわる」という語は、もともとは「ものごとがどとこおる」「つっかえる」など執着を表す言葉でした。国語辞典の大言海では、少しという意の「こ」に差し支える、支障があるという意味の「さわる(障る)」が転じた「たわる」という言葉だともいわれています。

つまり「こだわりが強い」とは、執着が強いと訳されるのです。しかし、よく料理人のこだわりや、職人のこだわりなど、妥協も一切なく本質を徹底するために削れるものはすべて削り落とすほどの熱意や情熱を傾けたものもまたこだわりが強いといわれます。

そのほかにも、オタク気質や誰にも評価されなくても自分の道を貫き通す人にもこだわりが強いといわれます。

このこだわりという言葉は、決してマイナスなイメージだけではなくプラスのイメージもまたあるのです。特に私は、本気の仕事に携わるとき本気の人と一緒に働くことに喜びと幸せを感じます。それはこだわりがある人たちだからであり、本質を愛する人たちだからです。

だからこそ私にとっての「こだわり」とは何かと定義すると、「本質かどうか」にこだわっている人ということです。つまりこだわりが強いという言葉の同定義は「本質的である」ということです。

限りなく本質に近い人、本質そのものが観えて本質のままに仕事を遂行する人はみんなこだわりが強くなっていきます。何にこだわっているのか、それは本質にこだわっているのです。

例えば、何かの物事があったときそもそもの目的から必ず考えます。その上で、何がもっとも目的に適ったものか、そしてどのようにその目的とプロセスを合致させていくかと目的から離れることはありません。

一般的には、すぐに他人の評価や、世間の物差し、業界の常識や過去の経験則、もしくは保身や楽を選ぶことから本質から離れていきこだわりも薄くなっていくものです。しかしそんなことをしていたら目的を見失い、結局は無難なものを選ぶことがもっとも最良という判断を持ってしまうものです。

それでは何のためにやるのかというこだわりを捨てなくてはなりません。私は何のためにやるのかさえ失わなければ、特にこだわっているものはありません。周りがこだわりが強いという反面、私自身はこれだけはというものや優先順位の高いものだけは決して妥協しませんが、それ以外は特にこだわっていることはほとんどありません。

こだわりが強いのは本質や目的だけで、あとはこだわりは薄いのです。

今更ながら、このブログを書きながらも私は目的にしか興味がないことに気づいていますからやっぱりこだわりが強い=本質を愛する人間なのかもしれません。

引き続き子どもたちのために、この日々のブログも精進していきたいと思います。

変化と調和

人にも個性があるように道具にも個性があります。それぞれの個性があるからこそ、その個性をどのように配置し活かすかはその活かす側と活かされる側の調和が必要です。その調和が居心地の善さを生み、全体に安心に満ちた豊かな空間ができていくのです。

そしてその豊かな空間は、四季折々において変化します。家であれば和室を彩る様々な冬の道具たちから季節が変わり夏の道具たちに変わっていくように、それぞれの配置も、そして活用方法も変わってきます。

日本人には「見立てる」という文化があり、それまでの使い方を別のものに見立てて活用したりする創意工夫の感性があります。例えば、水差しを花瓶にしたり、和紙をお皿にしたり、あるものをいかようにも見立て直して活用するのです。

人も同じく、時代が変わり季節が変われば活用方法も変わってきます。本人たちにとっては居心地が善い場所から動きたくないという意思もありますが実際に時代が変わり季節が廻れば、新しい場所を探すか、見立て直して変化をするか、役目が出るまでじっくりと待つしかありません。

その時に如何に全体に調和するかは、道具であれば道具の寛容性や柔軟性、人間であれば素直さが大きな影響を与えるように思います。どのような状況であったとしても、お役に立てるのならと素直な姿勢の生き方をしている道具や人はどのような状況の変化の中で大きな役割を果たし調和してくれるからです。

道具も、いつもと異なる使い方をされていても役に立てる喜びに仕合せそうな雰囲気を感じます。その証拠に使われている道具はいつも磨かれ、手入れされキラキラと輝いて存在感が増していきます。愛着が湧き、またつかわれるという好循環です。

一生懸命にいる場所を照らす、この生きる姿勢が全体調和や全体快適になり自分も活かし全体を活かす生き方になっていくようです。

時代が変わり、季節は大きく変わります。私もあといくつの季節をこの世でみんなと一緒に過ごせるかわかりません。しかしご縁があった仲間たちや道具たちが、出会えてよかったとお互いに感謝し合えるような絆を深めて豊かな生を全うしていきたいと思います。

子どもたちにつながる生き方を譲り遺していきたいと思います。

ご縁を伝える

先日から英国の方が聴福庵に来られ、暮らしを味わっていただいております。ひょっとすると私以上に、日本の文化や古いものに興味がある方ですべての道具や環境に感激され一つひとつを感受され喜んでいただいております。

奥様は日本人の方で英国から来日しすでに30年以上こちらで生活をされておられるそうですがその日本文化を学ぼうとする新鮮な感性に私自身が学ばせていただくことが大変多く、このタイミングのこのご縁に有難い気持ちになりました。せっかくの一期一会の旅の思い出にと、おくどの間の壁の竹炭貼りを体験していただきましたが私にとっても貴重な思い出になり、心が満たされる楽しい時間を過ごすことができました。

こうやって何かの足跡を残していただいたり、一緒に体験した感動の絆を深めて事あるごとに思い返せることが生きている仕合せを味わう一つの工夫になると私は思います。日々に忙しく過ぎていく毎日ですが、ご縁を感じ一つの思い出をそこに刻み、それを刻んだ方のことも忘れず、刻まれた方も時折楽しさと共に思い出す、その「美しい絆の思い出」によって心が穏やかに充たされていく。私たちは今の時代だからこそこのような心の豊かさを大切にしたいと思うのです。

またお別れのご挨拶に私から「ご縁」についての話をしました。しかしこの「ご縁」という言葉の英語訳が思いつかず、訳すこともできず、結局、どのように訳せばいいのかが整理できないままでした。

改めて日本語の持つ、哲学、思想、文化、歴史の奥深さを感じつつ、どのように異国の方々にそれを伝えようかと迷いました。そして一晩、深く考えてみるとこれらは言葉だけでは決して伝わらないことを知りました。つまりこれらの日本の言葉は、逆説ですが「言葉では伝えられないもの」だったのです。

それでは言葉では伝わらないものはどのように伝えるのか。

それは言葉ではなく、行動や実践、想いを形にして体験していただいたり、経験を語ったり、心を寄せて共感したりするときに伝わるものです。特に「ご縁」というものは、不思議で奇跡的なつながりや調和性や共時性、そして運命や道といった全体との接点の連続のような感覚のものです。

だからこそ、それを「具体的に一緒に感じ合えるような物語や出来事が対になっている」必要があるのです。それは、感じる側の心と、伝える側の心、つまり「以心伝心」によってのみ伝え合うということです。

言葉にはならないものをどう受け止めることができるかは、お互いに絆を磨き合い、学び合う同士でのみ自他一体の心の対話で語り合えるものです。

ご縁もそういうものであり、そのご縁をつなぐ人もまたこのご縁の生き方をしている人でありご縁が観えている人だから対話ができるのです。

子どもたちへの未来は、今のご縁が結ばれ発展していきます。だからこそ大切なご縁をすべて大切に味わい、そのどれもを愛して前進していきたいと思います。私のご縁で結ばれる未来の形を楽しみに心待ちを豊かにしていきたいと思います。

 

自由自立

人間に限らずすべての生き物たちには感情があります。さらに突き詰めれば、自然物は感情を持っているとも言えます。それは例えば、無機質といわれる生物ではないと一般的に言われるものであったとしても感情を持つのです。

こんなことを言うと頭がおかしいと思われるかもしれませんが、一つ一つの道具でも磨いてあげて綺麗にしてあげると輝き始めます。特に自然物に近いもの、木や布などは天気の状況や置かれた環境で影響をすぐに受けてしまいます。たとえそれが限りなく自然物でない人工的なものであったとしても粗末にすれば機嫌を悪くしますし壊れます。身近であればパソコン一つ、扱い方が悪ければ壊れますし携帯一つでも雑にすればすぐにダメになります。

この感情というものは、動物であれば天気のよい清々しい朝は鳥の鳴き声や虫たちが活き活きと活動しています。もしも天気が荒れている暴風雪や暴風雨などの日は、みんなおとなしくじっとしています。天気のように感情や機嫌も波状のように起伏しますからそれが感情がある証とも言えます。

この感情というものは、私たちが地球の一部である証でもあります。天気気候が万物普遍的に変化するのに対し、私たちの感情もまた同時に普遍的に変化します。それがある意味では生きている証であり、私たちのいのちが何を感受して感得して生きている実感を感じているかを味わう一つの感覚になっているのです。

この感情というものを向き合うことは、いのちと向き合うことに似ています。逆に感情を押し殺して無感情になろうとするといのちを避けていることになっていきます。

大切なのはいのちを丸ごと味わうことであり、感情を受け容れることで自然一体になっていくことがこの世で生きる仕合せにつながっているように思います。

色々ないのちと一緒に生きていく中に自分のいのちがある安心感はかけがえのないもので、どんなに感情を避けても自分の中のいのちや魂のようなものはどんな今も味わおうと積極的に生きています。それは身体が自分を生かそうとするように、自律神経が目覚めて活動しようとするように自然に湧き上がってくるものです。

自分に正直に生きていくということは、自分の感情を素直に味わい受け止めるということでもあります。自分のままでいい、素のままの自分が許されていることに気づくことが感情を愛することになるかもしれません。

一歩一歩大人になっていく中で、自分との出会いや付き合いは次第に深まっていくものです。自分というものを知り、自分というものを許し、自分というものを尊重し、自分のままであることに誇りを持つようになること。

自立とは、いのちの歓びでありこの人生への感謝です。

歴史に学び、先人たちの真の教えに触れ、一度きりの人生を生き子どもたちにその自由な背中を譲り遺していきたいと思います。

金継ぎと美徳

先日、自宅の愛用の急須が割れてしまいちょうどいい機会にと「金継ぎ」(きんつぎ)をして修繕しています。この金継ぎとは、別名「金繕い」ともいい古くは1000年以上の歴史があるといわれます。

具体的には、割れや欠け、ヒビなどの陶磁器の破損部分を漆によって接着し、金などの金属粉で装飾して仕上げる修復技法のことです。現在でもよく「金継ぎ」教室などといって陶磁器の修繕を教える場所があったり、アートとしてそれを展示するようなことも増えているともいいます。

日本人には古来より、物を大切にする文化があり、同時に修繕をすることでより愛着が湧き、本来の器を別の景色として甦らせる美しさがあるとも言えます。古民家甦生に手掛けてから、古いものが修繕され美しくそのいのちを輝かせ甦る姿を何度も何度も見てきました。

通常であれば、割れればすぐに捨てるのでしょうが長い年月共にしてきた「もの」はもったいなくて捨てることはなかなかできません。修繕の技術があるのであれば、捨てなくてもよかったものがたくさんあります。むかしの道具は自然物を用い、できる限り自然物を活かした形で作られたものですから修繕ができないものはほとんどありません。使い道、見立て自体でも様々な用途が生まれ甦生しますから、問題はそれを使う側、用いる側の感性次第に因るのでしょう。

この金継ぎは、やってみるとすぐにわかるのですが修繕するまでにだいぶ時間がかかります。現在は、接着ボンドであっという間にくっつく時代ですから数週間もかけてじっくりと待つことが苦手な人には向いていないかもしれません。

簡単便利にすぐに修繕できるものは、余計にそのものが割れてもまた接着ボンドでと思いますがこれだけ時間をかけて手間暇がかかるものなら割れないようにしようとより心がけるものです。

これは人間関係も同じことですし、何に接するにおいても時間をかけて手間暇がかかっているからこそ大切にしたいと願うものです。むかしの人たちの修繕の心得は、今の時代の生き方を磨くためにも活かせるものが多いように思います。

いくつもの工程を経て修繕される陶磁器のひび割れは、修繕後の金継ぎされた部分を「景色」と呼びます。割れた場所を「金」にするという発想と、それを「景色」と呼ぶ感性はまさに日本人の「美徳」の象徴の一つです。

大量生産大量消費、利己優先のこの時代においてこの金継ぎから学べるものが多いなと実践してみて感じました。将来、なんらかの形で子どもたちにその伝統の意味や価値を伝承していきたいと思います。

いのちの家

昨日は、郷里の伝統の畳職人の4代目と今後の仕事のお打合せをしました。どの畳にするかは、どの人物が育てたイ草にするかという私の生き方の判断もあるのでとても助かっています。

今回も、人吉の草野さんの育てたイ草を用いることで話をして畳のことを語り合っているとあっという間に時間が経ってしまいました。私も古民家甦生にかかわる前までは畳のことはそんなに関心もありませんでしたが実際に生産者にお会いし、生き方に共感し、そして畳職人さんが魂を籠めてつくったものには感動を覚えました。

その感動が、家の中の床を支え暮らしを豊かにしていきます。畳の持つ素晴らしさを子どもたちに一緒に伝承していこうと約束しました。

畳といえば、畳にまつわる諺がいくつかあります。一つは、「起きて半畳寝て一畳」というもの。これは人は必要以上の富貴を望むべきではなく、足るを知り満足することが大切であるという教えで使われます。

そしてもう一つ、「畳の上で死ぬ」。これは不慮の事故などで亡くなるのではなく、自宅で安らかに穏やかに死にたいという言葉になります。現代では病院や突然死も含まれると、ほとんどが自宅以外のところで亡くなっていることになります。

終戦直後まで私たち日本人の9割以上が自宅で生まれ自宅で亡くなりました。つまり家が誕生から死までを見守ってくれていたのです。家でお祝いをし家で葬式までを行いました。それだけ私たちの暮らしは家を中心に行われていたのです。

畳の上でというのは、私たちが生まれ育った畳の上で穏やかに生まれ安心して家族に見守られて亡くなりたいということでしょう。

現代では家で生まれ死ぬのは1割弱、それくらい家で生死を見取ることはなくなりました。そう考えてみると、古民家は何百年も前から現存するものはそれだけ家族の生死を見取ってきたということです。

以前、桶屋さんに代々使っていた産湯の桶の修理に見えていた方が私もひいおばあちゃんも使った桶を孫の産湯で使いたいと仰っていたことの理由がここからもわかります。

何代もかけて大切に生死を見守る家と共にあったものだったからこそその「もの」は単なる「もの」ではなく、いのちを見守ってくださっていた大切な「おまもり」のような存在だったのです。

その家の見守りに感謝しているからこそ、家を大切に修繕し恩返しをしていたのが私たちの住まい方であり生き方であったのです。

時代が変わっても、「願い」や「思い」は消えません。その願いや思いを引き継いでいく家だからこそ家が喜ぶように直していきたいと思います。私がたとえいなくなっても家が代わりに子どもたちを見守ってくれます。

いのちの家を子どもたちに譲り遺していきたいと思います。

家の寿命

先日から木造中古住宅の甦生をはじめていますが、すでに間取りの問題などが出てきています。もともと建てる時に考えた住宅設計と現代に活用しようとするときの住宅状況では間取りが異なります。むかしの日本家屋のように、襖や障子で間仕切りされているのであればまだしもその後のリフォームなどで個々の部屋に分かれドアがつけられてしまうと使い道が急激に狭まってしまうものです。その場しのぎの住宅のツケがそのまま子孫に渡されていくのは家もまた同じです。

家を直すとき私がまず間取りの解体から入るのは、そもそもの家の暮らしから設計されておらず不便さの中にある「家の寿命」のこともよくよく考えてあげる必要があるからです。つまり家に住む人間だけではなく、家にもいのちがある存在として認め、家が長生きできるようにしてあげることが自分たちがそこに住む期間を安心して永くできるコツであると私は考えています。

平成19年の国土交通省白書で家のじみょうのい平均築後年数の国際比較が調査されています。そこには日本では30年、アメリカは55年、イギリス77年と書かれています。残念ながら日本の家の寿命の短さは先進国の中でもトップです。

ヨーロッパでは、むかしから昔ながらの家のままに親から子へ、そして孫へと受け継がれていくようになっています。パリの街はナポレオン三世が150年前に作った街並みと住宅がそのまま現在に至る基盤となり、そのままの形で残存しています。パリの家の平均築年数は150年です。日本でも、長崎街道をはじめ街道筋にある木造の古民家は築150年以上のものがたくさん建っています。しかし現在、お年寄りも施設に入りあまり住んでいるところがなく空き家になって廃墟と化しているところが増えています。本来の棟梁の魂の籠った立派な木造建築が、手入れされずにそのまま廃墟になっていくのは見ていて深い悲しみを覚えます。

日本の家の寿命が短い理由は、一つは戦後大量に建てられた大量生産大量消費の住宅の質がよくなかったことと、国の法定耐用年数が決められており、木造住宅なら20~22年で資産価値がなくなると判断されるため古くなると壊してまた新しく建てようと考える傾向があったこと。他にも、個人主義の歪んだ価値観が入ってきて、日本の家で暮らす価値観が変化してきたこと。便利で快適な生活を求めて都会に出てマンションやアパート暮らしをはじめて元に戻れなくなったもの。

もっとも大きな理由は、使い捨ての文化が当たり前になり欧米のように「家を長持ちさせよう」という意識が失われたことかもしれません。

しかし結論から言えば、日本の住宅の寿命は欧米に比べ短くなっており住居費の負担が増えるばかりです。そうなれば、子どもたちに譲り渡していく家がなくなればそれだけ住居費はかさみ、若いころの生活が厳しくなります。子どもができ育てていけば自ずから学費や生活費などの出費もかさみますから家は寿命が長い方が本来は価値が向上していくのです。

家の価値を高めるためには、暮らしの充実と家の修繕を続けていく必要があります。いつも綺麗に保つ工夫や、物が増えすぎない工夫、そのどれもむかしの人たちが実践てきた和の家の文化に残っています。

和の家を甦生させることが、現代でもむかしの家を復古起新し対応していくための方法です。引き続き、家を学び直しながら子どもたちに譲り遺していきたいものを甦生させ続けていきたいと思います。