つながりの再生

昨日、地域の再生についての話し合いに参加する機会がありました。地元のことについて改めて話を聞いてみると今までいろいろな方々が町を愛し、様々な取り組みをしてきたのがわかります。地元への愛着がある人が減って若い人がいなくなっていくのはとても寂しいものです。

私たちはもともと自分が育ってきた故郷というものがあります。その故郷には様々な思い出があります。その思い出を守りつつ、新しい町にしていこうとするのはそこで育ってきた、いや育ててもらったという恩があるからです。

私たちは町で暮らすとき、そういう先祖の恩や地域の御蔭様を感じるものです。今では、地域のコミュニティや御祭りなどの行事も失われ次第に先祖の恩や御蔭様などを感じることが減ってきたように思います。自分たちのことだけをやればいいという考え方というのは、「つながり」を断っていく行為です。

そうやって組織にいる人たちも自分のことばかりを考えて全体のことを顧みない人が増えてきているようにも思います。常に自分たちのことだけに終始するというのは、自分勝手になったわけではなくつながりが切れているという自分の感覚に気づくことが必要なのです。

誰の御蔭様でここまで生きてこられたか、どういうつながりで今の自分があるのか、なぜ今の自分がこの環境の中で存在しているのか、そういう一つ一つを勿体ないと有難く感謝できるからこそ人はつながりを感じながら生きていくことができるのです。

つながることで人は安心し、よりつながりの絆を強めて厚くしていこうとしますから御恩や御蔭様の中にいることに気づけます。つながりが消えると同時に、人は自分自己の心配ばかりをはじめますから我慾に呑まれてしまうのでしょう。

己に克つという徳目は、先祖への御恩、感謝の心を忘れないということです。地域の再生はつながりの再生なのです。

なぜ自分が地域へのご恩返しをはじめたいと思ったのか、そこに御蔭様の実践の導きを感じます。引き続き、子どもたちが安心して暮らして町を好きになってもらえるように自らが小さな実践から積み重ねていきたいと思います。

  1. コメント

    すべてのものは「重々無尽」に繋がり、支え合っていると言われます。すなわち、最初からすべては繋がって存在しているのです。しかし、人は、時どきその「繋がり」を忘れ、その「繋がり」を見失って、不安になります。その不安を消すために、すべて自分で用意しないといけなくなり、「保身」に走るようになってしまうのでしょう。もともとの「繋がり」を信じられるかどうか?!そこが問題かもしれません。

  2. コメント

    ややもすると、自分がやった気になってしまいますがそこには見えない力が働き、させて頂いていることをしっかり心に留めたいと感じています。心が穏やかな時はすぐに戻れますが、荒れている時ほど自分ばかりと矢印が外に向きます。ですが、そんな時の独りよがり程、自らつながりを絶っていくことなのだと改めて感じます。「お蔭お蔭の下に生きる」この生き方を目指しつながりある関係を大切にしていきたいと思います。

  3. コメント

    良い成果、悪い成果、どちらもまずはまずはその仕事に対してお陰様を感じられる自分であるかどうか。とても大切とは感じつつも、不満や不平が心に湧くのは、どこか自分の中で選ぼうとする自分がいることを感じます。人から言われた言葉も選んで受け取れば繋がりが分からなくなるからこそ、丸ごとそのまま歩みたいと思います。

  4. コメント

    ときめきムービーを作成する中で、先月一ヶ月の働きを振り返ると、繋がりのお陰で大きな気づきや変化をいただいていたことを改めて感じました。日々の出来事にどのような意味があるのか、それは一人では決して感じられるものではなく、繋がりの中でいただけるものなのではないかと感じます。今年の一文字を大事にしていきたいと思います。

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